2014/09/27

Post #1270

木曽福島 御嶽教教会にて
子供のころから見慣れている御岳山が噴火した。
俺の育った濃尾平野から、少し小高いところに登れば、東北方面に御岳山や恵那山が、西北方面には伊吹山が遠望できた。だから、何となく親しみを持っている。
御岳山の噴火自体は、俺の人生で何回か起こっているが、今回は規模も大きそうだ。死者や行方不明者も出ているようだ。折からの登山ブームで多くの人々が山頂付近にとり遺されているという。速やかに救出されるよう、願うばかりだ。

写真は、ずいぶん昔にリバーサルフィルムで撮ったもので、御岳山のふもと木曽福島にある御嶽教の教会に祀られている神々の像だ。
中央に鎮座し、目が三つあるのが國常立尊、左右が大己貴命、少彦名命だろう。そして全面中央に杖を突いて座っているのは、御岳登拝を拓いた覚明行者であろう。

國常立尊は、日本書紀では最も初めに現れた神だと言われている。
大本教では開祖出口なおに神懸った『艮の金神』こそが、この國常立尊とされている。それによれば、かつて神界を治めていたのだが、その統治に不満を持つ神々に、鬼門の方角である艮に封印されていた神であるされている。
いずれにしても、古い荒ぶる神なのだ。
それは、この像のどことなく不気味で威圧感のある容貌からも、なんとなく伺えるような気がする。
荒ぶる自然のエッセンスが込められているようだ。そう、八百万の神々は、ほとんどが自然現象の擬人化された姿なのだ。

読者諸君、失礼する。自然の力は、人間には抗うことなんか出来やしない。

2014/09/26

Post #1269

家の近所だろう
河村たかし名古屋市長が、NHKに対して大河ドラマの信長、秀吉、家康に名古屋弁や三河弁を使わせるように要望書を出したという記事を読んだ。

名古屋弁に関しては、俺も地に足の着いたことが言えるというもんだ。
空中戦ではない。地を這うような泥臭いゲリラ戦だ。泥まみれ、だなくて、赤みそまみれだわ。

確かに、ネイティブ尾張弁(名古屋弁と岐阜弁の程よいミックス)の俺からすると、標準語で下知する信長や、その前に這いつくばっとる秀吉が、歯切れの良い標準語というのは、まぁ見とってしゃらくしゃぁでかんわ。

ちょっと、攻略が上手くいかず手こずっとる秀吉を、信長が叱責する場面を考えてみよまい。

信長『サル、おみゃぁ何手ぬるいことやっとらっせるんだ?まぁ、一揆衆みてゃぁなもん、はよ片づけてまわなあかんがや!わしの天下がかかっとるんだぞ!』

秀吉『うわぁ、殿様、どえりゃぁおこっとらっせるがね・・・。それがなかなかうみゃぁこといかんもんで、わしも困っとるんだわ』

信長『たわけぇ!とれぇこといっとらんと、つぅーっとやらなかんわ!わしに逆らっとる一向宗みてゃぁなもん、高野山ときみてゃぁに、火ぃかけて殺したったらええがや!なに、女子供を殺したにゃぁだ?たわけかぁ!おみゃぁは!なにあみゃぁこといっとらっせるんだて!とろくしゃぁ!そんなもん、戦に女も子供もあれせんて!もたもたしとったら、まぁ、今までの苦労が、全部わやになってまうがや!』

確かに締まらん。
それに、いまどき名古屋人でも、こんなこてこての名古屋弁、通じいへんでかんわ。こんなもん、にこちゃん大王か河村たかしくりゃしか使わせんてぇ。あとはわし(名古屋弁でよくつかわれる一人称)くりゃぁだわ。

NHKが役者に名古屋弁を使わせたがらないのも道理だ。
名古屋弁でキツイことを言っても、名古屋人にはなんとなく面白みが感じられてしまうし、それ以外の地域の人(じんと発音する)には、何しゃべっとるかちぃとも分れせんでかんわ・・・。
しかも、文中で『ゃぁ』と表記される複合母音æは、ネイティブだにゃぁとうみゃぁこと発音できぃせんでかんわ。
実は俺も、現場で職人さんやアルバイト君に指示を出す時は、意図的に名古屋弁を使っとるがね。
そうするとさいが、言いにくいことでも、何となくニュアンスが柔らかなって、うみゃあこと相手に伝わるがね。こないだみてぇぁ、現場のクリーニングの来てちょうたおねぇさんに、どえりゃぁ笑われてまったでかんわ!東京の職人さんには、まったく通じいせんし・・・。

やはり当分、NHKの大河ドラマで名古屋弁が炸裂することはないな。

読者諸君、失礼する。名古屋弁の灯はわしが守ってかなかんわ。わし、愛国心はあんまりにゃあけど、郷土愛はどえりゃぁあるでねぇ。

2014/09/25

Post #1268

Bruxelles
お喋りするのは退屈で、物の本質を誤らせるだけだと思えるときがある。

せめて地に足の着いたことを話すべきだ。

そう思えるということは、このブログも、そろそろ曲がり角なのか。

読者諸君、失礼する。今から車を転がして、男の仕事に出撃せねばならないんだ。