2015/01/20

Post #1385

Bruxelles
ヨーロッパの各地で、反イスラムのデモが起こっている。
ドイツ東部では、数万人規模のデモが起こっているという。
俺は、悲しいような気分になる。思わず荒野に立ちすくんでいるかのようなさみしさだ。

ヨーロッパの歴史は、古くはウマイヤ朝によるイベリア半島占領から始まって、千年以上にわたってイスラム勢力圏とのせめぎあいの歴史だ。ウィーンはオスマントルコに包囲されたこともあるし、ハンガリーやギリシャはオスマン帝国領だった時期もある。また、中世にはエルサレム奪還を目指して、多くのヨーロッパ諸国が中東に兵を送り、当時はヨーロッパよりも進んだ文化を持っていたイスラム教徒と激しい戦闘を繰り広げた。ちなみに、その頃のイスラム教徒は、古代ギリシャ文明を継承し、その自然科学や哲学を発展させることで、キリスト教会のもとでそれらを破棄してしまったヨーロッパ人よりも、はるかに進んだ文化を持っていたんだ。
ちなみにヨーロッパに、古代ギリシャの文化的態度が復活するのには、ルネッサンスまで待たねばならなかった。

そして、現代では多くの北アフリカやトルコ、中東出身者が移民としてヨーロッパに定着しており、その比率が増していけばいくほど、社会に軋轢が生じている。
実際に、ヨーロッパの国々の街角を歩いてみれば、明らかにイスラム教徒といった人々を、容易に目にすることが出来る。フランスやベルギーでは、北アフリカから来たとおぼしき人々の姿をしばしば目にする。
これが、ドイツになると、行ったことはないのだが、トルコ系の人々を多く見ることが出来ることだろう。

俺たち人間というのは、違う価値観を持つ者をなかなか理解しようとはしない。
理解することなく、単に外見や習慣の違いから誤解を深め、溝を深めていく。それに経済的な格差や教育の機会の不均衡が加われば、溝はますます広がっていく。

日本でも、かつて日系ブラジル人のコミュニティーと地元住民の軋轢が報じられたりした。また現在でも、在日韓国及び朝鮮人に対するヘイトスピーチが問題になっているが、ヨーロッパの問題の根は、イスラム教とキリスト教の長年にわたる抗争の歴史があるため、より根深いんじゃないかなと容易に想像できる。
誰だって、自分の属する文化がサイコーだって思っているはずだ。
身近に目を向けてみれば、今の日本には、日本人は素晴らしい、日本はサイコーだといった類の本が溢れている。けれど、俺にはそれは、自信の無さの裏返しに見える。


俺は、自分の抱いている遠大な理想と理念、そして現実の間に横たわるギャップに、呆然とするんだ。
ほとんどアンドロメダ星雲に向けて、自転車かなにかで出発したような気分だ。


俺がインドネシアやモロッコやトルコで出会ったイスラム教徒の人々の多くは、人懐っこく、誠実な人々だった。俺が片言のアラビア語で話しかけると、とても嬉しそうに笑うんだ。
礼拝の時間を告げるアザーンは、力強く、かつ美しい旋律と響きを持っていた。

モロッコのホテルで出会った写真の彼らは言っていた。
ヨーロッパ人は、決してアラビア語を話して接しようとはしない。その態度は自分たちを一段低く見ているように感じると俺には聞こえた。まるで、召使に接するように振る舞うヨーロッパ人だっているんだろう。
君たち日本人が、こうしてアラビア語を使って話しかけてくれることは、とてもうれしいと彼らは言ってくれた。そしてまた、あなたたちは友達だ、と彼らは言ってくれた。
Marrakech,Morocco
ひとりひとりの人間に、一個の人間として向き合えば、そして互いにそれぞれの文化を理解し、尊重する姿勢を持っていれば、きっとお互いに違いを見出すことよりも、共通するところを見出すこと多いはずだ。
だって、考えてみてくれ、どんな文化に属する人間だって、嬉しいときには笑い、悲しいときには涙を流すんだぜ。頭に来た時には、怒った顔になるもんだ。不思議じゃないか?
けど、それが人間なんだ。みんな同じ赤い血が流れてるんだ。
きっと分かり合えるさ。

そして、俺はそういうことが出来る人間の方が、異物を排除する人間よりも、面白い人生が送れるように思うし、より強く、より優しい人間だと思う。
それは何も、違う民族、異なる文化に属する人々の間の問題だけに関する話じゃない。
同じ日本でも、くだらない差別が、今でもたくさんある。
性、職業、階層、資産、出身、血筋、学歴、身体的な諸問題。
表面的になくなったように見えても、それは巧妙に隠されているがゆえに、より深く根腐れている。

俺は無力な一個人だ。
出来る事なんて、ほんと何もないに等しい。
けれど、一つだけ君たちに言えることがある。

まずは、自分の目の前の人間に、誠実に接することから始めよう。
相手を一人のかけがえのない人間として、理解しようと努めよう。
すべてはそれからだ。

とても大事なことだから、もう一回行くぜ!

目の前の人に、誠実に接することから始めようぜ!

読者諸君、失礼する。誤解が解けたら、理解を深めよう。

2015/01/19

Post #1384

Bruxelles
サザンの桑田が、紫綬褒章を貰って、それを聴衆の前で披露して、オークションにかけるようなふりをして批判されている。
俺は、サザンに興味がないので、それに関してどうこう言う立場ではない。
けど、桑田自身、たんなる演出ですと言いながら、オーディエンスの前にちょび髭をつけて出てきてみたり、政府の安全保障政策を皮肉っていると取られるような歌詞を紅白で歌ってみたりと、最近面白いことをやっているなぁと思っていたのに、なんだか残念な気もする。
もっとも、俺の愛する今は亡き忌野清志郎なら、そもそも紫綬褒章なんてもらえる訳もないし、貰えることになっても、辞退していただろう。
ロックとは、反体制の音楽であったはずなのに、体制に認められてしまったなら、権力者のポチに成り下がってしまうじゃないの。すくなくとも、自分が批判し続けてきた相手に、名誉な賞を与えられるというのは、俺なら御免だ。権力者の皆さんには、ぜひとも目の上のたんこぶのように鬱陶しく思って欲しい。
ロックは昔は、不良の音楽だった。ロックなんか聞いてる奴はロクでもない奴だった。俺の周りにもそんなロックなロクでなしはたくさんいた。
愛すべき馬鹿野郎たちだった。
きっと、桑田はロックではなくて、ポップミュージック、つまり大衆音楽だったということだと思うことにしておこう。なにしろ名誉ある紫綬褒章だからな。国家権力のお墨付きなんだ。
ロック60年の歴史で、ロックが体制にすんなり取り込まれてしまったことで、そのエネルギーは明らかに減衰している。
悲しいことだ。
実際、俺が好んで聞くのは60年代から70年代にかけての、ロックの黄金時代の曲ばかりだ。
ロックよ、長生きするんだ!

かつて、イギリスの首相だったトニー・ブレアが、ザ・ローリング・ストーンズのミック・ジャガーに、ナイトの称号を与えたことがあった。2003年のことだ。ストーンズの活動40周年を機に送られたという。
授与理由は長年にわたる『ポピュラー音楽への貢献』だ。ポピュラー音楽だ。
もう一度言おう、ポピュラー音楽だ。

これに対して、ストーンズのギタリスト、キース・リチャーズは猛反対した。
キースの言い分はこうだ。
『俺は勲章の授与なんて馬鹿げたことだと思ったよ。そんなことはストーンズらしくないぜ、だろう?俺はクソ忌々しい冠をつけて、きざなアーミン(オコジョのことだよ)の白い毛皮をまとった誰かさんと、ステージに上がるのなんて御免だね。俺はミックに言ってやったよ。「そいつは糞喰らえの無価値な名誉だ」ってね。』

これに対して、ミックは『キースはアイスクリームが欲しくて泣き叫ぶ子供だ。彼も本当は欲しいのさ』と反論していたという。

確かにミックとキースのグリマーツインズは、コインの裏と表のような関係だ。ミックはまさにポップだし、キースはロックを体現したかのような人物だ。
どちらの言い分が正しいかは、それぞれの考えることだろう。
そして、このやり取りは今回の一連の出来事のよしあしを、もう少し深く掘り下げてみる材料になるようにも思うんだけど、どうかな?

名誉ねぇ・・・。俺にとって、名誉だと思えるのは今まで縁のあった人たちが、とりわけ関わりのあった女の子たちが、俺のことをいつまでも忘れず、出来たら大切な思い出にしていてくれることだね。それに尽きるよ。君たちに愛される一匹の風来坊で無頼漢でいたいのさ。

読者諸君、失礼する。
まぁ、俺が何を言おうが、やっかみにしか思われないってのが寂しいところなんだけどね。

2015/01/18

Post #1383

Patan,Nepal
人に、写真を撮ってますというと、まず例外なく『どういう写真を撮っているんですか』と訊かれる。

俺は返答に困ってしまう。

きっとその人は身近な人々やモデルを写したポートレート写真とか、キレイな山だの海だのを写した風景写真とか、そういった答えを期待しているんだと思う。なかには、俺の風貌からなにかしら怪しいものを感じるのかヌードとか撮ってるんですか?と訊いてくる人もいる。それはやっては見たいが、漢として裸の女性を前にしたら、やるべきことはそれじゃない気がするが、どんなもんだろうか。

俺は内心に少し引っかかりを感じながら『まぁ、スナップ写真です。何っていうわけじゃありませんが、こんな感じです』と言って携帯のSDカードに落とし込んだ写真を見せてみる。

たいていの人は、『へぇー』といっては感心するようでいながら、その実なんだかよくわからない写真だなぁといった顔をする。
俺の写真は解かりにくいんだろうな。なにかテーマがあったりするわけでもなく、皆によく知られた風景や名所、名建築が非凡な技量で写されている訳でもなく、ただ淡々と俺の生の歩みの時系列に沿って、目にしたものを写していくだけなんだから。
それらの画像から何かしら意味を汲み取るのは難しいということだろう。
だって、そもそも意味なんかないんだから。
あるとすれば、そこに写っている人々の生を、掠め取るように捕まえたいという秘かな主題があるだけだ。

スナップ写真という語感は、何か間が抜けた感じがして好きになれない。ちょうどちびまる子ちゃんに出てくる“たまちゃんのお父さん”のような、すこし間抜けな好人物を想像してしまう。

それが、『スナップシューター』つまり、撮影=シュート(射撃)という強い響きのある言葉になると、しっくりしてくる。写真を撮るという行為は、俺にとっては世界との格闘のような気分だし、どこか狩人のような感覚だから。
とりわけ、肖像権だのなんだのといって、こういった写真を撮ることが反社会的な行為とみなされるようになってきた昨今では、なおさらだ。写真を撮ることは、犯罪すれすれで、どこかやましい行為なのだ。
しかしだからこそ、物事の本質に迫りうる道が隠されているのではなかろうか。

永年、そんなことを考えていたら、少し前にウィリアム・クラインの文章にいい言葉を見つけた。『東京1961』によせて記されたクラインの言葉のなかに彼が自らの写真を『アクション・フォトグラフィー』と記していたのだ。
これは何かカッコいい。
しっくりとくる。
つねに歩き回り、揺れ動きながら世界を捕まえていく、動的な視座が含まれているような響きがある。言葉に肉体が感じられるというか、身体性が垣間見えるのだ。
クラインの文章を、少し引用してみよう。

『1950年代、アメリカにおいてアクション・ペインティングが勃興し、絵画は一連の変革期を迎えていた。その頃にキャリアをスタートさせた私は、アクション・フォトグラフィーといった類いのことをしていたように思う。そしてその中に、ざらざらとした黒の質感やギザギザの線といった木炭デッサンの要素を取り入れたりもしていた。私は美術の専門的な訓練を受けた事はないし、伝統的な技法に重きを置いていなかったので、私の写真はとても原始的なものであった。原始的、すなわち偶発的で、反技術的な方法論が私の性に合っていたのである。むしろ、写真の問題点は、精密な技術的な部分にこだわり過ぎるところにあるとさえ思っていた。』
さすが本家本元だ。もう少し、引用してみよう。
『西洋絵画の歴史は、変革の歴史なのだ。絵画の場合、今、この現代に“古典的な”絵画が話題の中心になることはあまりないし、積極的に見たいと望む人も、そう多くはないだろう。だが、同じ視覚芸術である写真の場合、美術館やキュレーターたちは、ほぼ“古典的な”写真しか展示しない。私は強く感じるのだが、専門家たちが技術的な部分にこだわり過ぎるが故に、写真は視覚芸術の中で最も虐げられた芸術になっているのではないだろうか。』

虐げられた芸術というくだりが興味深い。写真とはこういうものだと、専門家によって規定されているがゆえに、多くの人々が思い描く写真というものは、どこか窮屈で型にはまったものになっているように感じる。
アクション・フォトグラフィーか。
いい言葉だな。今度から使ってみよう。とはいえ、そんなこと言っても、誰にも通じないだろうな。

読者諸君、失礼する。写真というのは俺にとって、この世界と渡り合うための武器だし、俺の見た世界を君に伝えるための言葉でもあるんだ。君が俺の写真から、見たことない世界やあったことのない人々の生について、ちらりとでも思いを馳せてくれたなら、俺は満足さ。