なんだか最近ついてるんだ。今日も仕事はあっさりと終ったぜ。おかげさんで、今日も好きに羽を伸ばしてきたんだ。俺が以前付き合っていた仕事仲間だったら、明るいうちからピンサロやパチンコなんかに行って、せっかくの稼ぎを無駄にしたりしたんだろうが、ふふふ…、俺はそんじょそこらの駄馬のような男とは違うんだ。野生の馬だ。マスタングだ。仕事が終われば、自分の好きなことに向けて一目散に突っ走るぜ。そうだよ、俺は今日、遅れ馳せで恐縮なんだが、名古屋市美術館に作業服のまま駆けつけて、見てきたのさ。何をって?そう、『写真家・東松照明 全仕事』だ。
| ポスターはもちろん代表作『太陽の鉛筆・波照間島』だ!これ欲しいわ |
俺は写真展に赴くと、一枚一枚の写真の前に立つ。しばらく瞬きすることすらせず、写真の中に没入する。そう、大事なことだからもう一度言おう。俺はその写真に写された時空にダイブするんだ。何十年も前に写された写真のなかに入り込み、その光や風やにおいを感じる。こちらを見据える被写体の視線を感じる。もちろん、写真に写されたのは、被写体の短くもあるけれど結構長い人生のほんの一瞬も一瞬、125分の1秒とかだったりするわけだが、優れた写真家は、その一瞬に、被写体のエッセンスを掴み取ってくる。俺は、濃密な時間を体験する。
さぁっと歩き去るように写真の前を通り過ぎる人々は、どうやって写真にふれているのだろう。俺には意味が解らないぜ?もっとも、俺の流儀じゃ目が乾燥しちまって、これはこれで結構大変なんだがな。
つまり、多くの写真を見ることは、居ながらにしていくつもの生の断片に触れるちゅうことなんだ。
これ大事。憶えといて欲しーぜ。
時に、写真の見方は人それぞれだとは分かっているが、どうしても我慢できないことがある。
写真展で、写真を見ながら、大きな声で、ああだこうだ言っている手合いをよく見かけるんだが、あれは、好きになれないねぇ。今日も沖縄のシリーズを見ながら、連れのご婦人に沖縄はどうだこうだとか、愚にもつかないことをいささか鼻につく雰囲気をまき散らしながら、しゃべり続けていた小金持ちそうな初老のおっさんがいたな。どこに行っても、写真や絵画をネタに、自分がゲージュツを愛好するコーキューな人間だと見せかけようとするやつらがいるもんだ。
俺も最初は我慢していたんだが、なにせ俺の写真ダイブには激しい集中力が必要だから、気になって仕方なかったんだ。というより、ムカつく。視覚情報と聴覚情報は、脳みその違うところで処理されているようなので、いくら集中していても、彼らのスノッブな会話が耳に入ってくるんンだ。
俺は、最も彼らに近づいたところで、言ってやったぜ、皆の衆よ。『まことに心苦しいのですが、ご歓談なさりたいのでしたら、喫茶店にでもいってなさってはいかがでしょうか。ココは残念ながら、あなた方のご自宅でもなければ、貸切でもありません。公共の場です。わきまえて振る舞っていただけませんか?』ってね。作業服姿で言ってやったぜ、俺は。彼らは、しゅんとして黙っちまったぜ。ざまぁ見ろ!
まぁ。そんな奴らの事は実はどーでもいいんだ。つまらない事だ。いつも俺は、蚊を叩き潰すように、遠慮なく黙らせてやることにしてるんだ。
1930年生まれの東松照明は、愛知県出身だ。しかも、愛知大学卒。まったくの蛇足ながら、俺の先輩だ。もっとも俺は大学中退、それも体育の授業の単位しかとっていないから、中退というのもおこがましい。言うなれば大学とニアミスしただけだ。
東松照明の写真展を地元で見るのは実は2回目だ。以前には愛知県美術館で、これまた大規模な回顧展、『愛知曼荼羅』というのをやっていた。あれもよかった。しかし、今回はすごい、なかなかこれほどの密度を持った写真展には、そうそうお目に懸れるもんじゃない。何といっても、全仕事と銘打っているだけのことはある。すごい。カメラを手にしたばかりの学生時代から、最近の作品までをまんべんなく網羅している。とはいえ、近年は高齢の為もあり、なかなかに写真集が出版されたりすることも少ない。若い読者の方には、東松照明の写真を見たことがないとか、東松照明なんて知らないという人もいるだろう。
しかし、東松照明の歩いてきた道のりは、ほとんど戦後写真のさまざまな領域に及んでいる。森山大道をはじめとする、もう一つ後の世代の写真家に、強烈な影響を及ぼしている。森山大道は、若き日、金がなくて寝泊まりしていた東松照明と細江英公の共同事務所で、東松照明のネガを深夜にこっそりと盗み見ていたというのは有名な話だし、詩人になるか写真家になるかで悩んでいた中平卓馬にカメラをプレゼントし、写真家に導いたのも東松照明だ。東松照明をリスペクトしている写真家は、実は多い。天才アラーキーだってその一人だ。
合成などの特殊技法を使った前衛的な作品から、自分の影が写り込むドキュメント写真、明治生まれの日本人を追った日本人シリーズ、戦後の占領体験に根を持つアメリカに対する好悪の入り混じった視線を感じさせる米軍基地モノの『チョコレートとチューインガム』シリーズ、長崎と原爆被害者を追い続けた一連の作品、アメリカと日本人という二つのテーマの果てにある沖縄。そして沖縄の延長線上にある東南アジア。それらは優れたドキュメントでもある一方で、その写真からはあざとさと共に、それとは相反する詩情が滲み出てくる。
それだけではない、60年代初期から70年代の初期にかけての新宿などを舞台にした作品は、異分野の芸術家を被写体に据えていたりする一方で、粒子はアレ、被写体はブレている。猥雑な被写体。ドライブ感あふれる画面。それらの写真は、東松照明こそが、後の森山大道や中平卓馬らプロヴォーク派の先駆者であることを雄弁に物語っているのだよ。俺にははっきりとその声が聞こえるし、その軌跡が見て取れる。さすがは、全仕事だ。
| 本日ゲットの図録、名古屋市美術館編集。2500円也。 左と中央は近年ギャラリー新居から刊行された東松照明のレアな写真集 Camp カラフルな!あまりにカラフルな!(左)と南島(中央)イイだろう? |
ひとりの写真家の、生涯をかけた作品群を一挙に俯瞰するような密度の高い写真展だ。6月12日まで、名古屋市美術館で絶賛開催中だ。まだ見ていない読者諸君の中で、見に行ける人は見に行った方がいいぜ。
一枚一枚の写真を、俺は文字通り食い入るように見ていたのさ。目を閉じることすら忘れていたぜ。
俺の感想?『ふ、東松照明、まったくイカれたジジイだぜ。なかなかああはなれないぜ』ってところだ。出来ることなら、あんな写真バカ一代なジジイになってみたいもんだぜ、まったく。
そして、今日もまた性懲りもなく、つい買っちまったんだ。図録、2500円。お手頃価格だ、お値打ちだ。おまけに太陽の鉛筆のポスターも買っちまった。これなんか500円だ。たったのワンコインで、日本写真史上の傑作が、いつもお部屋の壁で見ることができるんだ。幸せだぜ。こんなバカヤローな俺の部屋の壁は、本棚とCDラックとそんなポスターで埋め尽くされているんだ。
読者諸君、また明日会おう。勝手ながら俺、明日も朝早いんだ。では、ごきげんよう。
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