2011/03/10

Post #116 All Along The Watchtower

今日は仕事が珍しく仕事がOFFだったから、ゆったり昼前まで睡眠をとり、友人と昼食を楽しんだ後で、4時間ほどプリントさせてもらったぜ。去年の夏に行ったトルコのイスタンブールが大半だ。ざっと30枚。疲れたぜ。因みに現地の発音じゃ、イスタンブルだぜ、蛇足ながら。日本じゃ、おねーちゃんばかり撮ってしまう俺なのだが、トルコの写真はおっさんばかりだ。イスラム教徒ばかりの国だから、女性があんまり前面に出ないようになっているのかもしれないが、彫の深い味わいのある顔をしたおっさんたちを見ると、ついつい惹かれて写真を撮ってしまうんだな。靴磨き、土産物屋、露天商、絨毯屋、変わったところでは体重計屋というのもいる。といっても体重計を売っているわけではない。道端に体重計を据えて、道行く人の体重を計ってやって小銭を稼いでるんだ。日本人の感覚からすると考え付かないような商売が世界にはあるものだぜ。いざとなったら、俺もやってみるかな。女性には少し少なめに計ってあげようじゃないか。ふふふ‥・、楽しみなことだ。
それはそうと、俺は先日TVを見ていて、驚いたというか、気味が悪くなったことがあった。昨日の自民党ほどじゃないが、憤慨したといってもイイ。
それは、モザイクだ。といってもアダルトビデオの話しではない。
Izmir,Truk
その日、珍しく男の仕事が早く片付いた俺は、夕方からテレビを見ていた。選り抜き銀魂さん、ピラメキーノ。脳みそを自民党の奴らみたいにクソと同じにしないためには、こういった肩の凝らない番組を見るのは嫌いではない。むしろ有益だ。出来れば銀魂とかに出てくるようなおっさんでいたいもんだからな。問題はそのあとだ。
ゴールデンタイムでやっていたバラエティを見るでもなく見ていて、俺はその画像に妙な違和感を感じたんだ。東京の少し昔の風俗(といってもソープランドとかではない、あしからず。流行といったようなニュアンスだ)を回顧しているような番組がやっていたんだ。昔懐かしい竹の子族とか出ていたぜ。竹下通りで踊りまくる竹の子族の懐かし映像なんかが流れていた。他にも、バブルの頃に、ボディコンで踊りまくっていた懐かしーおねーちゃんの映像もあったように記憶している。さらに、時代を追って、ハウスマヌカンだのなんだのって、大昔流行ったファッションの点家みたいな写真が紹介されていたのだが、その画像に移る人物の顔の全てに、モザイクというか、ぼかしが入っていて、誰ともつかないアノニマスな画像に仕上げられていたのだ。
気味が悪いぜ。
これは、肖像権とやらに配慮しているのだろうか?そういえば、最近ニュース画像でも自動車のナンバーに必ずモザイクがかけられているようだ。事件があった場所では、レポーター以外はボケボケの画像で、なにがなんだかわからないこともしばしばだ。プライバシーに配慮しているのだろうか?そういえば、先日の前原前外務大臣に寄付をしていた在日のおばちゃんの焼肉屋も、ボケボケの何が何だか分かんない絵だった。この場合は仕方ないとしても、ニュースにたまたま写っている自動車のナンバーがわかったところで、何か問題があるんだろうか?今となっては、どこの誰ともつかないアノニマスな存在になってしまった通行人などの顔を、モザイク処理することに、どんな意味があるんだろうか?そんな画像を見せられる俺としては、たまったもんじゃない。ボケボケなのは、俺の写真だけで充分だ。
肖像権に関しては、比較的新しい概念であるために、まだ、俺たち国民の間に合意というかはっきりしたイメージは確定してないんだぜ。強いて言うなら、平成17年11月10に最高裁小法廷で下された判決の中であらわされた見解、つまり『社会生活上受忍の限度を超えるもの』である場合にみだりに肖像をとられない権利を有する、という程度のものだ。にもかかわらず、民放とはいえ、公共の電波放送で、過剰とも思えるようなモザイクボケボケ処理を施すのは、どうだろうか。
それとも、TVにたまたま写ってしまう人たちは、自分が写っていると都合が悪い事でもあるんだろうか。
だいたいマスメディアってのは勝手なもんで、何か事件があったりすると、プライバシーなんて屁でもないぜって勢いで取材したりするくせに、なんでもないときには妙に萎縮して、自ら放送禁止用語を定めたり、自主規制してくれたりするんだ。
自分たちの保身のために、事なかれ主義でそういう処置をとるのは、まぁ、マスメディアの性質だから仕方ないかもしれないが、そういった自主規制が、視聴者に対して知らず知らずのうちにマインドコントロールを施し、何時の間にやら既成事実的に、人の顔を撮ってはいけないってことになりはしないか心配だ。そう、もう一度言おう、スゲー心配だ。
路上で写真を撮ることを生きがいにしている俺なんだが、俺は基本的に、オープンな場、つまり公共の場で自由に見ることのできるものは、自由に見ることの延長として、写真をとってもいいと思っているんだがな。記録されるのが嫌ならば、マスクなり、サングラスなり、必要ならば、タリバーン支配下のアフガニスタンの女性のようにブルカでもかぶって出歩いてほしいもんだぜ。出来ることなら、車のナンバープレートにもモザイクをかけてしまいたいぜ。なんたって、俺は車を飛ばすのが好きだし、おかげさんで点数は2点しか残ってないからな。
俺は本当に危惧しているんだ。どいつもこいつも、差し障りもないのに写真を撮られることを忌避するようになると、俺は写真を撮っただけで、豚箱入りになっちまったり、訴えられて、ケツの毛まで抜かれちまうんじゃないかってな。けど、俺はこの楽しみを止められねぇ。人間ほど面白い奴らはこの世になかなかいないからな。
このあたりのことに関して、写真をやっている読者の皆の衆、写真家丹野章先生の書いた『撮る自由 肖像権の霧を晴らす』(本の泉社刊行)という本を見てみてほしい。そしてよく考えて欲しい。祖咲いて何より、ひるまずに写真を撮ってほしい。もう一度言っとくけれど、俺はやめねぇぞ。
そして、表面的には肖像権とやらが大手を振っているように見えながら、実はこの肖像権は、肝心なところでないがしろにされているんだ。
そう、監視カメラだ。
Hometown
つい先日も、熊本のスーパーのトイレで三歳児を殺して川に捨てた男が、その事件の前の3時間49分にわたって、そのスーパーの中に留まっていたという話がニュースでやっていた。OK、監視カメラのおかげで分かったことだそうだ。東京の高級住宅地で、資産家の夫婦を殺害した男も、監視カメラの映像で捕まったぜ。
OK、監視カメラ、サイコーだ。事件は防げなかったけれどな。そんなことは大きな問題じゃない。
俺たちは今や監視カメラによってどこでも見張られているんだ。まるでジョージ・オーウェルの1984に出てくるビッグ・ブラザーみたいだ。
それは普段は、決して表に出ることはないかもし知れない。しかし、俺たちは、コンビニやスーパーや百貨店で、街の本屋で買い物する時も、監視カメラで録画されている。
知り合いを訪ねてマンションに行くと、監視カメラで監視されてる。
駅で切符を買い、改札をくぐるときも、監視カメラで監視されている。
高速道路の料金所や、国道の要所要所に設けられたNシステムとかいうカメラシステムで、車のナンバーを監視されてる。
何気なく街をぶらついている時も、監視カメラで監視されている。

実際俺は、新宿歌舞伎町で写真を撮りながらブラブラしていた時、突然後ろからやってきたパトカーから降りて来た警察官2人に職務質問され、カバンはもちろん、財布の中まで調べられたことがある。不愉快だ。残念ながら、俺は自称プロサーファーとかじゃないんで、財布の中から、白い粉が出てきて、インポの薬なんだとかって弁解する必要もなかったけどな。
それどころか、俺が以前働いていた会社では、事務所に監視カメラが備えてあって、東京の本社で監視されていたんだ。マジで。さぼっていたり、服装が会社の掟にそぐわなかったりすると、本社から電話がかかってきて、文句を言われたりするって仕組みだ。俺たちは奴隷じゃないんだぜ。いい加減にしろよ。それこそ、人権蹂躙じゃないのか?俺は早速そのカメラの前に、『くたばれ!このオマンコ野郎』って書いてぶら下げてやったぜ。

防犯カメラとか言って、犯罪抑止効果があるって言われてる
けれど、その代償に俺たちのプライバシーは、丸裸にされているんだ。それに、大抵その画像が使われるのは犯罪が起こってしまってからだ。だから本当にそんなカメラに犯罪を防ぐ力があるのか?無いとは言わないが、俺たち市民のプライバシーを犠牲にしてまでの効果があるのかは、はなはだ疑問だねぇ。
俺たちは、四六時中監視されてるんだ。もちろんその画像には顔にモザイクやぼかしは入っていない。俺は、見えないように張り巡らされた監視カメラ網のことを考えると、『社会生活を送る上での受忍の限度を超える』不快感を感じるぜ。出来ることなら、自分の顔にモザイクとかかけてしまいたいくらいだぜ。そう、肖像権だなんだっていっても、いつもみだりに人を撮影し、記録し、監視しているのは公権力や資本なのさ。肖像権だなんだって、俺たちが街で写真を撮ることに対して萎縮する必要なんて、ホントはこれっぽちもないんじゃないのか?だって、どいつもこいつも俺もあんたも、気が付かないうちに誰かに見張られているんだぜ。
そう、肖像権を一番ないがしろにしてくださってるのは、実は公権力や私企業の皆さんなんだよ!もっと言うなら、俺たち自身なんだ。肖像権だなんだって、写真を撮られるのを嫌がる人々は、この監視カメラ網こそ、肖像権侵害だって標的にしてほしいもんだぜ!

このマスメディアによる過剰なまでの肖像権への配慮と、気付かぬうちに形成された権力による監視網は、俺が思うに表裏一体だ。人々の姿を撮影していいのは、公権力や企業だけであり、個人はそういった情報を持つことも得ることも発信することもできないという、映像のソフトファシズムだ。
気を付けないと、あっさりと洗脳されちまうだろう。写真を撮るのが後ろめたくなってくるのさ、きっとな。
ケッ、笑わせんじゃねぇよ。俺の写真を止めることなんかできやしないぜ。いい女を見たら、味のある男を見たら、もうその時には、シャッターは反射的にきられてるんだからな。考えたり、構図を練ったり、露出補正したりとか、まどろっこしいことは一切抜きなんだ。
何としても写真に写るのが嫌だって?OK、きっと人には言えないやましいことがいっぱいあるのね。俺にはないぜ。それが嫌なら、ゲーノー人のようにサングラスに帽子とかで外出なさってはいかがかな。とはいえ、肖像権に賛成にせよ反対にせよ、俺たちはみんな見張り塔からずっと監視れているのさ。監視カメラを使ってね。
ボブ・ディランの歌に出てきそうだぜ。
それはこんな歌詞だ。

きっとどこかにここから出ていく抜け道があるはずだ、ペテン師はコソ泥に言った。
こいつはあんまりにもこんがらがってって、俺たちは一息つく暇もないってね。
(中略)
見張り塔からずっと、王子たちが見張っていた。
すると女たちは出たり入ったり、はだしの召使たちもそうしていたのさ。

そう、その曲の名は『All Along The Watchtower』 
俺たちは見張り塔からずっと見張られているのさ。ふざけるな!

2011/03/09

Post #115 Fuck Off L.D.P.!

いきなりだけど、俺は猛烈にムカついてるんだ!
きっと、俺と同じ怒りを共有してる奴らは、日本中にゴマン十万といるはずだ。しかし、その声は無力感と絶望感にまみれた小さな声でしかないのかもしれない。第一、俺がここでいくら吠えてみたって、仕方ないといえば、仕方ないだろう。
しかし、俺はあえて言いたいのさ。写真とは今日は何にも関係ないけど、俺の中に流れて脈打つロックン魂が、怒りを吐き出せと命じているのさ。
Tokyo
俺が怒っているのは、あのくそ忌々しいL.D.P.だ!L.D.P.って何かって?教えてあげよう、これはLiberal Democratic Partyの略称だ。どっかのクラブを借り切って朝まで自由に大騒ぎする近所迷惑なパーティではない、日本語では、自由民主党という、脳みその代わりにクソを頭に詰め込んだ馬鹿野郎たちのことだ!自民党支持者の諸君、悪かったな。俺は今まで共産党か社民党、百歩譲って民主党にしか投票したことはないんだ。
奴らがリベラルなんて名乗っているのを見ると、二度と自分はリベラルな男ですなんて、自己紹介したくなくなるぜ。
奴らが今の国会で繰り広げているのは、くだらねぇ泥仕合だ。まったく、国民のためにはなりゃしねぇ。
政治と金で突っ込まれたら、自分たちだって、キレーな奴なんてほんとはいねーくせに、小沢をまんまと政権から切り離し、日本人名で寄付をしている在日のおばちゃんの身元をほじくり返して、そのたった25万円の善意の寄付で、前原を外務大臣から辞任に追い込む。そして、お次は厚生労働大臣だと。菅総理の問責決議案提出だと?もう一歩で、菅政権を倒閣に追い込めるだと?ほざけ!笑わせるぜ!
ロシアが北方領土を既成事実的に占有する体制を固め、中国は尖閣諸島問題や海底ガス掘削などで日本の領海をじりじりと侵犯し、お隣の朝鮮半島では、年々不穏な空気が増しているこの大事な時期に、国政の要職である外務大臣を罷免に追い込んで、いったいどんな国益があるのか、自民党さんよ、俺たち無知蒙昧な国民にもよくわかるように説明してくれねぇか?しかも、在日の方々が、何故日本に住んでいることになったのかっていう経緯も考慮せず、外国人から寄付をもらったって突っ込んで、自民党さんよ、俺から見ると、昔の高校生が朝鮮人学校の生徒を見つけると、因縁をつけて喧嘩を仕掛けたり、チマチョゴリ姿の女学生に罵声を浴びせて、日本人の矜持とやらを示したと思ってる馬鹿な奴らと、まったく変わりがないぜ!少しはジョン・レノンやカーティス・メイフィールドの歌でも聞いてほしいぜ!まぁ、頭の中にクソが詰まっているような奴らじゃ、なにを聴いても無駄無駄無駄だろうけどな!あんたたちの大好きなアメリカ様だって、今回の件にはすっかり呆れ果てているだろうぜ。ハッハッハッ!
Tokyo
人のあらをつついて善人面するのは、ほどほどにしておけよって言いたいぜ。一体どれだけ、自民党のジジイどもが、政権を担っていた頃に、これでもかっていうほどにろくでもない暴言を重ねて、国民をうんざりさせてきたか。産む機械発言とか、潜水艦と水産高校の船が衝突して、学生が溺れ死んだとき、ゴルフをし続けた大臣を、国民すべてが忘れ去っても、俺は決して忘れねぇぞ。
自民党の皆さんは、民主党の連中には政権担当能力がないとしばしば、ぬかしやがってくださいますが、長らく続いた55年体制という独裁体制で、俺たち国民の貯蓄を担保にして、未曽有の借金を作りだし、非効率的な官僚組織を増長させ、挙句の果てには、金持ち優遇政策の末に、貧乏して苦しむのは自己責任だって国情にしてしまってくださったのは、貴様ら自民党のお歴々じゃねーのかよ!
世論調査では、自民党の支持率が上昇し、民主党を抜いたとか拮抗したとか言って、いい気になっているようだけれど、調子に乗るんじゃねぇ。国会は学級会じゃないんだぜ!相手の言うことにいちいち反対するだけなら、あんたたちが嫌ってた共産党と同じだろうが!
政権与党じゃないとは言っても、自民党のエラソーに寝言をほざいてる皆さんも、俺たち国民からの信任によって選ばれているんだ。責任感を持ってくれよ!
問題があったなら、話し合って、お互いの納得できる妥協点を見出してゆくことが、議会民主主義ちゅうもんじゃないのかい?ただ反対だ、お前なんかやめちまえなんて、学級会よりも程度が低いぜ!カダフィのほうがましなくらいだ。結構な銭をもらってるくせに、そんなことしかできないのかよ?なんなら、あんた刑務所から、かつて北の野次将軍と恐れられた、あんたらの昔のお仲間、鈴木宗男を引っ張り出して、菅総理を野次ってもらったらどうだい?
景況感が良くなってきているとか、メディアは相変わらず嘘ばっかりだ。ガソリンは天井知らずに騰がってる。流通コストはすぐに物価に跳ね返ってくるだろう。国民の生活は日に日に悪くなってる。年に3万人もの人が自殺してしまう、絶望の国なんだよ、俺たちの日本は。そんな日本にした責任の一端は、貴様ら自民党も負っているって自覚はあるんだろうな?え、谷垣さんよ。どうーなんだい!
そもそも政権交代したのは、日本の国を会社に例えるならば、株主たちが、旧経営陣の放漫経営にうんざりして、これを放逐し、新しい経営陣に委ねたってことだろう!
長年にわたって旧経営陣が、好き放題やってきたおかげで、会社は借金ダルマ。官僚機構はカイゼンもままならない。何時沈んでもおかしくねぇ泥船に、いくら新しい船頭を据えたって、所詮泥船は泥船だ。すぐにうまくいくわけはねぇ。あんたたちのやらかした尻拭いがいっぱいなのさ。

それをお前さんたちは、冷や飯食いの窓際族が、新しい役員の金や女や仕事の粗を暴き立てて辞任に追い込もうとしてるって格好だ。こんな会社すぐにつぶれちまうだろうし、その前に株主に見放されて、株券はジャンジャン売りに出されるだろう。他の会社にあっさり吸収合併されちまうかもしれねぇぜ。ヤバイ、あと5年もしたら、このままじゃ、中華人民共和国日本省だかアメリカ合衆国ジャパン州の出来上がりだぜ。まいったな…。冗談じゃねぇぜ。俺はインドにでも逃げるか?
日本の国債はまさにそんな訳で、外国資本には見向きもされない。なのに、日本の国債は日本人が持っているのが大半だから安心ですとか言ってごまかしてやがる。国は会社と違うから、株券をうっぱらって、よその会社の株を買うようにはいかない。俺たちは日本に生まれた日本人なんだからな。
自民党の皆様が、今日も頑張って、予算の成立を阻止し、政権を追い込んだと鼻息を荒くするればするほどに、日本の国は悪くなっていくんだぜ。国民の苦しみにもっと目を向けろよ!
そう、そしてみんな目を覚ませ!

デモをしろとは言わない。でも、次の選挙の時に、自民党に入れるのは御免だ!
俺はもうリベラルなんて自分のことを表現しないぜ、これからはFREEDOMだ!Mr.FREEDOM と呼んでくれ!自民党じゃなくて、ジミヘンみたいでカッコいいだろう!
ケッ、笑わせんじゃねぇ、この野郎!

2011/03/08

Post #114 Photographica #4

先週、俺は名古屋の老舗ホテルの宴会場の改装工事の監督をやっていたんだ。ちょうどその時期、うちの連れ合いが上海に出張していたので、俺は古い友人に連絡を取った。
一緒に飯でもどうだいってね。電話をかけた時、某上場企業の剛腕営業マンの彼は東京の飲み屋でお客と飲んでいたようだ。さすが、上場企業ともなると、交際費に余裕があっていいもんだ。
俺は、彼と3月3日の夜に会う約束をしたんだ。彼は陽気に『ひな祭り、ひな祭りの夜ね』と言っていたぜ。
約束のその日、彼、(いちいち彼彼いうのも鬱陶しいんで、『Y野君』としておこう)から電話がかかってきて、今金沢にいるから、夜8時30分ごろに名古屋駅の近辺でどうよ?って連絡があった。いいだろう。望むところだ。俺の仕事はもう終盤に入っていたので、サクサク片付けて、名古屋駅に向かった。このあたりのパーキングメーターは夜7時を回ると、作動しなくなるので、夜は路上に止め放題だ。とはいえ、昨年堤防道路での反対車線走行と、国道での24キロオーバーで切符を切られて、2点しか残っていない俺は、内心はヒヤヒヤもんなんだが、背に腹は代えられないのさ。

まだ、約束の時間までは間がある。俺は近くのジュンク堂書店に行ったんだ。そうして、性懲りもなく、またまた森山大道の『NORTHERN 3 光と影のハイマート』(図書新聞刊)を買ってしまった。帯には、“1970年代の北海道を撮った『NORTHERN』『NORTHERN 2 北方写真師たちへの追想』に続き、光と風土に包まれた北海道の現在(2009年‐2010年)を撮る”とある。
まぁ、いずれは買うかと思っていたんだが、話のネタに買ってみようと思ったわけだ。なにせY野君は、俺が写真なんかにこれっぽっちも興味がなかった高校時代に、熱心な写真部員だったからな。写真集を肴に酒を飲むのも悪くはない。もちろん俺は車だから飲まないけどね。とはいえ、そんなの単なる口実だろうって声が世界中から湧き上がってくるのが、遠い海鳴りのように俺の耳には聞こえるぜ。そうさ、どうせ口実さ。
中学高校と同級生だった彼は、当時も今も俺の数少ない友人の一人なんだが、大学は仙台に行き、就職してからは横浜あたりに住んだのちに、転勤で北海道に赴き、そのままそこにマンションを買って、奥さんと二人の子供と暮らしている男なのさ。そんな男が、なんで名古屋にいるかっていうと、その剛腕振りを買われて、名古屋の支社に営業課長として単身赴任してきたからだ。OK!旧交を温めるにはもってこいだ。

俺は、Y野君と落ち合うと、車を止めた真ん前の沖縄料理屋に入った。沖縄料理屋なのに店の女の子は中国人ばかりだ。ふむ、これも国際化という奴か。

Y野君と会うのは、去年の12月以来だ。俺たちはちらちらと写真集を見たりしながら、チャンプルーを食らい、泡盛やルートビアを飲んだ。お互いにおっさんになったが、話し出すと何も変わらない。人間なんて年を食ったからって、そうそう変わるもんじゃないんだ。俺は偉そうにしている奴を見ると、そいつの少年時代の顔を想像してみることにしているんだ。いつもね。そうすると、ふんぞり返った野郎が、単なる小生意気なガキに見えてきて、ちょろいもんだぜって感じるのさ。

俺たちは何時間もの間、はたから見るとしょうもない話で盛り上がった。酒のみなんてそんなもんだろ?廻りから見るとオヤジ談義のように聞こえるだろうが、高校時代の俺たちも、よくこうして何時間も話し合ったりしたもんだ。そんなことをいうこと自体がおっさん臭いかもしれないが、俺も42だ、立派なおっさんだ。悪いかい?しかもイカレタおっさんだ。並大抵の努力じゃ、イカレタおっさんにはなれないぜ。こう見えていろいろと犠牲を払って、イカレタおっさんになったんだ。もちろん昔もイカレタ餓鬼だったぜ。その頃の写真があったんで、のっけておくぜ。
皆の衆、せいぜい大笑いしてくれよ。撮影はたぶんY野君だ。
SPARKS In Mid80’s
Y野君の写真部時代は、写真部の部室が女子のテニスコートのすぐ裏だったんで、それを盗撮したいやつとか、先輩から回ってきた裏本(平成生まれの若者にはわからないだろうが、非合法に出版されたノーカットの、つまり性器のばっちり印刷されたエロ本だ)の複写をやらされたりと大変だったことと思う。その中で彼は、当時世間一般では変なエロ本としか思われていなかった『写真時代』を愛読し、天才アラーキーの凄さにしびれまくっていたのだ。
残念だ。そのまま痺れまくっていてくれたら、Y野君も今頃、立派な写真家になってくれていたかもしれない。このころの写真時代には、アラーキーこと荒木経惟を筆頭に、森山大道、倉田精二、北島敬三などのそうそうたる写真家が連載を持ち、あるいは赤瀬川源平や南伸坊なども面白い連載を展開していた。超芸術トマソンや路上観察学会なんかが生まれたのも確か写真時代だったはずだ。
思えば、豊かでなんでもありの時代だった・・・。今よりもおおらかで、露骨で、下品な時代だった。カウンターカルチャーの時代だったのだ。俺はその頃は専ら『宝島』を愛読していたけれどね。そう、ロックとサブカルチャーしか記事に載っていなかった頃の宝島だ。
あぁ、もう一度、帰りたいぜ、あの狂乱の時代に。
もっとも、女の子は今のほうが可愛いけどな。その頃はみんなスカートもスケバンデカみたいに長くて、足はといえばやたらと太かった。おまけに、髪型はどいつもこいつも聖子ちゃんカットだった。同調圧力が強いのは昔も今も変わりないのさ。

まぁ、この後、俺はなんだか急にアレルギーが出て、体調を崩したんだが‥‥。それはそれで、楽しい夜だった。こんな友達がいることに、俺は感謝してるぜ。
森山大道 『NORTHERN 3 光と影のハイマート』図書新聞刊
左は札幌宮の森美術館での『ブエノスアイレス/サンパウロ』展のフライヤー
そんなこんなで、森山大道の『NORTHERN 3』だ。『NORTHERN』『NORTHERN 2』に関しては、以前にもこのブログで紹介しているが、それに続く北海道シリーズ完結編だそうだ。
この刊行に合わせて北海道は札幌の札幌芸術の森美術館で『森山大道写真展「北海道〈最終章〉」』が開催されている。5月8日日曜日までだ。どちらかというと、この写真展に合わせて、この写真集が編集されたとみる方がよいだろう。しかも、札幌宮の森美術館では5月15日日曜日まで、『森山大道写真展 ブエノスアイレス/サンパウロ』が開催中だとさ。Y野君は札幌に帰ったら見に行くって言っていたぜ、くそッ、羨ましいぜ。
表紙は、先日紹介した『津軽』と同様になぜかタイヤだ。
森山大道の写真には力強いイメージのタイヤ、それもトラックとかの大型タイヤがしばしばみられる。古くは70年代初期のカメラ毎日誌上で連載された『暁の国道一号線』にも四日市で撮影されたトラックのタイヤがあったように記憶している。しかし、前回の『津軽』といい、今回の『NORTHERN 3』といい、その草に埋もれたようなタイヤが与える印象は、どこか荒涼としたものだ。北の大地の荒々しさに抗う人の営みのようなものか?
一年間にわたって、旭川、東川、小樽、札幌、留萌といった北海道各地で撮影された写真は、おなじみの森山節で、路地やショーウィンドウ、女性の後ろ姿などの見慣れたシーケンスが展開される。かつて、マンネリも飽きなきゃイイと言ってのけたのは天才アラーキーだが、もう森山さん、ここまで来ると確信犯的な確信を感じる。確かに、この30年で北海道の風景は大きく変わり、写真に写った町並はこざっぱりしている。Y野君は『札幌は日本で一番きれいな街だ』と言っていた。しかし、かつての写真にあったような板張りの貧しい家並みに、防寒着を着込んだオッサンとかの姿はなく、以前の写真よりも、かえっていっそう荒涼とした感を憶えずにはいられないぜ。

この辺のところを、本書の前書きで森山大道自身もこう語っている。
『大小を問わず北海道の町々は、三十有余年という時をへだて、例外はあるにせよ、すっかり新しく明るい街並みに変わっていた。それは、以前にも増してカラフルで、どこか北ヨーロッパの風景を見る思いだった。そしてまた、驚くほど町々から人影が失せていた。かつては、どんなに小さな町にしても、夜間はべつとして、もっと路上に人の生活が見えたという記憶がある。つまり、街路で人々を写せたのだ。たしかに北海道は広大な地場で、もともと人間が密集する場所や状態は限られていたとは思うが、それにしても、札幌市街を除けば、本当に路上から人の姿がうすれている。しかしこれは、ことに北海道に限った現象ではなく、日本全国のローカル全体についても言えることで、要するに、時代の推移につれて日本人の生活の様式が大きく変わってしまったのだろう。決して人間がいなくなってしまったのではなく、人々の日常の内訳と形態が変化してしまったのだ。いってもせんないことではあるが、長年路上カメラマンとして過ごしてきたぼくとしては、それなりに淋しい思いである。』
森山さん、同感です。
最後に、この写真集で最も驚いたことは、この写真集に収められた写真が、全てデジカメで撮影されていたということだ。森山大道といえば、GR1にTRY-Xで、暗室の魔術師だったはずなのに…。これも時代の流れか?本人は、かつてどこかで『フィルムが無くなったら、デジカメで撮るだけのこと』と言っていたが。当初カラーで編集していたそうだが、やはり途中からモノクロにしてみたくなって、全ての画像をモノクロ変換したそうだ。そして、それが今までのアナログ銀塩写真とまったくシームレスにつながっている。この粒子感を出すために、多大な苦労があったことが偲ばれるぜ。
けど、正直に言えば、森山さんにはフィルムで頑張ってほしいな、俺は・・・。 

では、失礼する。また明日か明後日、ごく近いうちにまた会おう。