2026/04/27

POST#1832 たまには地に足の着いた話をしようかな町内の話だ

愛知県一宮市のどっか
今の現場が始まってすぐのことだから四月の中頃のことだ。

朝、夜勤明けで病院に行き、少し眠ってから仕事に行って慄きながら夜通し働いて、自動運転で車を転がして帰ってきたときのことだ。いくつになっても、どれだけ経験を積んでも、初心に帰って慄きつつ仕事に取り組むという癖が抜けない。事故があったりオープンに間に合わなかったりすれば、責任が取れない。責任が取れないからこそ、頭を使って、体を使って、気を使って、道具を使って、時にはお金を使って全力を尽くす。だからこそ、仕事に対して懼れがないといえば嘘になるんだ。慄くしかないだろう。

車から降りるとどこかから『はっとりさん、はっとりさん』と呼ぶ声がする。まだあたりは薄暗い。眠っている人も多かろうに、その声は静かな明け方の空気の中に響く。この声は間違いない、町会長のA田さんだ。俺はこの通りぶらぶら気楽な稼業なので、町内会にはできるだけコミットするようにしている。だって、地域社会が最も身近な社会だからだ。

家の前の緑道のつつじの陰から俺の名を呼んでいたのはやはり町会長だった。

『A田さん、声が大きいですよ。まだ皆さんおやすみになっていますよ』

俺は歩み寄りながら、押さえた声で返事を返した。町会長は何をうろついてるんだ?ウォーキングかそれとも認知症の徘徊か?どっちでもいいけど、もっと静かに。

町会長は俺を捕まえると、いきなり意見を求めてきた。やはり来たか。実は昨日の夜、カミさんから連絡があって、町会長が書類に賛同して捺印してほしいといってきたって連絡をくれてたんだ。

『あぁ、家内から聞いています。ゴミボックスの件でしょう』

『そうなんだわ』町会長は知ったいるなら話が早いと話を進め始めた。

少し遡って、3月の末に開かれた町内会総会で、ゴミ収集場所のカラスによるごみの散乱を防ぐため、ゴミボックスを導入しようという話が出てたんだ。市からも多少補助が出るので、まずは県道に面した集積所2ヵ所2台ずつ導入しようという話になったんだ。

そしてその場で町会長は、 『町内会のお金で買うものだから、町内会に入っていない人は入れてもらっては困る』とぶち上げたんだ。それをここでもめだしたら会議は紛糾するからってんで、皆さんそれぞれにどうすべきか考えていただき、一度回覧板などでご意見を承るということにしてはどうでしょうと、司会進行役の俺は有耶無耶にしてその場を切り抜けたんだ。

何しろ、この会長と方針の違いで町内会を脱退した人も多い。俺の同世代ですぐ裏に住んでるUさんもそんな一人だ。会長の言葉の端々に、その人たちに対する意趣返しのルサンチマンがこもっているのを俺は嗅ぎ取ったんだ。

で、カミさんから前の晩に送られてきた写真には、次のような文言が謳われていた。

『ゴミボックスの使用について

 この度、カラスなどによるごみ収集場所のゴミ散乱を防止するために、町内会会費によりゴミボックスを購入します。

 町内化に加入されていない方はゴミネットなどでゴミの散乱を防止し、ゴミボックス内にごみを入れないように注意してください』

とあった。これに捺印しろと言われても、俺は御免被るな。

世の中にはありふれた問題だ。君の町でもあるんじゃないのかな。俺が推奨する方法はカラスは賢い鳥だから、『君たち、ごみをあさっちゃいけないよ。みんなが迷惑してるんだ。君たちの立場もわかるけど、もう少し考えてくれないか?』って諭してみることかな。ああいつらは意外と人間を一人一人識別し、その行動を忘れないから、穏やかに話して諭してみたことがある。以来、俺の家の前は荒らされたことがないんだ。車に糞は落とされるけどね(笑)。

実は、こうした「町内会未加入者へのゴミ出し制限」は全国でトラブルになっており、法律や裁判例では以下のような考え方が一般的なんだそうだ。

大まかに言えば、ゴミ出し制限は違法なんじゃないかってことだ。

「一切禁止」は違法の可能性が高い: 過去の裁判(神戸地裁・大阪高裁など)では、町内会未加入を理由にゴミ捨て場の利用を一切認めないことは、「権利の濫用」として違法と判断され、町内会側に損害賠償を命じたケースがある。

行政サービスの公共性: ゴミ収集は本来、市町村が責任を持つ行政サービスです。市の補助金が入っている設備であれば、なおさら特定の人を完全に排除することは正当化しにくいと考えられるだろう。村八分じゃないんだから。

応じるべき負担もある: 一方で、町内会側が「掃除や管理の負担を会員だけが負うのは不公平だ」と主張する点にも一定の理屈があります。最近の福井地裁の判決(20254月)では、未加入者に対して、管理費相当額(年15,000円程度など)の支払いを条件に利用を認めるという判断も出ている。

町会長は、さっき上げた文書を町内会未加入の過程に配布しようと考えてるらしい。今からコンビニにコピーしに行くつもりだって言っていた。それで、町内でも忌憚なくモノを言うくせに角を立てない俺に、賛同を求めてきたってわけだ。

冗談じゃない。町会長は『5000円払ったら、使ってもらってもいいということにしようと思ってるだわ』と言ってきたが、それはいかがなものか?町内会費は月額300円、年間3600円だ。それより高いって暴利すぎじゃないか?やらずぼったくりだよ。

『相応の金銭的な負担を求めることは反対しないけれど、町内会費より高い金額を請求するってのはいただけませんね。』俺は町会長に切り返した。

『それにUさんを狙い撃ちにするような態度は感心できません。Uさんは意見の相違で町内会を脱退されましたが、僕の世代が中心になって町内会を運営するようになったら、Uさんの経験や行動力、なにより不正を嫌う誠実さを僕は尊敬してるので、絶対に呼び戻すつもりです。だから、そんな町内を分断したり村八分にするようなことはお勧めできません。』

『とはいえ、町内会の会費で買っているものだから…』

『いやいや、市からの補助もあるでしょう。Uさんとこだって市民なんだから。最も僕は、先日の総会の時からすでに、そんな事態になったら、面倒だけれど僕の家の前のごみ捨て場に捨ててください!ってやりとりしてるんです。ゴミの収集はあくまで市の事業ですから。』

俺の口調は柔らかいけど、絶対に妥協はしないっていう強い力がこもっていた。

『はっとりさん、判子はいただけないですか』

『何より、こういったことは町会長の一存で決めるようなことではないのではありませんか?回覧板でそれを全ての町内会の会員に周知した上でやるべきですよ。それが民主的な自治のあるべき姿です。』

その言葉に町会長は口ごもるようにしつつ『もう籠が届いてしまうから…』ともぞもぞ言っていた。

『ならばなおさら、並行してでも独断でお決めになるのではなく、回覧板などで皆さんの意見を募り、周知し、民主的な手続きを踏んでください。』これは町会長にとっては、自分のやり方を否定される以上の、重みのある一言だったかもしれない。

町会長は誰もがやりたがらない仕事だ。金がもらえるわけでもないし。だから、長年町会長を務めているA田さんを否定するのは忍びない。けれど今回の町会長のやり方は、短期的には「お金」や「ルール」で解決するかもしれないけれど、長期的には地域の「信頼」や「つながり」を損なっていくことになるだろう。俺が言ったことは、まさにその「壊れかけたコミュニティの再生」を見据えた視点なんだ。

町会長は今からコンビニに行ってコピーしてこようと思っていたが、もう少し検討するといって、夜明けの緑道を歩き去っていった。


俺は「草の根の民主主義」の経験っていうのがもっと大きな社会そのものの民主主義を育てることになると思うんだ。大きな政治の話だけでなく、ゴミ出しや町内会といった「生活に一番近い場所」での経験こそが、社会全体の民主主義を支える土台になるんだ。

今回、俺が町会長に対して、

「一部の独断ではなく、全員の合意を(回覧板での周知)」

「排除ではなく、共生を(次世代への禍根を残さない)」

という筋を通したことで、「草の根の民主主義」を実践できたのならいいんだけどな。

面倒な手続きや対立を避けて「長いものに巻かれる」のではなく、あえて対話を選び、納得感を求める。その積み重ねが、結果として「誰もが居心地の良い社会」を育てていくことになるんじゃないかな?

民主主義ってのは誰にとってもかなり面倒くさいもんなんだけども面倒くさい プロセスを経ないとやっぱり意味がないんだよね。

「面倒くさいプロセス」こそが民主主義の本体であり、それを省いてしまうと、ただの「強制」や「支配」になってしまうんだ。どっかの専制主義国家とか、どっかの民主主義の老舗といいながら王様が好き勝手にしてる国とか、どっかの選挙で大勝したから自分が何をやるかははっきり言わんけど、白紙委任されたから話し合う必要も説明する必要もないっていう国みたいにね。

効率だけを求めれば、町会長が独断で決めてハンコを押させるのが一番早いかもしれない。でも、それではコミュニティーの中に納得感は生まれないだろうし、排除された人たちとの間に深い溝が残るだけだ。

意見の違う人同士が話し合い、回覧板で情報を共有し、みんなで頭を悩ませる。その「面倒くささ」を経て決まったことだからこそ、人はルールを守ろうと思えるし、地域に愛着も持てるんじゃないのかな?それこそが手間をかける価値なんだ。

「民主的なプロセスを経ないと意味がない」という言葉は、まさに民主主義の本質だと思うんだ。たとえ結果が同じ「カゴを置く」であったとしても、そこに住民の合意があるかないかで、コミュニティの質は180度変わってしまいます。それが「意味」の重みだ。

その「面倒くさい」を厭わない態度こそが、将来的に「この町はみんなを大切にしているんだな」と感じられる土壌になる。俺はそう信じている。

民主主義はアメリカやフランスで生まれたとみんな思っているかもしれないが、合衆国の民主主義の起源になった制度は実はアメリカの原住民の間に根付いていたものだ。

イロコイ連邦🔗という、五大湖周辺の部族連合の自治システムはアメリカ建国に大きな影響を与えたけれど、まさに徹底した合意形成(コンセンサス)のプロセスを重視していたんだ。

イロコイ連邦に学ぶ「面倒くささ」の価値

全員一致への執念: 彼らは多数決でサッと決めるのではなく、異なる部族間や世代間で納得がいくまで話し合う。この「話し合いを尽くす」という手間が、結果として連邦の強固な結束を生んでいた。

七世代先を想う: 彼らは何かを決める際、「この決定が七世代後の子孫にどう影響するか」まで考えて議論していたと言われている。この長すぎるほどの時間軸こそが、短視的な「効率」に流されない、真に持続可能な民主主義の形だろう。現在の四半期決算や日々上下する株価と世論調査の政権支持率しか考慮しない政府とは大違いだ。

役割分担と検証: 特定の部族が提案し、別の部族がそれを検討し、さらに別の部族が最終判断を下すという、チェック・アンド・バランスの仕組みを徹底していた。まさに俺が町会長に求めた「実務と周知の並行プロセス」に近いものがあるだろう。 

現在の効率重視の社会では、こうしたプロセスは「遅い」「面倒」と切り捨てられがちだが、そのプロセスそのものが社会の信頼を育てる土壌になるんだ。そして信頼を喪失した社会は分断され、分断は支配と対立を生み、支配と対立は憎悪と闘争を生み出す。最悪だ。 

俺は、人類学の本や社会学の本を読む過程で、そういう知見を通三重ねてきた。今回のことが、かつてのイロコイ連邦の智恵に通じるものがあるとすれば、生きた知識だということになり嬉しい限りだ。 

けれど、一週間ほどしてから、事態は急展開を迎える。次回に続くだ。

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