2015/02/25

Post #1421

Boudhanath,Nepal
Bloggerを開いてみると、Warningが掲載されていた。

『3 月 23 日より、露骨な性描写を含むコンテンツは Blogger に掲載できなくなります』だそうだ。

『2015 年 3 月 23 日より、露骨な性描写やヌードを扱った画像および動画を Blogger で一般公開することはできなくなります。

注: 芸術、教育、ドキュメンタリー、科学などの、公共の利益を目的とする裸体像の掲載は許可されるものとします。』


やれやれ、厄介だな。

露骨な性描写ってのは、無いつもりなんだが、これを判断するのは俺じゃない。グーグル先生だ。
ご苦労なこった。
芸術的なもの、科学的なもんとかはおとがめなしってんだが、それを判断するのは俺じゃない。グーグル先生だ。
これまた、ご苦労なこった。クソ!

まったく性的なものが含まれていないわけじゃない。
この世界ってのは、性的なもの抜きには存在しがたいものなんだから。
もっと言えば、その辺のクレーンの写真に欲情する奴だっているかもしれないしな。何が露骨に性的かなんて、さっぱりわからないぜ。

思えば、Post #1050アムステルダムの土産物屋の店先で撮ったトランプは、思いっきりちんやまんが写り込んでいた。むかし、おっぱいパブで撮った写真Post #332も、思いっきりチチが写っているのがあったな。アレはカミサンに叱られて削除したっけ・・・。

それも過去のブログには掲載されているので、俺のブログが新しいアダルトコンテンツポリシーに抵触する可能性がまったくないとは言えない。俺が問題ないと思ってるものでも、グーグル先生が問題だと思ったら、アウトだ!

抵触するとどうなるか?

ブログは限定公開にされてしまうわけだ。限定公開にするということは、予め俺の方で読者としてメールアドレスなどを登録した常連さんだけが、いちいちログインして初めてこのブログをみることが出来るということだ。

面倒くさいったらありゃしない。
終わったな。
そんな措置が取られたら、俺はこのブログ、店じまいするよ。
どうせたいして反響もないし、ほとんど誰も見ちゃいないんだからな。

それが嫌なら、そういったたぐいのコンテンツを、3月23日までに削除する必要があるというのだ。

もう既に1400回以上続けているんだぜ。それをいちいち精査して問題のありそうな画像を削除するってのは、この忙しいのに骨が折れる大仕事だってことだ。だいたい、、俺がOkだと思っても、世間はそう思ってはくれなかったりするのは、毎度のことだ。俺の常識と世間様のそれは、1オクターブくらいはずれまくっているんだからな。

やれやれ。あまりにくだらない話で、思わずため息が出てくるぜ。

かつて、P-Funkの総帥ジョージ・クリントンはとんでもなく素晴らしい名言を残している。

曰く“All Good thing is NASTY”つまり、『全て良きものはいやらしい』

まったくそう思うぜ。この世の中がこんなに息苦しいのは、みんな根は好色なくせに、そんなそぶりを見せることなく、自分たちを抑圧しているからだって思えるよ。どいつもこいつも、真面目になろうとして、愚かしい結果を招いている。愚かしいことに真面目に取り組んでみるという逆転の発想は、どこにもないものだろうか?

葛飾北斎の描くところの春画とか見てみるとイイ。
すごくおおらかで、愉しそうな性行為が、北斎の天才的にのびやかな筆致で描かれている。
北斎はしばしば調子に乗って、詞書まで書いている。これがまためっぽう面白い。
思わず笑い出さずにいられないほど、おおらかで、セックスってのは愉しいものだと思えてくるぜ。

葛飾北斎にしても天才荒木経惟にしても、素晴らしい芸術は猥雑と紙一重だ。その紙一重を、どうやってグーグル先生はジャッジするのだろう。

不思議だぜ。どうして性的なものが忌避されるのか。俺にはいまだによくわからない。

誰だって、持ってるものだろう?ありふれたものだぜ。

誰だって、性的な行為を通じてこの世に産み出されてきたんじゃないのかよ?
因みに言うと、俺はストイックに見えるけれど、あっちの方も大好きだぜ。
そもそもエロスってのは、未知なるものの探求を意味してるんだからな。

やれやれ、やるせない気持ちだよ。

①それまでに物議を醸しだしそうなものは、悔しいけれど削除したりするべきか?

②それとも焼き海苔みたいに、思いっきり黒の線でもいれておくとするか?

③乳首には昔の週刊プレイボーイの広告みたいに☆でもつけておくとするか?

④それともいっそ、悪名高いFC2にでも引っ越すべきか?

⑤限定公開にされても、好き勝手にやり続けるべきか?

俺は是非、君たちの意見を承りたい。

読者諸君、失礼する。まったく世知辛い世の中でござんす。
There is No easy Way to be Free!
自由への道のりはいつだって平坦じゃないのさ。

2015/02/24

Post#1420

Marrakech,Morocco
俺が自分には社会に対する理想があるというと、おおかたの人は狐につままれたような顔をする。

格好のイイことを言って、正義漢ぶったり、清廉高潔な人物のふりをしたいわけじゃない。
俺がそういった人間にほど遠い、放蕩無慚な破廉恥漢だということは、君たち以上に俺がよく知っている。なにしろ、君たちに言えないことだって、たくさんあるんだからな。
また、理想なんて言うと、現実を無視して、地に足のついていないことを、呑気にしゃべっていると思われているのかもしれない。お気楽なボヘミアンだと思われているのかもしれない。
また、ほとんど誰も読んでいないようなクソブログで、格好いいこと言ってみたって、穴を掘って、その穴に向かって叫んでいるのと何も変わらないかもしれない。
けど、俺は目先の利かない馬鹿野郎だから、言わずにはいられないんだ。

俺が常々ここに書いている理想ってのは、あれだ。
『いつの日か、世界中の人々が国家だの宗教だの、民族だの富だのなんだのによって差別されることなく、ただ人間であるということで、等しく尊重される世界が現れるべきだ。』というあれだ。

君は、それが自分の日々の生活から、1万光年くらいは隔たっているように感じているかもしれない。まさに理想だよって。
けれど、その理想は俺たち一人一人の存在そのものに関わっていることなんだよ。
君がもし、世界の何処かで、黄色いチビ野郎と蔑まれたら、どう思うだろう?

或いは、そもそもそんなことはとっくに憲法に謳ってあるじゃないかと、君は言うかもしれない。けれど、こいつはそういう法律の問題じゃないんだ。
いくら憲法に書かれていたって、俺たちの心の中には、明らかに格差も差別もあるし、世界は国境や文化、宗教、民族によって、くっきりと分断されている。

俺が今問題にしているのは、俺たち人間の一人一人の意識の問題なんだ。

実際に、この現代社会のどこにいっても人々は自らの周りに観念的なラインをひき、周囲の人間をそのラインの内側に入れるべきか、ラインの外側にとどめ置くべきか、つねに検討している。

例えば、我々日本人のなかには韓国人を排斥する者がいる。
東南アジアからやってきた人間を、実習生というラベルを張った奴隷として扱っている。
大地や海には、目に見えない線が引かれ、人々の自由な行き来を阻んでいる。
その線を護るために、政府は憲法を変えて、戦闘行為つまり戦争が出来る国を作ろうとしている。
キリスト教徒は、イスラム教を信じる移民たちを排斥し、それに対して憤懣やるかたない若者たちは、社会に居場所を見つけられず、イスラム国を目指す。
イスラム国は今までにも多くのジャーナリストを斬首処刑してきたが、日本人が処刑されるまで、日本では誰もみな、それは他人事だと思っていた。
自由の国アメリカでは、未だに多くの黒人が、黒人だというだけで、犯罪者扱いされ、オマワリに撃ち殺されている。
もっと身近なところでは、女性は男性に比べて職業選択の自由も低く、賃金も安い。金玉がついていないだけで、人間の価値が変るとでも言うのだろうか?

社会ってのは、そういうものだと、諦め、受け入れるのは容易い。
そんな言説は、ますます増大する格差と、社会を覆う無力感の中で、なんの力も持っていないかもしれない。
『そんなのは単なる理想論だ』という言葉は、現実的ではなく、考慮する価値もないという意味合いで使われている。実際に君も耳にしたことがあるだろうし、一度や二度、使ったことだってあるだろう。けれど、本当にそうだろうか?社会は一人一人の人間の集合からできているんだぜ。社会を構成する大多数の人々の意識が変れば、社会は実際に変わっていくんじゃないのか?

人間はイメージしたものしか、現実化できないんだよ。単なる理想だといって思考停止していては、何も変わらないンじゃないのかい?少なくとも、少しでもマシな方向には。

それに、もし君が差別され、虐げられる側に立っていたとしたら、どう感じるだろう?
なんとか社会を変えて、自分たちの尊厳を取り戻そうとするんじゃないだろうか?
自分がされて嫌なことは、人にはしないってのは、人間の最低限のマナーなんだぜ。

俺はそんな時代だからこそ、何度でも自分の思い描く理想について語りたい。
闇が深いほど、星はピカピカ輝くものさ。

理想は、絵にかいた餅として冷笑されるようなものではないと俺は信じてる。
俺は、来るべき理想の社会を考えるとき、ワクワクする。

理想とはもちろん、現実の痛みを和らげる麻薬でもない。
俺たちが、人類としての俺たちが、次の世代、その次の世代の未来に実現すべく、にじり寄るようにして近寄っていくべき、目標。それが俺の言う理想なんだ。

理想という指針がなければ、社会を自分たちの手で変えていこうなんて、誰も思えないじゃないか?
目指すべき理想がなければ、俺たち人間は、目先の欲望に捉われ、人類の歩みの中で無意味な人生を送ることになってしまうだろう。いくら安楽な一生を送ったところで、意味がないんだ。

俺たちはみんな、ニーチェが『ツァラトゥストラはかく語りき』の中で語ったように、綱渡りの途上を歩む存在なんだ。俺たち自身の世代は、綱を渡りきることはできないのかもしれない。綱から落ちて、道半ばで倒れてしまうことになるだろう。
けれど、その理想に向けて俺たち一人一人が歩み寄ってゆくこと、人を人であるというそのことだけで、尊重していくように努めることで、その理想へと社会全体がにじり寄っていくであろうことには、絶対の確証が俺にはある。
いや、むしろそうあってほしいと願っている。

せめて君たちにはわかってほしい。
そして、俺の言葉をせせら笑うような顔をしないでほしい。
そして、君にも俺の理想の一端を分け持ってほしい。
どうせ無理だとあきらめて生きるよりも、不屈の理想を持って生きる方が、人間味があって素敵だと思うぜ。

読者諸君、失礼する。こんな時代だからこそ、俺はあえて愚か者のように生きてみたいのさ。乙なもんだろ?

2015/02/23

Post #1419

Boudhanath,Nepal
俺は自分で思うに、途轍もなく貪欲な人間だ。
金とか地位とか権力とかそういったものにじゃないけれど。

知ることについて、貪欲なんだ。知るということについて、足ることを知らない。
知において饕餮(古代中国の想像の怪物、底抜けに貪欲で凶暴な奴だ)なんだ。
このエネルギーを金儲けや権力闘争に費やすことが出来たら、俺はすごいことになっていただろう。けど、それにはあまり興味がない。金をしこたま儲けることは、大多数の人々から奪うことだと知っているからだ。
だから、歳食ってなお、貧乏暮らしだけど、知らないことを知りたくて仕方ない。この眼で世界を見たくて仕方ない。この手で世界に触れたくて仕方ない。世界で何が起こっているのか、俺たち人間はどうなっていくのか、歴史の終わりを見てみたい。

もちろん、試験に出る丸暗記のようなものじゃ満足しない。
物事の奥に潜む必然性や偶然性、それらが織りなす歴史、そういったものを知りたいと思うんだ。

俺は自分じゃ、だれでもそうなんだと思っているけれど、時折友人と話していると、俺以外にそういう人間を見たことがないと言われる。

昨日会いに行った友人は、俺が様々なジャンルのこと、つまり世界情勢から、社会、政治、歴史、音楽、美術、文学、写真などなど、いろんなことに興味関心を持ってて、それぞれに造詣が深いことを不思議がっていた。
普通は、音楽なら音楽、歴史なら歴史だって。

仕方ない普通じゃないんだから。

俺の頭の中には、森がある。

さまざまな知識が実りをつけた木が生えている。

その土壌は、俺がこのクソ溜めみたいな社会の底辺で、クソにまみれるようにして体験してきた出来事から出来ているんだ。
このクソ溜めを肥やしにして、このクソ下らねぇ人生を面白おかしくしてくれるさまざまな知識が、しっかりと根を張って、頭の中に森をつくってるんだ。
そして、思考は木から木へと飛び渉るモモンガのように、さまざまな領域を横断して展開していく。
だから、話題は次々に変っていく。

物事を深く深く考えるのは愉しい。アクロバティックで、爽快でもある。

知らないことを知るのは楽しい。自分の世界が広がっていくから。

スマホでゲームをするよりも、はるかに愉しいのさ。

自分にとって写真も、美しいイメージをつくり出すためのものじゃなく、世界そのものに触れて、知り、理解するためのものだという想いが強い。

この写真を見るがいい。
ネパールの首都カトマンズ郊外の仏教聖地ボダナート。
そこに広がるネパール随一のチベット人コロニーの女性だ。
なぜ、そこにチベット人が暮らしているのか。
ざっくり説明してみよう。
もともと、ここはチベットとインドの交易路上に位置していた。
釈迦の遺骨を祀る巨大なストゥーパを慕い、いつしか交易の便宜を図るためもあってチベット人が住み着いたのだろう。そこに中国共産党によるチベット併合がおこり、多くのチベット人がここに亡命してきたのだという。そして、いつしかそこはチベット人コロニーになったというわけだ。
しかし、ここにはチベット人だけではなく、道一本を境にしてインド系の人々もたくさん住んでいる。血も文化も、まじりあうことなく、普通に共存している。

とても刺激的だ。そんなことを想いながら、写真を撮り歩いたり、暗室でプリントするとき、俺の頭の中の森を、モモンガが飛び交っているんだ。出来る事なら、俺が死んだとき、このモモンガをこの世界にそのまま解き放ってやりたいよ。

読者諸君、失礼する。こんな俺がいま一番に知りたいことは、他でもない君のことだよ。