2026/02/14

POST#1760 この女性の名を俺は知る術がない

母方の祖父・杉浦芳郎と名も知らぬ祖母
去年の1月に父の家を片付けているときのことだ。

古い写真を見つけた。眼鏡の男性は国民服を着ているからおそらく戦争中のものだろう。今から80年以上前の写真だ。鼻筋の通った着物姿の女性は物憂げな視線で、どこかレンズとは違うところを見つめている。

最初、俺はこの写真を親父の父親の庄六さんと、俺とは血のつながっていない祖母のノブちゃんの若いころかと思ったんだ。なにしろ家の仏壇あたりから出てきたからね。

で、ノブちゃんの13回忌に俺の叔母さんたちに見てもらったら、庄六さんでもノブちゃんでもないってことだった。一ダースくらいいる俺の叔母さんのうちの一人が、この男性は、俺の母方の祖父・杉浦芳郎さんじゃないかって言うんだ。

そういってよく見れば、なんとなく面影がある。とはいえ、もう30年ほど前に亡くなった芳郎さんだし、戦時中のことでやせこけた写真の男性に、杉浦一族の皆さんの特徴であるピーマンを逆さにしたような顎と頬のラインは見られない。しかし、大きな額が無類の読書家で、俺が子供のころからことあるごとに本を贈ってくれた知性派の芳郎さんらしさを感じさせる。

芳郎さんから送られた本の中には、デビッド・マコーレイというイギリスがイラストと文章で古代の建築物の成り立ちや構造を解説した『都市:ローマ人はどのようにして都市をつくったか🔗』や『キャッスル:古城の秘められた歴史をさぐる🔗』や岩波のファーブル昆虫記、あるいは『人間の歴史』といったような本があった。デビッド・マコーレイの同じシリーズは大人になってから、近年買い足したものもある。『ピラミッド:巨大な王墓建設の謎を解く🔗』とか『カテドラル:最も美しい大聖堂のできあがるまで🔗』など買い足したほどだ。芳郎さんは母の嫁入りに、文学全集とか持たせるような人だった。自分に知的な要素がいささかでもあるとすれば、この芳郎さんの影響は計り知れないと思う。死んだ後に、おばあちゃんに呼ばれて、お爺さんが集めていた春画の画集を10冊以上引き取ったこともある。

ついでに言えば、俺が使っているモノクロの引伸機は、芳郎さんの息子、つまり俺の叔父にあたる洋一さんが使ってたものだ。杉浦一族なくして、今日の俺はないな。

そうすると、この隣の女性は誰だ。

俺には心当たりがあった。よく通った鼻筋や少し寂しそうなまなざしは、死んだ俺の母のヨシ子さんにそっくりだった。

ヨシ子さんは先妻の娘で、俺が母方のおばあちゃんと呼んでいた光枝さんは後妻さんだった。ヨシ子さんの母親は秋田の人だったと聞いたことがある。終戦の年の夏にヨシ子さんを産んだのだが、結核を患っていたため体が弱く、芳郎さんと別れることになったと聞いたことがある。今の感覚からすれば、ひどい話だ。だけど、戦争直後で国家も歩かないかわからないようなアナーキーな時代だ。抗生物質だってない。結核はまだまだ死の病だったんだろう。ひょっとしたら、死に別かれたのかもしれない。俺にはもう知る手立てはない。

俺の、本当の母方の祖母。しかし、その名は知らない。

今や知る人もいない。

父のいとこにあたる本家の正之助さんが作った家系図にも載っていない。

 俺の母のヨシ子さんは、芳郎さんのお母さん、つまり俺のひいお祖母さんに育てられ、光枝さんと芳郎さんの間に生まれた弟や妹たちとは、離れて暮らしていたと聞いたこともある。当のヨシ子さんがもう40年以上まえに死んでしまっているから、どうにもわからないが、ヨシ子さんがまとっていた、どうにも寂しげな雰囲気はそのあたりに由来するんだろう。

そのせいなのか、俺は幸薄そうな女性に惹かれる。というか弱いんだ。

読者諸君、失礼する。君たちはバレンタインデーのチョコレートをもらったり送ったりしたかい?楽しめるうちに人生を楽しんでくれ。なんせ、人生なんてすぐに終わっちゃうんだから。

2026/02/13

POST#1759 君はペルテス病を知っているか!

モロッコ、フェス

 ケニーと飲んだ話は大した話じゃない。急ぐ話でもない。どうせおっさんが酒飲んで仕事の愚痴を言い合って、いいきぶんで別れただけの話だ。君にとって知りたい話でもないだろう。だからまた明日な。

昨日の夜、息子が右足の付け根が痛いと足を引きずっていた。
どうしたんだと聞けば、図工の時間に椅子からずっこけて打ったといっていたんだが、そんなのでびっこ(おっとこれ差別用語か?面倒臭えな)じゃなかった、チンバ(あ、これもか)じゃなかった、跛行するほどのことになるだろうか?
俺の心の疑念が浮かび、どんどん膨らんでいった。
俺はいつも物事の推移を想定する際に、最悪の事態を第一に考える癖がついている。
監督業という仕事柄もあるが、酷いことが起こったときに想定よりもまだましだったぜベイビー、助かったな!と思いたいからな。専門家面しておきながら、想定外でしたとかいうのは、まことに薄みっともない。
東日本大震災の時や、今度の選挙の結果でも想定外という言葉を何度聞いたことか。ばかばかしいったらありゃしないぜ。
俺は、大腿骨の骨頭部が血行不良により壊死するペルテス病🔗やギランバレー症候群、よくて風邪の後遺症による単純性股関節炎の可能性を検討した。
なんとなく、どれも当てはまりそうに思える。
足が痛くて一人で風呂に入れないという息子に、おまえ、最悪そういう病気の可能性があるから、お母さんにお礼を言って「愛してるよ、僕を産んでくれてありがとう」って言っておけよと言ったら、「おれはまだ死にたくない」と言って泣き叫んだ。
そう、最近読んだ話だとホスピスに入っている患者さん(死は病ではないのだから変な呼び方だな)は、自分の式がわかるかのように、最後の時が訪れる前に家族を呼び「愛しているよ、ありがとう」というんだそうだ。息子にもこの話をしてやったうえで、お母さんにお礼を言うんだといったんだ。
まぁ、そうなるわな。しかし、人は生まれたからには死ぬ定めだ。
10歳の息子には過酷な運命かもしれん。風呂に入っているのにカミさんを呼びつけ、ふろの扉を開けてカミさんに泣きついている。まったく寒くて体も洗えやしないぜ。
そうなったら、おらが町の英雄・小田凱人みたいに車いすテニスでもやってもらうか。彼は骨肉腫だったな。そう慰めたら、ますます泣き喚いたからたまらなかったぜ。
仕方ない。風呂から出た息子を背負って二階の寝室まで上がり、股関節あたりにシップを貼ってやり、やっとのことで寝かしつけた。

俺は毎晩眠るのは、小さな死だと思っている。よく死ぬにはよく生きることが必要なように、よく眠るにも一日悔いなく生きることが必要だ。なんて意味ありげなことを言っておくか。

一夜明けて今朝。やはり息子は足が痛いといっているので、俺は高校の同級生の岩田君がやってる整形外科に連れていくことにした。
あそこはやたら混むから行きたくないんだよな。痛風の薬もらいに定期的にいってるけど、リハビリに通うお年寄り(あぁ、俺もそんな年だな、くそ!)が多く、まるでお達者クラブだ。
気が滅入るぜ。
息子は歩きづらいというので、一丁前に俺の髑髏の握りの付いた杖を突いていた。若年寄かよ。今の若者は内田裕也なんか知らないだろうな。俺が使うとそんな感じなんだが、息子がついてると学芸会のももたろうに出てくるお爺さんだ。
で、待つこと一時間余り、その間にリハビリの予約の服部さんが何人も呼ばれる。そのたびに息子はびくっと声のするほうを向く。東海三県には服部という名前が多いんだ。服部半蔵の関係があるのかないのか。俺はあるけど。

で、息子の名前が呼ばれたんで、一緒に診察室に入るなり、岩田君に(どうしてもこいつを先生と呼ぶ気になれないな)状況を説明し、ペルテス病じゃないよねぇと言ったら、そんなのあるわけないよ!と一笑に付されたぜ。やはり最悪の事態を想定しておいてよかった。

結局、ただの捻挫だったようで、痛み止めの鎮痛剤を処方され、昼食後に飲んだら、けろりと元気になりやがった。よかったなベイビー!昨日ギャン泣きしてたのはいったい何だったんだ?ただ学校休みたかっただけなんじゃないのか?まぁ、いいけどさ。

2026/02/12

POST#1758 君は宇和島の鯛めしを食べたことがあるか!

宇和島名物 鯛めし
お互い積み重ねた自分史はあるし、いまどうやって暮らしているのかも謎だけれど、とりあえず飯でも食いに行くかってんで、せっかくならということで、宇和島名物の鯛めし🔗を食いに行くことにする。なに、暇だったんでリサーチ済みだ。暇ってのは悪いことばかりじゃない。人生には仕事以外にもやるべきことはいろいろあるってことさ。

ケニーと俺は、35年ぶりに差し向かいで座りとりあえず生中だ。痛風の恐怖をぐっと堪えて黒ひげ危機一髪の気分で飲み干すぜ!

よく考えたら、ケニーと酒を飲むのは初めてだった。幼稚園や小学校の頃はお互い酒飲んでなかったしな。そもそも俺、車で移動し、夜働くという暮らしが長いのと、一人で酒を飲むと鬱のデフレスパイラルで廃人同様になってしまうので、普段は酒を飲まないようにしてるんだ。

久しぶりに会ったケニーは、長年のコーチ生活でなめしたような肌をして、すっかり白くなった髪を伸ばしていた。仙人感半端ない。まぁ、プードルみたいなパーマの俺もインパクトではいい勝負だが。

そんな二人が、旧交を温めあって一杯飲んでいる。鯛めしをつつきながらね。フカの酢味噌あえみたいなのもなかなかよそではお目にかかれないぜ。

ケニーは以前朝日新聞に取り上げられた時には、日本人の奥さんがいたはずだが今はいるような雰囲気もない。聞いてみると、あぁ、あの後スリランカだかインドだかでコーチをしたら収入が激減で、家庭を維持できなくなったんで別れたとこともなげに言う。

俺はカミさんがいて、2016年製の小学生の息子がいて、ローンで家を買って自分で商売してると話すと、家庭を維持できるなんて尊敬するなぁと笑われてしまった。

ケニーはいったいこんなところで何をして暮らしているのか?

見たところ、サッカーのクラブチームがあるようにも見えない。そんな疑問をぶつけてみたら、あっさりと通訳をやっていると答えてくれた。ニューヨーク歴20年以上だから、英語はお手のもんだよな。むしろ日本語よりも得意だと思われる。

宇和島の山の中で、ゼネコンが風力発電所を建設しているらしい。風力発電はヨーロッパが圧倒的に先行している。で、ヨーロッパの発電プラントメーカーから技術アドバイザーが派遣されていて、その通訳をしているらしい。ちなみに、その技術アドバイザーはインド人だそうだ。

日本がほとんど鎖国したようにガラパゴス化している間に、世界の技術の潮流は日本を置いてきぼりにして流れてしまっている。モノづくり大国だなんて思っているかもしれないが、もうそんなパワーはない。次の時代を画期してゆくような革新的なものはこの国からは生まれない。トヨタのハイブリッドぐらいのもんだ。

ケニーはその現場で、不安全な環境に鈍麻した作業体制や、ゼネコンの職員のまとっている島流しにあった不遇なおっさんオーラにうんざりしていた。コロコロ言うことが変わるメーカーの技術アドバイザーにもうんざりしていた。

要は、ここは自分のフィールドじゃないと感じているんだ。

彼のフィールドはサッカー場だからな。

ケニーはそんなことを話しながら生中をどんどんやっつけていく。

で、あんまり料理屋に長居するのもなんだから河岸を変えようぜということになって、あのさみしい商店街のほうにふらふらと俺たちは歩いて行ったんだ。

続くかな。