2010/12/29

Post #41 Fragment Of Fragments #5

Paris
まだまだ男の仕事は続く。明日も朝から仕事だぜ。俺のショーバイには盆暮れ正月カンケー無しさ。有難い…事だぜ。ビミョーにね。
そんな訳で、今日もイカした写真をお送りするだけにしておこう。毎度毎度長い文章じゃ、俺も君も疲れちまうぜ。大菩薩峠じゃないんだからな。
何せ俺は老眼+1って診断されているんだ。疲れ目に祟り目ってヤツだ。
それよりなにより、今日は仕事で行ったショッピングモールに入っているタワーレコードで、フランク・ザッパの“HOT RATS” と、ザッパの盟友キャプテン・ビーフハートの“TROUT MASK REPLICA”を買ってきたから、ゆっくり聴きたいんだ。ザッパは今朝の朝日新聞に、小さなコラムが載っていたからつい買ってしまったし、キャプテン・ビーフハートは、キャプテン・ビーフハートことドン・ヴァン・ヴリートが12月17日に死んでしまったことを店頭で知って、追悼のために買ったんだ。俺の友人のケンちゃんは、『この“TROUT MASK REPLICA”は、たまに聴きたくなって聴くけど、そのたびにもういいわってうんざりする』と評していたけれどね。
しかし、どちらも名盤、傑作。ただし、聴く人を選ぶアルバムだ。俺の写真と同じだぜ。
読者諸君、また会おう。
HongKong

Post #40 Fragment Of Fragments #4

あれは、もう6年程前の冬だった。俺は仕事で日本海側の寂れた町に行っていた。一晩で湿った雪が膝まで積もるようなところだった。
車で現場に行くと、先ずは30分くらい雪かきをしなけりゃならないようなところだった。毎日、Tシャツ一枚になって雪かきしたもんだ。
国道のトンネルの通信設備の点検をしていたんだ。雪かきが終わると作業服の上からカッバを着こみ、さらに反射ベストまで身に着け、ヘルメットにゴーグル、防塵マスクに長靴といった完全装備で、1キロ以上もあるトンネルの中を何時間も歩いて点検していたんだ。どうしてカッパに長靴かって?外は雪だから、車が泥をはね上げてゆくからさ。それにトンネルは岩盤を穿っているだろう。水脈があったところからはコンクリートのひび割れから、水がしみだしてびちょびちょしているのさ。それに車の排気ガス。ゴーグルとマスクは必須だ。死んでしまう。Very very Hard Workだったぜ。
それが終わると、トンネルのそばに設けられた機器室に行って、装置の動作試験をするわけだ。これをやっておかないと、トンネルの中で火災事故が起こった時、天井にぶら下がっているジェットファン(君も見たことがあるだろう。直径2メートル、長さ5メートルくらいの円筒型の巨大なファンがトンネルの天井でゆっくりと回っているのを)が止まらず、なかなか火が消えなくなってしまうからね。
機器室はトンネルのすぐ横に設けられている場合もあるが、なかにはトンネルの真上、つまりトンネルが貫いている山の上の方に設けられている場合もあるんだ。
俺はその日、そんな山の上に建てられた機器室に行くために、元請けさんが運転する四駆のハイエースの助手席に座っていた。
周囲は雪景色。人も通わぬ林道に刻みつけられた車の轍だけが、茶色いぬかるみになって、地面の土のを晒していた。無論、人影はない。まぁ、こんな雪の積もった林道に用事のあるような奴はなかなかいないだろう、俺たち以外はね。
それどころか、獣の気配すらない。
静かだ。
見渡す限り雪化粧した山はひっそりとしていた。車のエンジンの音だけが、聞こえて来るような静けさだった。あまりの静けさ故に、俺も元請けさんもただ黙って、林道の行く手を見つめていたのさ。
ゆったりと右に曲がった山道のカーブの向こう、木々に遮られて見えなくなったあたりから、大きな黒い鳥が飛び上がるのが見えた。
あれはカラスだろうか?それとも鷲や鷹なんかの猛禽類だったかもしれない。
俺は何かあるんじゃないかって予感がした。
そして、車がゆっくりとカーブを曲がった時、それは見えた。

一頭のイノシシが死んでいた。
On The Road
俺は、車を止めてくれるように頼むと、シャーベットのようになった雪を踏みしめて、死骸のもとに向かった。

それは、不思議と嫌悪感や不快感をもよおすようなものではなかった。

むしろ、俺には美しく感じられた。

人間はこんなに美しく死ねるだろうか。力尽き、ふと座り込んで動かなくなる。獣に肉を喰われ、鳥に臓腑を食らわれる。

後にはきっと、白い骨が残るだけだろう。

それは自然なことに思える。

ああ、俺にはすごく自然で美しいことに思えるんだ。そんな死に様も悪くはないんじゃないかって?

俺は、カメラを取り出し、シャッターをきった。それが、この写真だ。

裸の目には、全ては美しく見える。

けれど、現実は、そうはいかないんだ。

2010/12/28

Post #39 I Rested At Chai Shop Everyday

トルコの夏は暑かった。暑いんだけれど、日本のようにジメッとしていないから意外と快適だ。地中海気候という奴か。ふむ、これは初めてのカンジだな。おかげで、のどが渇いても、熱々のチャイが飲める。
これが日本なら、とてもそんな気にはならなかったろう。しかし、俺の友人には、真夏に名古屋名物味噌煮込みうどんを食うのがイイという奴もいる。人間はわからんものだ。

Turk
トルコでは、何をするにもまずチャイだ。街角の茶屋ならぬチャイ屋には、オープンテラスというか、道端に小さな椅子と机が並べられ、おっさんやアンちゃんが昼間っからチャイをゆっくりゆったりすすりながら、新聞を読んだり、バックギャモンをやったり、サッカーの試合を見ながらのんびりしている。要はダラダラしているようにみえるんだ。
それだけじゃない、働いている男たちも、何かというとチャイ屋に出前を頼む。電話をする必要もなさそうだ。何故って、必ずチャイ屋は銀色の盆を吊り下げて、チャイを運んでいたりするから。親父たちは、その辺を歩いているチャイ屋のおっさんやアンちゃんに声をかけて注文する。するとチャイ屋はうなずいて、すぐに銀色の金属製の吊り下げ盆にチャイを載せて現れるって訳だ。

チャイとは、煮出した紅茶だ。インドあたりからトルコあたりまで、広範囲に飲まれている。インドのチャイは、ミルク紅茶だが、ここトルコでは、別名ターキシュ・ブラック・ティーというだけあって、ストレートティーだ。小さくて薄いガラスのグラスに注がれている。煮出しているので、かなり渋い。だから、これに角砂糖を2、3個入れて飲むのだ。一杯日本円で30円から60円くらいで飲める。
このチャイ、値段も安いんだが、一杯が普通のティーカップの3分の1くらいの量なので、気軽に飲める。不思議と喉の渇きも癒される。俺も写真を撮り歩く小休止に必ずチャイを飲むようになった。一日に5、6回はチャイ屋で休憩したことだろう。自分が座っている机を譲ってくれる人もいた。見も知らぬ旅行者の俺に話しかけ、日本から来たと知ると、皆決まって『ジャポンヤ!』とうれしげにうなずいて、顔をほころばせた。
すぐにタバコを交換したがり、俺が吸っていたジタンを手にすると、これまた『ジタンヤ』と唸っては、嬉しそうにうまそうに吸うんだった。俺がカタコトのトルコ語で、親父を呼んで金を払おうとすると、見も知らぬ隣の席の男から、『俺が奢ってやるから』と金をしまうように言われたことすらあった。う~む、日本人が好きなのか、それとも旅人に好意的な国民性なのか?いずれにせよありがとう。
俺はそんな市井の男たちが集うチャイ屋がいたく気に入った。俺ももしトルコに住んでいたら、きっと昼間っからチャイ屋にたむろし、近所の男たちとバックギャモンをしたり、世間話や噂話で笑い転げたりしただろう。そうだ、昔の日本の路地裏の縁側のような感覚だ。

どこに行っても、男たちはチャイを飲んでいる。一体いつ働いて、稼いでいるんだろうか?他人事ながら心配になってくるぜ。不思議なことに、女性がチャイ屋でチャイを飲んでいるのはあまり見かけない。どこのチャイ屋も店先は男だらけといった有様だ。

Izmir,Turk
トルコで写真を撮っていると、不思議と男たちを撮った写真が多いことに気が付いた。日本では、俺はほとんど男を写真に撮ろうとは、思わない。というかむしろ、身体が反応しない。さすがは自称ネーチャン・フォトグラファーだ。しかし、トルコでは、暇そうにのんびりのびのびしている男たちが、すごくいい顔をしているんだ。暇そうで、金はあまり持ってなさそうだけれど、朗らかで社交的で、そう、人生を楽しんでいるようにみえるんだ。
空港で知り合った、日本語の堪能なトルコ男性は、失業率が高く、物価も高いうえ、みな借金をして暮らしているんだと、トルコの生活の厳しさを語っていた。しかし、俺が見たところ、男たちはそれでものんびり悠々と、チャイをすすっているようだ。楽天的なのか?それとも、開き直っているのか?きっと自殺率も低いんだろう。

ここまで書いたところで俺は、死んだおじいさんを思い出した。俺の死んだおじいさん(今日あたり命日だったはずだ。墓参りに行かなけりゃ…)は生前、あまり仕事に恵まれなかった。おばあさんの行商や内職で生活が成り立っていた。しかし、毎日きちんと着物を着こなし、子供たちに習字を教えたり、工作を作ってやったりしていたそうだ。そんなおじいさんに、おばあさんはある日キレた。そして、『いい加減にしてください!今日食べるお米だってないんですよ!』と言ったそうだ。するとおじいさん大したもので『そうはいっても、今まで食べられなかったことはないでしょう。大丈夫ですよ、きっと』と鷹揚に答えたそうだ。さすが、俺のジーさんだ。今まで食べれてこられたのは、おばあさんの必死の努力の賜物だというのに…。この厚かましいほどのおおらかさ、見習いたい。
ちなみに、このおじいさんは俺が生まれる少し前、年末の忙しい時期に、よせばいいのに大掃除をして風邪をひき、暖を取ろうと練炭に火をつけたところ、その練炭を床に落っことしてしまったんだ。で、そのショックで心臓が止まって死んでしまったという、ジョークみたいな死に様のグレートなおじいさんだ。さらに言うと、俺はそのおじいさんの生まれ変わりとして、一族から歓迎されて生まれてきた。俺の親父は軍艦マーチをかけて喜んだそうだ。おかげさんで、こんなお目出度いファンキーな男になっちまったって訳だ。

きっと、トルコの男たちもそんなノリで暮らしているんだろう。その裏では、かみさんが一生懸命働いたり内職したりしているんだろう。しかし、そんな彼らが、満員電車に詰め込まれて会社にはこばれ、制服のようなスーツを着て、分刻みで追い立てられるように働く、豊かな日本の男たちよりも、はるかにカッコいいし、人生を楽しんでいるように見えるのはなぜだろう。
トルコは決して豊かな国ではないだろう。日本ほど豊かな国はそうはないはずだ。しかし、トルコの男たちは、日本の男達より、豊かな人生を送っているように見える。師走だなんだって大忙しの俺たちだが、忙しいとは、心を亡くす、と書くじゃないか。HEY! HEY! HEY! 俺たちも、もっと肩の力を抜いて、人生をゆったり歩いてみてもいいんじゃないのか?自分自身の人生だぜ。俺たちは銀河鉄道999に出てきた機械の星のネジや歯車じゃないんだ。血の通った人間なんだ。
所詮、上っ面のパッセンジャーにすぎない俺には、本当はどうだかわからないが、俺の写真はトルコの男たちが、日本の男たちよりもはるかに活々していることを物語っているんだ。
君にはどう見えるだろう。