2026/01/11

POST#1728 57歳だとさ…まるで浦島太郎だ

Paris、モンマルトルの丘より ずいぶん前

今をさかのぼること57年前、1969年の1月11日 午前2時36分に俺は生まれた。今住んでいる家から歩いてすぐの病院でだ。半世紀以上の人生あちこちぶらついて、結局生まれた場所に落ち着いたのさ。

同じ病院で二週間ほど前に自分の祖父に当たる庄六が亡くなったばかりだったので、俺の家族の皆様の喜びは如何ばかりか、想像もつかない。父は軍艦マーチをかけて喜んだらしい。やめてくれよ、昔のパチンコ屋じゃあるまいし。あの人は昔から学もなけりゃセンスもないんだ。

ちなみに庄六さんは、今の俺とおおよそ同じ年頃。入院中の寒さ故に、練炭火鉢の練炭に火をつけたところ、それを取り落としたショックで心臓が止まり、妻(つまり俺のばあさん)と長女(くどいようだが俺の叔母)の見ている前であっけなく死んでしまったらしい。

初めて聞いたときは衝撃だったが、今ではネタでしかない。考えてみれば、病み衰えて苦しむこともなく極楽往生したんだから、結構悪くない死にざまだと思う。

で、俺はその生まれ変わりとして親族の皆さんから熱烈歓迎された。ダライラマじゃないんだから、そんなわけもなかろうに・・・

取り立てて特筆するようなこともなく、シャレにならないことも笑い話のような逸話にして生きてきた。なんと57年も!忌野清志郎だってそれくらいには死んじまってたんじゃないか?

孫がいてもまったくおかしくない年だが、あいにく息子はまだ小学生だ。まだ孫にはありつけそうもない。家のローンも山ほど残ってる。

それに、この年まで来たら、もう俺の人生にはロマンスも冒険もない。ただ老いぼれていくだけさ。あっさり死んだじいさんがうらやましくなる。

去年はいろいろあった。いろいろありすぎて笑えてくる。たいていはろくでもないことだ。

最後の最後に仕事の予定がキャンセルになり、次の日に車で追突事故をやらかした。

疫病神に憑りつかれたような一年だった。

で、今日はさっぱりするために、尾張の国一宮、真清田神社でお祓いしてもらってきたのさ。

困ったときは神頼みさ。この全身にまとわりついたタールのような閉塞感を打ち破るのに、初穂料壱萬円也は安いもんだ。生まれ変わったとは言わないが、清々したぜ。


誕生日にお祝いのLINEやメッセージを送ってくれた皆さん、本当にありがとう。一人ひとりお名前を挙げることは差し控えさせていただくけれど、泣きたいほどうれしかった。

去年いろいろありすぎて、人間不信になってたから、心のそこから嬉しかったんだ。思わず通ってる精神科でカウンセリングの予約をしてしまったくらいに人間不信だったんだ。

とはいえ、俺のじいさんが死んだ話みたいに、過ぎてみればどんなひどいことも笑い話さ。

自分がぼけちまって、何もかも忘れてしまってもいいように、仕事もキャンセルになって暇なうちに漫画みたいなそんな話を、おいおい書いていこうと思う。

付き合ってくれるかい?ありがとう。また近いうちに会おう。失礼する。

2024/12/24

Post #1727 レクサプロに感謝。そして、メリークリスマス


 この三年ほどの間に、コロナに罹り、その後遺症か鬱病となった。

発達障害の息子を連れて行った精神科の清算窓口で、希死念慮がありますと告げて通院することになった。もしそうしていなかったら、きっと家族を殺して自殺していたか、高速道路で闇に吸い込まれるように側壁に車を衝突させて死んでいただろう。どうだっていい、馬鹿が一匹減るだけさ。同じような事件が、すぐ近くの町で起こった。男は妻と子供二人を殺し、自分は死にきれなかった。自分に重なった。俺はギリギリ助かった。

おかげさまで、高速道路を狂ったように疾走することも見事になくなった。

突然感情崩壊して、とめどなく涙が流れることもなくたった。

肚の奥底からこみあげるような破壊衝動にも似た狂気もなくなった。

去勢されたみたいだ。

レクサプロに感謝だ。

高校時代のかけがえのない友人、仕事で目標にしていた先達、高校時代に付き合っていた女性、多くの親類、何十年にもわたって自分を導いてくれた師匠。

自分にとって、かけがえのない人たちが、次々と死んでいった。

もう40年も前に母が死んだときから、人が死んでも泣くことはない。

自分の中に澱のようによどんでいくだけだ。けれど、受け入れているわけでも、平気なわけでもない。都度、自分の心の一部が、無理矢理に剥ぎ取られるように感じた。

とりわけ、友人の死は辛かった。

そしてそれをありふれたことのように他人に軽くあしらわれるのも、心を踏みにじられるような悲しさだった。

いま住んでいる街には、辻々に地蔵菩薩が祀られている。いつも足を止め、真摯に手を合わせては、その人々の救済を祈る。

レクサプロに感謝だ。

自分の弱さから、絶縁した人もいる。

自分の振る舞いをパワハラだと訴えた人もいる。

実の兄弟の中には、自分のことを憎んで嫌っている者もいる。

すべて、自業自得だ。

それでも、自分自身の存在が足元から揺らぐような、癒えない悲しみがある。

考えれば考えるほど、吐きそうになる。

レクサプロに感謝だ。

腎臓結石から菌血症になり、三度も入院することとなった。体と財布はボロボロになった。

何も食べられないのに吐き戻し、高熱の中下痢を垂れ流した。無様というかなかなかやばかった。医師の友人には、それで死んでもおかしくなかったといわれた。

オーグメンチンに感謝だ。

じっと、鏡を見る。

いつの間にか55歳、いや年が明けると56歳だ。自分の祖父はそれくらいでぽっくり死んだ。

練炭火鉢の火のついた練炭を取り落とし、驚いて心臓が止まったんだ。

いつ自分の番が来てもおかしくはない。

自分の人生は、もう終わりが見えた。

もうこの先ロマンスも冒険も何もない。

ただ生きて年老い、死ぬるだけさ。

神から与えられた時を、無駄にしてしまった悔恨がこみあげてくる。

レクサプロに感謝だ。

悩みの種も家族だが、自分を支えてくれるのも家族、特に息子の麒麟児だった。

その息子の元を離れ、ひとり華やかな歴史と陰惨な差別が同居する街で暮らし、夜な夜な仕事を続けている。道を歩いているのは、インバウンドの外国人ばかりだ。知人の一人もいない街で、仕事以外で言葉を交わすこともなく、ねぐらと仕事場の往復だ。

それも今年は、今日で終わる。そのうち、自分の退屈な人生も終わるさ。


メリークリスマス。


冬の荒野のような心象風景が胸の奥にどこまでもどこまでも広がっている。

2022/03/01

Post #1726

コロナと診断されてから、既に一週間が過ぎた。
体重は4キロほどおち、子供が生まれる前に、タバコを吸っていた頃に近づいてきたようだ。しかし、かつて持っていたスーツは、ウエストがしんどくなって捨ててしまったことを思い出し、卒園式、入学式が近いので、ふと悔やまれる。

とっくに熱も下がって咳も出ない。しかしやることもないので、ゴロゴロしながら本を読んで暮らしている。
昨日まで読んでいたのは、先年亡くなられた人類学者マーシャル・サーリンズの『石器時代の経済学』という古典的な人類学のテキストだが、これがとても面白かった。
こういう本は、しっかり腰を落ち着けて読まないと、ちっとも理解できない。車の信号待ちや、仕事の休憩時間で読むような本ではないのだ。
20世紀もなお石器時代(狩猟採集だけの旧石器時代と農耕も始めている新石器時代)を生きている人々への人類学者のフィールドワークを丹念に分析することで、石器時代の人たちは生きるのに必死で、朝から晩まで食料を得るために駆けずり回り這い回っていたわけではなく、毎日平均2、3時間働くことで、生活の要求を満たしており、石器時代とは『始原のあふれる社会』だったということを論じる内容だ。
それが第一章の論旨なんだが、二十世紀初頭の人類学者マルセル・モース(岡本太郎パリ留学中の先生)の古典的な名著、『贈与論』の核心部分の解釈を掘り下げ、ルソーやホッブズ が考察していた始原の社会の社会契約と比較する第四章が、難しいけんどスリリングで、めちゃめちゃ面白かった。
万人の万人に対する闘争を回避するため、コモンウェルス(=共同の富)即ち国家を持たない人々は、贈与によって相互に社会契約を生み出したということを、モースを素材に、リヴァイアサンのホッブズを8分に、不平等起源論のルソーを2分ほど絡めて述べられ、仕上げのスパイスにレヴィ・ストロースの『交換とは平和的に解決された戦争であり、そして戦争とは、互換活動が不首尾に終わった結果にほかならない』という有名な一節をさらりとあしらわれ総括される。
そして最後にブッシュマンの次のような言葉で締めくくられるのだ
『一番悪いことは、贈物をしないことです。おたがいに好感をもっていなくても、一人が贈物をあたえたら、もう一人はうけとらねばなりません。こうして人々のあいだに、平和がもたらされるのです。私たちは、自分がもっているものを与えます。これが、みんな一緒に暮らしてゆく、私たちのやり方なのです』
僕は性魯鈍にして愚物ではあるが、こういう文章を読むのが楽しくて仕方ない。
そして、人間と社会に対する見識が深まる。細かいことは学者ではないから、サクッと忘れても構わない。自分の中に、気持ち良い風に吹かれたような感覚が残る。
法が蔑ろにされ、戦争が起こっているまさにいまこそ、これを読んでよかったと思える。

そして、その後ネットで原一男の不滅のドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』を見て暮らした。
神戸のバッテリー商 奥崎謙三は、かつてニューギニアで戦った。日本に帰って来てからは、悪徳不動産屋を殺し、服役後、天皇に対して戦争責任を叫びながらパチンコ球を投擲した。天皇の顔写真をコラージュしたポルノを印刷したビラを撒き、また服役。
昭和の怪人だった。あまりに堂々と自分の信じた正義のために、国法などあっさり無視して行動する、今日で言う『無敵の人』だった。
ニューギニア戦線で奥崎がしょぞくしていた部隊で、戦争は終わっていたのに、二人の兵士が上官の命令で射殺された。
時は流れ、バブル真っ盛りの80年代、元帰還兵の奥崎謙三は、田中角栄を殺すと大書きしたマークⅡで、かつての上官を訪ねまわり、その真相を、執拗な尋問と発作的な暴力で解明してゆこうとする。
その処刑の裏には、極限の飢餓状態に追い込まれた日本兵が、階級の低い者を撃ち殺して食べたのではないか?という今日では考えられないような戦争の実態が潜んでいる。
誰もが、戦争中の出来事は思い出したくない。生きて帰ってこれたことに満足し、善良な市民として生きてきた。子供や孫のいる前で絶対に話したくない。そして、誰もが自分は撃っていない、自分は命令していないという。
そして最後には、奥崎謙三は元上官の家に改造拳銃を持って乗り込み、上官の息子を狙撃、逮捕されてしまう。
もう、完全に狂っている。けれど、アイヒマンの裁判を通じて、戦争責任を追求したハンナ・アーレントにも通じるなにかを感じる。
これもまた、戦争が起こっている今だから、あえて観てみたかったものだ。

そして、見終わってから奥崎謙三とどことなく風貌が似ていた吉本隆明の本を引っ張り出して、今日も一日本を読んで暮らした。コロナのお陰で優雅なことさ。