2026/01/31

POST#1746 ある冬の朝に届いた報せ

へい、らっしゃい!
今日、夜勤明けに息子の学校に行って、学習発表会に行ってきた。
そのあと家族でマックに行って昼食をとったんだけれど、腹が膨れると猛烈に眠気が来る。
リビングの3人掛けのソファに寝転んで昼寝をしていたら、高校生の頃の同級生が、当時の制服のまま歩いてくる夢を見た。その子は、俺の小学校の時の先生の娘さんだったんだが、もう亡くなって久しい。
平々凡々と生きてきたが、この年になると生きているだけでも大変なことだなと思う。
同級生のなかには、家業に行き詰っての末か首を吊ったものもいる。
高校生の頃に一緒に悪さをしていたパチンコ屋の息子も、もうずいぶん前に他界したという。
内容の割に、写真がばかばかしいな。

数年前の12月の明け方、布団中でまどろんでいると北海道に住んでいた友人のアカウントからLINEが届いた。

友人の奥さんから届いた古い友人の訃報だった。

以下にそのやり取りを忘れないために記録しておく。けれど個人名は伏せておく。俺が忘れるわけないからな。

『ご無沙汰しております。Yの家内です。
 こちらのLINEは、まだ繋がっているでしょうか…
 主人が先日 出張先で倒れ そのまま息を引き取りました。

 こういった形でのご連絡大変失礼かと存じますが、取り急ぎご連絡いたしました。
 生前は主人が大変お世話になりました。ありがとうございます。』

俺は驚き、落胆し、長文の変身をつづった。
『おはようございます。
あまりに突然のことで、なんと申し上げたら良いのか、わかりません。ただただ驚き、寂しいというばかりです。
奥様やお子様の心中を思えば、おこがましいことではありますが、お許し下さい。

Yくんとは、人生のなかで大切な時期を分かち合ったかけがえのない友人だとずっと思っていました。なかなかお会いする機会もないままに歳月が過ぎながら、また、機会があったなら、いろいろと語り合いたいこともたくさんあったので、残念で仕方ありません。

いずれ、札幌にいく機会を設けて、ご挨拶に伺いたいと思います。」

お知らせいただきありがとうございました。もし何か、お力になれることがあれば、お声掛けください。非力ながら、尽力させていただきます。

文末になりましたが、Yくんのご冥福をお祈り致します。Y、いつかまたそっちで会おう!

あまりの事で、乱文申し訳ありませんでした。』

彼は高校のころ、写真部だった。宮城県の松島あたりがお母さんの実家で、色白で丸顔。愛嬌のある笑顔の若者だった。就職してからも、出張や単身赴任で名古屋に来た時には、何とか仕事の都合をつけて飲みに行ったりしたものだ。
もうとっくに無くなってしまった母校の木造の文科系のクラブハウスの暗室の中で、いつまでも話し合ったり、お互いの鬱屈を吐き出しあったり、外壁の隙間から女子テニス部が練習しているのを眺めたりしていた。
何枚か写真を撮ってもらったこともある。当時は、自分が写真を撮るようになるなんて考えもしなかったからな。もっとあのころ、一緒にやっておけばよかった。

夕方、返信が来た。
『ご連絡ありがとうございました。嬉しく拝読いたしました。

折に触れ 服部さんのお話をよくしていました。
よい青春時代を共にすごされたのかな と感じています。

寒さも厳しくなってきましたので ご自愛のほどお祈り申し上げます。』


『こちらこそお気遣いいただき恐縮です。心身ともにお疲れなのは、重々承知しておりますが、もう少しだけ、お話しさせていただくことをお許し下さい。

かつて少年の頃、Y君と僕は学校の帰り道、自転車を並べて他愛もないこと、当時の自分たちには深刻だったことなど、もう内容も思い出せないようなことを語らいながら帰ったものでした。気がつくと自分の家とは全く方向の違う、Y君の当時住んでいた一宮のマンションのすぐ側までやってきてしまい、そのまま交差点で日が暮れても語り合っていたこともしばしばでした。そんな日々が、切ないほどに懐かしく思い出されます。
奇しくもいま僕が住んでいるのが、かつてY君が住んでいたマンションのすぐ近所です。
川沿いに5分も歩けば、当時Y君のお父様が働いていたであろう会社の営業所があるような場所です。
いつか、Y君がこちらに足を伸ばす機会があったなら、是非一緒に歩いて、懐かしいだろ?と言いたいと、ずっと楽しみにしていました。

きっとY君は、少しいたずらっぼく、少年の日と変わらない笑顔を見せてくれたことでしょう。
そんなやり取りが、今生では叶わぬものになってしまったことが、残念でなりません。

久しくお会いしていなかったのですが、Y君がもういなくなってしまったことを聞くと、自分の中の何かしら大切な部分が、すっぽりと抜け落ちてしまったように思われます。

出張先でのご不幸とのこと、さぞかしなにかと大変だったのではないかと推察致します。お疲れのところ、本当に長々と申し訳ありません。

例年にも増して、寒さが厳しく感じる冬になるのではと思います。どうぞ奥様こそ、ご自愛くださいますよう。』

『おふたりの様子、情景が浮かんで 涙が出ます。

長い間 単身赴任生活で お互いに淋しい想いもありました。
月に数回 帰ってくるのを待ち侘びる毎日でした。
 でももう二度と戻ってくることはない。
それが信じられない。
ふらっと ただいま って帰ってきそうな気がしています。

今は 気持ちを込めて 供養につとめたいと思っております。

本当にありがとうございました。』


『いずれ落ち着かれた頃に、ご迷惑でなければ、ご挨拶に伺います。
Y君は、精一杯生き、仕事に取り組み、お子さんたちを立派に育て上げたと思っています。
本当に良い生涯の友を持てたことを、感謝しています。』


『こちらこそ 
こうやってお話を聞くことができて 幸せです。ありがとうございました。』

その約束はいまだ果たされていない。奥さま、申し訳ありません。
生き残った自分は、死んでいった人間の記憶を背負って生きてゆかねばならない。失ったものはもう戻ることはないけれど、それでも生かされてある限り、生きてゆかねばならない。

ほんと堪えたな。

旧友の死の知らせを受けて詠める歌 二首

『冬の朝 友身罷りぬと 知らされて 
吾が身の内に 穴穿たれむ』
『友逝きて 哀れさびしく やるせなく 
傍ら寝ぬる 吾児抱き寄せり』

2026/01/30

POST#1745 首切り池の怪

かつて 名古屋市の街角で こういう雰囲気のある女性を見なくなって久しい
うちのカミさんは、子供のころ桶狭間の古戦場のそばに住んでいた。

桶狭間の古戦場は東海道国道一号線の近くだ。名古屋の南西に当たる。上洛を目指した駿河・遠江を領する大大名の今川義元率いる大軍を、桶狭間という谷間を進む街道で圧倒的に少数劣勢な若き織田信長が情報戦を制し電光石火の奇襲で打ち破ったという戦国史に残る戦闘だ。

カミさんが住んでいたのは、かつて首切り池といわれていた沼を埋めたという土地だと聞いた。桶狭間の合戦で打ち取られた今川方の兵の首が、その池のほとりで切り落とされたとか、首を落とした血塗られた刀を洗ったとかそんな言い伝えのある池だったそうだ。

それを埋めた立てた罰当たり者がどこのどいつか知らない。ひょっとしたら、山師的な商才で得体のしれない儲け話をいくつも手繰り寄せ、一代で財を成して、すってんてんになって死んだカミさんの父親かもしれない。まぁ、結構な豪邸だったそうだ。結構なことだ。

ひょっとしたら、そんな話ははなっからでっち上げで、その豪邸をやっかんだ人たちが流した作り話かもしれない。それが真実かどうかとはかかわりなく、人々がその話をなんとなくちゅうことがあったげなと認識しているということが大事なんだ。

カミさんには20歳ほど年の離れた兄がいた。俺も何度かあったことがあるが、今はどうしているだろうか。そこからわかるように、うちのカミさんの母親は年の離れた後妻さんだった。羽振りがいいとそういうことも起こる。俺のように羽振りが良くないと、品行方正でいられる。たまには羽目を外そうと思っても、先立つものがないと品行方正でいられるんだ。

で、うちのカミさんといっても、まだその頃は小学生だ。カミさんが首切り池の跡地の豪邸、面倒なので以下、首切り御殿でいく。首切り御殿で一人でふろに入っていたある日、ふろ場の壁から首のない落ち武者のようないでたちの死霊が、ぬっと飛び出してきたそうだ。

湯船に入っていたカミさんは、あまりのことに窒息しかけたんじゃないかな。

首切り御殿に現れたその落ち武者は、首のない頭を左右に振っては何かを物色するような素振りを見せると、一瞬のうちに反対側の壁に吸い込まれるように消えていったのだという。大方、切り落とされた自分の首を探し回っていたんだろう。400年以上も!

まぁ、郷土の英雄・織田信長がらみの話ではあるが、首切り池の怪とか大上段に振りかぶった割には、まぁそれだけのことだ。

彼女もまた、そんなのが見えちゃう厄介な体質のかただったようだが、俺と暮らすようになってから、そういったものを見ることはなくなったという。

とはいえ、昔はなんか聞きなれない物音がするとラップ現象じゃないかって怖がっていたんだが、俺がいるときにそんなの聞いたことがないんだよな。要は基本的に臆病なんだ。先日の公園の池の水で遊んだ息子が、人食いバクテリアに感染したら大変だと大騒ぎしてたからな。まぁいいや、そんなわけでここでも俺は、そういう方々と波長が合わないんだろうなって話だ。

今夜も仕事なんで、あっさり流してしまうぜ。

2026/01/29

POST#1744 本当に怖いものは幽霊のほかにある

タイ北部、辺境の町メーサロン
今夜は久々に仕事だ。

夜の百貨店で仕事だ。それがいつだって俺の主戦場だ。年々身体に残るダメージは蓄積されている。心身ともに辛い。しかし、働かざる者食うべからずだ。

いつまでも遊んで暮らしているわけにはいかない。まだ老人じゃないんだ。


この仕事をしていると、よく、怖くないですか?と聞かれる。

真っ暗なバックヤードを歩くこともあるし、暗く静まり返った売場も不気味に感じるんだろう。古い百貨店なら、しばしば幽霊のうわさも聞く。

しかし、いまだかつてその手のかたにお会いしたことはない。残念だ。

子供が生まれたころに仕事をしていたビルは、戦後すぐに建てられたものをつぶして建て替えた商業施設とオフィスの複合ビルだった。

ここでは、ゼネコンの建築作業員たちの間で、女の幽霊が出るという噂がささやかれていた。ゼネコンの作業が終わった後に、俺を含めた店舗工事部隊が入ってくることになるんだが、そんなおもろい噂を聞いた俺は、「よし、みんなでその幽霊にお会いして、美人かどうか確かめてみようぜ!いい女だったら、みんなでかわいがってやろう!」と意気軒高だった。

結果、俺たち店舗工事の部隊が乗り込むと、その女の幽霊はパタリとでなくなったという。

残念だ。残念極まる。

去年まで毎晩働いていた京都の百貨店も、昔飛び降り自殺した女の幽霊が出るって話だったが、それも見たことがない。まぁ、この年になれば女は面倒だからいいとい言えばいいけどね。

今まで俺が驚いたりビビったりしたのは、深夜、暗闇の子供用品売り場に響く、キティちゃんのポップコーン自販機から流れ続ける、キティちゃんの声だ。

あと、近江八幡の商業施設のバックヤードで遭遇したイタチ。このイタチによって、鼬の最後っ屁という言葉の意味を思い知った。


どうも俺はそういう類の方々と波長が合わないようで、うちのカミさんも昔はしばしば怖い思いをしていたそうなんだけれど、俺と暮らすようになってから一度もそんなことはないらしい。

むしろ俺が包丁を持ったカミさんに追いかけられて、怖い思いをしたことが何度かあると言い添えておこう。

諸君、失礼する。