2026/03/13

POST#1787 子供をめぐる家庭内のおおいなる見解の相違

成田

俺のカミさんは、俺がふとした拍子に「将来息子のきりんじがお嫁さんをもらって…」というだけで、血相変えて怒る。お嫁さんとか家とかいう観念がない人なんだ。まぁ、複雑な家庭環境だったから致し方ないかもしれない。
俺は日常的な話でひょいと出た言葉に、激烈な反応を繰出されて内心辟易する。きっとレヴィ・ストロースの親族の基本構造🔗なんか読んだら、900ページ以上あるとっても分厚い本なのに、引きちぎって破り捨てること請け合いだ。
なぜって、この本では社会集団相互で、女性を交換し合うことで、社会を結合していくというテーマが語られているんだからな。実際にレヴィ・ストロースがこの本を出版したときにも、女性蔑視だという非難の大合唱だったらしい。
まぁ、リベラルなんだろう。俺以上に。稼ぎも俺以上だしな。俺はいつまでたっても、ヒモみたいなもんだと思われ、どこか頼りない奴だと軽蔑されているんだろう。
そのカミさんは、息子を私立の中学に入れるために頑張っている。
最近は進学学習塾に通い出した。
しかし、うちの息子はいつも言うように発達障害グレーゾーンの問題児だ。
そもそも、落ち着いて座って授業を受けていることが最近までできなかった。
授業中、教室を抜け出して学校内を探検するのが好きだったんだ。俺が子供のころなら、そんな奴もいただろう。しかし、その前に先生にこっぴどく叱られてビンタ食らったりしたものだ。
おかげさまで、俺の息子の通知表はいつだって1の行進だ。学校の担任からは、いくらテストでいい点をとっても、授業にまともに取り組んでいないから通知表は1しか付きませんと宣告されている。思うにこの先生は、あまり俺の息子のことが気に入ってないんだろうな。
態度と口調でよくわかる。

そんなうち子供がなぜ私立に行こうという野望を抱きだしたか。
それは発達障害で受診している精神科の先生がうちの息子を評して、字も汚いし、これじゃ中学行っても内申が取れないから、私立を考えたほうがいいですねと言ったことに端を発する。
俺もカミさんも、中学からずっと私立なので、俺はともかく、カミさんには公立中学というものにどこか抵抗があるように感じる。
俺自身は、息子の人生、この先いろいろと厳しく堅苦しくなっていくだけなので、子供のおうちくらい好きに遊んで暮らせばいいのにという思いもある。子供のころに、好きに遊んで、友達とバカなことをやったりすることこそが、生きる力をはぐくむように思える。
だから、カミさんと息子が勉強だ、勉強だとのめりこんでいく姿には、どうにも腑に落ちないものを感じる。
そんな息子が進学塾に通っても、苦労が絶えないのはわかりきっている。何しろ、基礎がしっかりしていないところに無理やりビルを建てているようなものだからな。計算方法を巡って、カミさんが何度言ったらわかるの!と声を荒げるのを聞くのも憂鬱になるし、かんしゃくを起こした息子の声を聴くのもつらい。

先日も、塾から8時過ぎに帰ってきたら、食事の後による11時30分ごろまで親子二人で算数の計算をやっていた。いつも夜10時には寝ないといけないといっているカミさん本人が、その言葉とは裏腹に、息子が眠りそうになっているのを励ましながら計算をさせている。
俺はあきれた。さっさと風呂に入ってな群れるように風呂掃除もして風呂を沸かしておいたというのに、いつまでもやっている。
俺には不毛で、消耗するだけの営みに見える。
俺の息子の美質は、そんなところじゃないのにと俺は思っている。

しかし、そんな状態で勉強したって頭に入らないから、とっとと風呂に入って眠れと言っても、二人とも聞かない。
翌朝、カミさんも息子も七時半まで起きてこなかった。
息子の麒麟児に至っては、通学班の集合時間が7時50分なのに、のんびり起きてきて、TVの前で朝のバラエティ番組を見ながらのんびり朝食のパンを食べている。
「おい、麒麟児、もうみんな学校に行ってる時間だ。塾の勉強をいくらやっても、学校の勉強をちゃんとやれないんなら、本末転倒だぞ!」というも、むすこはTVを見ながら全然聞いていない。
その態度に、俺はイラっとした。
「いつも人と話をするときは、相手の目を見ろっていうだろう!」発達障害グレーゾーンの息子は、人と目を合わせることが難しい。写真を撮っても、たいてい目は明後日のほうを向いている。
反抗期に差し掛かりつつある息子は生返事をしながら、「うるさいなぁ・・」といった風情だ。そんな態度が俺の怒りに火種に油をを注ぐ。
「塾の勉強ばっかりして、学校にまともにいけないのなら、中学受験なんかやめちまえ!すぐ近くの市立中学に行って、そのすぐそばの商業学校に行け!お前が昨日なりたいって言ってたタクシーの運転手なら、商業高校出て、自動車学校行くのが最短ルートだ!それにテレビばっかり見てるんなら、もうテレビ禁止だ!」と言っちまった。
すると、麒麟児は半泣きで俺に向かってきたと思ったら2発俺の膝に逆関節で蹴りを食らわせて来やがった。
さすがだ。着実に急所を狙ってくる。
俺はいつもそこはヘタをすると膝関節が壊れる急所だから、絶対にやっちゃいかんと言ってたんだけど、やりやがった。しかも2発も。
俺は反射的にビンタをはった。息子のぷにぷにした頬には俺の指の痕が赤くくっきりついた。
息子は半泣きになって俺に中指を立てて「なにするんだ!中指立てるぞ!」と怒鳴っていた。
さすが、俺の息子だ。どこでそんなもん覚えてくるんだ。
その時は、カミさんが間に割って入って息子はトボトボ一人で学校に行った。
昨日は気の重くなる朝だった。
そして、気の重くなるのは朝だけじゃなかった。

2026/03/12

POST#1786 髪を切って気分を変えるか

成田
今日は髪を切りに行こう。
もう半年も切っていない。白髪も目立つ。それは今日まで半世紀以上を悪戦苦闘して生きてきた証だ。染めるつもりもない。第一、頭皮に悪そうだしな。
母親譲りのくせ毛で、スタンダードな日本人に見えず、ある意味で苦労した。
人は他人を見かけで判断する習性をもっているから。自分たちと見た目が違うものを、排除したがる。そういう反応へのリアクションが、無意識のうちに自分の性格を作り上げたのかもしれない。
母の父方の血統である杉浦一族は、白髪の家系だ。年々増えていく白髪を見るにつけて、杉浦の一族の、もうこの世から去っていった老人たちの白髪頭を思い出す。
くせ毛は、どうなのだろう。母の母親の血統が秋田の人だったという。その地の縄文から続く血統の中に眠っていたものが受け継がれたのかもしれない。
頭のてっぺんが禿げたなら、お茶の水博士のように頭の両側にもこもこした白髪の塊がくっついているというのも面白かったが、幸か不幸か禿げる気配もない。そもそも若者はお茶の水博士なんざ知りゃしないさ。
そういえば、先日3年ぶりにあった仕事仲間は、すっかり頭が薄くなっていたな。

昔から、この国では髪は神に通じるとして、神的存在とつながるアンテナのように考える文化があった。単なる語呂合わせじゃないかと言えば、それまでだが。大本教🔗出口王仁三郎🔗も、その髪を切らずに伸ばし続けて結っていたと聞いたことがある。
感情が高ぶると、髪が逆立つ。俺の場合は頭が一回り大きくなったように見えることだろう。
波うち、絡まり、渦を巻く俺の神は、まるで自分とはかかわりない生き物の様ですらある。
頭に蛇をまとっている縄文の土偶か、諸星大二郎の海神記🔗に出てくる海の神の使・安曇磯良🔗が海藻をかぶっているようにも見える。
図太く硬そうに見えて、触ってみると意外と柔らかく細いところは、自分自身に似ているようにも思える。

物事は何だってこじつけようと思えば、どうとでも取れるものさ。

そんな見立て、こじつけが、世界の象徴的な意味をつないでいく。
象徴的なつながりで、事物と事物がつながれていくことで、森羅万象はただそこにある物質的存在であることから、霊的な意味合いを持つ不滅の存在へと変わっていく。

現代を生きる我々は、目に見えるものだけしか、数字で測ることのできるものだけしか見ない。その世界ではどこまで行ってもA=Aであるだろう。
けれど象徴的なシンボルを手掛かりに世界を読み解く術を持てば、A=AでありつつA=Bであるという豊饒な世界が広がる。一回きりの生は、神話的なアーキタイプな構造へと還元され、何度も生まれ変わり死に代わることとなるだろう。
中二病?そうかもしれないな。まっとうな人間なら、株価や原油市場の動向に一喜一憂するだろうさ。
そうだとしても、中二病のままこの年まで来たんだ。いまさら変わるものでもないさ。
失礼する。

2026/03/11

POST#1785 俺の脳はメルトダウン

Copenhagen
また一つの仕事が終わった。

仕事に没頭していないと、過去の過ちや心無い人の言葉や、信頼していた人からの裏切りや仕打ち…そういったことが頭の中に次々と沸き上がってきて、憂鬱極まる。

泳ぎ続けていないと呼吸できないマグロか何かのように、現場をおさめるために考えたり動いたりしていないと、精神が落ち着かない。

昨日も精神科を受診し、カウンセラーさんにも話を聞いてもらってきた。たわいもない話だ。そして薬局で薬をもらう。薬中同然だ。

長年の昼夜逆転のせいなのか、鬱病の薬エスシタロプラム🔗(薬品名レクサプロ)が効きにくくなっているのか、いつも夕方から夜にかけて浮遊感というかめまいの様な感覚にとらわれる。

加齢と永年の昼夜逆転の生活で、脳内物質のバランスが崩れているんだろう。

俺の業界では、①体を壊すか、②精神を病むか、③家庭が崩壊するかして一人前だといわれる。②に該当している俺は、とっくに一人前だ。

この仕事をしていると、朝帰ってきた酒を飲んで眠るという同業者の話をよく聞くが、俺は飲めない。医者から止められているのと、一人で酒を飲んでいると、際限ない鬱の沼に沈み込んでしまうからだ。

夜、車で高速道路を走っていると、そのまま吸い込まれるようにカーブを直進して死んでしまいたくなる時がある。

長年、ずっとそうだった。狂ったようにスピードを出して、頻繁に車線変更するトラックの間を縫うように車を操り、その後ろに車間距離3メートルでベタ付けしてトラックドライバーに圧をかけて走っていた。運転中は瞬きもほとんどせず、乾燥しきった目からは意味もなく涙があふれた。

ふとしたことで感情が決壊し、脈絡不明な涙があふれた。

その一方で、些細なことで怒りを制御できなくなり、そんな自分に絶望した。

ある夏、近所の町で些細な口論から、自分の妻を刺殺した男がいた。男は幼い息子と娘を連れて車で湖のほとりに行き、子供たちの首を絞めて殺した。そして自分は死にきれず、2日後に発見された。自分に重なった。このまま自分を放っておけば、車で事故って落っことしたハンバーグのようになってしまうか、女房子供を殺して家に火をかけることになるに違いないと思った。

発達障害グレーゾーンの息子を、病院に連れていき、会計でお金を払うとき、俺は会計の女性に、「すみません、希死念慮があります。死にたくてどうしようもありません。どうしたらいいですか?」と訊いた。女性は顔色を変え、すぐに医師の診察の予約を取るように俺に促した。

鬱病だった。自分にも発達障害の傾向があるのではないかとテストも受けてみた。発達障害の傾向はなかった。鬱病以外の何物でもなかった。

以来、薬は手放せない。

誰も助けてはくれないし、だれも助けられない。そして一人じゃないときの俺を見て、鬱にとらわれていると気が付いてくれる人もいないし、信じてくれる人もいない。家族ですら気にもかけてくれない。

だからなにかに夢中になり、脳のリソースをそっちに振り向ける。

そうしているときだけ、鬱のスパイラルから逃れられる。

俺がいつも本を読んでいるのは、鬱から逃れたいからだ。

俺がいつも音楽を聴いているのは、鬱から逃れたいからだ。

俺がいつも仕事にのめりこんでしまうのは、鬱から逃れたいからだ。

そしてそれが結果的に自分を追いつめているのかもしれない。

そうじゃないとき、俺の脳はメルトダウンしそうなんだ。

大脳も小脳も、ダウン、ダウン、ダウン…。