2011/08/09

Post #269 健全な精神は、健全な肉体に宿るらしい

唐突なようだけど、俺は昔から体育会系の皆さんちゅうのが苦手だった。この時期、甲子園関係のニュースも多い。世の中の皆さんは、とてもスポーツが大好きだ。スポーツ関係のニュースが始まると、俺は夕食の食器を洗いはじめる。こんな事をいうと、これまた顰蹙を買ってしまいそうだが、仕方ない。今年は中日もゲキ弱いしな。
俺の住んでる街の駅前の居酒屋は、開店前に店長以下従業員、バイトの全てが店の前に整列し、いらっしゃいませ!有難うございます!お父さん、お母さん、ありがとう!とか、その他もろもろ、声を張り上げて仕事のウォーミングアップだかなんだかやってらっしゃるんですが、そういう体育会系的なというか、健全な精神は健全な肉体に宿る的な雰囲気が、どうにも好きになれないんだなぁ。
大きな声というよりも、怒鳴っているようで、聴いている方も気が滅入る。それ以前に、こいつらホントにこんなこと、やりたくてやってるのかよ?とも思う。
まぁ正直に言わせてもらえば、やりたいんなら、わざわざ表に出て衆人環視の中でやらずに、店の中でひっそりとやってもいいんじゃないですか?っておもうのさ。いやむしろ、歩道とはいえ、天下の公道でそんなことやってるのを見ると、偽善者って言葉が頭に浮かぶぜ。
どうしてそんなに元気いっぱいをアピールしたいのか?それが爽やかだと思ってるんなら、ズイブンな勘違いだと思いますが、如何なもんでしょうか?
Paris
長年にわたって俺が体育会系の人間を敬遠してきたのと同様に、体育会系の人たちは、俺を嫌ってくれていた。水心あれば、魚心ありだ。
俺の様に誰かのグループに属して数を恃んだり、先輩上司の考えを強要するような風土になじめない無頼派の俺の事は、先輩後輩仲間で団結が大好きな皆さんにはご理解いただけなかったようだ、残念ながら。
忘れていたことを思い出してきたぞ。
実に愉快なことに、高校の卒業式には、野球部やらサッカー部やらの皆さんが、俺を袋にしてやろうと待っていてくれたそうだ。ご苦労なことだ。この21世紀にも、こんな土人みたいなことってあるんだろうか?あってほしくはないもんだがね。
しかし、彼らには悪いが、その日俺は寝坊をしてしまった。しかも、卒業式に遅れてしまうなと案じながらカーテンを開けると、外には激しく雪が舞っていた。ロックンロールスピリット全開だった俺は微塵の迷いもなく、もう一度布団にくるまって、卒業式にはいかなかった。もちろん学校には何の連絡も無しでだ。ざまぁみろ、空振りだ。残念だったな。
どうも、奴らは長年にわたって、俺を痛めつける企画を立案していたそうなんだが、当時パンクだった俺を痛めつけると、街中から大勢のパンクス連中が集まってきて報復されるという、根も葉もない愉快なうわさが流れていて、在学中に俺に手を出すことはできなかったそうだ。俺は全くそんな話、知らなかったんだけどね。ずっとのちに、俺の弟の同級生から聞いた話だ。バカバカしいッたらありゃしないぜ。道理でのびのびさせてもらえたもんだぜ。
俺はいつだって、大勢でつるむのはゴメンだぜ。つるむんなら男同士、一対一までだな。
俺が体育会系が嫌いなのには、きちんとした理由がある。昨今のゆとり世代に関しては知らないが、あくまで俺が学生の頃の話だ。
まず一年生で入部すると、先輩連中からほとんど理不尽とも思えるような命令に服従するよう強要される。俺は、内心は理不尽で阿呆らしいと思いながらも、いやいや従順に従うことが嫌だった。しかもありえないことに、内心嫌だと思いながら耐えてた奴が、上級生になった途端に、これが伝統だと言わんばかりに、自分がやられて嫌だったことを、自分の後輩に容赦なく強要することが、全くもって理解できなかった。それはむしろ、ある種の復讐、しかもお門違いの八つ当たりのような卑劣な振る舞いに見えていたので、どうしても、どーしても好きになることが出来なかったんだ。
そんな奴らの仲間に入るくらいなら、一人で喫茶店でタバコを吹かして、ゆっくりと中上健二や坂口安吾なんかの小説でも読んでいた方が何ぼもましだった。しょうがない、俺は私立文系数学なしで、しかも文科系の演劇部すら、派閥抗争に敗れて追放されたような困った奴だったからな。不健全で結構だ。
社会に出ても、同じだった。会社はまるで村人の集まりだった。
企業は何故かこういった傾向の人間を高く評価する傾向がある。まぁ、組織という村の掟に、何の疑問も抱かずに従う、モノの道理の分かった奴だって思うんだろう。冗談じゃないぜ。自分が管理職になった途端に、言っていたことが180度変わる奴も、これまたごまんと見てきた。自分より弱い立場のモンには思いっきり偉そうにふるまうが、上司先輩にはペコペコする様な格好悪い奴ぁ、掃いて捨てるほどいやがるんだ。げんなりするぜ。人間として健全とは言えないぜ。
どうして、自分がされて嫌なことを、人にすることができるのか?
どこかで誰かがその因果を断ち切るべきではないのかい?
やるんだったら、組織や先輩の権威を笠に着ないで、自分一人の責任と意見でやってみたらどうかね?それなら俺もいくらでもお相手致すぜ、一人の男として対等にね。
アウシュビッツで酷い目にあったユダヤ人が、今度はパレスチナ人を容赦なくいたぶっているのを目にすると、ここにもこういう奴らがいたかと、思わず心強く思えてくるぜ。ダッハッハ!
Paris
意外にも俺の愛読書、論語の中の好きな言葉の一つに『己の欲せざるところ、人に施すなかれ』ちゅうのがある。
自分がやられて嫌なことは、人にやってはいけないということだ。
俺の目にした体育会系の皆さんは、自分がやられて嫌だったことは、自分より弱い立場の奴には遠慮なくやってやろうって手合いばかりだった。今でもその頃の事を思い出すと、甲子園のニュースとか素直な気持ちで見ることは出来ないぜ。そんなことでしか協調性や一体感が生み出せないのかしらと思うんだ。
この辺にこそ俺が、健全な精神は健全な肉体に宿るってのが胡散臭く感じる源があるんだ。
自分が嫌なことは、人に対してやらない。
これは人として、最低限のマナーだと思うが、どーだろうか、諸君。これが難なく出来るならば、俺たちの社会はきっともっと、暮らしやすい、ましな世の中になると思うぜ。極楽とか天国とか調子のいいことは言わないけれど、せめて、地獄じゃないと言えるだうさ。
OK、最近どうも説教くさい。仕方あるまい、俺はおっさんなんだから。おっさん臭いから、失礼させてもらうぜ。明日か明後日、また会おう。

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