2026/03/06

POST#1780 ラインを越えて

台北
仕事をしていると、必ず責任分界点という境界線に誰もがぶち当たる。
資格や技能などの制約、契約の内容、様々な不文律そういったもので、ここからは手を出せないという領域がある。
しかし、一つの現場を任されてトータルに収めてゆかなければならない立場で、責任分界点にここの作業者がぶち当たって手をこまねいている状況にある時、俺はこっそりと責任分界点の向こう側に歩みを進める。
自分の経験と、使い慣れた道具、仕事への知見、最終的に責任は自分がとる覚悟。

静かに、踏み越える。
そして時には、どうしてあんたがそんなもの持っているの?と周囲に疑問を抱かせるような道具を持ち出して、盛大に踏み越える。
けど、内緒だぜ。
心の中には、未開人のように有り合わせのもので何とかするという野性の思考🔗を大事に抱えている。そして何より、俺の中にはパンクロックから教わったDo IT Myself精神がある。

境界線を踏み越えてしかたどり着けない場所がある。

人間が作った様々な境界線、職能の専門性、知の専門性、自己規制のような抑圧、そして国境という見えない線。

できうることなら、あらゆる境界線を、静かに、そして大胆に踏み越えてゆきたい。
くそくらえだ! 

2026/03/05

POST#1779 私たちの神は 一枚の葉や一匹の蟲にすら宿っている

沖縄 斎場御嶽
啓典の宗教を奉じる啓典の民🔗が、宗教の違いで理解できず争いあうのは、自分のような本質的にアニミズム🔗 の日本人には意味が分からない。なんせ日本はアニメ大国だからな。アニミズムとアニメーションは同じ語源なのさ。

奉じる宗教や文化、家族形態とそれを基層にした社会構造が違っても、人間であることは同じではないか。なぜいつまでたっても理解しあえないのか、まったく意味不明だ。

自分と異なる文化に属する人々を、野蛮人と称し、劣等人種と差別し、殺戮しても何の痛痒も感じない。それは残念ながら人類にはよく見られることだ。ことに、自らのアイデンティティーを確立し、自らの集団の独自性と優秀性を強調するときにはありとあらゆる形態の文化で見られる。あえて他集団とは違う様式を選好し、その選好故に、他集団よりも自らの集団が優れていると喧伝し、信じ込む。

しかし、文化も人種も可塑的なものだし、相対的なものだ。人間は所与の環境次第で、いかようにも変化する柔軟性を持っている。いささかトートロジーめいて恐縮だが、この人類の多様性こそがその柔軟性の証左だ。その違いをあげつらって争っていても仕方がないのではないかな。

その違いをあげつらうことなく、異なった価値観のもの同士が共存するためのものが法だ。

国際法を自分には必要ないと言い切るものに従属し続けるならば、その無法はいずれ自分たちにも向けられるだろう。16世紀の覇権国家スペインの首相が、アメリカによるイランへの攻撃をはっきり国際法違反だと指摘し、自国内にあるアメリカ軍の基地のイラン攻撃への使用を拒否したことは、見事なふるまいだった。また、イギリスの政権もアメリカの大義無き軍事行動には賛意を示していない。まぁ、イラクの時に彼らはひどい目に合ってるからな。

一方で、ダボス会議ではアメリカの批判を展開しつつ、軍事行動に関しては早々に指示を打ち出したカナダ。がっかりだ。

北朝鮮はますます核ミサイルの実験にいそしみ、ハリネズミのようになっていくだろう。

中国はますます軍事費を積み増し、その伸び率は年率7%。兵は凶器也。肥大化した人民解放軍(実は対外的な戦争に勝ったことはないけど)をどこまで抑え込めるのか。それは外に向かうのか。それとも、経済的に疲弊し、国民が豊かになる前に老い始めてしまった社会がその重さに耐えきれず自壊するともに、地方軍閥化し、国家を分裂させてゆくのか。

世界はますます混沌としてる。しかし、俺には自分の仕事を誠実にこなすことしかやれることはない。

閑話休題。

俺には、もし神的存在があるとするならば、木々を照らす光の中、風に揺らぐ一木一草の中にも、もちろん私たち一人一人の中にも存在するとしかおもえない。

仏陀の開いた最高にクールな仏教ですら、この国に生まれた神観念をベースに取り込んだことで、山川草木悉有仏性を唱えるようになった。宮沢賢治、手塚治虫、宮崎駿、こういった人々の作品にもその思想が色濃く流れているのがわかる。ナウシカは言った『私たちの神は 一枚の葉や一匹の蟲にすら宿っている』(風の谷のナウシカ7巻208頁)

アジアの東の果てに長く伸びるこの国は、山川草木悉皆成仏の国なのだ。

できることならば、万物に霊性を見出すその普遍主義に則って、あらゆる生命をこそ判断基準の根拠に据える寛容で、それを蔑ろにするものを正しく諫めることのできる国であってほしい。まぁいろいろ事情があって無理なのはわかってるけどね。

2026/03/04

POST#1778 車の鍵が一晩外泊してきやがった

Copenhagen
一昨日、車のカギを落とした。

仕事の打ち合わせを終え、夜の作業が始まるまで車に戻って待機しようと思っていたんだが、カラビナで付けていたはずの鍵がない。リモコンキーなので、誰かがそれを拾い、操作すれば容易く誰の車か明らかになってしまう。

車の中には仕事の道具も満載だ。こういう道具はしばしば盗難の対象となるんだ。

世の中には善人ばかりじゃないからな。

早速、スマートフォンを使い警察に遺失物届を出し、電車に乗って家から最寄りの駅に向かった。家人に車のスペアキーを持ってきてもらうんだ。

こうして駅の改札で家人から車のスペアキーを受け取り、何とか事なきを得たんだが、再度カギをオーダーしたりするのは億劫だな。面倒を見てくれている車の整備工場のおっちゃんにも連絡はしておいたんだが、金額はさほどでもないけど、リモコンキーの設定に手間がかかるから、しばらくはやりたくないなぁ(笑)という返事だ。

まぁ、悪いほうに考えても仕方ない。

駅や商業施設など、通りかかった場所の遺失物受付や、立ち寄ったコンビニなんかにもすべて聞いて回ったが、車の鍵など届いていないという返事だった。

自分自身も何度か来た道を思い出しながら探してみたが、どこにも見つからない。

とはいえ、そんなことばかり気にしているわけにもいかない。仕事をしないといけないんだ。それになんとなく見つかるような気がしていたんだ。

で、夜間の仕事をこなして、スペアキーを使って帰ってきたわけだ。

次の朝。9時を過ぎたばかりで警察から連絡があった。それらしい鍵が届いているということだ。

俺はさっそく電車に乗って警察署に向かい、鍵を受け取った。ビンゴ!間違いない。俺のカギだ。

日本って国はこういうところはすごいもんだと思う。日本以外の国なら、絶対に戻ってこないだろう。それどころか、打ち合わせを終えて戻った時点で、車の中の道具は残っていないだろうし、下手をすれば車そのものがなくなっていても何ら不思議はない。

このような社会システムの信頼性と人間の善良さというのは、GNP指標とかには直接現れるものではないだろうけれど、 間違いなく日本の強みなんだ。以前にヴェトナムで携帯電話を掏られた時の警察の対応は、時間ばかりかかるうえに、まったくやる気がなさそうだったものな。

まぁ、あんまりこんなことばかり書くとネット上にあふれる日本すごい!SNSや日本最高!ユーチューブみたいだから気乗りしないんだけれど、この日本人の持つ秩序や規範意識、洗練された社会システムなどはもっと評価されるべきだと思う。そしてそれが日本のソフトパワーそのものじゃないかと思えるよ。

それにしても、俺はよく物を落としたりなくしたりするもんだ。俺の周りだけ重力が強くってすぐにモノが落ちてしまうんじゃないかって心配になるぜ。