2011/07/02

Post #231 When I was A Boy, I Was A Punk

はるか昔、まだ豊臣秀吉が、まだ木下藤吉郎と呼ばれていた頃…、いや、そんな昔じゃないな、俺は生まれてないし。そう、はるか昔、20世紀の頃、俺はパンクだった。
モヒカンにガーゼシャツ、編上げのブーツを履いて、トゲトゲのリストバンドを手首に巻いて高校に通っていた。ほほえましい高校生だ。将来が危ぶまれる。しかしそれでこそ、好感が持てるというものだ。
生徒指導の先生には、3日に一度は呼び出されていた。しかし、糞ったれな校則には髪は肩に掛かってはいけない、パーマをかけてはいけない、髪を染めてはいけないという規則はあったが、俺はそのどれにも抵触していなかった。なんたってモヒカンだからね。もちろん俺の学校にはそれまでモヒカン刈りの奴なんていなかったから、当然のようにモヒカン禁止なんて校則はなかった。今にして思えば、ルールを逆手にとってやり放題、小憎たらしいガキだ。ふふふ…、何事も法の抜け道ってのがあるってことを俺は学んだんだ。素晴らしい学校だ。
Fashion Punk In HongKong
俺のオヤジも、それについては文句たらたらだったんだが、オヤジの友人から『お宅の息子さんは、なかなかナウい(すでに死語だな)髪型してみえますな』なんて、明らかに社交辞令を頂きましてね、それを真に受けてから何も言わなくなったっけ。

そういえば、こんなことがあったな。今みたいに暑い盛りの季節だった。俺は例によって、いつものように生徒指導室に呼び出されて説教を食らっていた。生徒指導室には冷房がかかっているので大喜びだ。
先生は言ったぜ。『お前の髪形が気になって、みんな授業に集中できなんだが、何とかならんか、その髪型。』差し向かいで対峙する俺は、唖然としたぜ。酷い、言いがかりだ。こういう時には、俺の脳みそは高速回転する。とにかくキレが良くなるんだ。『ちょっと待ってくださいよ、先生。このクソ暑いのにクーラーもない教室で授業を受けて、集中できると思いますか?第一、俺の髪形は昨日今日始まったことじゃないでしょう、気になって授業に集中できないなんて、とんだ言いがかりだよ。そもそも、みんなが授業に集中できないのは、この暑さと、そして何よりセンセーの授業が退屈だからじゃないのかい?それを棚に上げて、人の髪形をとやかく言うのは筋違いってもんでしょう?』
勝負は決まった。センセーもこの暑さには閉口していたんだろう。
『うむ、確かにお前の言うとおり、この暑さだ、これじゃ授業に集中するのも難しいだろう…。』
『高い授業料取ってんだから、クーラーくらいいれてくれないと困るってもんさ。進学校の名が泣くぜ。』とかなんとか言ったんだろうな、細かいところは昔過ぎて憶えてないけれど、俺の事だ、いかにも言いそうだ。
『うむ、お前の言う通りなんだが、やはり予算とかいろいろと問題があるんだ。きっと、21世紀が来るころには、教室にクーラーも導入されているだろうが…』
21世紀!まだ1980年代半ばの俺には、夢の未来だ。人類が月に基地を作って、火星にロケットを飛ばしまくっているような未来の事だ。冗談じゃない。
『そんな気の長い話には付き合っちゃいられないよ。センセー、帰っていいかな?』本当にバカバカしくって付き合っちゃいられないぜ。大人はいつだって、こんな程度さ。今でもそう思う。そんなくだらない大人になんかなってたまるか?今でもそう思う。
『いや、お前の髪形の事なんだが・・・』
『だからセンセー、あんたたちもプロの教師として飯食ってるんだろ?だったら、問題児の一人や二人クラスにいたからって、そんなの小手先でちょいちょいとウマい事あしらってみなよ。その能力もないし、退屈な授業しか出来ないような奴のいうことなんて聞く耳持たないぜ』
俺はバカバカしくなって生徒指導室を出た。今思えば、まるっきり『魁!クロマティ高校』に出てきそうな話だ。
俺が卒業したあと、生徒手帳の校則には、モヒカン禁止の一文が加えられた。ついでに言うと、俺が卒業した年の夏、教室にはクーラーが配備された。俺の後輩諸君は、俺の水面下の努力に感謝してほしいもんだぜ、まったく。
Fashion Punks in Barcelona
俺は友達のナカムラ君とよくライブハウスに行ったっけな。
ナカムラ君は、自衛官の息子で後に東大に入った秀才なんだけど、ハードコアパンクしか聴かないイカレタ奴だった。眉毛をそり落として、GIG(当時はライブをそう呼んでいた)では壊れた操り人形のように踊り狂っていたっけ。俺もナカムラ君も、学校では浮きまくっていた。もっとも俺は、彼のような秀才じゃなく、まったくの落ちこぼれだったけどね。彼の家に遊びに行くと、母親をクソババア!と罵倒していたっけ。どっか人間としていかれてたのさ。まぁ、そんな奴じゃなきゃ、ハードコアパンクなんて聴きゃしないか?
ライブハウスの前には、大きな歩道橋があり、ライブハウスが開くまでの夕方のひと時、街中のパンクスどもが集まり、歩道橋の上にずらっと並んでいたっけ。今見たらひっくり返りそうな風景だ。モヒカンや、長髪をスプレーで立ち上げたような奴ら屋、真っ黒なアイメークで、耳や鼻に安全ピンを刺した女の子たちが、歩道橋の上にずらりと並んで、車にガンを飛ばしながら、タバコを吸ったり、唾を吐いたりしているんだ。サイコーだ。今からすれば、奇人変人ショーか動物園だぜ。もちろん、俺とナカムラ君も、その中に並んでいた。今の俺なら、絶対に写真に撮るだろう。
そのライブハウスも、今はもうなくなってしまった。
あのパンクスどもは、いったいどこへ行ったんだろう。砂漠に水が染み込むように、消えてしまった。まっとうに暮らしているんだろうか、俺のように?良き父親や母親になって家庭におさまっているんだろうか?それとも、くだらないことで身を持ち崩してしまったんだろうか?
 
俺はそののち、学校史上初のモヒカンの生徒会副会長になり、就任のあいさつの際には、スキンヘッドにして学校中を沸かせたりもした。センセー達は俺が改心したと喜んだが、何時までたっても髪が伸びてこないのと、前にも増して俺の人相風体が悪くなったことで、困惑していた。そりゃそうだ、俺は毎日、カミソリで頭を剃り上げてから学校に行っていたんだ。生えてくるわけないぜ。 
そうこうするうちに、俺は飽きた。単調なパンクロックじゃ物足りなくなった。俺はストーンズやヤードバース、キンクスやスモールフェイシズ、そして何よりザ・フーといった60年代のイギリスのロックにはまっていった。そうして、高校を卒業すると、細身のスーツにモッズパーカーを羽織ってモッズを気取っていた。
それは単に、他から見れば、ファッションを乗り換えただけの事だろう。けど、このころの俺が今の俺の土台になっているのは間違いない。もちろん今の俺は、そんなスタイルは放棄して、単に俺流の何とも言えないセンスの持ち主になっちまったんだけどな…。おかげさんで、子供にはじろじろ見られるし、キャバクラの呼び込みすら声を掛けてこないぜ。もちろん若い女の子なんて、近寄っても来ないぜ。
けどイイのさ。俺の心の中には、何時でもロックンロールが鳴っているからね。
HomeTown
今でも、その頃の格好でティッシュ配りをしている奴らを目にすると、複雑な気分になる。なにしろ、何十年も前のスタイルだ。今そんな恰好をしても、何の衝撃力もない。この糞ったれな社会に対する異議申し立ても出来ない。単に一つのファッション、それも時代遅れの古典的なファッションという意味しかないんだ。ファッションパンクっていう言葉があったが、本人たちの意識はどうであれ、この21世紀にそんな恰好したって、ファッションパンクにしかなれないのさ、残念ながら。第一、そんなカッコウでいきがってティッシュ配っても、みんな受け取ってはくれないだろう?

俺達は、あの頃何がしたかったんだろう?何を求めて、パンクロックばかり貪るように聴いていたんだろう。セックスピストルズに憧れていたのか?社会に対して不満たらたらだったのか?それもあるだろう。それもあるだろうけど、本当の答えはきっと別にあったんだろう。
そう、俺たちは自分が何者か知りたかったんだ。自分にいったい何ができるか、知りたかったんだ。
ピストルズは教えてくれた。下手糞だって、好きにやればいいじゃないかって。
ストーンズやフーは、ジジイになってもロックし続ければいいって、身を以て教えてくれた。ありがとう。
おかげさんで、下手糞な写真を飽きもせず撮り続けているのさ。

読者諸君、失礼するぜ。冷房の効いたホテルの部屋は快適なんで、ついダラダラと長話ししちまったぜ。すまなかったな。また会おう。

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