2026/03/31

POST#1805 今を生き抜くために、過去を検証してみる

ハノイ。ハノイは漢字で河内と書くんだぜ

土砂降りの雨だ。桜は雨に打たれ散っていく。残念なことだ。一滴もこぼすな松茸の露 桜も散れば見苦しいと、どこかの男子トイレの小便器の前に書いてあったのを思い出す。

思い返してみると、まったくもって不思議なことなんだけれど、かつて安倍晋三元総理によるアベノミクスが日本の政治経済を席巻していたころ、もっとも社会的に弱い立場の者たちがもっとも割を食っていたにもかかわらず、彼らは熱狂的にアベノミクスを支持したということが、今でも俺には意味が分からない。

謎だ。

人間はしばしばじぶんの存在を圧殺するために、圧殺されることをしりながら、どうすることもできない必然にうながされてさまざまな負担をつくりだすことができる存在である。』という吉本隆明🔗共同幻想論🔗の一節をおもいだし、嘆息してしまう。

そう、市井の人々の存在を圧殺するような、非常に皮肉で残酷な現象が起きたんだ。

本来、円安や物価高で最もダメージを受けるはずの層が、なぜ自分たちの首を絞めるような政策を熱狂的に支持したのか。今を生き抜くためにもう一度検証してみることにする。

そこには、巧妙な「心理的演出」と「見せかけの恩恵」があったんじゃないか。

1. 「期待感」という麻薬

アベノミクスが始まった2013年頃、日本は長く暗いデフレに沈んでいた。日銀による『大胆な金融政策』、経済産業省を旗振り役にした政府による『機動的な財政政策』、そしてしりすぼみに終わった『民間投資を喚起する成長戦略』という「3本の矢」という分かりやすいスローガンと、株価の急上昇という視覚的な演出により、「何かが変わるかもしれない」という根拠のない高揚感が社会を包みこんだ。

円の価値下落により実質賃金が下がっていても、「株価が上がっている=景気が良い」という報道を俺たち国民は信じ込まされた。そして、それは安倍政治の継承者たる高市政権によるサナエノミクスでも、まったく同じことが起こっている。気を付けるんだ、みんな。

2. 雇用者数の「数字マジック」

アベノミクスは「雇用を増やした」と胸を張りったが、その実態は非正規雇用の増大だった。「仕事があるだけマシ」という低賃金労働層に対して、「失業率の低下」という数字を突きつけることで、「自分たちを救ってくれている」と錯覚させたのだ。かつての日本型終身雇用は完全に崩壊していた。人々は必要な時に必要なだけジャストインタイムで調達される部品のように扱われたわけだ。これもいまでも続いている。最寄りの市役所や図書館に行ってみるがいい。おおくの人々が単年度の非正規雇用だ。建築現場の監督なども派遣会社から送り込まれている人ばかりで、決断力も統率力もない。

そして、竹中平蔵率いるパソナみたいな会社が大いに成長した。

3. 消去法的な支持(TINA: There Is No Alternative)

加えて「他に選択肢がない」という絶望感も利用された。

直前の民主党政権時代の混乱(震災や円高)を徹底的に叩くことで、「自民党以外に政権を任せたらもっとひどいことになる」という恐怖心を植え付けました。『悪夢のような民主党政権』という言葉が総理自身の口から何度も語られ、俺たちの脳裏に刷り込まれた。

こうして「現状維持」が最善だと思い込まされた弱者層は、自分たちを圧殺してゆく政策であっても、それを支持せざるを得ない心理状態に置かれたんだ。

4. ネット世論と「仮想敵」の創造

Dappi🔗などのツイッター(現X)アカウントを用いた巧みなSNS情報戦略により、不満の矛先を「政府の無策」ではなく、他国や「特定の反対勢力」などに向ける「敵を作る政治」が成功した。

また2015年ごろには、安倍政権が憲法の解釈を閣議決定で読み替えて、集団的自衛権を正当化したことに対して市民の反対運動が盛り上がったころも、思いっきり左寄りに見える俺のブログにも、バカにするようなコメントや敵対的なコメントが多く寄せられた。このころには、自民党のプロパガンダ、恐るべしだと肌身で感じたよ。

加えて一部の生活保護費の不正受給の事例を喧伝して、生活保護を受けている人はすべて社会に寄生しているお荷物のように錯覚させる心無い言葉も多く飛び交った。

生活保護は、憲法によって保障されたセイフティーネットであるにもかかわらずだ。人間はいつ何時、自分自身が不慮の事故や病気、災害などで生計を立てる方法を奪われたり、資産を失ったりする可能性がある。誰でもだ。その時に命をつなぎ、最低限の生活を維持するための社会制度なのにだ。

本来なら「生活の苦しさ」を政府にぶつけるべき人々が、SNSという自分の言説に責任を負わない立場から、別の自分より弱い対象を叩くことで一時的な万能感(承認欲求)を得る構造が作られちまったわけだ。

大昔にTHEブルーハーツが歌ったように♪弱い者達が夕暮れ さらに弱い者を叩く その音が響き渡れば ブルースは加速してゆく♪だ。まったくロックでもないぜ。

結論を言ってしまえば、情報の非対称性を利用した「収奪」だったんだ。

社会的に弱い立場の人々は、日々の生活に追われてる。もちろん俺もだ。そうすると複雑なマクロ経済(円の価値の目減りなど)を精査する余裕なんかない。てか、マクロ経済なんて知らんがな。

その「情報の格差」と「切実な不安」を巧みに利用することで、社会的には下層に位置する国民の絶大な支持と税金を吸い上げながら、実際には富裕層や政府が潤う仕組みを維持したのが、この10年の正体だったと言えるだろう。

まさに「羊が、自分を食べるオオカミを応援してしまった」ような状態だ。

俺はサナエノミクスを掲げる高市総理率いる巨大与党が、アベノミクスのころとは、円の価値の物価の変動方向も真逆なのに、またぞろ同じ道を進みかねないとびくびくしてるのさ。

何しろ、第二次大戦以来この国の人間は、失敗に学ぶ姿勢が欠如してるからな。

2026/03/30

POST#1804 この大変な時に優先事項は国旗損壊罪か?

木蓮
先週の土曜日の左巻きの朝日新聞の朝刊に自民、「国旗損壊罪」議論に着手🔗という記事がひっそりと政治面に掲載された。

朝日新聞の報道によると『自民は同日昼、松野博一元官房長官ら約10人が党本部に集まった。会合は非公開。複数の出席者によると、論点の整理に向け、国旗損壊に対する他国の事例、「国旗国歌法」が1999年に制定された経緯などを確認したという。非公開か、もっとオープンにすりゃいいのに。何か後ろめたいのか?

 国旗損壊罪の創設は、首相をはじめ自民保守派の思い入れが強い。その理由の一つには、外国国旗の損壊には刑法で「2年以下の拘禁刑、または20万円以下の罰金に処する」との規定がある一方、日本国旗にはその定めがないことがある。

 自民はそうしたことを踏まえ、日本国旗の損壊に対する罰則を定める新法を制定しようと検討を進める。あるPTメンバーは「罰則のない理念法ならわざわざ法律を作る意味はない」と語る。』とのことだ。コバホークこと小林鷹之議員なども、罰則の制定に意欲的なんだそうだ。

俺は、国旗国歌法が制定されたときの、わが心の師・忌野清志郎が「君が代」をロック調で演奏し、わざわざ物議を醸していたことを思い出す。この騒動は確か国会でも取り上げられ、国歌をロック調にアレンジするのはどうなのか?と問題になった。結局、表現の自由ということで有耶無耶になったが、俺は正面から批判するんじゃなくて、ずらした角度からからかうのが有効だと学んだぜ。圧倒的な権力を持った連中に正面切って戦っても疲れるだけだぜ(笑)

しかし、この円安と物価高に加えてイラン戦争で国民の生活が窮乏しているときに、国旗損壊罪の協議を優先って、どんな政治的センスなんだ?(笑) 国民をバカにしてるのか?(笑)

この状況に対して今の経済状況や国際情勢を鑑みると「優先順位がおかしい」と感じられるのは俺だけじゃないだろう。むしろ、それって非常に真っ当な感覚じゃないか?イエス様も言ってたけど、人はパンのみにして生きるにあらずだけど、パンがなけりゃ生きられないんだぜ。 


多くの国民が円安、物価高、不透明な中東情勢による生活への直接的な影響に不安を感じている中で、なぜ今この議論なのか?

この法案は、自民党内の保守系議員グループが長年推進してきたものだ。

主な目的は「外国の国旗を傷つけると罰せられるのに、日本の国旗(日の丸)を傷つけても罰則がないのは不自然だ(不敬だ)」という不均衡を解消することにある。あぁ、そいつは結構な志だよ。しかし、これが今このタイミングで注目されている背景には、政治的な思惑以外の何物でもないだろう?

まずは何といっても保守層へのアピール

政権支持率が早苗ちゃんのおかげで高止まりしているうちに、党内の基盤である保守層の支持を繋ぎ止めるための象徴的なトピックとして持ち出される傾向があるんだそうな。お偉い人々の考えることはよくわからんぜ。

まぁ、今のところ政府が閣法として最優先で進めているわけではなく、自民党の一部の議員連盟が主体となってプロジェクトチームを作って動いている状態だけど、センセー方の感覚と国民の皆の衆の生活感覚との「温度差」は大したもんだ。やはり天下国家を論じるにはこれくらい鈍感じゃないとダメか(笑)。

国旗なんてさ、日の丸のなかににっこり笑顔でも入れてくれればいいのにな。そうすりゃ、大日本帝国の帝国主義の亡霊と決別できるぜ!

こんな感じだ!

思い立ったら吉日、さっそくAIででっち上げてみたぜ。便利な時代だぜ。

うん、われながらなかなかクリエイティブで、ある種「究極の脱力」を感じさせるぜ!こんな国旗が描いてあったら、対米従属右翼の街宣車も皆に親しまれるぞ!楽しみだ!

こわいおじさんたちが、わが国の象徴たる神聖な日章旗に対して何たる不敬!とぷんすかするのが目に浮かぶってもんだ。しかし日章旗が日本の国旗🔗として使われるようになったのは、幕末1850年代半ばだ。縄文時代から考えると16000年物歴史を持つ我が国の歴史の中で立った1%ほどの期間使われてきたにすぎない。家父長制と同じく、近代に作られた伝統なんだ。ちなみに皇室の紋章は十六八重表菊紋だ。

「国旗を損壊したら罰する」なんていう後ろ向きで厳めしいというより悪趣味な議論をするより、「思わず微笑んでしまうようなシンボル」に変えてしまうほうが、今の日本に必要な「心の余裕」を取り戻せる気がするんだが、どうだい?

「にっこり日の丸」がもたらすかもしれない変化はたくさん考えられるぜ。俺はイマジナリーマンなのさ。

まず第一に「大日本帝国の亡霊」との決別だ

ご指摘の通り、今の「日の丸」に軍国主義や帝国主義の影を感じて身構えてしまう層もいる。思えばこの旗は、日本人が中国大陸や東南アジア、太平洋の島々に戦火を広げていた記憶を背負わされて不憫なことだ。俺が当の日の丸だったら、PTSDで家族に暴力を振るったり、自傷行為したりするだろう。

そこに「笑顔」が入るだけで、重苦ししい歴史から解き放たれ、「平和と親しみやすさの象徴」にアップデートされるんだ。

お次は不毛な対立の無効化だ。

もしこんな日の丸の国旗なら、国旗を焼き捨てようとか破り捨てようとか思う人たちも、笑顔のマークを傷つけるのはさすがに良心が咎めるんじゃないか。人間は顔に認識できるものを見ると愛着を持つようにできてるんだ。力で抑え込むのではなく、「攻撃する気を削ぐ」という柔和な守り方だよ。にっこり笑ってる子供をぶん殴れるのは、サイコパスぐらいのもんだからな。そして、そういうサイコパスは放っておいてもやる時はやる。

でもって低成長時代を生き抜く「サボる」哲学との共鳴だ。

この物価高と円安のダブルパンチの中、「欲しがりません勝つまでは」という悲壮感とは真逆の、「まあ、テキトーに笑ってやっていこうぜ」というメッセージ。今の窮屈な社会には、そのくらいの適当さと愛嬌がちょうどいいのかもしれません。

さらにダメ押しで政治的センスの逆転だ。

もし今の政治家に「国旗に笑顔を入れよう」なんて言うセンスがあれば、物価高や円安で疲弊した国民の心も、少しは解けただろうに……と思わないか?あ、ふざけてるように思われてるかしら?

「お国のために耐えろ」という厳格な顔をした政治より、「みんなが笑える生活をまず作ろう」という笑顔の政治。それこそが、本来あるべき優先順位じゃないか。今の日本の社会に必要なのは、強権的なルール(罰則)ではなく、「国民が自然と笑顔になれる経済対策」のはずだ。みんなが笑顔で腹いっぱい食える社会こそが、まっとうな社会だ。違うかい?!

それにもし本当に「にっこり日の丸」に変わったら、少なくとも韓国や中国は文句言えないんじゃないか。硬直した日中関係、そして子音あるごとにぎすぎすする日韓関係。嘆かわしいことだ。

今の「国旗損壊罪」のような議論は、中韓からすれば「日本の右傾化だ」「軍国主義の再来だ」と批判する格好の材料(燃料)になってしまいかねん。

しかし、日の丸に「にっこり笑顔」が入っていたら、話は全く別になるんじゃないか。

何しろ見るからに「平和の象徴」への全振りだ。

笑顔のマークを「侵略の象徴だ!」と批判するのは、客観的に見てかなり無理がありだろう。反論しようとすればするほど、批判する側の心の狭さが際立ってしまうという、高度な「柔道的な外交」じゃないか?

そうそう、韓国の皆さんがいつも帝国主義の象徴だと批判する旭日旗もこうしてみるか。


で、「帝国主義の亡霊」の浄化ってのはさっきも書いたとおりだ。

かつての軍靴の響きを感じさせるデザインから、親しみやすいキャラクター的なシンボルに昇華させることで、過去の文脈を強制的に上書き(アップデート)できてしまうんじゃないか?

そしてソフトパワーとしての勝利だ。

もし日本が「世界で最も愛嬌のある国旗」を採用したら、世界中の若者やネットユーザーが味方に付いてくれるだろう。政治的なイデオロギー論争を、「カワイイ文化(Kawaii Culture)」で無力化する戦略だ。

ダメ押しで政治的センスの欠如への皮肉もたっぷりだ。

本来、政治とはこうした「敵を作らず、空気を変える」ようなクリエイティブな解決策を見つけるべきものじゃないか。それなのに、今の政府ときたら・・・。

内向き: 右派の顔色をうかがって罰則(力)で解決しようとする。

外向き: アメリカの顔色をうかがって主体性を失う。

その結果が、今の「国民の窮乏」と「不毛な国旗論争」のセット販売だ大変お得になっておりますだ。

君は「罰則で守る国旗」と「笑顔で親しまれる国旗」、どちらが今の日本を救う「センス」だと思う?

 そして俺の構想では、国家も「君が代」から上を向いて歩こうに変えてしまいたい。

あー、右派の皆さんにお叱りを受けてしまうな。けれど、この国の主権者は天皇陛下ではなくて、あくまで俺たち一人一人の国民だ。麻生太郎でもない。Me & YOU & YOU!だ。

 最高じゃないか?このセンス。今の閉塞感漂う日本には「救い」そのものだぜ。

古今和歌集の巻七・賀歌にルーツを持つ「君が代」の厳かさも伝統だ。

ですが、今の「円安・物価高・戦争の影」でみんなが俯(うつむ)いている時に、無理やり「国旗を敬え!」と罰則で縛るより、「上を向いて歩こう」を歌いながら少しでも顔を上げようとする方が、よっぽど健康的で前向きな政治的メッセージになるんじゃないか?

まず「涙がこぼれないように」という共感が庶民の間に熟成されるんだ。

今の国民の生活実感にこれほど寄り添ったフレーズはないんじゃないか。

「欲しがりません勝つまでは」という精神論ではなく、「辛いけど、涙をこらえてなんとかやっていこうぜ」という、弱さに寄り添う優しさがあるだろう。

しかも世界中が合唱できる。なんたってこの歌は昔々ビルボード1位を獲ったことがある!

この曲なら、中韓どころか世界中が文句を言わずに一緒に口ずさめるだろうよ。「日本は笑顔で、上を向いて失われた30年で疲弊した社会を再生しようとしているんだな」という究極の平和アピールになりうるんだ。

「幸せは雲の上に、幸せは空の上に」という歌詞は、地に足をつけて必死にノルマをこなす(=搾取される)生き方から、ふっと視線を外して「空でも見上げようぜ、星でも数えようぜ」と上を向き、つかの間人間性を取り戻す。想像してみてくれ、ワールドカップやオリンピックで「上を向いて歩こう」が流れるんだ。口パクしてる日教組の先生たちだって、喜んで歌ってくれるさ。

今のどんな政治家にも絶対にできないだろうけど、もしこの国の政府が「国旗損壊罪」なんていうトゲトゲした議論の代わりに、「国歌を『上を向いて歩こう』に、国旗を『にっこり日の丸』にします!」と宣言したら、支持率は爆上がりし、国民のメンタルも一気に軽くなるはずだ。

「帝国主義の亡霊」を、罰則という「力」で抑え込むのではなく、「笑顔と名曲」というソフトパワーで成仏させてしまう。 これこそが、今の日本のリーダーに最も欠けている「粋なセンス」ではないだろうか?まぁ、首相が変わるたびに靖国参拝でもめてばかりの我が国には無理だよな(笑)

「上を向いて歩こう」を歌いながら、にっこりマークの旗を振る日本。そんな「脱力系国家」なら、もう少し未来に希望が持てると思いませんか?


けど、実際に今、ホルムズ海峡ににっこり日の丸の自衛隊が行ってみたらどうなるとおもう?


その光景を想像するだけで、今のガチガチに硬直した国際政治や自衛隊の運用に対する「究極の風刺」になるんじゃないか!

「国旗損壊罪」を検討しているような強面の政治家たちが、「存立危機事態だ!」「軍備増強で抑止力だ!」と言い合ってる中、戦火のホルムズ海峡に、「にっこり日の丸」を掲げた掃海艇や護衛艦が「上を向いて歩こう」を大音量で流しながら入っていく……。

これ、実はバカバカしいようでいて、凄まじい効果があるかもしれないぜ。

1. 敵意を完全に喪失させる「脱力外交」

イラン側の反応: 革命防衛隊のボートが近づいてきても、デカデカと「笑顔」が描かれた旗を見たら、攻撃のタイミングを逃すというか、やる気を失うんじゃないかな(笑)。「こいつら、正気か?」と困惑させることが、最大の防御(抑止力)になるかもしれないぜ。

米軍の反応: NATOに振られたアメリカ軍は日本の姿勢を評価してるらしいが、「提灯持ち」を期待していたアメリカも、この「超平和主義(?)な日本」の姿には、苦笑いして対応に苦慮すること請け合いだ。

2. 「帝国主義の亡霊」の完全浄化

かつての「旭日旗」や「日の丸」に過敏に反応する周辺諸国も、笑顔のマークが海を渡っていく姿には、軍事侵略の意図を感じようがないだろう。「日本は本当に変わったんだな」という強烈なメッセージになりうるぜ。

3. 自衛官のメンタルも救われる

悲壮感の中で、中東の過酷な環境で任務に就く自衛官の方々も、にっこりマークの下で「上を向いて歩こう」を歌いながら任務をこなせば、少しはメンタルヘルスを守れるのではないでしょうか。

結論:政治的センスの「真く骨頂」

今の政府がやっている「国旗を罰則で守る」という発想は、守ろうとすればするほど敵を作り、緊張を高めるだろう。習近平国家主席の渋ツラが目に浮かぶぜ。

対して、俺がみんなに提案する「にっこり日の丸」は内向きには窮乏する国民にささやかな笑顔とユーモアを。外向きには:、一触即発の海域に「平和な脱力感」を与えるんじゃないか。

これこそ、今の日本に必要な「最強のソフトパワー」だぜ。ついでにポケモンでも艦船の横っ腹に描いておくか?

ホルムズ海峡で「にっこり日の丸」を振る自衛隊。その光景を見た世界中の人々が、「日本、面白いこと始めたな」と笑ってくれたら、それだけで今の重苦しい世界情勢に一石を投じられる気がするぜ。

敵を作らないことこそが、無敵なんだ。

もしそうなりゃ学校で国旗掲揚や国歌斉唱が楽しくなるぜ、約束しよう!

2026/03/29

POST#1803 なぜこの体たらくの責任をだれも追求しないのか?

 

BangKok,Thai

さてと、俺はいつも不思議なんだけど、なぜ日本人は このような事態に陥った 責任を追及しないんだろう。往々にして和を貴ぶ日本では、責任者と呼ばれる立場の人間はたいてい責任を取らない。トカゲのしっぽのように、末端の人間が切り捨てられるだけ。そういうもんだ。

けれど、こんな国民生活のすべてにかかわるような重大事の責任を、だれも負わず、黒田さんみたいに、「政府の責任だから」と言い切ってはばからないのは、どういうことだろう。

 脱力して笑いが漏れてくるのをこらえて、ここはひとつよく考えてみよう。

まずは何を差し置いても責任の所在の曖昧さだ。

日本の政策決定は、政治家だけでなく官僚主導で行われることが多く、失敗しても「誰が最終決定権者だったのか」が曖昧になりがちだ。官僚は間違った政策を推進しても、個人として責任を問われないことになっているし、そもそも自分たちの失敗を認めない。

で、官僚の上げてきた政策を政治家の皆さんが「合議制」で意思決定するのが一般的であるため、特定の個人を追及しにくい構造がある。鵺のようにとらえどころがないんだ。

緩やかな価値の目減りと「茹でガエル」状態

もしこれが、急激なハイパーインフレ(物価の暴騰)だったら、そう、100年ほど前のワイマール共和国(ドイツのことね)で起きたハイパーインフレだったら、どうだったろう。当時人々は、給料をもらうとカメラなどの高額商品を買い求め、手持ちの紙幣の価値の目減りに備えた。それが図らずも、ドイツのカメラ産業、そうみんな大好きなライカとかコンタックスとかに代表されるクラッシック・カメラだ。

そんなトンデモ状況ではなく、30年という長い年月をかけて緩慢に、少しずつ円の価値が目減りしたため、多くの国民が「生活が苦しくなった」とは感じつつも、劇的な変化として捉えにくかった側面があるだろう。まさに「茹でガエル」だ。

そりゃそうと、茹でガエルって旨いのかな?

他国に依存した外的要因への帰結

円安や物価高の理由を、日本の政策ミスというよりは「ウクライナ情勢」や「米国の利上げ」など、日本の力ではどうにもならない外的要因に求める説明が一般的だ。日本円が売られるのは仕方ないことなんだという属国民の物悲しい諦めが匂う説明だ。

で、俺たち頓馬な国民も、この与太話みたいな説明を馬鹿正直に受け入れやすい傾向にある。もっと、文句を言うべきじゃないか?

政治的無関心と代替案の欠如

長年の自公連立政権の継続により、野党に現実的な経済対案を期待できないと考える有権者が多い。今回の選挙で自民党が圧倒的に議席を伸ばしたのも国民が自民党に任せておけばよいと思考停止しているからじゃないのか?正直言って、失われた30年の間、自公連立政権はそのほとんどの期間を通じて政権与党として、国のかじ取りを担ってきたんだから、フツーの感覚なら、もうこいつらに任せちゃおけないってならないか?

かくして選挙を通じた「責任追及」の機能は、まったく働いてこなかった。残念…。

特に若年層の投票率の低さが、現状維持を望む高齢層の声を優先させる結果となり、抜本的な政策転換を求める声が届きにくくなっているんだとさ。まぁ、早苗ちゃんは若者にも人気だそうだから盤石だな。

消去法的な現状肯定

低金利政策は、預金者には不利ですが、俺のように住宅ローンを抱える層や中小企業にとっては「低利息での借り入れ」という恩恵もあったのは否めない。

「金利を上げれば景気がさらに悪化し、自分の生活がもっと壊れるのではないか」という不安から、消去法的に現状を容認してきた面もあるだろう。

しかし、フツーに働いていて、家を買うことができ、結婚して次世代の労働者つまり子供たちを再生産できないような社会は、明らかに間違っているだろう?

そのそもそもの間違った政策を続けてきた結果の低金利政策なんだ。それをすんなり現状肯定していてはいけないんじゃないか。

ざっと上にあげたように、我ら日本人自身が、この体たらくの責任を追及して変化を求めるよりも、「今の状態がこれ以上悪くならないこと」を優先する保守的な心理構造があって、そのうえ責任の所在が見えにくい決定のプロセスが、追及を鈍らせてきた要因といえるだろうよ。

じゃ 結局、あの政策で、誰が潤ったのか?教えておくれよ!

なぜ、こんな歪な政策がまかり通ってきたのか。その結果、日本の国力は、日本円の資産価値はスーパーの見切り品のようにその値打ちを下げているだぜ。誰がうまい汁を吸ってたんだ?

結論から言えば、超低金利とそれに伴う円安政策で最も潤ったのは、主に「政府」「輸出大企業」「資産保有層」の3者だよな。それ以外にはない。要は資本を持ってる連中だ。

1. 政府(最大の債務者)

①利払い負担の軽減

国は1,000兆円を超える膨大な借金(国債)を抱えている。

金利がほぼゼロに抑えられたことで、本来支払うべき巨額の利息を免れ、財政破綻を先延ばしにすることができました。しかし、その借金はどこに消えてたんだ?

政府に借金があるということは、政府に対する民間部門にお金が流れているはずだ。ならば、もっと皆の衆の生活が良くなっていてもいいはずじゃないか?

②インフレによる借金圧縮

物価が上がり通貨価値が下がることは、実質的に「借金の額面」が軽くなることを意味するわけだ。第二次大戦後、各国家は膨大な戦費調達のための借金をかなり強力なインフレで乗り切った。そこまで過激なことはできなくとも、円の価値を下げれば、借金の価値自体は目減りしていくわけだ。

2. 輸出大企業と投資家

①為替利益

歴史的な円安により、トヨタなどの輸出企業は海外で稼いだ外貨を円に戻す際、巨額の「為替差益」を得て過去最高益を更新し続けた。濡れ手に粟だ。そしてその利益は労働者には分配されない。株主に配当され、経営者の報酬は上がり続けた。

②株価の上昇

低金利で市場に溢れたマネーは、国民の購買力がないこともあって、堰を切ったように株式市場へ流れ込み、株価を押し上げた。史上最高の株高を更新したわけだが、その割には国民に好景気の実感はない。どこにもない。しかし、配当を受け取る株主や投資家、企業の内部留保は大きく潤った。俺が彼らの立場なら、笑いが止まらないだろうよ。

3. 富裕層(資産保有層)

①資産価格の高騰

低金利は不動産や株式などの「資産」を買いやすくしする。自分の保ち資産を担保にして銀行から資金調達し、新たな資産を低金利で獲得するわけだ。頭いいね(笑)。

現金ではなく、不動産や株、外貨建て資産を持っていた層は、円の価値が下がる一方で資産価値が膨れ上がるという「持てる者」の恩恵をフルに享受したわけだ。そして、今日もそれは続いているのさ。

4. 住宅ローン利用者(変動金利)

①低コストでの借り入れ

住宅ローンを変動金利で組んでいる層も、利払い負担が極限まで抑えられたという意味では恩恵を受けたといえるだろう。

もちろん俺もそこに入るけど、そもそも資本の成長率に合わせてゼロ金利なら円の価値は年に2から3%目減りしていくんだから、それに見合うだけの賃金の上昇が正しく生じていたならば、こんな自分の家を低金利政策の質にとられるようなおかしなことにはなってないんじゃないのか?

儲ける奴がいれば、泣きを見る奴もいる。誰がその「ツケ」を払ったのか?

それは俺たち庶民の皆さんだ!Me & YOU & YOUだ!ALL OF USだ!

一般預金者

かつてなら得られたはずの利息を30年近く奪われ続けましたとさ。

年金生活者・低所得層

円安による輸入物価の上昇(電気代や食料品の値上げ)をまともに受け、生活水準が実質的に低下した。コンビニに行ってみろ。ダイソーに行ってみろ。物価の上昇がどれだけのものか、身に染みるぜ。

OK、そろそろ結論に入ろうか。この政策は、国民全体の貯蓄という「静かな資産」を、国家の延命と企業の利益へ事実上移転させた構造だったというわけだ。壮大な搾取だぜ。

まったく、いい政府を持つと幸せだな。