2013/04/17

Post #786 こういう事を言うと叱られそうだけど、うわぁ言っちまった!

Tokyo
ボストンで、テロがありましたね。
”愛国者の日”という祝日に行われた、ボストンマラソンのゴールでのことでした。
3人の方が亡くなり、多くの方が傷を負いました。その惨状は目を覆いたくなります。
お見舞い、お悔やみ申し上げます。
犠牲者は世界中に公開され、多くの方々がその死を悼んでいらっしゃいます。

しかし、この21世紀に入ってから、この糞ったれな世界ではテロが相次いでいます。
圧倒的な武力を持つ覇権国家に戦いを挑むには、テロしか手段がないのだろうと推察しております。もちろん、テロを称揚したり、美化したりする意図は、当方まったく持ち合わせてはおりません。デリケートな問題なので、誤解の無いようにお願いしたいものです。
今もなお、アフガニスタンで、イラクで、アフリカで、インドで多くの民間人の方々が、テロによって命を失っております。
また、民間人がテロリストと間違われ、爆撃を受けて命を失うという悲劇も、頻発しています。結婚式の祝宴が、テロリストの集会と間違われて爆撃され、新郎新婦はもちろん、多くの参列者がぶっ殺されてしまったという悲劇も耳にしたことがあります。
かけがえのない家族を、理不尽な暴力によって奪われてしまったしたら、人種や宗教に関わりなく、誰だって悲しみのどん底に突き落とされ、やり場のない怒りに打ち震えることでしょう。ほんの少し、想像力を使って、被害者の方々の身になってみれば、分かることだと思います。
もう一度、ボストンでのテロの犠牲者をお悔やみします。
しかし、TVやネットでろくに報道されないだけで、この世界中で、自爆テロなどの惨事による犠牲者は、後を絶ちません。そして、今やそういったニュースは新聞の国際欄の片隅に、ちょろりと記されるだけです。まるで、途上国で起きるテロの話題など、日常茶飯事でニュースにもならないとでもいうような雰囲気です。
30人死んだって、死者の名前なんて、報道されることもありません。死んでいった方々は、単なる数字に還元されてしまっておるわけです。で、ふーん、で終わっちゃうわけです。
単に生まれた国が違うだけで、肌の色が違うだけで、文化が違うだけで、どうしてこう違ってしまうのでしょうか?
私には、どうしても納得いきません。
ボストンのテロによる犠牲者を貶める意図はもちろんありません。
ここんところ、くれぐれも誤解の無いようにお願いいたしますよ。FBIや公安委員会なんかに、不穏な人物だなんて思われたくありませんので。アメリカに行く機会があった時に、アメリカ社会にとって、好ましくない人物として入国拒否されるのは、ゴメンですから。
私の言いたいことは、実にシンプルで簡単なことです。
人間の経済的な価値にはピンキリあれども、人間の持っている命の価値にはピンキリはないはずでしょう?ということです。
アメリカでテロによって命を奪われた方々も、途上国でのテロで、名もなく虫けらのように命を奪われたいった人々もまた、愛する人がいて、夢を持ち、今日よりよい明日を願い、日々を必死に生きていた同じ人間であり、両者の間に、本質的には何ら差異などありはしないということが言いたいだけです。
不愉快に思われた方がおいでになったなら、謝ります。
けれど、この天と地ほどの差別を、当たり前のこととして受け入れることは、私には到底容認できません。私は、全てのニンゲンには、健康で文化的な生活を送る権利があると信じています。
それは、永い永い暗黒時代を経てきた私達人類が、やっと掴みかけた、比較的新しい考え方かもしれません。
もちろん、そのような共通認識を持つに至っていない社会に暮らしている人々も、この地球上には多くいらっしゃることは理解しているつもりです。
難しい問題です。しかし、難しいからといって、考えることや、死者を悼むことをやめたくはありません。そして、この世で唯一絶対な死の前では、人種や国家、宗教や民族、財産や知識の多寡などは一切かかわりなく、人はただの人として、完全に平等です。
今回の事故の報道を見て、どうにも腑に落ちず、自分独りが飯を食っていくだけで、苦労の絶えない小市民の私、自らの立場も顧みず蟷螂の斧、自らが思うところを述べてみた次第であります。
まぁ、天邪鬼の愚痴みたいなものなので、どうぞお構いなく。また、バカがほざいていやがると、鼻でお笑いください。
読者諸君、失礼する。

2 件のコメント:

  1. こんばんは。

    東京とは思えない渋い写真ですね。


    さきほどボストンのテロ容疑者が特定、一人射殺され、一人が逃亡中と報道されてました。

    イラク戦争後の2006年にテロ・暴力で亡くなったイラク人は約1万5千人と発表されています。負傷者はその何倍にもなるのでしょう。凄まじい数の人です。
    でもそのほとんどの事件を私たちは知りませんし、一部が報道されていたと思いますが覚えていません。

    冥福をお祈りしたいと思います。

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  2. 昨今しきりに言われる、戦争のできる『普通の国』とは、国家の名の下に、人殺しを公然と行うことができる国です。
    私は、人殺しの片棒を担ぐのはゴメンです。
    少なくとも、自分の中に必然性が無く、自分以外の『国家』もしくは『権力者』の命令で人殺しをするのは、ゴメンです。
    そのために、昨今の憲法改正という名の改悪には、絶対に、断固として、反対です。
    僕は、この日本の国が、第二次大戦後国家の名において、人殺しをしていないということこそが、(死刑制度はありますが)世界に対して、日本人が唯一公然と誇れることだと思います。
    それで腰抜けとか平和ボケと言われるのなら、上等です。そういうことを言う人々は、戦争になって、自分が第一線で人を殺したり、自分が殺されたりする覚悟があって言っているようには、思えないから、屁の河童です。
    自分に弾の飛んでこないところからは、どんな威勢のいいこともカッコいいことも言えます。
    しかし、そんな尻馬に乗るようなことが本当の勇気や強さとは、まったく思えません。

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