2014/11/09

Post #1313

Patan,Kathmandu,Nepal
今から25年前、ベルリンの壁が崩壊した。
覚えているかい?知っているかい?
まさに歴史が動いた日だ。名もない多くの人々の力で歴史が大きく動いた瞬間だったんだ。
共産主義と資本主義というイデオロギーによって分断されていた世界が、一つになると思えた最初の瞬間だった。
以来、25年。共産主義国家と資本主義国家の間の冷戦構造と、俺たちが子供のころ世界をくまなく覆っていた核戦争の恐怖は、多くの社会主義国家の消滅によって、地球上から払しょくされた。
けれど、それはまるでパンドラの箱を開けたかのように、単に新たな分断と問題を世に解き放っただけだったのかもしれない。どうやら俺たちは楽天的過ぎたのさ。
イデオロギーという枷を失った俺たち人類は、民族や宗教によって、あるいはまたインターネットの普及と歩調を合わせて拡大し、世界中を席巻蹂躙するグローバル経済とやらによって、またそれによって生じた新たな貧富の差によって、細かく分断されている。
世界中で、右傾化が進んでいる。
原理主義的で排他的な宗教が人々を魅了している。
このお気楽な無責任主義国家日本でも、排外主義的な言説が人々の耳に心地よく響き始めている。
誰もが、他と違うことによってのみ、自己を確立しようとしている。

おい、どうなってるんだ?
21世紀にもなれば、平和な時代が来ると俺は思っていたんだけどな。俺はとんでも呑気な頓馬野郎だったってことさ。
どうにもこの4分の一世紀、俺たちは間違った道を歩んできてるんじゃないのか?

俺たちは、もっと自分と違う価値観を持った連中に対して、寛容になったほうがいいぜ。
どんな場合だって、喧嘩腰じゃ何もすすまないんだ。
話し合えばきっと分かり合えることも、罵り合ったとたんに、すぐに殴り合いに発展するだろうよ。
ましてや相手が自分と全く異なる存在だなんて思っているんなら、手っ取り早くぶっ殺すほうが、簡単に物事が解決できると思うことだろう。
けれど、それは何の解決にもなりはしないんだ。憎しみと殺し合いの連鎖が続いていくだけさ。
それは人類の歴史が証明していることだ。
いい加減、俺たちは長い歴史から学んで、もう少し賢くなるべきだ。

いいかい?例え言葉が通じなくても、民族や宗教や肌の色が違っても、お互いを理解しようと努めて、話し合い、互いを受け入れていかないと、人間に未来はないんだぜ。
もっと寛容になろうぜ。お互いに抱いてる先入観を捨てて、仲よくしていくことができるはずさ。25年前の東西ベルリン市民のようにね。

読者諸君、失礼する。25年前、未来に対して抱いた期待が、結局さらなる諍いの序章だったなんてことには、なってほしくはない俺なのさ。

2014/11/08

Post #1312

Patan,Kathmandu,Nepal
今日も疲れ果てたが、明日は休みだ。結構なことだ。

ネパールでは、赤ちゃんの目の周りに隅取りする。
何故だろうと考えると、きっと邪視を避ける魔除けのようなものなのだろうと思う。
物珍しさから、つい写真に撮ってしまうのさ。

読者諸君、失礼する。また会おう。

2014/11/07

Post #1311

Patan,Kathmandu,Nepal
藤原新也の本に、『市場があれば、国家は不要』というキャプションのついた写真があった。
市場と言っても、人々の生活の実態とはるかに乖離した株式市場だの先物市場ではない。
あれは、お上公認のギャンブルの一種だと俺は感じている。
日本で言えば、胴元は日本銀行だ。
ここでいう市場とは、もちろん『いちば』のことだ。

ネパールは経済はどん底で、GNPは横ばい。輸出入に関していえば、多大な貿易赤字を累積させていっている。数年前に王政から民主制に移行したものの、議会は勢力争いの場に成り下がり、電気だってしょぼしょぼだ。
どんなに日本の経済が疲弊したとしても、なかなかあそこまでは行きつけないだろう。

そんなネパールだったが、どこの青空市場も人で溢れかえっていた。市場と言っても、屋台のようなものだ。単にリヤカーに果物を満載し、日差しをよけるために大きなビーチパラソルを開いただけの店ばかりだ。

けれど、人々は国家的な貿易赤字なんてどこ吹く風で、逞しく生きていやがる。
『市場があれば、国家は不要』という、藤原新也の箴言のような一文を思い出してしまうほどにね。

読者諸君、失礼する。なんでもお上に頼っていると、そのうちに、お上のいいように洗脳されちまうぜ。