2013/01/18

Post #701 Street Light,Bicycle And Woman with Boots

HomeTown/Nagoya
今夜は、写真だけ。眼が疲れてるんだ。ビジネスホテルの部屋は空気が乾燥している。ドライアイになりそうだ。ベッドに腹ばいになってパソコンをいじっていると、目が疲れちまうんだ。
写真には何よりも目が大切なんだ。たとえ、俺の節穴みたいな目だとしてもね。
だから、今夜はとっとと灯りを消して、俺の血走った目を休ませたいんだ。

読者諸君、失礼する。

2013/01/17

Post #700 Crane,Wire and Gloomy Sky!

Osaka
今回でこのクソったれなブログも700回だ。
我ながら飽きずによくやるぜ。そうそう暇人でもないのに、よくやるぜ、呆れるぜ。
UPした写真はとっくに千枚を超えている。
写真は一枚一枚でインパクトがあるのが望ましいのかもしれないが、ある一定の量に集積されると、質より量の領域に突入する。薄利多売だ。ちりも積もれば山となるだ。仕事といい、写真といい、それが俺のスタイルだ。

俺はたった一枚で、読者諸君を感心させるような、インパクトのある傑作を撮りたいわけじゃないんだ。それが出来れば、苦労しないよ。
俺の視点で切り取った写真を、グロスにして叩き売るようにして、イメージの集積によって描かれてゆく俺の世界を築き上げ、そこに君を招待したいのさ。
俺はいつも自分の写真のサムネイルを見て、目もくらむような想いを味わっている。
その世界では、パリもバリも、イスタンブールも大阪も、マラケシュも東京も、アムステルダムも俺の住む名古屋も、バルセロナも香港も、一つの地平にフラットに、隣り合わせに存在する。
そう、それが俺の世界なんだよ。
グローバルっていうのはちょっと薄っぺらだ。うむ、何といったらいいんだろう。そうだな、お気に入りの写真集や小説やカメラやCDが山積みの俺の部屋にいながら、世界のいろんなところに同時に存在しているような不思議な感覚にとらわれるんだ。

けっしてシャブ喰ってるわけじゃないぜ。

俺はランダムに並んでいる自分の写真を眺めていると、そんな不思議な気分になってくるっていうことさ。
そこは路上の世界でもある。何故なら俺の写真のほとんどは路上で歩きながら撮られているからだ。そう、まさにOn The Roadだ。
俺の撮りたいものは、全て路上に転がっている。
俺は今、富士山の見える町に来ているけれど、富士山を撮りたいなんて、ちっとも思わないぜ。そんなのケータイで撮って、友達に送るくらいの扱いでちょうどいいのさ。富士には、月見草がよく似合うBy太宰治の心意気だ。そもそも俺が撮らなくても、誰かがとっくに、もっと上手に撮ってるんだからな。
俺は昔から、その手の写真を風呂屋のタイル絵か、人畜無害のカレンダーみたいで、好きになれなかったんだ。そういうものは、自分の眼で見るに限る。それに、その手の万人受けする写真を撮りたいって人は、日本全国通津浦々、どこにだっている。
他人と同じことをしていちゃ、名もない群衆の中にうずもれてしまうぜ。そうだろう?
世界に70億人もいるのに、自分はたった一人なんだぜ?そんなのつまらなくないか?俺はひねくれ者なのさ。俺は俺の道を行かせてもらうぜ。

それよりも俺は、寂れた路地の看板や、道行く冴えないサラリーマンや、誰からも顧みられないようなポンコツな人々、そしてこの寒空の中、惜しげもなく足を晒して闊歩する御嬢さんたち、そんなものに心惹かれてるのさ。そいつらは、いつだって路上に転がっている。時折オマワリに職質されたりするのも路上だがね。仕方ない、俺はいつだって反体制だったんだからな。職質くらいされるってもんさ。OK、俺の魂の叫びを聴いてくれ!

ぐうぇあぁぁぁぁっ!
写真とりてぇぇぇぇ!
プリントしてぇぇぇぇ!

まだまだ君たちが見たことが無い写真が、山ほどある。それどころか、俺自身も見たことない写真が山ほどあるんだ。家に帰れば、プリントされてないネガの山が、ブンブンと唸りをあげているのさ。
マンネリでも飽きなきゃイイ。天才アラーキーもそういっている。
同じ道を歩いても、同じ人間に出くわしても、まったく同じ瞬間なんてない。
そして、その唯一無二の瞬間を切り取るのが写真だろう。
その意味において、飽きるわけがないだろう。
まぁ、忙しさにかまけて、心が折れるときはあるだろうけれどね。
OK、この44歳のファンキー・ガッツ・マンの冒険というか道楽に、これからも付き合ってくれる心の広い君たちよ。これからもよろしく頼む。
ほとんど反響もなくって、底なしの穴に毎日ひとつづつ小石を投げ込んでいるような寂しさも時には感じるが、まぁイイだろう。俺の話しが自己完結しすぎてて、突っ込みどころがないんだって思っておくよ。そう思い込んでいた方が、俺も君も幸せでいられるってもんだ。
とはいえ、時折コメントをくれる数少ない理解者の皆さん、本当にありがとう。個別に名前は挙げないが、宇宙に向けたメッセージに、何万光年も離れたところから返信があったように嬉しく思ってるぜ。君たちのおかげで、俺は今日もこうして、思い上がったくだらない駄文を書き連ね、へたっぴな写真を見せびらかすことができるってものさ。
おぉ、自分の才能の無さにひっくり返りそうだぜ。
君たちこそ、俺の支えなんだ、ありがとう。いつか君たちと、じかにお目にかかることのできる幸せな日の来ることを、俺はいつだって夢見ているよ。

読者諸君、失礼する。俺はシャワーを浴びて、飯を食いに出かけるのさ。御機嫌よう。 

2013/01/16

Post #699 すっかり疎遠な友人からの年賀状

Osaka
先日、大阪方面に住んでいる友人から年賀状が届いた。
友人といっても、もう何年も年賀状のやり取りしかしていない有様だ。そんな友人が、何人かいる。寂しいがそれが現実だ。年齢とともにだんだん疎遠になっていく。仕方ない、それぞれ生活を背負っているんだからな。訳の分からない道楽者のおっさんと遊んでいるヒマはなかなかないわな。
俺は、一度20歳の時にカルトな宗教にはまって、学校も辞め、家も飛び出してしまった経験がある。しかも25歳で見切りをつけ、そこから夜逃げして娑婆に戻ってきたから、若い頃の友人は、ほとんど皆縁が切れてしまっている。仕方ない、自業自得だ。仕事で付き合いがあるのは、あくまで仕事の付き合いで、心が通い合うことってのは、余りないってのが誰も彼もホントのことだろう。こう見えても人当たりがよくって、営業向きだと言われるが、自分を偽って人当たりをよくしているように感じているので、そんな言葉をかけられると、いつも意外に感じているくらいだ。
そう、俺は正直言って友人が少ない。ずっと反体制でやってきたから仕方がないか。
だから、年賀状だけでもやり取りしている友人すら、貴重だ。

そこには東松照明が死んで、何故だか俺の写真を思い出したと記されていた。
それはまた、光栄なことで。

狂ったように写真を撮っていたい。自分の眼玉そのものがカメラだったらとすら思う。
見慣れた町を歩いていても、地球を一周して辿り着いた見も知らぬアジアの町を彷徨っているようにして、写真を撮っていたい。
そして、引き籠って憑りつかれたように、プリントしていたい。
そして、それを他でもない君たちに見て欲しーのさ。
それこそが、自分が生きていた証しのような気がしているんだ。
しかし現実は、なかなかそうはいかないね。自分に残されてる時間がどれだけあるかわからないけれど、金が欲しくて働いて、眠るだけじゃ、人生物足りないからね。
読者諸君、失礼する。