2026/05/02

POST#1837 『共同幻想論』を携え、国家の始原の時を想う

新宿の路地裏

 俺の人生の遥かな過去にさかのぼり、40年前、吉本隆明🔗共同幻想論🔗に立ち返る。

現在の自分を決定づけた書物だ。かつて黒田さんという全共闘世代の知人からもらった河出書房版の大昔の箱入りの単行本も捨てがたいが、平治物語絵巻の火焔をモチーフにした杉浦康平のデザインによる角川文庫ソフィア版が俺の好みだ。今でも本屋に行けば文庫で売っている。君も興味があるなら読んでみるといい。

そしてこの『共同幻想論』をステッピングストーンにして、始原のヤマトの淵源にさかのぼる。明治以来の伝統なんてけちなことは言わないぜ。

いつとも定かでない(とはいえ、2000年前から±500年といったあたりかな)まだ大和朝廷などといった、たいそうなものが出来上がる前。昨日話したアマゾンの諸部族みたいな状態から、いくらか社会が発展して、この東アジアの端に円弧を描く列島に、王権というものが生まれるその時に想いを致そう。

吉本隆明の『共同幻想論』において、日本の天皇制(国家)の成立は、個人や家族の幻想(これを彼の用語では対幻想ちゅうんだわ)を超越した『共同幻想』が法や罪の体系として自己目的化していく過程として描かれている。

その遥かな歩みの先は、俺たちが生きる国家という存在や俺たちを縛りその行動を規定する法律の正当性へとつながっている。

吉本はこの本を記すにあたって、膨大なテクストから『遠野物語』と『古事記』のみを用いると定めた。そして『古事記』の神話を分析し、未開の共同体がどのようにして天皇を頂点とする国家へと転化したかを理論化したんだ。それはもう、衝撃的な本だった。高校生の俺も圧倒され、人生を誤って現在に至るほどだ。

天皇制成立の論理的プロセス吉本は、以下のステップを経て天皇制という巨大な共同幻想が確立されたと説いている。

まず「対幻想」から「共同幻想」への転化が起こるんだ。

人間が「血」や「性」でつながる家族・氏族集団(対幻想の水準)から離脱して、より広範な社会的規範を必要としたときに、初めて国家という共同幻想が誕生するんだ。

この移行期において、かつては家族的な絆であったものが、国家に従属する「法」や「罪」の構造へと書き換えられていくわけだ。

この過程で生じるのが、「罪」と「浄化」の制度化だ。ここで大祓詞🔗に記される天津罪・国津罪🔗というものが生まれる。

農耕社会への移行に伴い、当時の共同体の秩序を乱す行為が「罪」として定義されたわけだ。天皇はもともと、これらの罪を「清祓(きよめはらい)」によって浄化する宗教的な役割を担っていた祭祀王だ。この宗教的権威が、次第に現世的な政治権力(法)へと変質することで天皇制が確立されたと解釈されている。

そしてそれらのシステムの神話による正当化が起こる。太陽神アマテラスと暴風神スサノオの相克による壮大なホームドラマだ。

吉本はアマテラスを「大和朝廷(国家の共同幻想)」、スサノオを「原始農耕民や異族」の象徴と捉えた。母の死を受け入れられず泣き続け国土を荒廃させてしまった暴風雨神スサノオが、太陽神アマテラスのもとに赴く。それを戦士のように完全武装したアマテラス(これ、日本のサブカルチャーの先頭美少女の源泉だよね)がスサノオと遭遇する。

スサノオは自分に悪意のないことを訴え、その証に『誓約🔗=うけひ』という、相互の持ち物を交換してそれをもとに子をなすという、象徴的な近親相姦を行う。そこで、男子を得たスサノオは、自らの潔癖が証明されたと称し、高天原に乗り込み、様々な乱交を犯し、秩序を乱す。この時に行われた乱交乱暴が、罪の祖型とされるわけだ。

これによって、スサノオは地上へと追いやられ、アマテラスは天岩戸にこもってしまう。そこからは有名な天岩戸の神話だ。

スサノオの乱暴と追放の物語は、国家(共同幻想)が個々の民衆を「罪」の自覚によって支配下に置き、従属させるプロセスを象徴的に表していると分析されている。

ということは、俺たち民衆の中には、小さなスサノオの雛形が罪とともに宿っているんだ。

それに続いて発生するのが、母制から父制への移行だ。

サホ姫の挿話(実質的な初代天皇と考えられている崇神天皇の第三子垂仁天皇🔗の皇后)を例に、兄との「対幻想(家族愛)」と天皇への「共同幻想(国家的忠誠)」の間に引き裂かれる葛藤を描いている。

これは、神武天皇以来、9代のその存在が疑問視されている天皇(当時はオオキミと呼ばれていたけどね)を除いて、国家という共同幻想が人々の中に凝集し、形を持った直後に怒った出来事だ。

吉本によれば、この対立において共同幻想(天皇制)が勝利することで、日本独自の国家形態が完成したと考えられている。

そしてその思想的な意義

吉本の論点は、天皇制を「歴史的にずっと存在した実体」ではなく、あくまで人間が生み出した「幻想(観念)」の拡張であると捉え直した点にある。右派の皆の衆、すまんな。

これにより、当時のマルクス主義的な唯物史観🔗(経済構造が土台であるとする考え)とは異なる、人間の心性や関係性から国家を批判する独自の視座を提示したわけだ。


そして、俺の話は核心に向けてどんどん向心力を増し、強力な引力が様々なものを引き寄せるように、拡張し、君がまだ見ぬ結論へと凝集してゆくだろう。しっかりとついてきてほしい。

アマテラスとスサノオのペアの存在には、氏族の祖神に仕える巫女王を、男性の弟が実際の政治を取り仕切り支えるという、権力の複合体制がモデルになっているという視点がある。

吉本隆明は『共同幻想論』の中で、日本の古代国家(天皇制)の成立過程における特異な形態として、「巫女(女性)の霊力」と「その兄弟(男性)の政治力」による共同統治を重視した。

漫画の神・手塚治虫の『火の鳥🔗黎明編』にも、火の鳥の生き血を求める巫女王ヒミコと、その言葉を取り次ぎ政務を司るスサノオという登場人物が描かれていた。まさにそれだ。俺は小学2年生のころからこの漫画を読んでいたから、『共同幻想論』を読んだとき、すぐにこのことだって理解したよ。

これは文化人類学などで「ヒメ・ヒコ制」とも呼ばれる構造だ。

吉本はこれを対幻想(きょうだい愛・性)が共同幻想(政治・国家)へと転化する結節点として分析している。

巫女(ヒメ)と弟(ヒコ)の複合性のポイント

霊媒師としての女性(ヒメ)

吉本は、古代において神の託宣を聞くことができるのは女性(巫女)だけであったと考えた。実際、日流文化圏においては神の声を聴くことができるのは、沖縄のユタやノロ、そしてその頂点の聞得大君🔗や東北のイタコなど、ほとんどが女性だ。

彼女たちは「神という共同幻想」と直接つながる窓口であり、集団の意志を決定する源泉であった。ちなみに俺が若いころに所属していた秘密結社的な宗教団体でも、その方針決定は若い女性霊媒を通じた神霊との対話によってなされていた。俺は国家の生まれる瞬間のような時間を、自分の人生の中で生きていたわけだ。

実務・政治を担う男性(ヒコ)

女性が受け取った神託を、実際の集団の統治や法執行へと翻訳し、現実の権力として行使するのがその弟や兄(ヒコ)の役割であった。先にあげた『火の鳥・黎明編』のスサノオがまさにこれだ。

「対幻想」の利用と抑圧

この男女のペアは、本来は「きょうだい」という最も純粋な対幻想の形を取っている。

しかし、国家が成立する過程では、この個人的な愛着や絆が、集団全体を支配するための共同幻想(天皇制の権威)の道具として再編されていくのだ。

古事記や日本書紀を紐解けば、この名残が多く見られるだろう。一例をあげれば、アマテラス(姉)とスサノオ(弟)の関係や、先にあげた崇神天皇の大叔母倭迹迹日百襲姫命🔗ヤマトトトヒモモソヒメ(巫女)が崇神天皇が支える構造などがこれに当たるだろう。また琉球王朝の国王と国土を霊的に守護するおなり神🔗とされる聞得大君とその兄弟の国王の関係もまさにこれに当たるだろう。

吉本はこの「男女ペアの統治」が、やがて男性単独の権力(天皇制の確立)へと移行していく過程を、「対幻想が共同幻想に完全に飲み込まれていく悲劇」として描き出したんだ。

この話は、とても大切な話だから、焦らずつづきは明日に任せよう。何せ今夜も仕事なのさ。

0 件のコメント:

コメントを投稿