2026/02/07

POST#1753 ある日夢を見た

御幼少のみぎりの俺とケニー

五月の連休明けのある日曜日の朝、古い友人の夢を見て目が覚めた。

内容は覚えていないけれど、もう35年ほど会っていない友人だ。幼稚園と小学校が一緒。小学校の頃のほとんど唯一の友人だった。懐かしく、温かい気持ちになった。

彼は、というのも他人行儀なのでケニーと呼んでおこう。海外生活が長いからそう呼ばれることが多いんだそうだ。ケニーとは一緒に近所の木の上に基地を作って遊んだり、神社で遊んでいた。一緒に木曽川の支流で釣りをしてケニーのお母さんが五平餅を作って持ってきてくれたこともいい思い出だ。

ケニーの日当たりのいい中庭のある家に遊びに行き、縁側に座って一緒に石ノ森章太郎先生のサイボーグ009なんか読んだりしたもんだ。あいつの家には確か全巻そろってた。ケニーと遊んでいないときはしばしば児童館に行き、手塚治虫先生の火の鳥を何度も何度も読んでいたものだ。

俺は大事なことは漫画とロックと吉本隆明から学んだんだ。そんな俺も彼も、田舎の小学校という閉じた社会にうまく溶け込めなかった。

俺はくせ毛という身体的な特徴のために疎外されたし、ケニーは他の児童と意見が合わず、ぷいとそのまま学校の裏口から家に帰ってしまうことが多かった。

小学五年生くらいから塾に通い出すとなんとなく勉強もできるようになり、そうすると読書癖によって身についた雑学から、同級生の間では教授と呼ばれるようになっていった。その一方でYMOのレコードを買ったり、FMで当時のイギリスのニューウェーブやネオモッズ、パンクロック等を聴いたりするようになって、ますます小学生らしかならぬ方向に進んでいったけれど。俺は私立の中高一貫校に進むことで、その閉鎖社会から離脱できた。

ほんとはクラスで一番かわいかった子がその私立学校の先生の娘で、その子が底を受験するっていうから受けたってのもある。さらに言うと地元の公立中学は当時その付近では評判のヤンキー学校でろくでもないという評判だった。女の子がセーラー服のスカートの下に、えんじ色のジャージを履いているのも嫌だった。今でいう埴輪スタイルだ。

で、ケニーとは離れ離れになった。

彼は中学でサッカー部に入ってサッカーにのめりこんでいたようだけれど、もともと周囲とうまくなじめない性格なので、上下関係の厳しい田舎の中学校のクラブとか精神的に厳しかったのではないかと思う。

このころ、あまり交友がなかったのでその辺の事情は俺には分からない。ケニーは中学生の終わりごろから高校にかけて、写真も趣味にしてたみたいだ。その頃の俺は、写真には全く興味なかったけどね。

で、高校に進んだケニーは、サッカー部に入ったようだけれど、そこで徹底的にうんざりしたようで、高校を辞めてしまった。で、どうしたかというと土木作業のアルバイトなんかをしてお金をため、ブラジルに渡ってサッカーのユースチームに入るという途方もない行動に出ることになったんだ。

ケニー、すげぇな。俺は当時、素直にケニーの行動力を尊敬したよ。実際にコリンチャヌス高の2部リーグチームにアマチュア選手として登録されるところまで行ったらしい。

俺が最後にあったのは、20歳のころだ。

ケニーはサッカー選手として芽が出ず、ニューヨークに移り、アートスクールに通っていた。そこで知り合った中国人の彼女を連れて実家に帰ってきたとき、俺は逢いに行った。

それ以来、35年ほど会っていなかった。一体全体、今は世界のどこにいることやら。

俺はFBで検索し、近年のケニーの活動に目を通してみた。元気そうだ。そこで俺はメッセンジャーでメッセージを送ってみることにした。

『お元気そうで何よりです。

ついさっき君の事を夢でみて、幸せな気分になりました。

なにかの予兆のような気がして、メッセージを送ることにしました。いまは、京都に仮住まいしています。いつか、あえる日が来ることを願っています。

お身体大切に。

浩一郎』

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