さて、コロナで自宅隔離の病牀六尺からは今回のウクライナ侵攻が、どうにも日本国民には対岸の火事程度にしか感じられていないように感じますが、これは本当に余所事ではないと思います。
先日の投稿にも書きましたが、我が国の皆さん、とりわけ自民党をはじめとした保守政党の皆さんにすこぶる評判の悪い日本国憲法ですが、武力による紛争解決の禁止は、我が国の憲法にのみ現れるものではなく、パリ不戦条約以来の国際法、国連憲章にも謳われているわけです。
パリ不戦条約は、日本も含めた15カ国がまず調印し、ロシアの前身たるソヴィエト連邦共和国ふくめて、62カ国が調印しました。
しかし、それでも第二次世界大戦は、大東亜戦争は起こってしまいました。
パリ不戦条約は、自衛のための戦力保持は認めていました。
僕が読んでいる岩波文庫版日本国憲法の解説は、長谷部恭男先生が書いておられるのてすが、その172頁には、『帝国議会での憲法草案の審議過程で、九条二項の冒頭に「前項の目的を達するため」という文言がくわえられた。この修正を提案した芦田均氏は、〜中略〜憲法の公布時以降、九条では自衛のための武力の行使が認められることがこの修正によって明確になったとの主張を展開した。』と述べ、我が国の憲法九条は、個別的自衛権を認めていると当時の政府も国際連合憲章第五一条には、明らかに自衛権を認めていると解釈していた記載があります。
しかし、条約は言葉に過ぎません。言葉を曲解し、文言の裏をかくことは、何時も何処でも行われます。
自衛のために派兵する、自衛のためにやむなく侵攻するという詭弁を使ったわけです。ヒットラーはドイツ系市民の保護を謳ってチェコのスデーデン地方に侵攻し、我が国は満洲は帝国の生命線だと言って派兵し、中国に戦争を仕掛ける。そして実際には戦争状態なのに、事変と呼ぶ。そうしていつも自衛のためと称して、自国民、同胞の保護を名目に、自国の防衛と経済的な権益保護の名目で戦争は始まる。
そして、今回のロシアによるウクライナ侵攻は、まったく上にあげた第二次世界大戦の始まりと同じなので、怖れ慄くともに、呆れ返るわけです。
まったくもって、この21世紀に、こんなことが起こるとは。
このような事態が起こりうるなら、台湾どころか、沖縄くらい中国が侵攻して傀儡政権を作るくらいのことは、いつ起こっても不思議ではありません。
その時、日本の識者と言われる連中は、沖縄くらい習近平にくれてやるしかないと言うのでしょうか?
今回、現時点でウクライナはまだなんとか踏みとどまっているようですが、制裁と武器提供以外にNATOが動く気配はありません。
ゼレンスキー大統領は自分たちは、孤立無援だが、ここに残って戦うのだと、毅然としたリーダーシップを発揮しています。18歳から60歳の男性は国に残って共に戦い、市民には火炎瓶を作って抵抗することを呼びかけています。市民たちも、パニックにならずに団結している報道もみられます。
しかし、今回の例を見ても、いざという時に、アメリカは頼りになりそうもありません。
もちろん、NATO非加盟国と日米安全保障保障条約を締結している我が国を、同じように、論ずるのは乱暴なのは承知しておりますが、日米安全保障条約を読んでみると~先程挙げた長谷部恭男先生解説の岩波文庫版日本国憲法に収録されています〜あくまで有事に対して、アメリカの議会の承認のもと派兵されることになっとります。
民主主義そのものが疲弊し、社会の分断が極まったアメリカの議会が、中国と日本のために戦う決断をくだせるとは到底思えません。
そして、沖縄や台湾に万一の事態があったとき、次は本土だというのは間違いありません。
さて、その時、私達はどーしたもんかな?と考えています。
いまの香港や中国本土の人権侵害、民主主義軽視の状態を見ると、たとえ五十歩百歩とはいえ、その五十歩はデカい。
中華人民共和国日本省だの東京特別行政区など、あまりにも反動的で受け入れられません。
とはいえ、神州日本の私達は、ウクライナの皆さんのように、隣国のポーランド(かつて、ウクライナの西半分はポーランド=リトアニア共同王国の領土とされていました)に逃げたりできないわけです。周りは海だから。
戦うと言っても、みんな口では勇ましいことをいっていますが、年寄りばかりの国で、実際自衛隊の人員が定員割れしている現状では、なかなか厳しいのではないでしょうか?
これが東南アジアあたりなら、山の中に逃げ込んでしまいゲリラ化するあるいは雲散霧消することもできましょうが、杉の木ばかりの日本の山々では、どこにも逃げることはできないでしょう。
また、しきりと自民党の皆さんが検討したがっている敵基地攻撃能力も、相手が北朝鮮くらいの規模ならばまだ使い道もあるかと思われますが、相手が広大な国土を持つ中国やロシアなら、そのすべてを同時に攻撃しし、我が国への攻撃能力を削ぐことは、現実的ではないのではないでしょうか?
また、自衛のための軍事行動こそが、いつも戦争を勃発させてきたわけです。慎重に、慎重に考えないといけません。
さて、わたしたちはどうするか?国防予算を増やし、自衛隊の将兵を増やしますか?
そして、あなたやわたしの息子や娘に、銃をとって戦えと言いますか?
或いは、自分の子どもたちは医師や官僚、商社マンなどになって、安全な人生を送らねばならないので、ビンボー人の子弟は自衛隊に行けと言いますか?
それもひとつの方法かもしれません。しかし、あまり趣味がよいとはいえませんね。
僕にはどうするべきか、手持ちの答えはありません。できることなら、平和を愛する諸国民の信義を信頼してゆきたいが、どうにも今回は、信頼できんもんだなぁと憂慮せざるを得ないですね。
武力を伴わない正義には、なんの力もないのか?或いは、その制裁の先に、さらなる規模の戦争が待ち受けているのではないのか?
とはいえ、自分をはるか超えた共同幻想である国家のために、命をかけたり、見たこともない誰かをぶっ殺すのもゴメンだ。水木しげるの『総員玉砕せよ!』を読めば、ほんとにつくづく嫌になる。
さて、だからこそ、民主主義国家の指導者の皆さんには、団結を示して欲しい。平和を愛する諸国民の信義が、信頼に足るものだと証して欲しい。
また、わたしたちはいま起こっていることをよく見て、よく聴いて、なにが正しいのか、どうして行くべきなのか、しっかりと自分で考えねばならないだろう。
せめて、誰か声の大きなものの言うことに惑わされて、自分で理解すること、自分で判断すること、誰かの言ってる安易な結論に飛びつかないこと、なにより自分で納得できることを見つけることを抛棄しないようにしたいと、自分では考えています。
君なら、どうする?
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