2011/06/06

Post #206 東方見聞録を読みながら

昨日の昼間、俺は久々に家の掃除をしていたんだ。日曜日にまるっと休みってのは、久しぶりだったからね。天気も良かったし、絶好の掃除日和だ。
本棚の整理をしていて俺は、マルコ・ポーロの東方見聞録(平凡社ライブラリー刊上下巻)を見つけたんだ。
俺が買ったんだろうか?まったく覚えがないぜ。しかし、こんな本買うのは、俺しかいないよなぁ。

俺は、何冊もの本を気の向くままに並行して読む癖がある。ちょいとお菓子をつまむように、一度読んだことのある本の、気に入ったところや適当に開いたページを、お菓子をつまむように読んでいるんだ。おかげさんで、部屋の中には読みかけの本が何冊も放り出されている。すぐに散らかっちまうぜ。
掃除をさっさと切り上げた俺は、さっそく東方見聞録を読み始めた。
Izmir,Turk
これが滅法面白い。
まだ上巻の4分の1くらいしか読んでいないんだ。今読んでいるのは、アルメニアからグルジア辺りの黒海沿岸からトルコ、イラク、イランあたりの中近東に関する部分だ。
去年のクリスマスの時に紹介した、イエスキリストの誕生を祝った東方の三博士に関する記述もある。この伝説的な三人の博士、メルキオール、ガスパール、バルタザールの墓が、現在のテヘランの近郊にあるとか、イスラム教徒のカリフ(イスラム教の指導者というか王様みたいなもんだ)によって、改宗か死かを迫られたキリスト教徒が、山を動かす奇跡を起こした話しとか、面白い話が次々と出てくるんだ。やめられないぜ。止まらないぜ。
このあたりの内容を読むと、日本人にとって歴史的にあまりなじみのないこの地域で、現在起きている出来事の鱗片をくみ取ることが出来るような気がするぜ。
イスラム教徒と当時の支配者タルタール人(つまりはモンゴル人ね)との関係は、現代のイラクにおけるアメリカの苦境に思いを致すことができるぜ。クルド人の問題や、イスラム国家の中に暮らす少数派のキリスト教徒の圧迫された生活。これらは700年ほど前から大きく変わりはないんだ。いやむしろ、本質的には何も変わっていない。
現在の世界ってのは、実は今だに中世を生きているような世界もあるし、原始的な生活を送っている人々もいる。古代人のように生活している地域もある。腰巻一丁で槍を以て歩いているような人が携帯電話を持っていたりもするくらいだ。
そう、実に世界は多様性に満ちているんだ。
俺たちが暮らしているこの日本の生活形態だけがすべてだなんて、料簡が狭いぜ。ペットボトルのキャップくらい小さいってもんさ。
短いこの人生で、この世界のさまざまな地域で暮らす人々に、出来るだけたくさん会ってみたいもんだ。
Amsterdam
さて、俺は今日は仕事が開いていたんでプリントするつもりでいたんだ。しかし残念ながら、明日からの仕事の打ち合わせが入ってしまった。いかん、プリントするには時間が中途半端になっちまってしまったじゃないか。仕方ない、この東方見聞録を読んで中途半端な暇を潰すとするかな。
そんなわけで、暑さの和らいだ夕方、俺は窓辺に座って風に吹かれながら、東方見聞録を読んでいた。
そう、仕事の連打連打の毎日だけれど、心ばかりは旅の空、仕事をしてても上の空さ。
この西の空の向こうに、見たことのない国々が広がっている。
俺のあったことのない人々が、今日も生活を営んでいる。
俺は、本を伏せて、夕暮れの空を眺める。
旅に出たいなぁ。

最近、次の旅の行先が決まった。時期は年末年始。行先は北アフリカ、モロッコだ。楽しみだぜ。まだズイブン先の話しだけれど、読者諸君、楽しみにしていてくれ給え。頑張るぜ。

読者諸君、今日はこんなところで失礼させてもらうぜ、明日は珍しく朝早くから仕事なのさ。

2011/06/05

Post #205 勝手に金子光晴週間 その2

イケないぜ、5月の帳簿を作っているうちにすっかりこんな時間だ。
今日はあっさり行かせてもらいましょうかね、またボケボケしていると、怒られちまうからな。男一匹おまけが一人、なんとも生きていくのも世知辛いもんだぜ。俺は家庭内では叱られてばかりなのさ。掃除や洗濯も結構やっているのにな。とりわけ車の運転に関しては、必ず叱られているといっても過言ではない。いや~、まいったなぁ。
HomeTown
さてと、今夜は久しぶりに、『勝手に金子光晴週間その2』ってことで行ってみよう。とはいえ、こんな飛び飛びじゃ、週刊でも何でもないんだけれどね。そこらへんにはあえて突っ込まず、福島あたりで流行っているメルトスルーってカンジでよろしく。
今夜君たちに紹介させてもらうのは、俺が写真を撮っている時に、ふと脳裏に浮かんできたりする詩なんだが、これがなかなかいいカンジの詩なんだよ。君にもぜひ知ってもらいたいんだ。

『無題』

凄まじいな。もう僕も五十一だ。

僕がこの世ののぞみといへば
あの女たちにもう一度あつてみたいことだ。

かたらふすべもなくて、僕がそばを
すりぬけていつたあの女たち。

どんなにかはりはててゐたつて
いや、それはお互いさまぢやないか。

どこまでも追ひかけていつて
僕がききたいとおもふ一言は、
“まあ、あのときのあんただつたの?”

金子光晴 『無題』 女たちへのエレジー(講談社文芸文庫)

HongKong
そうさ、ネーチャン・フォトグラファーと言われるこの俺が、この詩を知ってから、街角で女の子の写真を撮っている時、このとぼけたカンジの短い詩が、ふと頭に浮かんでくるのさ。
滑稽なとぼけた語り口の中に、人間の在り様にたいする、いかんともしがたいさみしさや悲しさが漂っているんだ。誰だって、この歳月の無常さには抗うことは出来っこないんだ。アンチエイジング?せいぜい頑張ってくれ。見かけは若さを保っていても、心が老いぼれちまっていたら、それはそれで残念だがな。

昔々、いろいろあった女の子たち、
何もなかったただすれ違っただけの女の子たち、
そして昨日の話しに出てきたような素敵な女の子…。

俺はまだ、42歳だけれど、この詩のように50をいくつか過ぎたころ、こんな風に変わり果てた彼女たちにもう一度会ってみたいと思っているのさ。
その時、ハゲてたり、みっともなく太っていちゃ、なかなかに残念だ。俺はそれをヒジョーに恐れているんだ。昔の彼女にばったり会ったりして、『あんたみっともない年寄りになったわね』なんて、誰だって言われたくないだろう?それは辛いぜ。残念きわまる。だから、そんな情けないていたらくにならないように、今のうちからせいぜい節制しておかないとな。

OK、そのためには今夜もとっとと終わらせて、風呂に入って頭皮のマッサージとかしっかりやってだな、明日に備えてとっとと眠らないとな。
読者諸君、また明日か明後日、ごく近いうちに会おう。もうすぐまた、怒涛の仕事ラッシュが俺に押し寄せてくるんだ。今のうちにしっかりと充電させてもらうとするぜ。

2011/06/04

Post #204 She Said Yeah!

読者諸君、俺はこの気持ちのイイ土曜日、ゆったりと眠ってから今、まさに高校生の頃に買ったローリング・ストーンズの初期のアルバム“Out Of Our Heads"を聴いている。CDじゃない、LP盤だ。まだ若々しいミック・ジャガーの歌うラブソングが、俺を少し切なくさせる。はるか大昔の高校時代と、今と、その二つの時空のはざまに体験したさまざまなことが、この風の吹きぬける俺の部屋で交差する。少しセンチメンタルだ。
俺は、ブライアン・ジョーンズが生きていた頃のストーンズが結構好きなんだ。少し感傷的な響きでね。古いロックンロールのカバーもよくやっている。素敵なカンジだ。このころエレベーターの中でチャック・ベリーにであったミックとキースは、チャックベリーから『このままロールし続けろ!』と激励されたという。
このアルバムは、モノクロ写真のジャケットもカッコいい。こういう写真から、いつも俺はインスパイアされる。アサヒカメラなんか見る必要は1マイクロシーベルトも感じない。

一曲目はShe Said Yeahだ。俺の頭の中で、時空と記憶が混ざり合う。ノリの良い叩き付けるようなロックンロールから、She Said Yeahというフレーズを頼りにして、少し切ない記憶が引き出される。

彼女に出会ったのは、何時だったかどこだったか、憶えているけれど忘れたことにしておく。
忘れておいた方がいい事もたくさんある。
彼女は、センスの良い娘だった。とっくにくたびれたロックンロール・キッズの俺と違って、若さがオーラのように輝く年頃だった。この年頃の女の子は、どんな娘だって、とびきり輝いているのさ。その輝きに気付かず、日々を送り、くだらない男と所帯を持ってくたびれていってしまう。残念ながら、それが世の常だ。無情な世界だ。
Sagrada Familia,Barcelona
彼女は個性的な顔立ちに、流行とは一線を画した独自のスタイルを持っていた。そしてスタイルときたら、とびっきりによかった。要は素敵な娘だったのさ。
俺は彼女の写真を撮りたかった。きっと二度と逢うことはないだろうって予感があったから、たくさん撮っておきたかった。アラーキーみたいなカンジで撮りたかったんだ。けれど、彼女は写真をとられるのは好きじゃないと言っていた。残念だ。俺なら彼女の輝く季節を永遠に遺してやれたのにと思う。
彼女は、自分にはいろんな夢があると語っていた。なりたい職業があると言っていた。
俺達はいろんな話をした。俺は調子に乗っていろんなことを話したんだろう。
写真を撮っていること、昔は小説家になりたいと思って、原稿用紙にくだらないことを山ほど書きつけて、最終的には木曜日の燃えるごみの日に捨てたこととかね。
俺の事をもっと知ってほしかったし、彼女の事ももっともっと知りたかった。
彼女は、何時か一人で旅に出てみたいと語っていた。アムステルダム、イビザ、ゴアetc…。
俺は、そんな彼女といつか旅をする自分を想像した。いいだろう、想像するくらい?人生にはちょっぴりのロマンスも必要だろう。
俺は、そんな彼女に自分の旅の写真で編んだポートフォリオをあげた。
バルセロナを旅したときのものだ。
彼女は、そう彼女は俺からそのポートフォリオを受け取ると、その場でポートフォリオを見てくれた。
そして彼女は言ったんだ、Yeah!『写真家になってくださいよ。小説家になってくださいよ』ってね。

それ以来、彼女とはもう逢っていない。連絡を取る術もない。時折、写真を撮りながら、雑踏の中でよく似た人がいないだろうかと、視線を走らせることがあるって程度さ。きっともう、俺の人生で二度とふたたびまみえることはないだろう。人の出会いなんて、所詮はそんなもんさ。
俺が彼女にあげたポートフォリオは、どうなったことだろう?俺が思うに、きっとその日のうちに、駅のごみ箱かなんかに放り込まれていたことだろう。クソッ、酷いもんだ。しかし、所詮は、そんなもんさ。それが人生さ、ロックンロールさ。

けれど、彼女は確かに言ったんだ。『写真家になってくださいよ。小説家になってくださいよ』ってね、Yeah!

読者諸君。こんな話が本当にあったかどうかは、俺は知らないさ。俺はなんて言ったって、小説家志望だったんだからな。嘘を捏ね上げでっち上げるのが得意中の得意なのさ。たったひとかけらの真実を核にしてね。
そう、何時だって俺の真実は、俺の写真の中にだけ入ってる。たとえそれがどんな下手糞な写真でも。でも、もしもそんな言葉が無かったら、俺はこのブログをはじめようとは思わなかったかもしれないな。
俺は少し切なく、少し悲しい。
スピーカーからは、若き日のミック・ジャガーがBig Oことオーティス・レディングの名曲“That's How Strog My Love Is"を唄う声が流れている。俺の愛はなんて強いんだろう。こんな土曜日も悪くないもんだ。あぁ~、ストーンズが骨身に沁みるなぁ。