2026/01/29

POST#1744 本当に怖いものは幽霊のほかにある

タイ北部、辺境の町メーサロン
今夜は久々に仕事だ。

夜の百貨店で仕事だ。それがいつだって俺の主戦場だ。年々身体に残るダメージは蓄積されている。心身ともに辛い。しかし、働かざる者食うべからずだ。

いつまでも遊んで暮らしているわけにはいかない。まだ老人じゃないんだ。


この仕事をしていると、よく、怖くないですか?と聞かれる。

真っ暗なバックヤードを歩くこともあるし、暗く静まり返った売場も不気味に感じるんだろう。古い百貨店なら、しばしば幽霊のうわさも聞く。

しかし、いまだかつてその手のかたにお会いしたことはない。残念だ。

子供が生まれたころに仕事をしていたビルは、戦後すぐに建てられたものをつぶして建て替えた商業施設とオフィスの複合ビルだった。

ここでは、ゼネコンの建築作業員たちの間で、女の幽霊が出るという噂がささやかれていた。ゼネコンの作業が終わった後に、俺を含めた店舗工事部隊が入ってくることになるんだが、そんなおもろい噂を聞いた俺は、「よし、みんなでその幽霊にお会いして、美人かどうか確かめてみようぜ!いい女だったら、みんなでかわいがってやろう!」と意気軒高だった。

結果、俺たち店舗工事の部隊が乗り込むと、その女の幽霊はパタリとでなくなったという。

残念だ。残念極まる。

去年まで毎晩働いていた京都の百貨店も、昔飛び降り自殺した女の幽霊が出るって話だったが、それも見たことがない。まぁ、この年になれば女は面倒だからいいとい言えばいいけどね。

今まで俺が驚いたりビビったりしたのは、深夜、暗闇の子供用品売り場に響く、キティちゃんのポップコーン自販機から流れ続ける、キティちゃんの声だ。

あと、近江八幡の商業施設のバックヤードで遭遇したイタチ。このイタチによって、鼬の最後っ屁という言葉の意味を思い知った。


どうも俺はそういう類の方々と波長が合わないようで、うちのカミさんも昔はしばしば怖い思いをしていたそうなんだけれど、俺と暮らすようになってから一度もそんなことはないらしい。

むしろ俺が包丁を持ったカミさんに追いかけられて、怖い思いをしたことが何度かあると言い添えておこう。

諸君、失礼する。

2026/01/28

POST#1743 人は読んだ本でできてるんじゃないかな

大阪 心斎橋
人に本を贈ることがある。

時にそれは、自分の気持ちを伝えたり、いやむしろもっとなんて言うかな、自分の魂を分けて与えるような感覚だ。マルセル・モースの贈与論に出てくるマナ(つまり霊威といえばわかりやすいかな)のこもった呪物のようだ。

そういうところが重たいって言われるんだろうけど、自分ってのは、自分が経験してきた様々な出来事と、自分が長い間に読んできた(そして、あらかた忘れてしまった)本でできているんじゃなかろうか。本を読まない人は、どんな風に世界を見ているのか、想像もつかない。

だから、贈った本を愉しんで読んでもらえると、自分を理解してもらえたように感じるし、贈った本が、読み終わったから処分されたしまった聞くと、自分を拒絶されたような気になる。本は外付けの記憶媒体のようなものだと俺は思ってる。だから、なかなか処分できない。

昨日、息子のとっ散らかった部屋に足を踏み入れ、蔵書整理のアプリを使って息子の生まれたころ読み聞かせていた絵本を登録していた。

そのなかに、一冊紛れ込んでいた絵本。しろいうさぎとくろいうさぎ

これは高校3年生のころに付き合っていた一つ下の女の子からもらったものだ。

彼女から付き合ってほしいといわれたんだ。俺は最初は彼女の友達が気になってたんだけどね。けど、俺と彼女はすぐに打ち解けて、俺は彼女を自転車の後ろに乗せて、駅まで送った。俺の部屋や公園の片隅で愛し合った。

高校を出て免許を取り、中古のフォルクスワーゲンでよくドライブした。

今でも国道21号線を走ると、彼女と若狭の海に行った道中を思い出す。

夜中に彼女の家の前まで迎えにゆき、家族の寝静まった中、こっそり出てきたネグリジェ姿の彼女と、河原に停めたワーゲンの中で愛し合った。

彼女は年齢の割に恥じらうところもなく、お互いに心の欠損を埋めあうようにいつも激しく愛し合った。俺は何年か前に母親を亡くしながら、その気持ちをだれにも言えず苦しんでいたし、彼女は小学生のころ性被害にあい、それによって穢されてしまった自分を受け入れてくれる誰かを求めていた。俺は彼女を大切にしたいと思った。

結局、彼女とはいろいろあって別れてしまったんだが、結局、彼女をよりつらい境遇に追い込んでしまっただけかもしれない。

そんな彼女からもらった絵本が、上にあげたしろいうさぎとくろいうさぎだ。

くろいうさぎはしろいうさぎと仲良しでいつも一緒に遊んでいるけれど、いつも浮かない顔。しろいうさぎが何度も聞いて帰ってきた答えは、「ぼく願い事をしてるんだよ」というmの。くろいうさぎは、しろいうさぎとずっと一緒にいられるように願っていたんだ。それを知ったしろいうさぎとくろいうさぎは結婚し、森の動物たちから祝福されるという話だ。

(余談だが、この本は人種差別が大手を振ってまかり通っていたアメリカ南部の州では黒人男性と白人女性の結婚を奨励する本として禁書扱いになったという。あの国は、今でも根本的には変わらない。他者を攻撃することでしかアイデンティティが保てないのか?)

弟の嫁が、彼女の幼馴染だった。

大人になってから、彼女が結婚し、子宮がんになって子宮を摘出し、子供を産むこともなく離婚したことを聞いた。そして実家の家業を一人で継いでいたことも聞いた。

俺は、息子の麒麟児が生まれる少し前、意を決して彼女に一度逢いに行った。

薄暗い薬局の中に入り、奥から出てきた彼女は俺を見て心底驚いていたが、どこか嬉しそうだった。彼女は病気のせいなのか、かなり体形が変わってしまっていたが、その目元は昔のままだった。

彼女は一人で家業を切り盛りする苦労を語り、俺はそれを聞く。結婚や病気の話は言葉少なだった。俺は、結局君を幸せにできなくてごめんというのが精いっぱいだった。

彼女は言った「私のほうこそ、まだお互いあんなに若かったのに、全部せおってもらおうとしたんだもの、無理だよね」とさみしそうに答えた。

最後に俺は、何かあったら幼馴染の弟の嫁を通じて連絡しておくれ、できることは力になるからと言って彼女と別れた。

それが、今生の別れだった。

二年前の春。弟の嫁から伝えられた彼女の近況は、その春が来る前に、彼女は自分の薬局で倒れ、そのまま亡くなったという悲しい知らせだった。

また、俺は何もできなかった。せめてこの絵本は大切に残しておこうと思う。

人が人を幸せにするなんてのは、一生涯かけて成しうるかどうかという大事業だと今ならわかる。命懸けだ。ご多幸をお祈りしますなんて、軽々しく言うもんじゃないぜ。


さて、注文した本が近所の本屋に届いているはずだ。悲しい思いをしまい込んで、冷たい空気の中、一歩一歩踏みしめながら本屋に向かうとするかな。 

2026/01/27

POST#1742 本なら売るほど・・・売らんけど

名古屋

 家にある本の整理を進めている。

といっても、処分したりしているわけじゃない。一体何冊の本があるか、どんな本があるかすべて携帯電話のアプリに登録して分類しているんだ。
まだ、少し残ってはいるが、いまのところ1850冊くらいまで来た。
うち写真集はざっくり220冊ってところだ。
絶滅危惧種の動物を発見して保護するように、希少本や限定版を見つけると家に連れて帰った。海外旅行に行ったときには、見たことのない写真家の写真集をトランクに詰め込んだ。
そうして集めた写真集だ。
森山大道や荒木経惟が多いが、それは好みというものだ。
メイプルソープ
サルガド
クーデルカ、
ウィリアム・クライン
藤原新也
東松照明
ヘルムート・ニュートン
中藤毅彦
中平卓馬
スティーブン・ショア
金村修
エレン・フォン・アンワース
イリナ・イオネスコ
細江英孝
深瀬昌久

ここには書ききれない。なかなか手に入らない本も多いと思う。

カミさんは増え続ける本にうんざりしている。
友人は、写真集カフェでもやったらどう?ってさ。
それも悪くないな。オーティスのレコードでもかけながらね。
ほとんどみんな写真集 死んだお爺さんの春画の本もあるけどね

俺の住んでる町はモーニングセットの発祥の地だ。
喫茶店に朝行くと、コーヒーを頼むだけでトーストやサラダ、ヨーグルトなんかが付いてるというのがモーニングセット、略してモーニングだ。昔は小さなうどんがついてきたり茶碗蒸しがついてきたりする店もあった。
俺の死んだおじさん(あさチャンの旦那)も俺の住んでる町で小さな喫茶店をやっていた。
あさチャンのこどもは娘一人しかいなかったので、俺は御幼少のみぎりから、おじさんの息子のようにかわいがられた。正月が来るたびに小学生の俺にビールを飲ませてたのもこのおじさんだ。
若いころは俺の親父の会社で働いていたこともあるそうだが、親父と性格が合わなくてやめた。曲がったことが嫌いで、豪快、言いたいことは言う、そんな人だった。
俺が高校生のころ、小さな自分の店を開き、小商いではあるが癌で亡くなるまで続けていた。死ぬ直前まで、がんで病みつかれてやせ衰えても、家から片道10キロを自転車で通い続けたおじさんだった。決して儲かっていたわけではないけれど、自分の仕事に誇りを持っていた人だった。葬式には大勢のお客さんが来てくれたっけ。
若いころ、鬱屈したことがあれば、このおじさんの喫茶店に行き、コーヒーをすすりながら煙草を吸い、お互い何も言うわけでもなく、時を過ごした。
どんな事情や鬱屈を抱えているか、おじさんはそんなことは聞かない。けれど、自分はお前のそばにいるから安心しろという、無言の父性が伝わってきた。
そしてコーヒーを飲み干し、少年ジャンプを読み終えて、なんだか気分が軽くなり帰る時には尾張弁で「またいりゃあ」とかならず言ってくれた。懐かしいな。

俺は、おじさんのような大人になれているんだろうか。

いま、その店があったところには大きなビルが建っている。おじさんの店の向かいにあったエヴァーグリーンハウスって名前のアナログレコード屋もとっくになくなった。
もう30年くらいまえのことだ。

おじさんの喫茶店の名前はONCE MOREだった。
諸君、失礼する。今日も暇を持て余しているのさ。