2013/02/08

Post #721 俺を眠らせてくれないか?

Osaka
今夜は何も語りたくない。
何故って、眠くって仕方ないからだ。お客の事務所に通って、一日中パソコンを眺めていると、本当にうんざりするぜ。けど、世間一般の皆さん、フツーにそれをこなしてるんだろう?
いやぁ、まったく驚くべき忍耐力だ。
慣れないことをすると、疲れはひとしおだ。どうにも眠くって仕方がない。こういう時に起きていると、ロクでもない考えに取りつかれて、ネガティブな青い炎に俺はつつまれてしまうんだ。
だから諸君、俺はちょいと眠ることにするぜ。

失礼する。どうか諸君、よい週末を過ごしてくれたまえ。 

2013/02/07

Post #720 AMERICAN PHOTGRAPHS

Tokyo
俺が最近買った写真集はアラーキーだけではないんだぜ。
俺にはストレスが溜まると、そのストレスを小出しにして発散するかのように、写真集を買う習性がある。
以前はCDだった。おかげでCDは800枚くらいはあるんじゃないだろうか?中古カメラやレンズがその役割を担っていたときもある。あるいはまた、パイソンの靴とかね。
この不経済な習性のおかげさんで、俺の小さな家はガラクタで溢れかえっているんだ。壁にはアラーキーや森山大道、東松照明や安井仲治の写真のポスターがあちこちに貼られている。まるでいつまでたってもマニアックな大学生の部屋のようだとよく言われるぜ。
そんな環境はかなり落ち着くが、俺が死んだ後、ゴミになってしまうのは、いささか寂しいもんだ。だから、最近は自分が死んだとき、葬儀の参加賞として参列者の皆様に配ろうかとも考えている。
俺の遺体を焼き場で焼いてる間に、ビンゴでもしてもらって、このガラクタどもを生きてる連中に押し付けよう。
何といっても、皆に盛り上がってもらいたいってもんだ。俺は湿っぽいのはどうにも隙になれない性質なんでね。
閑話休題だ。
俺はいつも脱線する。線路の無いところを走ってる電車みたいな男なんだ、勘弁してくれ。

俺は先日、ウォーカー・エヴァンズの写真史に残る古典的名作『アメリカン・フォトグラフス』を買ったんだ。まだばあさんが死んでしまう前、静岡に出張していたときに、ふと欲しくなってね、日曜日に静岡の主だった本屋を回って探してみたんだが、見つからないんでアマゾンにオーダーし、ホテルのそばのコンビニで受け取ったんだ。仕方ないだろう、欲しくてたまらなかったんだ。
1938年、まだ発足して間もないMOMA、つまりニューヨーク近代美術館から発刊された写真集の復刻版だ。
エヴァンズは若い頃、パリに渡り、ソルボンヌ大学で学んだ。作家になるつもりでアメリカに戻ってきたが、彼は写真家になった。写真に呼ばれてしまった人なんだろう。
Walker Evans American Photgraphs
  エヴァンズの写真を決定付けたのは、間違いなく1930年代に参加したFSAプロジェクトだ。
当時、アメリカは世界大恐慌の影響で、深刻な危機に陥っていた。この頃、ルーズベルト大統領が、ダムを造ったりだのなんだかんだ財政出動を行い景気回復を目指したニューディール政策ってのは、有名だ。80年ほどたった今でも、ニッポンの政治家や官僚の皆さんは、その方法が大好きだ。今回も国土強靭化の美名の元に、福祉を削って公共事業にぶっ混むわけだ!人からコンクリートだぜ!貧乏人は死んじまえって言わんばかりだな。
しかし、当時のアメリカ人はしっかりしていた。
FSAつまりアメリカ農業安定局という役所の担当者ロイ・ストライカーは、大恐慌の影響で深刻な打撃を受けた南部農村地帯の惨状を記録するために、(そしてそれは、未だかつて行われたことのない政策の効果を検証する側面もあったことだろうよ)何人もの写真家を雇い、南部の農村地帯に派遣した。
セオドア・ヤング、ドロシア・ラング、ベン・シャーンなど、多くの優れた写真家が国家的プロジェクトに駆り出された。彼らは、お互いに影響を与えあいながら、優れたドキュメンタリー写真を、演出を排したストレートフォトグラフィーの傑作を生み出した。
ウォーカー・エヴァンズは、このFSAプロジェクトの写真家のなかでも、とりわけ名高い存在だ。
そのプロジェクトに参画するなかで撮られた写真を中心に、この傑作写真集『アメリカン・フォトグラフス』は編まれている。
そして、ここには素晴らしいスナップ写真が多くおさめられている。
 
毛皮の襟巻きを身に付けたニューヨーク6番街42丁目の黒人女性。
ニューヨーク、フルトン街の女性は厳しい表情で何かを見つめている。
仕事もなくそこいらに座り込み途方にくれる男たち。
どこかの店先で、着の身着のままで眠る労働者。
破られたポスター。
白いスーツに身を包んだクールな黒人男性(これは『ハバナの下町の市民』として、知られている)。
そして何よりも、エヴァンズの代表作、まだ20代なのに乾ききったかのように疲れはてた表情を浮かべる南部の小作人の妻アニー・メイ・グシャーのポートレイト。
未曽有の不況の中、エヴァンズによって記録された写真は、ある意味で、不景気のどん底にあえぐ21世紀の俺達にも、訴えかけるものがあると、俺は思ってる。トンデモなく雄弁だ。だからいてもたってもいられなくて、出張で手に入れたのさ。確かにこの写真集は発刊以来75年を経た古典中の古典だけれど、文学でも音楽でも、そして写真でも、古典をないがしろにしてはいけない。個展を踏まえないと、前には進めないんだ。まさに、過去から未来がやってくるのだ。
読者諸君、失礼する。今日はサラリーマンのメッカ、新橋まで出張した。そこは不景気のどん底を這いずりまわるサラリーマンのおっさんであふれかえっていた。右翼のおじさんは、今日が北方領土の日だってんで、淡々と語り続けていた。サラリーマンのおっさんたちは、それには目もくれず、喫煙所にひしめき合うように、身を寄せ合うようにして、タバコを吸っていた。
俺はフィルムで靴磨きの老婆や、浮浪者みたいなおっさんを撮り続けていた。
この不景気のどん底で、写真を撮っておくことは、意義深いことだと俺には思えたんでね。

まぁ、今日はそんなところさ。御機嫌よう。 

2013/02/06

Post #719 TOKYO LUCKY HOLE!

Tokyo
天才アラーキーこと荒木経惟も、わいせつ容疑で書類送検だかされたことがあったように思う。
致し方ない。天才なんだから。
アラーキーはかつて、芸術とは何かと尋ねられて、『女の子に、股をもうちょっと広げさせるときに、ゲージュツだから、もっと開いて見せて!』というのに使えるいい言葉だとかなんとか、すっとぼけたことを言っていたように俺は覚えている。
ゲージュツだから、チンが写っていてもわいせつではないと言い張るのとはえらい違いだ。
ヘアヌードが今のように容認されておらず、陰毛が写っているだけで警察に摘発されていた時代、アラーキーは、毛を剃ってしまえば捕まることはないと、剃毛ヌードを発明した。そして、そんなわいせつに対するお上の教条主義をあざ笑うように、女の子のそり上げた恥丘に、筆でわざわざ陰毛を書いて写真を撮っていた。
権力に真正面から勝負を挑んでも、勝つことはできっこない。ゲージュツだなんだっていったって、御上がやると決めたなら、やられるのだ。だったら、位相をずらして、斜めから攻めてみようという発想、ソンケーに値するぜ。忌野清志郎のタイマーズなんかにも通じる世界だ。大麻を持っているとしか聞こえないのに、タイマーを持っているとか歌って、ケーサツを小馬鹿にしていたようなのと似た臭いを感じる。
それに比べたら、ギャラリーのオヤジの口車に乗って、芸術を気取って、こっそりモロちんを販売していたなんてのは、ナイーブに過ぎる。笑止だ。
それで『信じられない、この日本も信じられない』とか絶句しているようなモデルも、ナイーブ極まりないように思う。そんなんだから、二股かけられたりするのだ。
バカバカしい。
芸術なんて気取らずに、バカバカしいことを真剣に追及してみる方向で、勝負する道もあったろうに。諧謔の精神を養わないといけないってもんだ。
今日は実は、うちのカミさんの誕生日だった。しかし、それとは全く関係なく、アマゾンで買うてしもうた写真集を、俺は喜んで見ている。
それは、天才アラーキーの大傑作『東京ラッキーホール』だ!
平成2年10月1日第一刷だ!もちろん中古品だ。
天才アラーキー『東京ラッキーホール』、太田出版刊
一昔前の場末のキャバレーのようなピンクの表紙に、何やらいかがわしいイメージの写真だ。これだけ見ても、中身はわいせつだってわかるだろう?
これは、1983年から、新風営法施行の85年をはさんで87年まで、伝説の写真エロ雑誌『写真時代』(これについては、以前にも触れたけど、面白ければ何でもイイってノリの、まさにアラーキーの為の、アラーキーによる写真のオンパレード雑誌だった。強烈だ。はっきり言って、写真のエルドラド、つまり黄金郷だ)を舞台に、シルクのスーツに怪しい黒メガネ、そしてステッキとカメラを手にして天才アラーキーが、バブル前夜から絶頂期に、狂乱の歌舞伎町を、体当たりで、しかも大いに楽しみながら駆け抜けた記録だ。
タイトルの東京ラッキーホールとは、このカバーに写っている、行きつくところまで行きついたいわゆる風俗営業の一業態だ。
アイドルの顔写真が貼られたべニア板には、ちょうど男性のちんのあたりにぽっかりと穴が開いている。その穴が股間に来るようにして、アイドルの顔写真には、稚拙な便所の落書きのような女体が描いてある。で、男性はそのべニアの前に立ち、アイドルの顔を見ながら、チンをそのラッキーホールに差し込むと、そのべニアの向こうで、おばちゃんが気持ちよくしてくれるという、人間の快楽とはいったいぜんたい何のさ?と哲学的な疑問を抱かざるを得ないような奇妙な性風俗のことだ。
一時期はやったアイコラ、つまりどこぞの女性のヌードに、アイドルの顔を合成して貼り付ける写真が登場するよりも早く、人間はこんなしょうもなく、かつ面白く、やがて哀しきシステムを生み出していたのだよ。
そこからわかるとおり、この中には、ピンサロ、ホテトル、ノーパン喫茶、覗き、SM、ヘルス、当時はトルコと呼ばれていたソープランド、ニューハーフコールガール、性感マッサージなどなど、ありとあらゆる性風俗に、天才荒木経惟が、面白半分、いや真面目に不真面目快傑ゾロリに、まさに体当たりで、ぐちょぐちょになりながら写真を撮りまくったという、強烈な写真集だ。
芸術の香りなんか、まったくしない。ねっちょりとした匂いが漂ってきそうだ。サイコーだ。草食系の若者に、ゼヒ読んでもらいたいぜ!ギャッハッハ!
しかし、もしこの時天才荒木経惟が、こんな酔狂な写真を撮らなかったとしたら、この時代に繰り広げられていた乱痴気騒ぎを、21世紀の今、顧みることができるだろーか?
この写真集で、あっけらかんと股間を広げている19歳の女性(もちろん、その股間には旅館の朝食に出てくるような味付け海苔みたいなベタ塗が、黒々と施されている)は、今では50前後の立派なおばはんだろう。
こんなことをして、荒稼ぎしていたことなんか、おくびにも出さずに生きているのかもしれない。いや、ひょっとしたら、未だにそんな世界の第一線で生きている人もいるのかもしれない。それどころか、この世にいない女も、きっといるだろう。
嗚呼、性(=生)の饗宴、一大スペクタクルに潜む、何という儚さよ!

しかしそのおかげさんで、素っ裸でにっこり微笑む聖子ちゃんカットの笑顔は、この21世紀にも生き続けているんだよ、おい!
まさにアラーキーは、歌舞伎町のウジェーヌ・アッジェだ。
アッジェはかつて失われゆく古き良きパリを、芸術家の為の資料として、淡々と写真におさめた。花の都パリに世界中から集まってきていた十把一絡げ、玉石混交の画家達に写真を売り、生活の糧を得るため。
つまりその写真は純粋な意味での芸術ではなかったわけだ。
けれど、それによって俺達は、19世紀末から20世紀初頭のパリの息遣いをうかがうことができる。そして何より、今、アッジェの写真に芸術性を見い出さない者は少ないだろう。
そして今また俺達は、ひとりの黒メガネのゲージュツ家の偉業によって、バブル絶頂期の歌舞伎町の狂乱のオルギーを、覗き見るようにしてうかがうことができるのだ。
まさに、絶頂期のアラーキーの、どこかアンダーグラウンドな胡散臭い写真家から、一挙に時代の大舞台に踏み出し始めた荒木経惟の、ナハハハハっていう高らかな哄笑が聞こえてきそうだ。

それこそがまさに写真の写真たるところであり、ゲージュツなんて女の子にお股を開かせる殺し文句と言いながら、360度まわって、もう一段上のレイヤーに上昇した形で、見事に芸術となっている。少なくとも、ココには生きた人間の姿が、人間の欲望の逆噴射が、克明に記されている。薄っぺらなものなど、どこにもない。ズシリと重たい写真なのだ。
写真は記録だ。
だとしたら、これこそまさに写真のあるべきひとつの姿ではないかね?
この写真集のラストは、包茎手術の場面で終わっている。
さすが、永井荷風の断腸亭日乗を拝借して、自らの写真日記を包茎亭日乗と称したアラーキーらしい諧謔だ。そこにはもちろん、チンが写っている。黒く塗りつぶされた亀頭のすぐ後ろを、手術で縫われたばかりのちんが。
もう一度言わせていただこう。誰が何と言っても、荒木経惟は世界的な写真家だ。
読者諸君、失礼する。明日は東京まで打ち合わせに行かなけりゃならないんでね。