2026/02/09

POST#1755 どんな時代だかヘイヘイヘイ

名古屋かな
自民党、歴史的な大勝か。

憲法も変えられてしまうだろう。集団的自衛権や交戦権が大っぴらに認められることになるんだろう。スパイ防止法で、なにかと息苦しい世の中になるかもしれない。物価高や格差の是正が行われるかは未知数だ。きっとそれはないだろう。

自己責任の声は日々大きくなるが、責任を取らない責任者だらけだ。裏金や統一教会のことはみんなすっかり忘れてしまったんだろう。維新の国保逃れとかも。

まぁ、そんなこともある。アメリカのもとの平和の時代つまりパックス・アメリカーナも終わりつつある。時代の変換期が来てるんだろう。

やれやれ、人生で2度も世界史的な転換期に遭遇するとはね。ついてるな。一度目は天安門事件からソ連崩壊に至る時期だったな。あの頃は若かった。

そこから30年余り、新自由主義の下で地を這うように生きてきた。地を這うように生きてはきたが、自由、平等、友愛というリベラルの旗印を降ろしたことはないつもりだけどね。

どんな時代がきたって、長いものに巻かれ、勝ち馬にのり、自分より弱い立場の人間を、安全地帯から叩いて溜飲を下げるような人間にはなりたくない。誰かに支配されたり、誰かを支配するのも真っ平だ。

この年まで好きにいきてきたんだ。今更変わらねぇよ。いつ自分の出番が来ても良いように、知識見識をせいぜい磨いておくさ。

失礼する。


 

2026/02/08

POST#1754 君は公正な政治家と世紀末覇者、どっちが必要だと思う?

タイ、メーサロン
今日は選挙だったので、例の親父を連れて選挙に行ってきた。

俺の家の目の前が小学校で、そこがいつも投票所となっている。俺は施設に親父を迎えに行き、投票させた。日本人が主権者として振舞うことができる唯一の機会だからだ。

親父は今まで自民党にしか投票したことはなかったようだが、今回は俺と話をして、中道改革連合の候補に投票したらしい。隠れ創価学会員の親父は、長年今だけ金だけ自分だけというスタンスでやってきたのだが、それでは自分が社会的弱者に転落したとき、どうにもならないという現実に気が付いたのならありがたいが、齢85ともなればもう遅いか。

俺はジョン・ロールズが正義論🔗で説いているように、不平等は、社会の最も不遇な人々の最大の便益に資するものであることでしか容認されないという公平な考えに共感しているんだ。ざっくりと知りたい人はWikipediaで正義論(ロールズ)🔗を検索してみてほしい。

富裕層への累進課税は不平等であるかもしれないが、社会の最も不遇な人々の生活を支えてより公正な社会を作るためならば容認されうるという考えだ。

そうでなかったら、社会なんて必要なく、強いものや狡猾なものが、弱いもの貧しいものを食い物にするだけの修羅場になってしまう。そうであるならば、国家というリヴァイアサンは不要だ。北斗の拳の世界になってしまう。政治家よりも世紀末覇者が必要になっちまう。


さて、昨日の話の続きだ。

ケニーのメッセンジャーにメッセージを送って2週間くらいたったころ、ひょいと返事が来た。

『自分は今、日本の愛媛にいます。愛媛まで来る気があるなら、連絡ください』

やった、日本にいた。俺はさっそく『返信ありがとう。ちょっと時間が作れるように工夫してみます。モロッコとかじゃなくて、よかった。あそこもいいとこだけど…』

『別にモロッコでも構わん』そっけない返事だ。まぁ、何十年もあってないんだ、そんなもんだな。しかし、俺としてはチャンスだ。

『行くのにコストがかかりすぎる』

モロッコでもトンガでも、生きている限りは逢える。しかし一言でいえば、ない袖は振れないってことだ。ご存じの通り、親父のことでいろいろ物入りだし、息子もなかなか金がかかる。カミさんは月々家に入れる金の増額を常に要求してくる。だとしたら、愛媛くらい隣町だ。

『じゃあそれまでだな』割り切り早いな。

『なかなか物入りでね(笑)』

『イスタンブールでもよい』

『あそこも素敵なところだわ。』俺は、携帯からかつてイスタンブールに行ったときに撮ったブルーモスクの写真を送った。ボスポラス海峡漢一匹だ。

『そういう生活なのか?ならば、あっても良いかな』

お、手ごたえありだ。この短いやり取りで、俺がつまらないおっさんじゃないことが伝わったぞ。

『そういうわけでもないけどね。旅行は好きさ。』

『へー、まぁいろいろききたい』

よし!愛媛宇和島まで家から片道600キロ。どおってことないぜ。

で、俺は次の日にリース更新されるハイブリッドの黒いプロボックスで、愛媛まで行く計画を練り始めた。待ってろよ、ケニー!

2026/02/07

POST#1753 ある日夢を見た

御幼少のみぎりの俺とケニー

五月の連休明けのある日曜日の朝、古い友人の夢を見て目が覚めた。

内容は覚えていないけれど、もう35年ほど会っていない友人だ。幼稚園と小学校が一緒。小学校の頃のほとんど唯一の友人だった。懐かしく、温かい気持ちになった。

彼は、というのも他人行儀なのでケニーと呼んでおこう。海外生活が長いからそう呼ばれることが多いんだそうだ。ケニーとは一緒に近所の木の上に基地を作って遊んだり、神社で遊んでいた。一緒に木曽川の支流で釣りをしてケニーのお母さんが五平餅を作って持ってきてくれたこともいい思い出だ。

ケニーの日当たりのいい中庭のある家に遊びに行き、縁側に座って一緒に石ノ森章太郎先生のサイボーグ009なんか読んだりしたもんだ。あいつの家には確か全巻そろってた。ケニーと遊んでいないときはしばしば児童館に行き、手塚治虫先生の火の鳥を何度も何度も読んでいたものだ。

俺は大事なことは漫画とロックと吉本隆明から学んだんだ。そんな俺も彼も、田舎の小学校という閉じた社会にうまく溶け込めなかった。

俺はくせ毛という身体的な特徴のために疎外されたし、ケニーは他の児童と意見が合わず、ぷいとそのまま学校の裏口から家に帰ってしまうことが多かった。

小学五年生くらいから塾に通い出すとなんとなく勉強もできるようになり、そうすると読書癖によって身についた雑学から、同級生の間では教授と呼ばれるようになっていった。その一方でYMOのレコードを買ったり、FMで当時のイギリスのニューウェーブやネオモッズ、パンクロック等を聴いたりするようになって、ますます小学生らしかならぬ方向に進んでいったけれど。俺は私立の中高一貫校に進むことで、その閉鎖社会から離脱できた。

ほんとはクラスで一番かわいかった子がその私立学校の先生の娘で、その子が底を受験するっていうから受けたってのもある。さらに言うと地元の公立中学は当時その付近では評判のヤンキー学校でろくでもないという評判だった。女の子がセーラー服のスカートの下に、えんじ色のジャージを履いているのも嫌だった。今でいう埴輪スタイルだ。

で、ケニーとは離れ離れになった。

彼は中学でサッカー部に入ってサッカーにのめりこんでいたようだけれど、もともと周囲とうまくなじめない性格なので、上下関係の厳しい田舎の中学校のクラブとか精神的に厳しかったのではないかと思う。

このころ、あまり交友がなかったのでその辺の事情は俺には分からない。ケニーは中学生の終わりごろから高校にかけて、写真も趣味にしてたみたいだ。その頃の俺は、写真には全く興味なかったけどね。

で、高校に進んだケニーは、サッカー部に入ったようだけれど、そこで徹底的にうんざりしたようで、高校を辞めてしまった。で、どうしたかというと土木作業のアルバイトなんかをしてお金をため、ブラジルに渡ってサッカーのユースチームに入るという途方もない行動に出ることになったんだ。

ケニー、すげぇな。俺は当時、素直にケニーの行動力を尊敬したよ。実際にコリンチャヌス高の2部リーグチームにアマチュア選手として登録されるところまで行ったらしい。

俺が最後にあったのは、20歳のころだ。

ケニーはサッカー選手として芽が出ず、ニューヨークに移り、アートスクールに通っていた。そこで知り合った中国人の彼女を連れて実家に帰ってきたとき、俺は逢いに行った。

それ以来、35年ほど会っていなかった。一体全体、今は世界のどこにいることやら。

俺はFBで検索し、近年のケニーの活動に目を通してみた。元気そうだ。そこで俺はメッセンジャーでメッセージを送ってみることにした。

『お元気そうで何よりです。

ついさっき君の事を夢でみて、幸せな気分になりました。

なにかの予兆のような気がして、メッセージを送ることにしました。いまは、京都に仮住まいしています。いつか、あえる日が来ることを願っています。

お身体大切に。

浩一郎』