2011/01/16

Post #59 Fragment Of Fragments #8

今日は雪だ。俺の住む町でも9年ぶりの大雪だ。
そういえば、昨日の夜はスゲー風が吹き荒れていた。震え上がっていたもんだ。
おかげで、今日は一日、休日のオトーサンのようにダラダラ暮らした。角スコ使って雪かきしてみたが、あっという間に積もってくるから、とっとと諦めたのさ。つれあいも家にいるので、プリントする気にもならねぇしな。まぁ、こんな雪の休日もおつなもんだ。
こんなんじゃ、冬の北海道やロシアなんか行けっこないか?
いずれにせよ、今日は男の仕事がなくてよかったぜ!
HomeTown
懐かしくて、かなり前の雪の写真を見ていた。俺も、まだ今よりずっと若い。金がないのは相変わらずだ。その頃は、モノクロ写真ではなかった。リバーサルフィルム、それもコダックのE100VSばかり使っていた。懐かしい写真ばかりだ。
だから今日は、いっちょっカラー写真で行ってみようか!たまにはそれも悪くないさ。しかも、雪とは何のカンケーもない。
この写真を撮った日のことは、もう何年も前だけれど、しっかり憶えているぜ。強い日差しが照りつける夏の日だった。埋立地を、何キロも歩いていた。仕事の荷物を山ほど背負って。この降り積もる雪の中、俺はあの夏の日差しを、潮風の香りを思い出すのさ。それはまたズイブンと天邪鬼だが、俺の趣味に合っているな。悪くない。
 In the Jetty of HomeTown
このころから、仕事に行くときもいつもカメラを持っていたんだ。そして今もね。
失礼する。また会おう。

2011/01/15

Post #58 たまには写真やカメラについて話そうかな#4

さて、久しぶりにカメラについて話そうかな。前回はツァイスイコンの名機イコンタにフラストレーションを感じてきたところまで話したっけか?
Fukuoka
当時は20世紀末に訪れた、空前の中古カメラブームだったぜ。
カメラ屋のオヤジは未だにあの頃をカメラバブルと呼んで、懐かしがっている。誰もがあの頃の事を話すと、遠い目をして虚空を眺める。よっぽど儲かったんだろうか。確かにあの頃は、俺の街の百貨店で年に二回行われる中古カメラ市は、欲望で目をギラつかせたオヤジさんたちで溢れかえっていたぜ。
今ではとんとお目にかかる事もないような太古の珍獣怪物のようなレアなカメラが、ガラスケースの中で、妖しいクロームの光を放ったり、漆のような黒塗りのボディを艶やかに輝かせていたぜ。
その美しくきらめくボディの中には、ギッシリミッシリとギアやバネが、そして光学部品がところ狭しと詰め込まれていると思うと、う〜んたまらん。美しいお嬢さんの中にも、一皮剥けば、どろどろぐにゃぐにゃした内臓がギッシリミッシリ詰まっていると思うと、幻滅というか気味が悪いと感じてしまうのとは、まったく対照的だ。出来る事なら、俺の身体もギアやバネで構成されていて欲しいくらいだ。サイボーグみたいでイカすぜ。
まぁ、言うなればこの頃は、デジカメ全盛期前夜の、フィルムカメラ最後の光芒だったんだ。今ではさみしーもんだぜ。そんな珍獣怪物になんかにゃ、めったにお目にかかることはないねぇ、残念ながら…。
中古カメラブームは、ライカブームでもあった。どいつもこいつも誰も彼もが、ⅢfだのM3だので大騒ぎだった。
イコンタの機動力不足を補うために、35㎜フィルムカメラの戦線投入を検討していた俺の前には、歴戦のライカ軍団が大挙して待ち構え、ブンブンと唸りをあげていた。まわりのオヤジさんたちも、カメラを買いに来るのに、何故かこれ見よがしに美品のライカをぶら下げて得意気だ。
しかし、だからといって、ライカブームに巻きこまれ、流される俺ではない。俺は昔から反主流派だったんだ。ビートルズよりもストーンズ、ストーンズよりもザ・フーだ。サザンオールスターズよりもRCサクセションだ。ジャイアンツよりもドラゴンズだ!選挙だって自民党にいれたことはないぜ!いつだって共産党だ。
だからライカは最初から視野に入っていなかった。そうするとニッカや昔のキャノンなんかのライカマウント機も選外だ。残念ながらね。それに、一眼レフはデカくて重い。機動力のアップが望まれているのに、一眼レフはないよな?バズーカみたいなデカイズームレンズはごめんだぜ。それに、一眼レフのミラーのはねあがる大きなシャッター音は、スナップにはどーにも向かない。手のひらにおさまる機動力のあるカメラが、世界と対峙し、そのフラグメントを集めるためには、是非ともヒツヨーなんだ。
となるとやはりレンジファィンダーだろう。
カメラは実際に撮らないと話しにならないから、使うのが躊躇われるようなコレクターアイテム的な美品には食指がのびない。しかし、やはり俺には、自分で認めたくはないがブランド好きな面があるらしいので、やはりそれなりの格があるというか、使っていて自分自身が高揚してくるようなマシーンがホシーわけだ。
ContaxⅢa 渋いカメラだぜ!上に乗っているのが露出計だ!
そこで、俺が選んだのはContax Ⅲa だった。1951年発売だ。今から60年以上前だ!人間ならとっくに還暦だ!一応断っておくけど、後にヤシカ/京セラが作っていたCONTAXではないぜ。イコンタでお馴染みのツァイスイコンが生み出した、レンジファィンダーカメラだ。ツァイスイコン伝統の角張った12角形のボディは、ジルミン合金製。ライカのお手々に優しい丸いボディに比べて、エッジが立っている。なんとも男らしくマッチョなカンジだ。たまらん。
しかも、そのクロームと黒いモロッコ革のボディの中には、当時の最高の技術が注がれている。シャッタースピード、フィルムカウンターは巻き上げノブと一軸一体だ。同時期のライカはまだM型前夜で、ゴテゴテした軍艦部だ。
ファインダーも、ピント合わせと構図が一つの窓で可能なメスズハーだ。ちなみにライカM型のMは、このメスズハーの頭文字だぜ。
ピント合わせは、イコンタの項でも紹介したクサビ型のレンズを回転させて行うドレイカイル方式に合わせて、内蔵プリズム光路を採用することで、衝撃によるズレを抑えなおかつ、ピント精度をあげている。
そしてなんてったってレンズだ。
俺が買ったContax Ⅲaにはあの名玉Sonnar 50㎜f1.5 が装備されていた。俺が買ったのは大戦後に製造されたⅢa だから、レンズも当然Tコーティング付の戦後の玉なんだけど、今から70年も前に設計されたレンズでf1.5ですよ!たまらんですよ!しかも、ビオゴン、プラナー、テッサーなんかの、カール・ツァイスが誇る名玉の数々が装着可能だ!
しかも、ピント合わせはレンズのピントリングをまわしても可能だけれど、レンジファィンダー窓 ( レンジファィンダーのピント合わせは、三角測量の原理を使っているのさ。だからカメラの正面から見ると、窓が左右に一つづつある訳だ。ちなみにこの距離つまり基線長が長く、ファインダーの倍率が高い程、ピントの精度は向上するんだ。デジカメしかさわった事がないとわかんないかもしれないけど…。) の上に設けられた,、薄いギアを人差し指で回転させる事で、このギアにレンズが連動回転して、ピントを合わせる事が出来る。つまり片手で撮影出来る訳だ。
そして何よりも頼りになるのは、Ⅲaにはセレン光電池式の露出計が搭載されているのさ。ドカーンとね。これは頼りになる。意外と感度もいい。セレン光電池ってのは、光にあたると微弱な電圧が生じるんだが、その電圧を変換して、小さな窓に設けられたメーターを動かす。そのメーターの値を読み取り露出を手動で設定するのさ。
ちなみにこの露出計がついてないのはⅡaだ。こちらの方がデザインはすっきりしている。キャパがあのノルマンディー上陸作戦の時に使っていた2台のカメラ ( フィルム交換を減らすために、キャパは同じカメラを2台用意したんだ ) 、Contax Ⅱの後継機種が戦後のContax Ⅱaだ。
そう、当時としては最高のスペックのカメラだ。
何よりもカッコいいしな。みんなライカばかりで差別化が図れるぜ!
このContaxに関しては、竹田正一郎の『コンタックス物語』が詳しい。または田中長徳の『温故知新のコンタックス』もいいだろう。興味のある奴は買って読んで見てくれ。
何はさておき、こうして俺はついに35㎜カメラを実戦投入し、ストリートに躍り出した。俺の今日の写真の基礎はこのContax Ⅲaで培われたんだ。俺にとっては大切なカメラだ。
次回は、俺が買ったコンタックスのレンズだ、レンズ!まだまだ俺の欲望は枯れないぜ。
楽しみにしててくれ!

2011/01/14

Post #57 Photographica #1

今日は午後から男の仕事3連チャンだから、さっさとあっさり更新しておこう。
とはいえ、夜と違って日中はエモーショナルな高まりが少ないので、最近買った写真集を紹介しておこうかな。そう、ちょっと前に忙しくってアマゾンで買った写真集も見れないぜってぼやいてたあれだ。
ブログを投稿して、なんとなく寝つけずにアマゾンなんか見ていると、つい写真集を買ってしまうんだ。大抵中身は見れないから、これはある意味ギャンブルに近い。しかし、今回ゲットしたのは2冊ともあたりだった。
Osaka
一冊目はBOOGIEっていうセルビア出身で、ニューヨーク在住の写真家の“SÃO PAULO"って写真集だ。
BOOGIE"SÃO PAULO"

何年か前に出版されているものなので、すでにご覧になっている方も多数いることだろう。日本でも個展も開かれているそうだしな。何をいまさらって言われるかもしれないけれど、俺はアサヒカメラとか日本カメラとか、一切読まないようにしているので、そういった情報には疎いんだ、スマン。
これは彼が2007年の6月のある一週間、サンパウロに滞在していた時に撮った写真で構成されている。
サンパウロに関しては、森山大道のサンパウロっていう写真集もあるけれど、森山大道がどことなくパッセンジャーめいた、なんとなくよそよそしい目線を感じさせるのに対して、同じようなストリートスナップでありながら、より生々しい感じが伝わってくるんだ。
スラムの荒涼とした風景、サッカーに熱狂する人々、浮浪者、夜の街で客を引く売春婦らしき女。貧しい人々、暴力的なオーラを放つ刺青の男。そして貧しさの中にふと垣間見える、神への信仰、etc…。
それらのシーケンスが、少しセピアがかったモノクロで淡々とドキュメントされている。ちいさな写真集だけれど、なかなか見ごたえがある。おなか一杯になるってもんだ。ストリート写真はこうでなければってカンジだ。他にもイスタンブールやNYを題材にした写真集も出ているようだから、おいおいゲットしてゆきたいぜ。俺も頑張って写真撮らないとね。いい刺激になるぜ。
Osaka
もう一冊は、昨日の夜届いたばかりだ。RANKINの“PAINTING PRETTY PICTURES" だ。これもジャケ買いだ。
RANKIN“PAINTING PRETTY PICTURES"

これは、絵画(単色で刷毛をさっと引いたようなもので、ひょっとしたら画像処理して加えたものかもしれない)をバックにして、PRETTY というより、BEAUTY ってカンジのおねーさんたちのヌード写真集なんだ。もちろんスタジオ撮影だから、本来俺の嗜好からは正反対なんだが、イイだろう?俺はネーチャン・フォトグラファーって呼ばれているんだぜ。
写真にペインティングを施すのは、近年のアラーキーがよくよくやっているんだけれども、アラーキーの場合は、意図的にか無意識的にか写真を壊す、というか脱構築していく強力な力が働いているように感じられるのに対して、RANKINの場合は、決して美しい女性のヌードを損なうものではなく、むしろこれらの女性たちのリアルさを剥ぎ取って、どこか生身のない観念の世界の女性に見せるように働いているように思う。俺からするとRANKINの写真は、エロティックなんだけど、なんだかいつもエロティックを超えて、超現実的にかんじられるんだ。毛穴とか汗とか分泌物とかといったリアルな存在感を一切感じさせない、天女のような女性のヌード。それは明るい照明に照らされて、淫靡な影は微塵も感じられない。こんな女、俺だって写真に撮ってみたいぜ。とはいえ、きっとアプローチは全く違うだろうけどね。
昨日、届いたばかりのこの“PAINTING PRETTY PICTURES” を、早速開封して見ていたら、うちの連れ合いから『あんた、なんか嬉しそうにニヤニヤしてるね』って突っ込まれたぜ。まいったなぁ、これも人生だ。ロックンロールだ。
まぁそれも仕方ないだろ、俺も男だ、ネーチャン・フォトグラファーだ。いい女を見てにやにやしないような草食系なんかじゃない。なんでも食べる雑食系だ。写真だってなんだってね。

あぁ、また写真集に金を使ってしまった…。まったくもって、仕方ないなぁ…。