2013/01/16

Post #699 すっかり疎遠な友人からの年賀状

Osaka
先日、大阪方面に住んでいる友人から年賀状が届いた。
友人といっても、もう何年も年賀状のやり取りしかしていない有様だ。そんな友人が、何人かいる。寂しいがそれが現実だ。年齢とともにだんだん疎遠になっていく。仕方ない、それぞれ生活を背負っているんだからな。訳の分からない道楽者のおっさんと遊んでいるヒマはなかなかないわな。
俺は、一度20歳の時にカルトな宗教にはまって、学校も辞め、家も飛び出してしまった経験がある。しかも25歳で見切りをつけ、そこから夜逃げして娑婆に戻ってきたから、若い頃の友人は、ほとんど皆縁が切れてしまっている。仕方ない、自業自得だ。仕事で付き合いがあるのは、あくまで仕事の付き合いで、心が通い合うことってのは、余りないってのが誰も彼もホントのことだろう。こう見えても人当たりがよくって、営業向きだと言われるが、自分を偽って人当たりをよくしているように感じているので、そんな言葉をかけられると、いつも意外に感じているくらいだ。
そう、俺は正直言って友人が少ない。ずっと反体制でやってきたから仕方がないか。
だから、年賀状だけでもやり取りしている友人すら、貴重だ。

そこには東松照明が死んで、何故だか俺の写真を思い出したと記されていた。
それはまた、光栄なことで。

狂ったように写真を撮っていたい。自分の眼玉そのものがカメラだったらとすら思う。
見慣れた町を歩いていても、地球を一周して辿り着いた見も知らぬアジアの町を彷徨っているようにして、写真を撮っていたい。
そして、引き籠って憑りつかれたように、プリントしていたい。
そして、それを他でもない君たちに見て欲しーのさ。
それこそが、自分が生きていた証しのような気がしているんだ。
しかし現実は、なかなかそうはいかないね。自分に残されてる時間がどれだけあるかわからないけれど、金が欲しくて働いて、眠るだけじゃ、人生物足りないからね。
読者諸君、失礼する。 

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