2026/02/04

POST#1450 なんだかんだ言って、この世は金さ

沖縄、竹富島
そんなこんなで親父の退院は2月18日、五万なにがし医療費を払い、そのままサービス付き高齢者住宅に送り込んだ。
そりゃ、お喜びだよ。好き放題やってきて、その果てにこんな三食昼寝と大理石貼りの浴場付きなんだ。文句言ったらぶっ飛ばすぜ。
問題はここからだ。
その日の午後には弟と二人で親父を連れて、損害保険屋の弟と付き合いのある弁護士のところに相談に行った。
残念ながら50からみの弁護士は物腰は丁寧だが、こちらに寄り添うという気配が感じられなかった。
とはいえ、仕方ないさ。なにせどれだけ負債があるのかわからない。
借入証書もなければ、返済計画書も融資の契約書もない。
断片的な振込明細
5000万円とか記された手形帳
あちこちの銀行の通帳
鋏の入れられた古い手形
債権回収会社からの残高明細
つい最近の日付の約束手形
そして、泣きたくなることに帳簿類は一切なし

俺たち兄弟の考えでは、弁護士費用をかけても自己破産させて、きれいさっぱりしたいと思っていたんだが、どこに何があるのかわからないようじゃ話にならないとのっけから突き放された。
挙句の果てには、もう30年くらい前、社会人になったばかりの弟を保証人にして3000万円だか借りた話を弟が持ち出すと、親父はぼんやりした顔で、あれはすぐ次の週には返したという。
それを聞いて弟は、知り合いの弁護士の前でも構わず激高し、「俺の青春時代は、あんたのその借金に怯えて円形脱毛症にまでなったんだ!今の今までそれが完済されてるなんて知らなかったんだぞ!どういうつもりだ」と席を立って隣の親父を殴りつけそうな勢いだった。
弁護士の先生はあきれて、そんなことは帰ってからやってくださいよとうんざりしている。
まぁ、そりゃそうだよね。
結局、自己破産するにも、どこにどれだけ負債があるかすべて洗い出さないことにはなんともならないことが分かった。つまり、こちらとそちらとあちらに、それぞれいくらの借金があり、これらを返すことができないので自己破産すると裁判所に申し立てて認めてもらっても、それ以外のどちらからかの借金が出てきたら、まぁた一からやり直しということだ。君も自己破産を考えてるんなら、その辺をしっかり押さえておくといいよ(笑)
やれやれ。帳簿も証文もないんだ。まったく雲をつかむような話だぜ。
俺はその頃京都で働いていたんだが、週末家に帰るたびに月曜の朝、親父をあちこちの銀行に連れてゆき、残高証明をとり、借金がないことを確認し、口座を抹消した。どこの口座も大した金額は入っていなかった。年金が振り込まれる口座だけ残し、あとはすべて口座を閉じたんだ。
弟は、最近の日付の約束手形の信用金庫に行ってくれたんだが、ビンゴ!そこではざっくり160万円ほどの借金が残っていたんだ。
つまりこういうスキームだ。
借金のうちの一部を返済する。その時点での残高分の約束手形を切ってもらう。
手形の期限が来たら、また焼け石に水程度の金を渡して、新たな約束手形を切る。
やれやれ、そんなことやってても、85のじいさんが死ぬまでに返し終わるとは思えんぜよ。
弟は信用金庫の担当者と支店長に、状況を確認しに行っただけなのに、ぼろくそいわれて返済を迫られたようだ。まぁ、当然だわな。
そうこうしてるうちに、うちの叔母のあさチャンのところに、この信用金庫から手紙が届いた。あさチャンは手紙を俺に転送し、おろおろして心臓が止まりそうな声で電話してきた。手紙を見てみるとこんな内容だ。

『令和7年4月2日

●●信用金庫/△△支店

担当:■田

服屋のおやっさん氏の近況及び返済状況の確認について

平素は格別のご高配を回り、厚く御礼申し上げます。
突然ではありますが、貴殿が連帯保証をしている服部のおやっさん氏の近況と現在の返済状況を報否させていただきます。
服部のおやっさん氏は令和7年1月に自宅で倒れて入院しておりましたが、合和7年2月に退院された以降は老人設の方で療養しております。現在は4人のご子息(その筆頭が俺だよ)が中心となり、面倒を見ている状況であります。

借入の返済状況と致しましては、当初(平成15年7月14日)に借入した3,500,000円は令和7年4月2日時点で残高1,642,000円となっております。手形貸付という融資内容となっており、貸出期日が令和7年1月20日となっていますが、介護施設へ入所した以降は手形の更新手続きができていない状況となっています。(更新手続きをご放頼していますが、 ご子息の了解がないと更新できないとの理由により更新できず)

このままの状況では当行としても本人もしくはご子息からの返済対応が無いため、連帯保証入であるあさチャン様へ通知する方法しかなく、ご連絡した次第であります。大変お忙しいと思いますが、1度ご連絡を頂ける様に宜しくお願い致します。

【該当價權】

借入種類:手形貸付

借入残高:1,642,000円

借入期日:令和7年1月20日』

あさチャンは、自分は連帯保証人になった覚えはないというし、俺もどうしたらいいのかわからねぇ。そもそも平成15年なんて、あさチャンもう親父の下で経理やったいないからな。
なにより弁護士に相談して、自己破産の準備をしているから、迂闊に手形を切りなおして借金を返していきますとも言えない。弁護士の先生から止められてるんだ。
もっとも金を払えばいいだけの話なんだが、しがない商売の俺にはそんな金はポンと出せない。
弟たちもかつて親父が滞納しまくった百万単位の家賃をみんなで分担して払った経緯があり、お前ら頼むともいえんしなぁ…。とはいえ、俺もこの一連の親父の問題でずいぶん散財した。鼻血も出ねえてのが正直なところだ。まいったなぁ(笑)

そんなこんなで、世の中金の悩みは尽きないぜ。
菌血症は直すことができる。しかし、金欠症を完治させることはなかなか困難だ。

2026/02/03

POST#1749 年をとって住むところがないのは深刻な話だ

 

奈良、十津川村にて 俺の人生いつだってこんな感じさ
すっかり忘れていたが、親父の話だ。

親父のことは思い出したくもないが、これでも俺は町一番の孝行息子といわれている。四月からは町内会の班長だし子供会の副会長だ。一応、父親のことは気にかけておいてやらないといけないんだ。たとえ俺が鬼子だとしてもね。

ちょうど一年ほど前の1月30日に、親父は菌血症の治療のために転院になった。
市民病院の支払いは、市役所に行ってあらかじめ高額医療費請求の手続きをしていたから10万ちょっとで済んだが、貧しい労働者階級の俺にはこれまた痛い出費だ。
俺の親父には、そんな金はない。
金欠症の治療で俺が入院したいぜ。
さて、その転院先の病院は、俺もその前の年に腎臓結石と菌血症で入院していたことがあるんだ。ほかにも交通事故で大腿骨をへし折ったときとか、働きすぎで帯状疱疹になり、医者から強制的に入院させられたときとか。いつもお世話になってる。
死んだ祖母のノブちゃんも、救急搬送されたときには、旦那の庄六さんが死んだ市民病院を、死人病院だけはやめてくれと言っていたな。我が家の皆さんには鬼門だ。
担当医師は俺のちんこの先から膀胱までカテーテルを挿入する手術を執刀してくれた美熟女の女医さんだった。
あれは、思い返しても恥ずかしいな。お粗末なものしか持ち合わせていないんでね
で、2月の頭だ。俺は近く(といっても車で10分くらいか)に住んでるすぐ下の弟と一緒に、何件かサービス付き高齢者住宅を見に回った。親父に借金の保証人されて苦しんだ奴だ。俺たちは最初、レオパレスでも借りて放り込んでやろうかと考えていたんだが、どうせまた好き放題食い散らかし、金もないのに余計なものを買い込んで碌なことにならないと断念したんだ。

素敵なことに、入院していた市民病院の担当医は、俺の父は要支援も要介護も必要ない!と太鼓判を押してくれたんだ。うれしくてハラワタがちぎれそうだぜ。
だから、自然と補助がないので月々の支払いも多くなる。あと、あまり俺の家から遠いと何かと不便だし、そうなると条件は限られる。
いっそ橋の下にでも住んでくれるくらい根性座ってるんだったら話は早いが、終戦直後じゃないんだから、そういうわけにもいかない。(とはいえ、俺は近所の川にナマズを釣りに行ったとき、橋の下に誰かが住んでる痕跡を見つけ驚いたことがある)
一件目は、俺の家から歩いて行っても5分10分ほどのところで、町の中心部にも近く日当たりもよかったが、あいにく空きがなかった。
親父にそのことを告げると、「あそこは昔、繊維の商売をやっていた知り合いの系列だから惨めな思いをしたくないので嫌だから、空きがなくてよかった」だとさ。
この野郎!もうとっくに惨めなんだよ!

二件目はカミさんと二人で、車で15分ほどのところを見に行った。
そこは高い。まるでセキュリティ付きのマンションだ。敷地内には小ぶりな平屋の戸建てもある。老夫婦で住むってことだろう。
そりゃ結構なところだ。できたばかりだし、内装のセンスも素敵だ。ってことは金がかかってる。ってことは、投資を回収するためには、勢い月々の支払いも高くなるってことだ。案の定、月々に20万以上が必要だ。
空いているのでいつでもどうぞといわれたが、その金額じゃ空いててもおかしくないぜ。俺はしがない労働者階級なんだ。勘弁してくれよ。この借金だるまのくそじじいに、そんな月々金は払えないぜ。
俺たちはにこにこして話を聞き、パンフレットだけもらってかえったんだ。

そして、三件目。あまり期待していなかったけれど、もう少し手ごろな値段で入れそうなところを見に行った。少し街はずれだけれど、幹線道路を通れば俺の家から5分ほど。市内を走る私鉄電車の小さな駅にも近く、目の前にはコミュニティーバスのバス停もある。悪くない立地だ。
俺たちを迎えてくれたのは、とんでもなく腹の出た中年のにこやかな男で、仮に山ちゃんと呼んでおく。山ちゃんは、太りすぎて移動するのがしんどいのか、老人がリハビリに使う歩行器のようなものに両肘を預けて、よちよちと動き回ってる。彼の両肘は、その体重が預けられているせいで、タコになっている。そして、関西訛りの大きな声でしゃべり、よく笑う。
面白いな。キャラが立っている。ここにするか。
一階は食堂とラウンジ、二階がそれぞれの個室でトイレと洗面所、電磁調理器が付いている。風呂は一階に温泉みたいな素敵な浴場が付いている。あのくそじじいにはもったいなくらいだ。しかも、今部屋の空きがあるという。かつては満室だったが、コロナ禍の時に男性の入居者のうちの何人かが、感染対策などの煩わしさを嫌ったのだろう、出て行ってから満室になることがない状態なんだそうな。

北側の部屋は目の前に川が流れていて遠くに美濃の山々が見える。しかし、北側は埋まっているんだと山ちゃんは残念そうに言った。とはいえ、冬の北向きの部屋は陽が当たらなくて冷えるしな。南でも西でも何でもいいさ。
西側の部屋は夏、西日が入って暑いのと、見える景色が電車の高架と隣の家の壁。それを山ちゃんは残念そうに言うんだけれど、何の問題もない。
十分だ。何の問題もない。俺たちは即決した。

さて、気になるお値段は・・・月々15万くらいだ。これなら年金と俺たちが出し合った金で何とかなる。兄弟が四人いるとこういう時に助かるぜ。即決だ即断だ。
親父が退院してくるのがおそらく2月の半ば。山ちゃんは部屋の清掃や準備があるから再そっくで2月18日の契約になるって言うから、俺たちは2月の18日から入居ということで契約した。
先払いの家賃と敷金、食費、共益費等こみこみでおおよそ21万円。
俺たち兄弟は金を出し合い、親父用の口座で管理することにして、その金を払ったんだ。
新しいオヤジの部屋
机やいすや布団はすぐ下の弟が、奥さんの実家からもう使わないものを持ってきた。
衣装ケースや三段ケース、小さな冷蔵庫、タオルやトイレットペーパーなど生活に必要なものは俺が買いそろえた。ここでも出費がかさむぜ。
電子レンジは、俺が現場で弁当を温めるために倉庫に保管していたものを持ち込んだ。テレビとミニコンポは、親父が使っていたものだ。取っておいてよかったぜ。
やれやれ、これで住むところの問題は解決だ。
後は退院してきた親父をここに放り込んだら、衣食住は一丁あがりだ。さすが、町一番の孝行息子と言われるだけあるな。
しかし、気の重い問題がまだ残っている。借金がどれだけあるのかを調査して、弁護士に頼んで自己破産させるという重大な問題だ。

2026/02/02

POST#1748 日本ってなんなのか、ずっと考えてきた

京都市 政治的中立性かそれとも単なる無節操か
赤いポールスミスのショートトレンチはずいぶん前に買ったものだけど、たまに着たくなる。赤は血の色、命の色だ。

青いスーツも好きだ。クールな感じがするでしょ。

緑のネクタイも、オレンジの作業用の防寒着も好きだ。

けれど、どの色も政治的な主張と結び付けられてしまいそうでうんざりする。

いっそ、ブルースブラザーズのように真っ黒なスーツに白いシャツブラックタイ、しろいソックスに黒い靴、そんなモノトーンにしてしまいたくなる。

とりわけ、排外主義的な主張を垂れ流す政党のシンパだと思われるのは心外だ。

すでに俺たちの社会は外国人労働者なくして回らない。

いくら排除を訴えても、日本人はきつい現場仕事や、夜間のコンビニバイトをやりたがらない。便利さ、快適さは享受したい。けれど、自分たちはやりたくない。

まるで奴隷制の古代ギリシャやローマ人みたいだな。

しかし、もう何年かすると家も店舗もインフラも、建設できなくなるだろう。実際に現場で働く人間がいなくなるからだ。人間は老いる。技術を磨いても、いずれは一線を退く時が来る。実際に現場にでは50代以上のおっさんばかりだ。60歳以上は高所作業はしてはいけない建前になっているが、どいつもこいつもよじ登って仕事してるぜ。そんな有様なんだ。

そんなこと言ってたら誰が君たちのオフィスや家を作ることができる?

建築関係だけじゃないだろう。

医療看護、保育、農業、製造業、運送業、サービス業、実際に物質世界や人間そのものに働きかけることを生業とする人間は、どこも不足している。そしておおむねそういった仕事に携わる人々は賃金が安く、二級市民のように扱われている。誰がそんな扱いを望むだろう?誰が自分の子供に辛く見返りが少なく、尊敬されない仕事を勧めるだろう。

君は俺が極端なことを言っていると思うかもしれないが、自分自身に問いかけてみてほしい。

実際に日本人だけではもう社会を維持できないんだ。現実をしっかり見てほしい。

そして、それを支えている技能実習生と呼ばれる人たちも、私たちと同じ人間であることを思い出してほしい。少なくともこの国は奴隷制国家ではないのだから。

福井県では、日本は単一民族国家と選挙期間中に主張し、当選したとたんに言を翻す確信犯的な元外務官僚が知事に当選した。

そもそも日本てなんだ?

日本人って何者なんだ?

そして天皇ってなんなんだ?

この空気に流され、何もかもが論理的な話し合いと合意のないままに決まっていってしまう社会はなんなんだ?

象徴天皇制における国民の統合の象徴たる天皇の意思とジャンジャック・ルソーのいう一般意思はどう関係しているんだろう?

選挙権を持つ市民の半分くらいしか投票しない、つまり自らの意思を示さないこの国は、本当に民主国家なんだろうか?

 俺はもう何十年も、肉体労働をしつつ、そのことを考え続けてきた。答えが知りたくて我流で学び続けてきた。その間、この国はずっと停滞し没落してきた。

日本はすでに先進国なんじゃなくて、衰退途上国なんだ。日本はすごい、日本人は素晴らしいという言説や動画をうのみにせず、自分の生活実感から考えてみればわかるはずだ。

社会を包む空気や、威勢のいい言説に惑わさるることなく、どんな社会にしてゆきたいのか、自分の経験に即して自ら考え、そのうえで選挙に臨もう。

2026/02/01

POSR#1747 なぜマスコミは…

台湾、台南市、安平

大義無き選挙が真っ盛りだ。

チームみらいを除くほとんどの政党が減税を唱えている。

五公五民といわれて久しい我が国は数十年ぶりのインフレに悩まされている。

賃金ベースアップは、物価上昇に追い付いていない。我が国の労働者の皆さんは、気息奄々で自ら生産したものを購入するのはおろか、将来世代の労働者となるであろう子供を産み育てることまで躊躇せざるを得ない状況だ。マルクスが見たら小躍りして喜ぶことだろう。

自民党と連立解消した公明党が、通常国会冒頭の解散を見越して立憲民主党と合流し、新たに中道改革連合を立ち上げ、食料品の消費税撤廃を唱えると、すかさず自民党は2年間限定の食料品の消費税0%減税を掲げる。政治的な立ち位置以外は、どっちに転んでも庶民に大差はない、ように見える。我々国民は朝三暮四の猿のように、政治家や官僚から愚民とみられているのだ。

このような状況を受け、報道各社は食料品の消費税減税を行ったとして、それによって損なわれる税収の減少をどう補うか、その大盤振る舞いの財源はどうするのか?といった主張が多いように見受けられる。まるで財務省の官僚の見解を垂れ流しているようなものだ。それとも大政翼賛会か?

なぜ、逆累進性、つまり所得の低い人のほうが相対的な負担が大きくなる性向が強い消費税を推し、社会保障費が膨らみ続ける中、国民全体で支える消費税が重要だという論調の記事が多いように感じる。

なぜ、ここで我が国の高所得層上位1%、あるいは5%への所得課税を増やして消費税負担を減らすという論旨の記事は現れないのか?

なぜ、高資産保有者(所得が少なくても、資産は膨大に持っているひとだ)のもつ固定資産や債券、高額な美術品、暗号資産そういったものに課税強化して、税収を補うべきだという論旨の記事は掲載されないのか?

そして何より、紙幣の輪転機を回すまでもなく、コンピューター上の入力によって生み出される円という貨幣の本質と、その貨幣をいつでも生み出しうる国家の財政を、莫大なローンを抱えた家計と同じように危機的な状況だとあおるのか?お金は税金を払うことで国にもたらされるわけではなく、お金は国がその信用力で生み出しているんだぜ。一種の打出の小槌なんだ。

なぜ、国家の富、国家の価値、国家の将来性に対する見通しを表す円相場が安値安定でも、それを是正すべきだという力強い論調は生まれないのか?やはりこの国に希望と未来がないからか?しかし、あらゆるものを海外から輸入しないと何も生産できない小資源国の我が国での円安は、日本経済に致命的な打撃を与え続けているんじゃないのか?円安に安住して科価格競争力だけで勝負するなら、いずれジリ貧だ。一度安く売れば、次に高く売れる確証はない。むしろ、高品質、高付加価値なものを高値で売ることを考えてもいいんじゃないか?モノづくり大国とか豪語するなら、出来るはずだろう。違うのかい?それともあれは国内向けの景気づけのプロパガンダなのかい?そうかもしれない。

円が安いから、日本の労働は生産性が低いとされる。働けど、働けど、わが暮らし楽ならず。じっと手を見るだ。

俺が若いころ、円は1ドル90円だった。最近は少し持ち直したとはいえ150円台半ばをふらふらしている。俺が高校生のころアルバイトに行けば、1日一万円弁当付きだった。今はどうなんだ?

円が安ければ、日本で生産したものを海外で安く売って、シェアを確保できるってことなのかい?それとも、外国人にたくさん来てもらって、割安にお買い物していただきたいのかい?そのしわ寄せはどこに行くんだい?我が国の労働者の皆様じゃないのかい?俺が去年働いていた京都の百貨店は、次々と高級ブランドを拡充していた。買い物するのは外国人ばかりだ。

政府は莫大な借金をしていることになっている。どこに?

日本銀行だ。

で、日本銀行は100年たっても売りさばけないほどの日本企業の株を買い、挙句、株価が史上最高を記録とか御目出度いことをやってる。それはおかしくないか?企業は研究開発費に投資するよりも自社株買いで株価の時価総額を上げることを選ぶ。手軽だからだ。

みんな、よく考えてくれ。

俺たちが命を削って働いた金から徴収された税金が、より富んだ者たちに配分されている。

大企業には補助金が投入される。しかし、お上が期待して投資した巨額の補助金は、いつも成功するわけではない。むしろ、すぐに陳腐化し、収益は低下し、事業撤退となる。

国民の税金が無駄に食いつぶされている。国民はますます税金を払うことを求められる。しかし、上位1%の富裕層に課税強化すれば、彼らは日本を見限って、ドバイやシンガポールに行ってしまうというのか?日本のインフラを享受し、日本の税金を投入して育てられた労働者を安くこき使っておいて?

みんな、今回の選挙でどこに投票したらいいのか、自分自身でよく考えてくれないか。

もっと公正な社会を次の世代に残してゆこう。この国の主権者は天皇陛下でも、政治家でもない。俺たち国民一人一人なんだ。未来は僕らの手のなかって、昔ブルーハーツも歌ってたぜ。

俺はおかしなこと言ってるかい?

2026/01/31

POST#1746 ある冬の朝に届いた報せ

へい、らっしゃい!
今日、夜勤明けに息子の学校に行って、学習発表会に行ってきた。
そのあと家族でマックに行って昼食をとったんだけれど、腹が膨れると猛烈に眠気が来る。
リビングの3人掛けのソファに寝転んで昼寝をしていたら、高校生の頃の同級生が、当時の制服のまま歩いてくる夢を見た。その子は、俺の小学校の時の先生の娘さんだったんだが、もう亡くなって久しい。
平々凡々と生きてきたが、この年になると生きているだけでも大変なことだなと思う。
同級生のなかには、家業に行き詰っての末か首を吊ったものもいる。
高校生の頃に一緒に悪さをしていたパチンコ屋の息子も、もうずいぶん前に他界したという。
内容の割に、写真がばかばかしいな。

数年前の12月の明け方、布団中でまどろんでいると北海道に住んでいた友人のアカウントからLINEが届いた。

友人の奥さんから届いた古い友人の訃報だった。

以下にそのやり取りを忘れないために記録しておく。けれど個人名は伏せておく。俺が忘れるわけないからな。

『ご無沙汰しております。Yの家内です。
 こちらのLINEは、まだ繋がっているでしょうか…
 主人が先日 出張先で倒れ そのまま息を引き取りました。

 こういった形でのご連絡大変失礼かと存じますが、取り急ぎご連絡いたしました。
 生前は主人が大変お世話になりました。ありがとうございます。』

俺は驚き、落胆し、長文の変身をつづった。
『おはようございます。
あまりに突然のことで、なんと申し上げたら良いのか、わかりません。ただただ驚き、寂しいというばかりです。
奥様やお子様の心中を思えば、おこがましいことではありますが、お許し下さい。

Yくんとは、人生のなかで大切な時期を分かち合ったかけがえのない友人だとずっと思っていました。なかなかお会いする機会もないままに歳月が過ぎながら、また、機会があったなら、いろいろと語り合いたいこともたくさんあったので、残念で仕方ありません。

いずれ、札幌にいく機会を設けて、ご挨拶に伺いたいと思います。」

お知らせいただきありがとうございました。もし何か、お力になれることがあれば、お声掛けください。非力ながら、尽力させていただきます。

文末になりましたが、Yくんのご冥福をお祈り致します。Y、いつかまたそっちで会おう!

あまりの事で、乱文申し訳ありませんでした。』

彼は高校のころ、写真部だった。宮城県の松島あたりがお母さんの実家で、色白で丸顔。愛嬌のある笑顔の若者だった。就職してからも、出張や単身赴任で名古屋に来た時には、何とか仕事の都合をつけて飲みに行ったりしたものだ。
もうとっくに無くなってしまった母校の木造の文科系のクラブハウスの暗室の中で、いつまでも話し合ったり、お互いの鬱屈を吐き出しあったり、外壁の隙間から女子テニス部が練習しているのを眺めたりしていた。
何枚か写真を撮ってもらったこともある。当時は、自分が写真を撮るようになるなんて考えもしなかったからな。もっとあのころ、一緒にやっておけばよかった。

夕方、返信が来た。
『ご連絡ありがとうございました。嬉しく拝読いたしました。

折に触れ 服部さんのお話をよくしていました。
よい青春時代を共にすごされたのかな と感じています。

寒さも厳しくなってきましたので ご自愛のほどお祈り申し上げます。』


『こちらこそお気遣いいただき恐縮です。心身ともにお疲れなのは、重々承知しておりますが、もう少しだけ、お話しさせていただくことをお許し下さい。

かつて少年の頃、Y君と僕は学校の帰り道、自転車を並べて他愛もないこと、当時の自分たちには深刻だったことなど、もう内容も思い出せないようなことを語らいながら帰ったものでした。気がつくと自分の家とは全く方向の違う、Y君の当時住んでいた一宮のマンションのすぐ側までやってきてしまい、そのまま交差点で日が暮れても語り合っていたこともしばしばでした。そんな日々が、切ないほどに懐かしく思い出されます。
奇しくもいま僕が住んでいるのが、かつてY君が住んでいたマンションのすぐ近所です。
川沿いに5分も歩けば、当時Y君のお父様が働いていたであろう会社の営業所があるような場所です。
いつか、Y君がこちらに足を伸ばす機会があったなら、是非一緒に歩いて、懐かしいだろ?と言いたいと、ずっと楽しみにしていました。

きっとY君は、少しいたずらっぼく、少年の日と変わらない笑顔を見せてくれたことでしょう。
そんなやり取りが、今生では叶わぬものになってしまったことが、残念でなりません。

久しくお会いしていなかったのですが、Y君がもういなくなってしまったことを聞くと、自分の中の何かしら大切な部分が、すっぽりと抜け落ちてしまったように思われます。

出張先でのご不幸とのこと、さぞかしなにかと大変だったのではないかと推察致します。お疲れのところ、本当に長々と申し訳ありません。

例年にも増して、寒さが厳しく感じる冬になるのではと思います。どうぞ奥様こそ、ご自愛くださいますよう。』

『おふたりの様子、情景が浮かんで 涙が出ます。

長い間 単身赴任生活で お互いに淋しい想いもありました。
月に数回 帰ってくるのを待ち侘びる毎日でした。
 でももう二度と戻ってくることはない。
それが信じられない。
ふらっと ただいま って帰ってきそうな気がしています。

今は 気持ちを込めて 供養につとめたいと思っております。

本当にありがとうございました。』


『いずれ落ち着かれた頃に、ご迷惑でなければ、ご挨拶に伺います。
Y君は、精一杯生き、仕事に取り組み、お子さんたちを立派に育て上げたと思っています。
本当に良い生涯の友を持てたことを、感謝しています。』


『こちらこそ 
こうやってお話を聞くことができて 幸せです。ありがとうございました。』

その約束はいまだ果たされていない。奥さま、申し訳ありません。
生き残った自分は、死んでいった人間の記憶を背負って生きてゆかねばならない。失ったものはもう戻ることはないけれど、それでも生かされてある限り、生きてゆかねばならない。

ほんと堪えたな。

旧友の死の知らせを受けて詠める歌 二首

『冬の朝 友身罷りぬと 知らされて 
吾が身の内に 穴穿たれむ』
『友逝きて 哀れさびしく やるせなく 
傍ら寝ぬる 吾児抱き寄せり』

2026/01/30

POST#1745 首切り池の怪

かつて 名古屋市の街角で こういう雰囲気のある女性を見なくなって久しい
うちのカミさんは、子供のころ桶狭間の古戦場のそばに住んでいた。

桶狭間の古戦場は東海道国道一号線の近くだ。名古屋の南西に当たる。上洛を目指した駿河・遠江を領する大大名の今川義元率いる大軍を、桶狭間という谷間を進む街道で圧倒的に少数劣勢な若き織田信長が情報戦を制し電光石火の奇襲で打ち破ったという戦国史に残る戦闘だ。

カミさんが住んでいたのは、かつて首切り池といわれていた沼を埋めたという土地だと聞いた。桶狭間の合戦で打ち取られた今川方の兵の首が、その池のほとりで切り落とされたとか、首を落とした血塗られた刀を洗ったとかそんな言い伝えのある池だったそうだ。

それを埋めた立てた罰当たり者がどこのどいつか知らない。ひょっとしたら、山師的な商才で得体のしれない儲け話をいくつも手繰り寄せ、一代で財を成して、すってんてんになって死んだカミさんの父親かもしれない。まぁ、結構な豪邸だったそうだ。結構なことだ。

ひょっとしたら、そんな話ははなっからでっち上げで、その豪邸をやっかんだ人たちが流した作り話かもしれない。それが真実かどうかとはかかわりなく、人々がその話をなんとなくちゅうことがあったげなと認識しているということが大事なんだ。

カミさんには20歳ほど年の離れた兄がいた。俺も何度かあったことがあるが、今はどうしているだろうか。そこからわかるように、うちのカミさんの母親は年の離れた後妻さんだった。羽振りがいいとそういうことも起こる。俺のように羽振りが良くないと、品行方正でいられる。たまには羽目を外そうと思っても、先立つものがないと品行方正でいられるんだ。

で、うちのカミさんといっても、まだその頃は小学生だ。カミさんが首切り池の跡地の豪邸、面倒なので以下、首切り御殿でいく。首切り御殿で一人でふろに入っていたある日、ふろ場の壁から首のない落ち武者のようないでたちの死霊が、ぬっと飛び出してきたそうだ。

湯船に入っていたカミさんは、あまりのことに窒息しかけたんじゃないかな。

首切り御殿に現れたその落ち武者は、首のない頭を左右に振っては何かを物色するような素振りを見せると、一瞬のうちに反対側の壁に吸い込まれるように消えていったのだという。大方、切り落とされた自分の首を探し回っていたんだろう。400年以上も!

まぁ、郷土の英雄・織田信長がらみの話ではあるが、首切り池の怪とか大上段に振りかぶった割には、まぁそれだけのことだ。

彼女もまた、そんなのが見えちゃう厄介な体質のかただったようだが、俺と暮らすようになってから、そういったものを見ることはなくなったという。

とはいえ、昔はなんか聞きなれない物音がするとラップ現象じゃないかって怖がっていたんだが、俺がいるときにそんなの聞いたことがないんだよな。要は基本的に臆病なんだ。先日の公園の池の水で遊んだ息子が、人食いバクテリアに感染したら大変だと大騒ぎしてたからな。まぁいいや、そんなわけでここでも俺は、そういう方々と波長が合わないんだろうなって話だ。

今夜も仕事なんで、あっさり流してしまうぜ。

2026/01/29

POST#1744 本当に怖いものは幽霊のほかにある

タイ北部、辺境の町メーサロン
今夜は久々に仕事だ。

夜の百貨店で仕事だ。それがいつだって俺の主戦場だ。年々身体に残るダメージは蓄積されている。心身ともに辛い。しかし、働かざる者食うべからずだ。

いつまでも遊んで暮らしているわけにはいかない。まだ老人じゃないんだ。


この仕事をしていると、よく、怖くないですか?と聞かれる。

真っ暗なバックヤードを歩くこともあるし、暗く静まり返った売場も不気味に感じるんだろう。古い百貨店なら、しばしば幽霊のうわさも聞く。

しかし、いまだかつてその手のかたにお会いしたことはない。残念だ。

子供が生まれたころに仕事をしていたビルは、戦後すぐに建てられたものをつぶして建て替えた商業施設とオフィスの複合ビルだった。

ここでは、ゼネコンの建築作業員たちの間で、女の幽霊が出るという噂がささやかれていた。ゼネコンの作業が終わった後に、俺を含めた店舗工事部隊が入ってくることになるんだが、そんなおもろい噂を聞いた俺は、「よし、みんなでその幽霊にお会いして、美人かどうか確かめてみようぜ!いい女だったら、みんなでかわいがってやろう!」と意気軒高だった。

結果、俺たち店舗工事の部隊が乗り込むと、その女の幽霊はパタリとでなくなったという。

残念だ。残念極まる。

去年まで毎晩働いていた京都の百貨店も、昔飛び降り自殺した女の幽霊が出るって話だったが、それも見たことがない。まぁ、この年になれば女は面倒だからいいとい言えばいいけどね。

今まで俺が驚いたりビビったりしたのは、深夜、暗闇の子供用品売り場に響く、キティちゃんのポップコーン自販機から流れ続ける、キティちゃんの声だ。

あと、近江八幡の商業施設のバックヤードで遭遇したイタチ。このイタチによって、鼬の最後っ屁という言葉の意味を思い知った。


どうも俺はそういう類の方々と波長が合わないようで、うちのカミさんも昔はしばしば怖い思いをしていたそうなんだけれど、俺と暮らすようになってから一度もそんなことはないらしい。

むしろ俺が包丁を持ったカミさんに追いかけられて、怖い思いをしたことが何度かあると言い添えておこう。

諸君、失礼する。

2026/01/28

POST#1743 人は読んだ本でできてるんじゃないかな

大阪 心斎橋
人に本を贈ることがある。

時にそれは、自分の気持ちを伝えたり、いやむしろもっとなんて言うかな、自分の魂を分けて与えるような感覚だ。マルセル・モースの贈与論に出てくるマナ(つまり霊威といえばわかりやすいかな)のこもった呪物のようだ。

そういうところが重たいって言われるんだろうけど、自分ってのは、自分が経験してきた様々な出来事と、自分が長い間に読んできた(そして、あらかた忘れてしまった)本でできているんじゃなかろうか。本を読まない人は、どんな風に世界を見ているのか、想像もつかない。

だから、贈った本を愉しんで読んでもらえると、自分を理解してもらえたように感じるし、贈った本が、読み終わったから処分されたしまった聞くと、自分を拒絶されたような気になる。本は外付けの記憶媒体のようなものだと俺は思ってる。だから、なかなか処分できない。

昨日、息子のとっ散らかった部屋に足を踏み入れ、蔵書整理のアプリを使って息子の生まれたころ読み聞かせていた絵本を登録していた。

そのなかに、一冊紛れ込んでいた絵本。しろいうさぎとくろいうさぎ

これは高校3年生のころに付き合っていた一つ下の女の子からもらったものだ。

彼女から付き合ってほしいといわれたんだ。俺は最初は彼女の友達が気になってたんだけどね。けど、俺と彼女はすぐに打ち解けて、俺は彼女を自転車の後ろに乗せて、駅まで送った。俺の部屋や公園の片隅で愛し合った。

高校を出て免許を取り、中古のフォルクスワーゲンでよくドライブした。

今でも国道21号線を走ると、彼女と若狭の海に行った道中を思い出す。

夜中に彼女の家の前まで迎えにゆき、家族の寝静まった中、こっそり出てきたネグリジェ姿の彼女と、河原に停めたワーゲンの中で愛し合った。

彼女は年齢の割に恥じらうところもなく、お互いに心の欠損を埋めあうようにいつも激しく愛し合った。俺は何年か前に母親を亡くしながら、その気持ちをだれにも言えず苦しんでいたし、彼女は小学生のころ性被害にあい、それによって穢されてしまった自分を受け入れてくれる誰かを求めていた。俺は彼女を大切にしたいと思った。

結局、彼女とはいろいろあって別れてしまったんだが、結局、彼女をよりつらい境遇に追い込んでしまっただけかもしれない。

そんな彼女からもらった絵本が、上にあげたしろいうさぎとくろいうさぎだ。

くろいうさぎはしろいうさぎと仲良しでいつも一緒に遊んでいるけれど、いつも浮かない顔。しろいうさぎが何度も聞いて帰ってきた答えは、「ぼく願い事をしてるんだよ」というmの。くろいうさぎは、しろいうさぎとずっと一緒にいられるように願っていたんだ。それを知ったしろいうさぎとくろいうさぎは結婚し、森の動物たちから祝福されるという話だ。

(余談だが、この本は人種差別が大手を振ってまかり通っていたアメリカ南部の州では黒人男性と白人女性の結婚を奨励する本として禁書扱いになったという。あの国は、今でも根本的には変わらない。他者を攻撃することでしかアイデンティティが保てないのか?)

弟の嫁が、彼女の幼馴染だった。

大人になってから、彼女が結婚し、子宮がんになって子宮を摘出し、子供を産むこともなく離婚したことを聞いた。そして実家の家業を一人で継いでいたことも聞いた。

俺は、息子の麒麟児が生まれる少し前、意を決して彼女に一度逢いに行った。

薄暗い薬局の中に入り、奥から出てきた彼女は俺を見て心底驚いていたが、どこか嬉しそうだった。彼女は病気のせいなのか、かなり体形が変わってしまっていたが、その目元は昔のままだった。

彼女は一人で家業を切り盛りする苦労を語り、俺はそれを聞く。結婚や病気の話は言葉少なだった。俺は、結局君を幸せにできなくてごめんというのが精いっぱいだった。

彼女は言った「私のほうこそ、まだお互いあんなに若かったのに、全部せおってもらおうとしたんだもの、無理だよね」とさみしそうに答えた。

最後に俺は、何かあったら幼馴染の弟の嫁を通じて連絡しておくれ、できることは力になるからと言って彼女と別れた。

それが、今生の別れだった。

二年前の春。弟の嫁から伝えられた彼女の近況は、その春が来る前に、彼女は自分の薬局で倒れ、そのまま亡くなったという悲しい知らせだった。

また、俺は何もできなかった。せめてこの絵本は大切に残しておこうと思う。

人が人を幸せにするなんてのは、一生涯かけて成しうるかどうかという大事業だと今ならわかる。命懸けだ。ご多幸をお祈りしますなんて、軽々しく言うもんじゃないぜ。


さて、注文した本が近所の本屋に届いているはずだ。悲しい思いをしまい込んで、冷たい空気の中、一歩一歩踏みしめながら本屋に向かうとするかな。 

2026/01/27

POST#1742 本なら売るほど・・・売らんけど

名古屋

 家にある本の整理を進めている。

といっても、処分したりしているわけじゃない。一体何冊の本があるか、どんな本があるかすべて携帯電話のアプリに登録して分類しているんだ。
まだ、少し残ってはいるが、いまのところ1850冊くらいまで来た。
うち写真集はざっくり220冊ってところだ。
絶滅危惧種の動物を発見して保護するように、希少本や限定版を見つけると家に連れて帰った。海外旅行に行ったときには、見たことのない写真家の写真集をトランクに詰め込んだ。
そうして集めた写真集だ。
森山大道や荒木経惟が多いが、それは好みというものだ。
メイプルソープ
サルガド
クーデルカ、
ウィリアム・クライン
藤原新也
東松照明
ヘルムート・ニュートン
中藤毅彦
中平卓馬
スティーブン・ショア
金村修
エレン・フォン・アンワース
イリナ・イオネスコ
細江英孝
深瀬昌久

ここには書ききれない。なかなか手に入らない本も多いと思う。

カミさんは増え続ける本にうんざりしている。
友人は、写真集カフェでもやったらどう?ってさ。
それも悪くないな。オーティスのレコードでもかけながらね。
ほとんどみんな写真集 死んだお爺さんの春画の本もあるけどね

俺の住んでる町はモーニングセットの発祥の地だ。
喫茶店に朝行くと、コーヒーを頼むだけでトーストやサラダ、ヨーグルトなんかが付いてるというのがモーニングセット、略してモーニングだ。昔は小さなうどんがついてきたり茶碗蒸しがついてきたりする店もあった。
俺の死んだおじさん(あさチャンの旦那)も俺の住んでる町で小さな喫茶店をやっていた。
あさチャンのこどもは娘一人しかいなかったので、俺は御幼少のみぎりから、おじさんの息子のようにかわいがられた。正月が来るたびに小学生の俺にビールを飲ませてたのもこのおじさんだ。
若いころは俺の親父の会社で働いていたこともあるそうだが、親父と性格が合わなくてやめた。曲がったことが嫌いで、豪快、言いたいことは言う、そんな人だった。
俺が高校生のころ、小さな自分の店を開き、小商いではあるが癌で亡くなるまで続けていた。死ぬ直前まで、がんで病みつかれてやせ衰えても、家から片道10キロを自転車で通い続けたおじさんだった。決して儲かっていたわけではないけれど、自分の仕事に誇りを持っていた人だった。葬式には大勢のお客さんが来てくれたっけ。
若いころ、鬱屈したことがあれば、このおじさんの喫茶店に行き、コーヒーをすすりながら煙草を吸い、お互い何も言うわけでもなく、時を過ごした。
どんな事情や鬱屈を抱えているか、おじさんはそんなことは聞かない。けれど、自分はお前のそばにいるから安心しろという、無言の父性が伝わってきた。
そしてコーヒーを飲み干し、少年ジャンプを読み終えて、なんだか気分が軽くなり帰る時には尾張弁で「またいりゃあ」とかならず言ってくれた。懐かしいな。

俺は、おじさんのような大人になれているんだろうか。

いま、その店があったところには大きなビルが建っている。おじさんの店の向かいにあったエヴァーグリーンハウスって名前のアナログレコード屋もとっくになくなった。
もう30年くらいまえのことだ。

おじさんの喫茶店の名前はONCE MOREだった。
諸君、失礼する。今日も暇を持て余しているのさ。

2026/01/26

POST#1741 暇人はろくでもないことに金を使うのさ

名古屋市中区、堀川沿い
仕事の打合せに行ってきた。
ご存じの通り俺は内装工事業なんだけど、打合せくらいはクールなスーツにセンスの良いネクタイをしていきたい。よれよれの作業服で、疲れ切ったよれよれのおっさんをたくさん見てきた。疲れていてもクールでいたい。
腕時計はしない。シャツの袖がすり減るし、仕事でしてると、仕上げを傷つける。
指輪も同じだ。塗装面や仕上げ面を傷つけてしまいたくない。
だからせめて、ネクタイピンは欠かせない。
センスの良い小物が、キャラクターを際立たせるんだ。
俺のタイピンはレコードプレーヤーのアームの形をしているんだ。
ここんとこ毎日、仕事もなくリビングで古いアナログレコードを聴いて暮らしているからな。はるか昔の10代に買い求めたものがほとんどだ。

レイ・チャールズ
ジョン・リー・フッカー
アレサ・フランクリン

渋い。ちゃちなスピーカーからでも、アナログレコード独特の分厚い音がする。
人間のむせるような体臭までスピーカーから出てきそうだ。

しかし残念なことに、若い頃に買ったSONYのレコードプレーヤーは、ヨレヨレだ。キュルキュルと回転軸の油が切れたような音がする。

気になるな。

ただでさえ、俺はいつもキーンという音叉の音みたいな耳鳴りに悩まされてるんだから。

で、新しくレコードプレーヤーを買うことにした。
どうせなら、USB出力端子がついていて、デジタル化できるのがいいな。
ベルトドライブにするか、ダイレクトドライブにするか、それが問題だ。
俺の心がほぼオーディオテクニカのダイレクトドライブに傾き、アマゾンでカートにとりあえずぶっこんで金策を考えていると、SONYからメールが来た。俺は携帯もヘッドフォンもずっとSONY。コンデジもSONYだ。
なになに、メールには新しいレコードプレーヤーがカミングスーンだと記されていた。
なんだって!?
道理で現行のものがないわけだ。
ベルトドライブで、USB出力デジタル変換可能。Bluetoothで接続可能だ。オーディオテクニカも捨てがたいが、デザインがシンプルでうるさくない。何よりこのタイミング…。

俺に買えってことだな。

それはソニーのサイトにアクセスし、お誕生日割引も使って予約したのさ。
待ってろよ、俺のヴァイナルども!
俺が小学五年生で初めて買ったレコード盤・YMOのマルティプライズも待ってろよ!
どうせ俺は仕事を切られた暇人なんだ。金のことは後で考えさせてもらうさ。音楽がなかったら、俺はここまで生きてこれなかった。この糞が扇風機にぶつかったような人生の、第四コーナー曲がった後の墓場までの一直線を、このレコードプレーヤーとともに生きていくんだろうよ。ざまぁみろ!

2026/01/25

POST#1740 神頼み

辛夷かな?
昨日、車のお祓いに行ってきた。

去年の暮、京都の仕事で契約解除された後、持ち込んだり買い足したりした道具や、京都の丸善で買いためた本を引き上げるのに車が必要だったんだ。

そして京都に行く道すがら、ぼんやりしていて追突してしまったのだ。

これが俺も相手もプロボックスのハイブリットで苦笑いしてしまったのだが、追突する前の意識が完全に飛んでいて、気が付いたら車が目の前にいて、急ブレーキを踏んでも間に合わなかったんだ。俺にはサングラスを外すために一瞬目を離したすきに車が現れたようにしか感じられなかった。

車がぶつかる瞬間は、時間がスローモーションのように、ゆっくりと流れる。粘性の高いグリスの様にだ。むかし、高速道路でスピンして、追い越し車線から路肩まで三度もぶつけまくった末に命拾いした時も、そんな感じで時間がゆっくりと流れた。何度も経験したくはないもんだが、俺の業界では、車を一台か二台事故で廃車にして一人前という恐ろしい言い伝えもあった。笑えないぜ。

相手の車はリアハッチが開かなくなり、俺の車は・・・、なんかバンパー回りやボンネットがひずんでいる。それでも警察の実況見分と保険屋への連絡を済ますと、俺は京都に荷物を取りに行ったんだ。

修理に出すと、たいしたことないと思っていた自分の車の損傷が、かなり深刻なものだったことが分かった。よくもまぁ、ぶつけた後に京都まで往復したもんだ。今年の保険料の上昇が楽しみだ。

で、それが23日の夕方に、ほぼ一か月ぶりに直ってきたので、さっそく毎度おなじみ真清田神社に行ってお祓いを受けてきたのだ。神頼みだ。人間、どうにもいかないときには、人知を超えたものにすがりたくなる。今回は経費でお祓いだ。寄付金で仕分けするんだ。

事故の原因は、自分にある。自分の意識が白昼飛んでしまうほど、脳が疲れ切っていたんだ。人間夜勤ばかりやっていると、自律神経がおかしくなる。睡眠不足になって脳に疲労が蓄積していく。挙句、理性が飛んでろくでもないことをしでかす。

身から出た錆だ。とはいえ、失ったものは大きい。

不幸中の幸いは、そんな事故で人を殺生しなかったことだろう。

去年は親父のことから始まって、うんざりするようなことの連続だった。まさに糞が扇風機に激突したような気分の一年の締めくくりだった。

過ぎてしまえば笑い話とは言え、完全に復調するまでは、笑うに笑えない。

人の不幸は心置きなく笑い飛ばすことができる。しかし、自分のへまが笑えるようになるには、しっかり休養を取り、自分自身を休め、そののちに仕事に復帰して、会計監査のように手堅く結果を出していったあとしか笑えない。

そんな日が一日も早く来てほしいもんだ。

2026/01/24

POST#1739 孤独な年寄りが猫を飼うのは考え物だ

孤独な老人の生活の痕跡はクロスのシミくらいだ。

俺は一番下の弟と一緒に閉店間際のホームセンターで猫用のケージを買ってから、親父のアパートに乗り込みんだ。そうして、案の定ビビりまくって押し入れの中に隠れている猫を、ひょいと手を伸ばして捕まえ、すぐにケージの中に突っ込んだ。

猫は、ちゃんとケージに入れておかないとパニックになってどこかに逃げてしまう。基本的に警戒心が強く、臆病な奴らだ。人に懐かずに家に懐くといわれるくらいだ。

もう25年くらい前、うちのカミさんの父親が亡くなる直前に、やはり一人暮らしの父親のアパートから大きなトラ猫を引き取ってきたのだけれど、慣れない環境に置かれたとたん、すきをついて逃げ出してしまって、もう二度と捕まえることができなかった苦い経験があったからな。同じ過ちは二度は繰り返しちゃいけない。まぁ、命取りになるような失敗は一度やったらおしまいだけれど。

往々にして孤独な年寄りは、動物を飼って孤独な心を満たそうとする。けれど、自分が面倒を見れなくなったとき、その動物がどんな運命をたどることになるのか、よく考えてほしいもんだ。

しかし本当に助かった。俺だって、猫を縊り殺して、大家の家の軒先にぶら下げたりしたくはない。弟はそのまま一泊して日曜の朝、猫を連れて埼玉に帰っていった。

さて、そこからが体力勝負だ。肉体労働だ。頼りになるのは自分の手足だけだ。

俺は、一人で親父のアパートに乗り込んで、必要なものは段ボール箱に突っ込み、不要なものは可燃ごみや不燃ごみの袋にガンガン放り込んでいった。

父の近所に住む年老いた友人たちも、様子を見に来てくれる。すぐ下の弟も、時折様子を見に来てくれた。翌日の打ち合わせもあったしな。あらかたのものがゴミ袋に収まるころには、外は真っ暗だ。

そんな合間を縫って、俺は次から次に袋に詰めたごみをゴミ捨て場に運んだ。なんせ月曜の朝は可燃ごみ収集の日なんだ。日曜の晩から出すのはちとフライングだが、仕方ない。あっという間にゴミ置き場には黄色いごみ袋の山が出来上がった。必要そうなものを詰め込んだ段ボールは、俺が仕事のために借りている倉庫に何度もピストンして運び込む。こんな時、仕事に使ってる愛車のプロボックスは最高に頼りになる。

親父が金もないのに買い集めていた九谷焼の茶碗や、はるか昔まだ俺の生家があったころ床の間にかけられていた掛け軸だの、ブラスバンド部に在籍していた弟が使っていたトランペットだの、すこしでも換金できそうなものは、ひとまとめにしておいた。少しでも換金して足しにしないと。そんな中に父の友人が、これは欲しいというものがあれば、快く差し上げた。もう半分死んだようなもんだから、形見分けだ。大忙しだ。

すべて終わった時には、もう日付も変わるころだった。煙草をやめてなかったら、一服つけてしみじみと自分を労わってやりたかったぜ。

そして月曜の朝、すぐ下の弟が手配してくれた便利屋さんがやってきて、手際よくトラックに食器棚やら仏壇やら、もう使うこともない布団やらを積み込んでくれた。ガタガタな洗濯機、俺が運転免許を返納させたときに買ってやった自転車、油まみれのガスコンロや電子レンジ、この際どいつもこいつもゴミ野郎だ。処分費〆て金壱拾萬円也。俺は準備していた金を即金でお支払いさせていただいた。あぁ、俺が稼いだ金が、こうして消えていく。いや、社会に循環してゆく。もう少し、俺のところにとどまってくれればよいのに。

九谷焼の茶碗だの掛け軸だの北海道土産のクマの彫り物なんかは、〆て一万五千円くらいにしかならなかった。大枚はたいて買い集めただろうに、そんなもんだ。

そしてあっという間に、部屋は空っぽになった。

俺は例の資産家の大家に、すべての家財を処分し、鍵を返しに行った。

親父のアパートから歩いてすぐの田舎の豪邸だ。静まり返っている。呼び鈴を押しても応答もない。大音声でごめんください!と声を張り上げても、寂として声無しだ。誰もいない。

仕方ない。俺はなぜか知っていた大家のLINEに、お宅の郵便受けに部屋の鍵を入れておくと写真付きで送ってみた。すると、水道代がまだ払われていないとかいう返事が返ってきた。面倒だ。俺はさっきの九谷焼とかを換金した金から一万円抜き取り、鍵と一緒にビニール袋に入れてポストに放り込んだ。もう、金輪際かかわることはないさ。あばよ

万物は流転し、九谷焼は水道代に代わる。釣りはいらねえよ!


2026/01/23

POST#1738 ノブちゃんの13回忌

世界の街角から 今日はヴェトナム、ホイアンの街角から
さて、話の続きだ。
回復著しいからとっとと退院してほしいという病院側を、包括ケアという名目で、住処を見つけるまで何とかもう少し置いてほしいという、両者のつばぜり合いをしていたら、ありがたいことに親父が菌血症になってくれたおかげで、住処を探す時間ができた。二月の半ばごろまで入院することになるということだ。
あの病気は面倒なんだ。症状が治まったと思って退院しても、横着するとすぐ発熱する。つまり、血液の中で菌が増殖してぶり返してしまうのさ。
この時点で去年2025年の1月20日。
俺としては、猫を保健所送りにするか、誰かに押し付けるかして、今の資産家の未亡人の部屋をとっとと引き払いたいんだ。一月中に。
これが他人事だとみんな思っているだろう。
だけど、人間は誰だって老い、衰えて、死ぬ。
そうすると膨大な量のガラクタが生じる。生きてる頃は生活必需品だったり、衣服だったりしたものがガラクタになるんだ。俺たちの人生は、直言すれば苦労して働いて、ガラクタをため込んでるようなもんだ。
こいつを片付けるってのは、残されたものの務めになってしまう。
他人事ではないんだ。
美しい人も、勇ましい人も、抜け目ない人も、いつかは老いくたばる。世の中死と税金からは逃れられんのよ。
俺は自分の会社の名義でレオパレスでも近所に借りてそこに放り込むことも考えた。しかし、それは単なる問題の先送りに他ならない。
弟は、損害保険の仕事のつてで、家財などの処理業者に渡りをつけてくれた。月予備の朝、来てくれることになった。よし、絶対に一月中、いやこの週末にけりをつけてやる。
あとは猫だ。
その問題が解決しないまま、1月25日の土曜日にノブちゃんの13回忌があったんだ。

信行寺という馬次郎さんのころからのお寺で法事は行われた。なんせ、仏壇はゴミ屋敷のなかだ。しかも、創価学会の仏壇があり、俺は母親の淑子さんが死ぬ前に創価学会にすがっていたので、創価学会が嫌いだった。当時は折伏とか言って彼らは熱心に布教していたし、母親を亡くしたばかりの中学生の俺に、母親の遺志を継いで学会員になるように家に押しかけえ来たりもされた。

俺は親父の家から救い出しておいた繰出し位牌と写真を持っていくことにした。あと、京都で買った牛骨を髑髏に彫って連ねた数珠とね。こいつは傾いてる。イカすぜ。

今回は俺を長男とした4人の兄弟のうち、3人がそろう。この三人が中心になって今回の一連の父の問題に取り組んできた。
俺の親父は法事が大好きだった。法事を行うといえば、親族が集まる。その中心で気分よく振舞うことができる。で、そのたびに料理屋で一席設け、皆にふるまう。ご機嫌だ。孤独な老人の楽しみだ。
俺は、そんな大盤振る舞いする余裕なんかないことを知っていたから、もう死んで何十年もたつような人の法要を行うのはやめようと父に言い続けてきた。
で、十年ほど前に一度、これからは法事はお前に任せるといって、俺が取り仕切ったことがあったのだが、この時には裏があった。
お寺から檀家に、本堂修復のために一口10万円也の寄付を求められていたのだ。たしかノブちゃんの三回忌だったんじゃないかな。
仕方ない。俺は金を工面して金封に包み、おっさま(俺の住んでいるあたりじゃ、浄土真宗のお坊様をおっさまと呼ぶんだ)に渡した。
そして父には、以後、法事はすべてお前に取り仕切ってもらうということを約束したんだ。
そう、何十年もたった人の法事はしない。法事の後に会食はしない。そもそも今時、車で来る人ばかりだから酒も飲めないし、親戚同士とはいっても、いろいろな確執もあって、責を共にしたくない人もいる。質素倹約、死者を想い出して悼む心をもちよれば十分だ。
しかし、そののち親父は、俺に黙って俺の母の淑子さんの三十三回忌をやりやがった。
すぐ下の弟にだけ告げて、お寺で俺の母親の法要をやりやがったんだ。
以来、親父とは断絶していたんだが・・・。
しかし今回は、親父は入院中でいない。あらためておっさまにあいさつし、今後とも良しなにおつきあいくださるようにお願いしてきたわけだ。

さて、自分が自分がという親父がいないと、あっさり終わる。
あっさり会食もする気もなかったので、遠方の叔父さんには、自分がしっかり務めるからお任せくださいと言って、来なくても大丈夫なように計らっておいた。年金暮らしなのに、新幹線に乗ってきて、わざわざ寒い思いをしてお経を聴き、お布施も出しておきながら、会食も無しなんて申し訳なさすぎる。
叔母たちの中には、物足りなさそうにしている者もいたけれど、久々に盛り上がりたい人たちはめいめいでやってくれたらいいんだ。
こっちは、親父の病院代がいくらかかるかわからないし(高額医療費請求があるからそこまでひどくはならないだろうけどね)、どこか住むところも探さないといけない。家財道具を処分するのもそこそこ金がかかる。どんどんノブちゃんに似てくる叔母たちに大盤振る舞いすることはできないんだ。
終わった後は、埼玉の奥地からやってきた弟もつれて、兄弟で親父のアパートに行った。
この時だ、弟が猫を埼玉の自分の家に引き取ってもいいと言ってくれたんだ。
素晴らしい!君こそMVPだ。
それともノブちゃんの13回忌をやったことで、あの世からノブちゃんが計らってくれたのか?
俺はさっそく、弟と近所のホームセンターに向かい、肩から下げられる移動用のケージをカードで買い、二人で猫を捕まえに行ったんだ。

2026/01/22

POST#1737 読みかけの本を閉じるように

紀州熊野

俺の親父の生への執着には、恐れ入る。
俺は、別にいつ死んでも構わない。
この先なにかやるべきたいそうなことや、やり残したようなこともない。
幼い息子は息子で、自分の人生を歩むだろう。
たんと苦労するがいい。
彼はうまくいけば22世紀までたどり着けるだろう。

読みかけの漫画を、ふと嫌になって読むのをやめるように、その時が来たらあっさりと死んでいくつもりだ。死んでからのことを心配しても仕方ない。
できることなら、中世イランの科学者で詩人であったオマル・ハイヤームのように死んで行きたい。
手元にある平凡社ライブラリー『ルバイヤート』はオマル・ハイヤームの詩集であるが、訳者の岡田恵美子先生によって記されたあとがき(177ページ)によれば、伝えられている彼の死の様子は以下のようだ。

「彼はつねづね金の爪楊枝を用いていた。ペルシアの哲学者アヴィセンナの『治癒の書』を読んでいたが、「一と多」の章まできたところでその爪楊枝を頁の間において本を閉じると、遺言のための公正な証人を呼ぶように命じた。それから遺言を済ませ席を立って祈り、その後すべての飲食を断った。その日の夜、最後の祈禱を済ますと彼は跪拝したまま「おお神よ、私が力の限りあなたを識ろうと務めてきたことを、あなたはご存じです。私の罪をお赦しください。あなたを識ることは、あなたに近づく私の手段だったのです」―そういって、彼は息絶えた」

われらが消えても、永遠に世はつづき、
われらの生の痕跡も、名ものこりはしまい。
わららが生まれるまえ、この世に欠けたものはなにもなく、
われらの死後、何の変化もあるまい。

       オマル・ハイヤーム (平凡社ライブラリー版ルバイヤート78頁より)


蛇足

先日、友人とはなしをしていてふと思いついたんだが、リストカットとかしてしまう人がいる。しかし、かみそりで切った痕は手首に残っていても、思い切って電動丸鋸とかで手首を切り落とす人はいない。みんな、あれは本気ではないんだなって。
本人たちは切実でも、本当は生きて誰かに存在を無条件に受け入れてもらいたいんだな。

そういうことか。

2026/01/21

POST#1736 不死身の男

世界の街角から 今日はカトマンズ

 HCUに入っていて、半死半生の親父にできることは何もないので、俺は仕事に戻ることにした。去年は今年と違って大忙しだった。本当なら今年も今頃大忙しの予定だったが、人生はどこで何が起こるかわからない。

で、週末ごとに病院に行ってみると、いつのまにかHCUから出て、一般病棟に移っているじゃないか。インフルエンザは緩解したようなので、一般病棟で点滴点滴、通路をゆっくり歩くリハビリだと。

豊子さん、豊明さんなら、もうそっちに連れて行ってくれてもいいんだぜ!
ノブちゃんもうすぐ13回忌の法要だってのに、親父のことを守りすぎじゃないのか?

いかにも冗談の通じなさそうな無表情な主治医からは、このまま何もなければおよそ二週間で退院だと告げられた。
冗談じゃない。俺は一月中に親父のアパートを引き払い、どこか住むところを見つけてやらなきゃなと思っていたのに。目算が狂っちまうよ。資産家の未亡人の大家には、ぐだぐだ文句ばっかりこきやがるから、一月分の家賃で5万円現金で押し付けてきて黙らせてきたというのに。ここであのアパートに戻ったら、元の木阿弥だ。また何年も年取った猫と一日中テレビを見て、あれこれ好き放題食いまくる生活に逆戻りだ。
親父に面会すると着替えを用意してほしいという。一般病棟に移ったので、寝間着とか下着とかが必要なんだと。

まったく、俺の親父は不死身なんじゃないか。
いや、もう死んでるけどゾンビなんじゃないか。

俺は病院のケースワーカーさんとの面会を取り付けて、なるべく俺の家から近くて手ごろな金額で入所できる高齢者サービス住宅をいくつか紹介してもらった。
俺は近くに住んでいる弟と連れ立って、高齢者サービス住宅の見学に行ったりした。忙しいったらない。
市役所に行き、老人福祉課で要支援・要介護認定の依頼もお願いした。これがあるのとないのとじゃ、入れる施設も金額も何もかも変わってくる。
それに何より親父の財務状況、それも借金のことをはっきりさせておかなけりゃならない。
俺は、そそくさと親父の埃っぽいアパートに向かった。
倒れた直後に、食料品や生ものなどは処分しておいた。例によって土足で立ち入り、積み重なった書類や書類ケースの中に無造作に突っ込まれた小切手帳、壁に張られた督促状、銀行の通帳、ATMの振込明細、実印、もう使われていない社印と社判、そんなものを山ほど回収した。
年取った猫は、相変わらず押し入れの中に隠れて様子をうかがっている。
銀行の通帳はいくつも出てきた。一体いくつの銀行に口座を持ってやがるんだ。マネーロンダリングでもしてるんじゃないのかってくらいだ。
昔一緒に住んでいた女性の銀行口座に振り込んだ明細も出てきた。くさい。
鋏の入れられた小切手帳、5000万円とかぞっとするような金額が記されているものもある。
これが焦げ付いているんじゃないだろうか?
債権回収会社からの葉書。どうも昔、カードで買い物した金を踏み倒し、それが今や年利14%で雪だるま式に膨れ上がっているようだ。
銀行からの借金は、少しづつ返済し、都度手形を切って返済期限を更新してゆくという、聞いたこともないようなトリッキーなことをやっている。

社会人になったばかりのころ、数千万円の借金の保証人にされて精神的に追い詰められていた経験を持つ弟は、この伏魔殿にはあまり近寄ってこなかった。

ついでに親父の着替えを探してみたが、下着もよれよれ、服も襟や袖がほころんでいる。みすぼらしいったらないぜ。
俺はそれらをすべて市の可燃物のごみ袋に突っ込んで、近所のGUでしこたま下着やラウンジウェアを買い込んだ。GUでこんなに買い物したのは初めてだったぜ。

そうこうしているうちに、親父が尿路感染で菌血症になってしまったという連絡が入った。
その前の年に俺が腎臓結石になったときに発症した奴だ。血液の中に菌が入りこみ繁殖してしまう。悪くすると死ぬ。しかし、病院からは死ぬことはないので安心してください、ただ、退院が伸びますとの説明だった。ベッドの空きがないので、1月末ごろに転院していただきますというありがたいお話だった。
ついでに言うと、市民病院の主治医は親父には要支援も要介護も必要ないという判断を下したんだとさ。俺は肌の白い無表情な若い医師の顔を思い浮かべた。
くそじじいめ、リハビリ頑張りすぎだろう。その生に対する執着はいったいどこから湧いてくるんだ?

俺も頭の上に人魂が飛んで、頓死してしまいたいと思ったぜ。
やれやれ、この憂鬱な話はまだまだ続く。

2026/01/20

POST#1735 大切なことは祖母から教わった

 

長野県 南信州 平岡 パチンコ屋すら潰れてしまう山奥の町
いつか機会があったなら、自分の聞いている家族のナラティブを書き記しておきたかった。

俺ももう決して若くない。人生なんて一寸先は闇だ。この瞬間だって闇鍋みたいなものだ。今暇なら、今やってしまおう。自分の短慮と愚かさから、多くの心残りを作り出してきた。

失ったものはもう戻らない。けれども、人生は続いていくんだ。できることなら、一つでも心残りをなくしてから前に一歩づつ匍匐前進していくしかないんだ。

ノブちゃんの話だ。ノブちゃんは旧姓阿久根というのだが、先祖は鹿児島県の阿久根市の出なのだろう。地名が姓になっているということは、さかのぼれば在地の豪族か地頭職か何かだったのかもしれない。

ノブちゃんが話してくれたことの中に、ノブちゃんの祖父だか曽祖父だかは、明治時代に村長だったそうなのだが、助役が山林業者と結託して村有林の木を伐り、その利益を着服したという事件に直面したという。そしてその責任を取って、自宅で切腹して死んだという。いかにも薩摩隼人というエピソードだが、今となってはそれが本当か否か、確かめる術はない。が、何度も聞いたこの話で、男の(今時男のとか女のとかいうと差別になるんだよな)いやさ漢の責任の取り方は、突き詰めたら切腹しかないんだと刷り込まれた。実際に会社員のころ、お前どうやって責任取るんだ!と言われ、そんなもん切腹する覚悟だと答え、空気を凍り付かせ、押し切ってしまったこともある。まぁ、切腹せずに済んだから今があるんだけれど。

また、戦争中は軍人が威張っていて、息苦しい嫌な時代だったと何度も聞かされた。戦争に負けてよかったとすら言っていた。

ノブちゃんの弟のうち一人は熱心な創価学会の信者になり、一番下の弟は共産党員だか、共産党シンパだったと聞いている。彼女は選挙では共産党にしか投票しなかった。公明党ではなかったようだ。

これも自分の価値観の形成に大きくかかわっている。

さて、そんな薩摩隼人の血を引くノブちゃんが、先妻の豊子さんの子の豊明(つまり俺の父)を庭先で遊ばせていると、生け垣の向こうからしげしげと豊明の様子を眺める旅の僧侶がいた。僧侶はノブちゃんに

「相すまん、つかぬ事を伺うがそこで遊んでいる子供の母親はどちらかな」と声をかけた。

「私がそうです」とノブちゃんが答えると「それは面妖な」と首をひねる。

いぶかしく思ったノブちゃんが仔細を訊ねると「なに、その子供のそばには大柄な女人の霊がぴたりと寄り添って居る。大方その女人がその子の母親であろうと見ておったのじゃ」

するとノブちゃん、自分はこの子にとっては継母であることを僧侶に告げた。僧侶は「やはりそうであろう。この女人の霊は、この子供のことをたいそう案じており、近いうちに連れて行ってしまおうとしておる。ねんごろに供養しなされ。悪いことは言わぬ。一刻も早くだ」などということを告げたそうだ。

ノブちゃんは驚き、檀家の寺に子供を連れてゆき、お坊様に旅の僧侶のいったことを伝えて先妻の豊子さんの霊を供養したのだという。その時にノブちゃんは、「この子のことは私が生涯かけて守ります。ですから連れて行かないでください」と何度も何度も心の中で誓ったそうだ。

結果、ノブちゃんは俺の父豊明だけでなく、やはり母親を早くなくした孫たち、つまり俺を筆頭にした不出来な息子四人も育て上げた。自分が誓ったように、俺の父を一生を費やして導き守ったのだ。

20歳まで生きないといわれていたノブちゃんが91歳で亡くなってから、この23日で13年が経つ。早いものだ。本当にありがとう。

1922年3月15日~2013年1月23日

2026/01/19

POST#1734 まるで水木しげるの漫画のような世界がかつてはあったのだ

世界の街角から うーん、どこだっけスウェーデンのヘルシンボリだったかな

 毎日暇そうだなって思われているだろうな。

暇だよ。いろいろあって仕事の契約を切られてしまったからな。それは仕方ない。身から出た錆だ。誰を責めるわけにもいかない。潮時だったんだ。で、方々に声をかけて仕事くださいって言ったところで、早々急に仕事が降ってくるもんじゃない。やることなんて掃除洗濯料理、そして読書くらいしかないんだ。無芸大食だ。まるで老後の暮らしだ。こんなのが死ぬまで続くのかと思うとぞっとする。仕方ないからひまつぶしに毎日書いているってわけだ。

さて、昨日の続きだ。

祖父の庄六は、そのうちに徐々に持ち直し、ノブちゃんの弟のたちと商売をするようになったようだ。町で雑貨店を営んでいたと聞いたことがある。ノブちゃんの行商が発展したものだ。その頃には俺の親父の豊明も小学生になっていたことだろう。

のんびりした時代で、掛け売りした商品の集金に自転車で回ることも度々だったという。しかし、庄六さんは根っからの善人で商売に向いていなかった。エリート商社マンだったはずなんだが、もしかしたら戦争で根本的に価値観が変わってしまったのかもしれない。

集金に行き、貧しい相手に今日食べるものを買うお金もないと泣きつかれると、仕方なく集金を次回に繰り延ばし、それどころかよそで集金してきた金も与えてしまうような人だったという。

その点、当時まだ小学生だった俺の父・豊明のほうが、情け容赦なく売掛金を回収してきては商売人らしさを発揮していた。

そんな寛大な庄六さんは周囲の人々からは好かれていたが、家族の生活は苦しかっただろう。にもかかわらず夫婦仲はよく、先妻の豊子さんの子である俺の父の豊明、ノブちゃんの子のあさチャンの後に娘が三人、男子が一人と次々生まれた。そりゃ、ノブちゃんも行商どころの騒ぎではない。貧乏の子だくさんだ。

このお人よしな性格のせいで、後に入来町の店も人手に渡り、ノブちゃんの弟たちも含めた一家は新天地を求め、岐阜へと移住することとなる。それはまたのちの話。

そんな庄六さんが集金に行った帰り、峠道を自転車で走っていたときのことだ。

庄六さんはその時、相手先で一盃ごちそうになり、上機嫌で暗い峠道を走っていた。すると急に強い風が木々を揺らし、ゴーっ!と列車が通るような音が上から聞こえてきたかと思うと、峠道の上を大きな火の玉が飛んで行ったという。

普通、火の玉が頭上を飛んでいくと自分の魂も持っていかれて、頓死してしまうと信じられていたようだが、幸い庄六さんは酔っぱらって上機嫌、心ここにあらずという有様だったので、腰を抜かしてひっくり返っただけで済んだのだという。(とはいえ、のちに火のついた練炭を取り落とし、入院していた病院で死ぬという運命が待ち受けていたわけなんだが。)

まるで水木しげるの世界だ。眼鏡をかけて出っ歯の主人公が、ハフッ!とか言って目を回して卒倒する一コマが目に浮かんでくる。

祖母からは、峠道などで急に体がだるくなり動けなることがある。そんな時は、昔そのあたりで行倒れて死んだ者の魂が憑りつき、その死者の味わった餓えや疲労が自分の身に生じるのだと聞かされた。そんな時は手に米という字を指でなぞり、その手のひらを舐めるとよいとも聞いた。

この話から察するに、その人魂はその峠道で力尽き、命を落とした人のものかもしれない。

読者諸君、今日はこれで失礼する。暇なのは暇だけど、本屋に注文したトマ・ピケティの新刊を受け取りに行ってこようと思ってるんだ。

2026/01/18

POST#1733 まるで遠野物語のような…


世界の車窓から 今日はスウェーデン南部からお送りしましょう
見える人といえば、うちの死んだお祖母さん、ノブちゃんもこれまた霊感のある人だった。
俺が子供のころ、お風呂の中で祖母が人生で体験した様々な奇妙な話を聞かされた。
それは、確実に自分の芯に植え付けられている。
俺が死んだら、それは消えてしまうのは惜しいので、いくつか書き残しておこうと思う。

昔、大正11年1922年に生まれた祖母が、まだ6歳くらいのころだ。
鹿児島の入来(現在の鹿児島県川内市)というところに住んでいた。
ノブちゃんの家の隣には、年老いた老婆が住んでいたそうだ。老婆はノブちゃんを常日頃かわいがっていた。
老婆は一人で暮らしており、日々弱っていったそうだ。ノブちゃんはしばしば様子を見に行き、水を飲ませたりしていたそうだ。現代とはずいぶん違うな。
ある日、まだ陽も明けきらない頃、ノブちゃんはふと気配を感じ、目を開けるとそこに隣家の老婆が立っていて、ノブちゃんにいつもありがとうと何度も礼を述べたという。
そして、ちょうどその刻限に、その老婆は息を引き取ったということであった。

まるで、遠野物語に出てくるような話だ。
吉本隆明の共同幻想論からすると、日々老婆の衰弱していく様を見ていたノブちゃんが、そろそろ老婆の生命が終わるであろうことを無意識に感じ取り、そのような幻覚をみて、実際の出来事と関連付けたということもできよう。

こんな話も聞いた。

おそらく、昭和21年戦争で負けた祖父の庄六さんとノブちゃんは、俺の父の豊明、そして戦争が終わってすぐ後に生まれた叔母のあさチャン(のちに父の会社で経理を担当することになる)を連れて、生まれ故郷の鹿児島県入来町(現在の鹿児島県川内市)に帰ってきた。
祖父の庄六は、伊賀の服部郷から尾張の木曽川の湊町・起(現在の愛知県一宮市起町)に、木曽の良木を求めて移住してきた欄間師だった。欄間とは床の間の障子の上にある彫り物だ。みたことあるでしょう?
しかし、庄六さんが生まれたのが遅かったため、久保田信蔵・うの夫妻の三男庄吉を養子に迎えており、庄吉が家督を継ぐこととなっていた。長子相続制だ。そのあとに生まれた祖父の庄六は実の長男ながら傍流とされ、戦災を免れた自分の生家に帰ることはなかった。

戦前から大阪の商社に勤め、俺の父を産んだ妻の豊子さんが早くなくなったため、戦争中は父の豊明を連れて大陸に行き、日本軍の軍馬の飼料を扱う商いで成功したそうだ。かなり豪勢な暮らしぶりだったという。
ノブちゃんの話では、広大な屋敷の四方にめぐらされた塀を兼ねた使用人の部屋には、2000人もの人々が住んでいたという。しかし、いくらなんでも2000人は盛りすぎだろう。

ノブちゃんは子供のころから心臓が弱く、二十歳まで生きることはないだろうといわれていたそうだ。そこで、短い人生好きにやりたいと当時日本の同盟国であったドイツの租借地青島(チンタオ)に渡ったんだそうだ。そこで、当時の日本より医学の進んでいたドイツの薬品(バイエル社だと言っていたな)を使った治療を受け、健康になったんだそうだ。

そして、二十歳を超えて生き永らえたノブちゃんは、(おそらく庄六さんに子供の世話を頼まれたのだろう)まだ四歳ほどの俺の父に懐かれ、これを見捨てることもできなかったのか、それとも情が移ったのか、庄六さんと結婚することになった。

まぁ、ある意味自分の人生は終わったようなもんだ。しかし、それが人生だ。

戦争が終わり、現地の人々から慕われていた庄六さんは、周囲の中国人の友人から日本に帰らず中国に残ってはどうかと勧められたが、昭和21年になってから(昭和20年の12月に叔母が生まれているので、身重のノブちゃんを連れて帰還船に乗ることは考えにくい)ノブちゃんの故郷である鹿児島県入来(現代の鹿児島県川内市)に引き上げてきたのだった。

庄六さんは、燃え尽き症候群だった。
有能な商社マンから、軍相手の商売で財を成したが、敗戦ですべてを失ったことで、どう生きるべきかわからなくなっていたんだろう。子供だけが残ったと涙を流して引き揚げ船で海を眺めてつぶやいていたとも聞いた。

しかし、生きていくのはどんな時代でも銭はかかるし、待ったなしだ。
ノブちゃんは乳飲み子を抱えて行商などで働いた。
あまりに忙しかったので、ある日、近所を流れる川(川の名前まで聞いてはいないが、入来町を流れる桶脇川かその支流の後川内川か)の岩の上に叔母のあさチャンのおむつを広げ、岩の上で洗ったそうだ。
その夜から、あさチャンはどこか痛がるような素振りで夜通し泣き続けるようになった。
今のようにCTだのMRIだのない時代だ。集落の祈祷師に原因を探ってもらうこととなった。
まるで水木しげるの漫画のようだ。しかし、こうしてみると拝み屋、祈祷師などは昔はそこそこ集落にいたのかもしれない。混沌とした時代だ。
祈祷師の見立てによれば、ノブちゃんが赤ん坊のおむつを洗った岩の上では、目には見えなくとも河童が集まり集会をしていたのだそうだ。
そして、車座になった河童のみなさんのど真ん中で、糞便に汚れたおむつを洗ったのだそうだ。
河童は怒った。そして夜な夜な乳飲み子のあさチャンの柔肌を針で刺すようにして、苦しめていたのだという。
ノブちゃんは、その祈祷師に進められ、その岩の上に簡素な祭壇を設け、瓜やキュウリなど河童の好む供物を供え、非礼をわびたという。
その夜から、あさチャンの夜泣きはぴたりと止まったという。

検索してみると『鹿児島県入来(いりき)地方(現在の薩摩川内市の一部)には、河童(地元では「ガラッパ」とも呼ばれる)に関する伝説が伝わっており、特に高城(たき)地区では、高城川で河童に稚児が引き込まれたという伝承があり、馬に乗った稚児の木像がご神体とされています。また、夏に川に降りてきて冬は山へ戻るという「ガラッパ」の声が聞こえるという話や、風呂の残り火に現れる「ガラッパ」の話など、河童(ガラッパ)信仰や伝承が根付いている地域です。 
入来(高城)の河童伝説のポイント
ガラッパ:南九州の方言で河童のこと。鹿児島県本土でも「ガラッパ」と呼ばれています。
高城川の稚児伝説:高城家の領主の稚児が河童に引き込まれたという伝説。
ご神体:馬に乗った稚児の木像が祀られている。
声の伝承:お彼岸の頃に「ピーヒョロー」という河童の声が聞こえるという伝承。
習性:夏に川に降りて、冬は山へ帰るという。 
これらの伝承は、地域の文化や歴史に深く根付いており、現在も語り継がれています。 』
とある。夏に川に降りて、冬は山に帰るというのは、日本の蛇体の穀物神が夏は田に降り、冬は山に帰るといいうのに似ている。もともと日本人は、山は他界だと考えていたのだ。

これまた、遠野物語か水木しげるの妖怪大百科に出てきそうな話だ。
俺は、物心つく前からそんな話を聞かされて育ち、世界てのは、河童の集会のように目に見えないレイヤーが存在すると信じるようになった。

今日はこんなところだ。明日に続く。憂鬱な月曜日を楽しんでくれ給え。

2026/01/17

POST#1732 白い竜神に導かれ

タイ、アユッタヤー 有名な仏頭

閑話休題 

以前、ある女性の案内で京都の車折神社を参拝したことがあった。

俺は若いころ宗教をやっていただけあって、正しい参拝の作法は心得ているつもりだ。

若いころは、儀式で神の名を呼べば、天から地から天神地祇が光の柱となって立ち上ることを見ることができた、ような気がする。

信じられないのならいつもの与太話だと思ってくれて構わないぜ。俺の真実は俺の中にある。けれど、神を祀るに、其処に存するが如く、座ますが如くに仕えることは当然だ。

ましてや、その存在が肌身に感じられるならば。

俺が摂社の社を参拝した後に、彼女は不思議なことを柔らかな京言葉で言った。

「なんやあんたのまわりに煙が見えると思ったら、白い竜の神さんが取り巻いてはったわ」

その女性は、見える人だったんだ。

俺が陋屋に斎き祀る尾張一宮の真清田の大神は、竜神とも伝えられる。この罪深い俺をも日々守り給うかとかたじけなくなった。もう何年も前の話だ。

その女性とは、縁が切れて久しい。

たまたまかつて1月17日にあった阪神淡路大震災で、親しい友人を亡くしたことを毎年忘れずにいた彼女を、今日ふと思い出した。思い出しては、もう会うこともないだろうその女性に幸多からんことを、心ひそかに思う俺だった。

罪業深重な俺の身にも、二度と生きて逢うこともなかろうその女性にも、真清田の大神のお導きがあらんことを乞い願い奉る。

今日は静かに失礼する。

2026/01/16

POST#1731 悪党的思考

三重県尾鷲

 承前

親父は病院のHCUで半死半生、棺桶に足を突っ込んでる。

病状を説明してくれた医師によれば、筋肉や脳の組織からアミノ酸が分解されて流れ出し、通常190くらいのクレアチンの値が20000超えているんだとさ。人工透析必須で、この溶け出した筋肉とかの成分が赤黒い肉汁のような尿の正体だ。

今回は死ぬかもな、助かってもどのみち今のアパートに独りで住み続けることはできないだろう。病院のケースワーカーさんに相談しなくちゃな。市役所の老人福祉課にもいかなきゃいけないだろう。いや、もしかしたら月末に予定しているおばあさんの13回忌と親父の葬式が一緒にできるかもしれないな。こいつは手間が省けていいこった。

それよりも猫だ。猫は生き物なので、餌をやらないと死んじまう。まぁ、死んでくれたほうが親父もあっさり転居できるってもんだ。この年取った猫の存在が、親父の転居のハードルを上げていたんだ。ちなみに俺は猫上皮、ダニのアレルギーがあるので、親父の家に入るだけで目がかゆくなる。しかし、どうにかしないといけないな。

俺は親父のアパートに向かった。

カギは空いていた。俺はあまりの散らかりようにうんざりし、土足のまま上がり込んだ。

埃と油、猫の毛なんかが複合した汚れが、あらゆるものにこびりついていた。

臆病で人になれない猫は、押し入れの中に逃げ込み、気配を断っている。猫のトイレの便臭が鼻を衝く。

台所のシンクには、洗っていない食器が山のように積まれ、何もかものが油っぽくべたべたしている。男所帯に蛆がわくというのは本当なんだなとおもったよ。

猫の餌と水を新しいものに取り換え、様々ながらくたでいっぱいで歩く場所もないようなリビングを見渡しため息をつく。

母が死んだときに何百万もかけて買い替えた浄土真宗特有の金箔ギラギラの仏壇の扉は閉ざされたままだ。親父は一人暮らしの寂しさに耐えかね、いつのまにか創価学会に入信していたから、仏壇は締め切られたままなんだ。死んだ祖母や母の遺影は、顔向けできないのか仏壇の横の狭い隙間に押し込められている。

みすぼらしく擦り切れた下着。

長年着古してよれよれになった時代遅れの服。

かかとがすり減りつま先の皮がはげちょろになった革靴。

熟女ヌードのカレンダー。

壁のあちこちに張られた新聞の切り抜きやメモ、名刺、写真。

今年届いた年賀状は机の上にトランプのカードのように散らかっている。

食べきれないほどの食料品や甘いお菓子。

そして、このとっ散らかった部屋の中に、いったいいくらあるのかわからない借金の手がかりや、一体いくらもらえてるのかわからない年金の振り込まれている通帳があるはずだ。

とりあえず俺は、心配して様子を見に来た近所のかたに猫の餌を定期的にあげてもらえるようにお願いし、仏壇の横に突っ込まれた母や祖母の写真(あぁ、この人たちについても語るべきことはたくさんある。しかし、俺はもう母のことはほとんど覚えていない。というか、詳しく知らなかったんだ。ひでぇもんだ)と仏壇のなかの繰出位牌、阿弥陀様のご本尊と親鸞聖人、蓮如上人の掛け軸を家に持ち帰ることにした。

そこに、例の大家のおばはんが現れたんだ。

彼女は、父の容態を一応心配するようなことを言いつつも、こうなった以上は早く出て行ってほしいという雰囲気を全身から放射しまくっていた。

「服部さん、昨年中に出て行行くって約束だったので、もう私は三か月もお家賃いただいてませんの」

「知りませんよ、僕は別人格なんだから」

「今日も息子さんとアパートの契約に行くって言ってましたけど、どうなったのかご存じ」

「そんな話、今初めて聞きましたよ」

大家は思った通りという表情をして、「私もビジネスとしてこのアパートを持っているんですから、私がまだ元気なうちにこの部屋をリフォームして資産価値を維持したいと考えておりますの」

そりゃそうだろう。脱衣所の引き戸の扉枠は腐ってるし、洗濯機の前の床は根太が腐っているのかトランポリンみたいだ。親父に大家として金をとって貸しているってんなら、大家としてすぐに直すべきだと俺は思うぜ。ダンスは二人じゃないと踊れないように、ビジネスも相手がいないと成立しないんだからな。自分の都合だけで物を言ってもらっても困るぜ。

「まぁ、おっしゃることもごもっともの状況ですが、なにぶん急にこんなことになってしまったので、一月末までご容赦いただきたい。」

「…わかりました。」

「つきましては、お宅様から頂いた猫ですがお引き取り願えませんか」俺はダメもとで聞いてみた。

そうすると途端に上品ぶった慇懃無礼な態度が豹変した。

実はその猫は彼女の大きな田舎の資産家風な家の納屋で野良猫が産み落としたものだったんだが、彼女はそんなことは棚に上げて、その猫は決してじぶんが親父に押し付けたわけではなく、親父が寂しさを紛らわすために自発的にもらっていったものだとか、自分の家にも90歳の母親が一緒に住むことになって、そのわがままな婆さんの世話も大変なので、とてもじゃないが無理だとまくし立てた。

いるんだよ、人に無理難題を押し付けて身動きできないようにしてタコ殴りにして愉しむような人間性の歪んだ奴が。ビンゴ!ここにもいたぜ。

その話を聞きながら俺は、はるかむかし御幼少のみぎりに、ネズミ捕りにかかったネズミがキーキー鳴くのもお構いなしに、家の前の側溝の淀んだ水の中に、籠ごとネズミを沈めて殺していた、まだ若かった母の無表情で端正な顔を思い出していた。そうだよね、母さん。

「じゃぁ仕方ない。保健所で殺処分ですな。何なら僕がこの手で殺してもいい。猫の一匹くらい、ひねり殺してあなたの家に放り込んでおくくらい、僕には造作もないことですから」

大家は呆気に取られ多様な顔をして、早々に帰っていった。

俺は時折、狂ったようなことを言う。マッドマンセオリーなのか、本当に狂っているのか。それとも単に性根が悪党なのか。この年で誰かに好かれたいわけじゃない。悪党で十分さ。