2012/12/12

Post #666 それはアンチキリストの証し

666回だ。俺はふとダミアンを思い出した。オーメンだ。けっして一人では見ないでくださいだ。懐かしいぜ。黙示録に出てくるアンチキリストを象徴する数字だ。といっても、若い人には何のことかさっぱりわからないだろう。そういうホラー映画が大昔にあったってことさ。遠い昔、今から300年くらいは昔だろうか・・・。どうだっていいやね。
HongKong
 今日、仕事関係でお世話になってる人の親族の方のお通夜に行ってきたんだが、ふと神妙な顔をしながら思ったことがある。くだらないことだ。君たちにわざわざ話すようなことでもないが、所詮は人生とは大いなる暇潰しだ、話しておこうかな。
それは、俺の死んだ時には、気の利いたナレーションをしてほしいものだということだ。あんまりいい事ばかり葬儀屋の司会者に語られちゃ、くすぐったくって、思わず棺桶から飛び起きちまうかもしれないだろう。だからもっと、ブラックユーモアがあるっていうか、あまり例の無いようなのをかまして欲しいもんだねということさ。そう、例えばこんな調子さ。
『お調子者で、それでいてくだらない屁理屈をこねては周囲を困らせてきたあなたのことを、私たちは反面教師として忘れることはないでしょう。生前、散々好き放題やっては周囲を困らせ続けてきたあなたは、今は地獄の針の山を登り、血の池を浮き沈みしていることでしょう。しかし、その声は私たちに届くことはありません。さんざん調子のよいことばかり垂れ流していたあなたは、今頃とっくに舌を抜かれていることでしょうから。スパークスさん、あなたのことはしばらくは忘れられないでしょう。足を踏まれた人は、足を踏んだ人が忘れても覚えているものですから。これからも末永く、地獄の苦しみの中から、羨ましげに私たちのことを見守って下さい・・・。』なんて具合にね。
或いはまた、『地獄行き間違いなかったスパークスさんは、皆さまの念仏により、阿弥陀如来のご来迎を得て、辛くも極楽往生かないました。皆様の心からのご供養、故人も感謝感激していることでしょう・・・。極楽浄土の下足番にでもなって、皆さまがおいでになる日を一日千秋の思いで待ちわびていることでしょう。』とかね。
どうだい、なんだかドラマチックでいいだろう?
まぁ、そんな調子で思わず参列した皆さんが苦笑いするようなナレーションをぶちかまして欲しいものだなと、つくづく思ったわけだよ。イタチの最後っ屁って奴だ。
けど、けっしてふざけているわけじゃないんだぜ。
なんせ、俺みたいな非善非悪の男が、死んだからといって素直に極楽往生するとも思えないんでね。意外とみんな納得して、腑に落ちたような顔をしてくれるんじゃないだろうかね?どうだろう?
まぁ、そもそも俺が死んだって、そんなに人が集まってくれるとも思えないがね。
所詮、俺がもし死んだって、痴漢が一人、この世から減っただけのことさ。どうってことない。世界は相も変わらず続いていくのさ。
おっと、こんなことを書いてると、また不謹慎だとか言われてしまいかねん。今日はこれぐらいにしておこう。せめて、生前の写真をほんわかムードのスライドショーにして流すよりも、俺の撮った写真を、次から次に流して欲しいものだ。何故って、それこそが俺がかつて、そこに確かに存在していた、証しなんだからな。その時、この写真は見飽きたよとか、言わないでくれよ。

読者諸君、失礼する。今日もこうして生きているのは、おもえば不思議なことであるものよなぁ。命とは実存ではなくて、単なる現象に過ぎないようにも思えてくるぜ。

2012/12/11

Post #665 外は雪、思いは赤道直下を駆け巡る

HomeTown
ヒマになってきたと思いきや、様々な雑事に忙殺されてなかなかプリントできない。先日は出先で車でオカマを掘ってしまったしね。保険屋から次々と電話がかかってくるのさ。請求書や帳簿も作らねばならないしね。ぽつぽつと仕事も入ってくる。忘年会のお誘いだってむげにはできない。その辺のことをきっちり押さえておかないと、プリントどころじゃない。夜逃げする羽目になってしまう。まぁ、そうなったら20世紀のスナフキンに逆戻りか。それもまた悪くないか?
俺はそんな間隙を縫ってプリントしていかねばならない。俺がこの糞ったれな世界で死なないでいる理由のひとつが、まだプリントしてないネガが腐るほどあるってことだからだ。もっと言うと、まだ見たことの無い世界が、この地球上のほとんどを占めているってことだ。えらいことだ。遠大な野望だ。馬鹿は死ぬまで治らないとはこのことだ。
プリントをするためには、まずはネガをじっくりとみて、プリントするカットを選ばねばならない。俺は昨日の夜、帳簿の整理を済ませてから、夏のインドネシアやシンガポールのネガを見ていた。
外は雪だ。例年より2週間早い。タバコを吹かすために窓を開けると、強烈な冷気が吹き込んでくる。たまらないぜ。けれど、俺の頭の中は、熱帯も熱帯だ。赤道直下だ。
男たちは、強い日差しを避けるようにして、椅子に身を沈めている。女たちは頭の上に荷物を載せ、民族衣装を着てかいがいしく働いている。異形の神々を象った石像が、目をむいて空をにらんでいる。子供たちは、はだしで駆け回り、時にじっとこちらを見ている。そして、かつて人々共に海を渡ってきた犬たちは、繋がれることもなく自由に路地を行きかい、まただらしなく寝そべっている。
人々の暮らしが、路上に溢れている。そして何より、強い光が強烈なコントラストを織り成していている。
俺の頭の中は、今は遠いバリ島を、ジョグジャカルタを、シンガポールを彷徨う。
君たちに見せてあげたい。俺の見てきたものを。
俺はこうしてはいられない。寒さをモノともせず、寸暇を縫ってプリントしなければ。
そして何より、君たちに届けたい。
デジタルではダメなんだ。俺の写真って感じがしない。便利なのはわかってる。仕事ではガンガン活用してる。俺はこう見えて結構最先端なものが好きなんだ。けれど、俺の肉体を通じて描き出された光画=写真じゃなけりゃ、俺の写真にはなりはしない。なにより俺は音楽や本だって、データだけじゃ不満なんだ。物欲が強いのかもしれない。第一、写真もデータだけじゃ電気が無けりゃ見ることもできないだろう。
アラーキーも言っている。写真は指想=思想だと。
指を動かし手を使わねばならないんだ。時代遅れだとわかっちゃいても、俺は好きでやってるんだ。それで誰かから金をもらってるわけじゃないんだからな。とことん自分の納得するようにやらせてもらうぜ。俺の人生だからな。
くぅ~、こうしちゃいられない。さっそくプリントしたいが、今日もこれから仕事で静岡まで行かねばならないんだ。まったく、まいったなぁ。けど、この辺をきっちりやっとかないと、フィルムも印画紙も替えなけりゃ、旅行にも行けないってことだからね。もどかしいったらありゃしないぜ。
読者諸君、また会おう。 

2012/12/10

Post #664 Photographica #12

性懲りもなく、また写真集を買ってしまった。
若き日の北島敬三の伝説の写真集『北島敬三 1979 写真特急便 東京』、全12冊+別冊1だ。
これはもちろん再版ものだ。こんなもの、当時のものがあったら、いったいいくらになるかわからないよ。
北島敬三 『1979 写真特急便 東京』
こんなもの再版してくれるような写真の分かっている出版社は、残念ながらいない。毎度おなじみ、ドイツのSTEIDLだ。かつて、森山大道の『写真よさようなら』、中平卓馬の『来たるべき言葉のために』、荒木経惟『センチメンタルな旅』、そして伝説の写真同人誌『プロヴォーク』を箱詰めにして、『Japanese Box』として出版したこともあるSTEIDLだ。
STEIDLのセレクトにはいつも脱帽する。今の日本の写真の流れとは完全に路線は違っているが、世界的に見て、かなり特異で、独自に花開いていた写真の潮流を、未だになお重要なものとして評価して、出版していることが読み取れる気がする。
まるで、明治時代に陶磁器の包み紙として海外に流出した浮世絵によって、衝撃を受け、影響を受けたヨーロッパ人によって、芸術としての浮世絵が見出されたことを思わせる。
まぁ、日本でいまこの手の写真を評価している人がどれだけいるかは知らないけれど、この手の写真を撮っている人ってのは、少ないですよね。どこかほら、キース・ムーンのドラムが凄くても、そのスタイルを継承しているのはリンゴ・スターの倅のザック・スターキーくらいのモノだってのと似てる気もする。(キース・ムーンの全編フィルインと言えるような、空間を絶え間ないドラムで埋め尽くすようなおかずの多い激しいリードドラムは、けいおん!のドラムのりっちゃんも大好きだということだが、そのドラムスタイルに、キースの影響は微塵も感じられなかった。)

手元にある資料を基に、北島敬三のことを手短に述べてみよう。1954年、長野県に生まれた北島敬三は、高校時代から写真部に在籍し、先にあげた森山、荒木、中平、そして東松照明などの写真家に憧れていたという。後に成蹊大学法学部に進学するも、夢中になれるものを見い出せず、中退。ほどなく開校したばかりのワークショップ写真学校の森山大道教室に入った。
1975年のことであったという。
1976年、ワークショップ写真学校は閉校し、森山大道と北島敬三をはじめとする森山教室の有志6名は、自主運営ギャラリー『イメージショップCAMP』を設立した。
この『1979 写真特急便 東京』は、このCAMPにおいて、1979年の1月から、毎月10日間、12回にわたり開催された展覧会で発行・販売されていた小冊子だ。
北島敬三 『1979 写真特急便東京』
森山大道に人物を撮るように勧められた北島は、おそらくは新宿の酒場で繰り広げられる狂態にカメラを向け、また通りすがりのスナップによって、その作品を形作っていった。
その写真は、師匠筋にあたる森山大道を思わせるような極端なまでのハイコントラスト、アレ、ブレを特徴としているが、森山大道の写真以上に、どこか暴力的でドライブ感のある写真に仕上がっている。
俺は、30数年の歳月をへだててその写真を見る。そしてため息をつく。カッコいいなぁ~。
写真に理屈はいらないのだ。ただ、見てカッコよければ、全てOKだといってもイイ。
視覚的にくらまされているだけだとしても、写真なんて、所詮は言葉でどうのこうのいって理解するような態のモノではなく、言語を排して、直截的、感覚的に、体験するものだと俺は考えているから、カッコいいなぁ~、ってため息をつくだけで充分なのだ。
こんな真っ黒で、どこか暴力的なエッセンスを、そして人間の放つエロスを感じさせるような写真が撮れたらなぁ、写真やめてもイイかなぁ・・・、いや、もっと撮りたくなるだけだろう。
この写真集、俺は名古屋のジュンク堂で買った。島田洋書扱いで、税抜7600円。当時1冊200円だった小冊子が、13冊入って7600円だ。お買い得だ。アマゾンとかで探せば、もう少し安く手に入るかもしれない。興味のある読者諸君は、一度手に入れてみてみるとイイ。今の写真とはある意味、対極にある生々しさだ。モノクロ写真の威力に、めまいがしてくるぜ。
しかし、このころの日本人の、体臭がにおってきそうなほどの生々しさは、本当にフォトジェニックだよね。

読者諸君、失礼する。外は雪だ。明日は家に閉じこもり、請求書を作り、プリントをしよう。いい加減そろそろ手を付けないとな、人生が終わっちまうぜ。