2026/03/14

POST#1788 俺は勉強は嫌いだが、学問は好きだ

名古屋駅西
どれだけ頑張って仕事に取り組んでも、俺はカミさんからダメな奴と思われているんだ。

仕方ない。若いころは根拠のない自信満々だったし、エネルギーに満ち溢れていたからな。なんでもその気になればできるし、なんにでもなれると思っていた。それが、今ではしがない現場監督だ。それがシビアな現実だ。

どれだけその世界で一線級の一騎当千でも、しょせんはブルーカラーだ。肉体労働の端くれだ。実際には頭使って、体使って、気を使って、金も使うという総合的な人間力が問われるんだけれど、外資系企業でじゃんじゃんバリバリやってるカミさんからすれば、稼ぎの悪い非効率的な仕事のブルーカラーだ。

世の中には職業に貴賎なしという建前があるが、実際にはブルカラーの人間を蔑視する傾向は抜きがたくある。そういった職業の人々の中にも、自発的に卑下するような卑屈な発言をする奴がいる。一般の皆さんのご迷惑にならないように、歩道は一列で歩きましょうとか自ら提案する卑屈な考えの持ち主もいた。現場で働いてる人間は二級市民のように扱われる。まるで士農工商穢多・非人だ。白戸三平のカムイ伝🔗の世界みたいだ。

職業に貴賎なしなんて、嘘だ。

俺が息子とひと悶着あった朝、美容院に出かけて帰ってくると、カミさんは相変わらずむすっとしていた。

俺の朝の態度が気に入らなかったんだろう。にもかかわらず、俺が「塾と塾の課題を夜遅くまでやって学校が蔑ろになるんなら、本末転倒じゃないか?」というと、憮然として「じゃぁ塾辞めればいいの?中学受験やめればいいの?」とすごい剣幕で畳みかけてくる。

「私立の中学行かなくっても、死ぬことはないけれど、毎日遅刻して学校行くなんて意味ないじゃないか」俺は抗弁したが、いまだかつてカミさんに口論で勝てたことがない。

「じゃぁ、あきらめろっていうの?なに!市立の中学行って、通信制の高校でも行けばいいの?!あんたが麒麟児にパンでも焼いて一生暮らせって言ったんじゃないの!そんなのかわいそうでしょ!」カミさんは半泣きで怒っている。

パンでも焼いて生きろってのは、発達障害で本当に学校の勉強がままならなかったころ、俺がしばしば言っていた話だ。小学校から特別支援学校に移り、先々は発達障害や身体障碍、知恵遅れの人などの施設で、入所者や通所者の自立のために、パンを焼いて売ったりしてるようなところに行くしかないんじゃないかって言っていたことを指してるんだ。

俺はパン焼いて生きるのも、けっして意味のない人生ではないし、惨めなものでもないと思うけど。それはあえて言わない。そこに無意識の差別意識が潜んでいることを俺は感じ取るけれど、それも黙っておく。そもそもまぁ、どんな人生も意味があるといえばあるし、意味がないといえばない。どっちでもいいさ。

俺は言葉に窮した。確かに俺はそういったことが何度もある。けどもう、そうなったら自分の部屋にこもるしかないんだ。

で、なんだかんだ言って昨日の夜も、夜12時前まで二人でわあわあ言いながら勉強していたわな。俺はさっさと風呂に入って休ませてもらったぜ。

最後に一言。俺は勉強は嫌いだった。けれど、学問はいまでも好きだ。

勉強って「強いて勉める」って書くだろう。その自分の外から強いられて何かのためにする、将来いい稼ぎを得るためにするっていう功利主義が見え隠れするのが嫌なんだ。なんか子供を作るためにだけにする、種付けのようなセックスみたいでげんなりする。

ただ、自分の中から湧き上がってくる疑問や好奇心といった「問いを学ぶ」という、見返りは自分の満足だけの愉楽としての学問。俺が好きなのはそれだ。読者諸君、失礼する。よい週末を過ごしてくれ給え。

2026/03/13

POST#1787 子供をめぐる家庭内のおおいなる見解の相違

成田

俺のカミさんは、俺がふとした拍子に「将来息子のきりんじがお嫁さんをもらって…」というだけで、血相変えて怒る。お嫁さんとか家とかいう観念がない人なんだ。まぁ、複雑な家庭環境だったから致し方ないかもしれない。
俺は日常的な話でひょいと出た言葉に、激烈な反応を繰出されて内心辟易する。きっとレヴィ・ストロースの親族の基本構造🔗なんか読んだら、900ページ以上あるとっても分厚い本なのに、引きちぎって破り捨てること請け合いだ。
なぜって、この本では社会集団相互で、女性を交換し合うことで、社会を結合していくというテーマが語られているんだからな。実際にレヴィ・ストロースがこの本を出版したときにも、女性蔑視だという非難の大合唱だったらしい。
まぁ、リベラルなんだろう。俺以上に。稼ぎも俺以上だしな。俺はいつまでたっても、ヒモみたいなもんだと思われ、どこか頼りない奴だと軽蔑されているんだろう。
そのカミさんは、息子を私立の中学に入れるために頑張っている。
最近は進学学習塾に通い出した。
しかし、うちの息子はいつも言うように発達障害グレーゾーンの問題児だ。
そもそも、落ち着いて座って授業を受けていることが最近までできなかった。
授業中、教室を抜け出して学校内を探検するのが好きだったんだ。俺が子供のころなら、そんな奴もいただろう。しかし、その前に先生にこっぴどく叱られてビンタ食らったりしたものだ。
おかげさまで、俺の息子の通知表はいつだって1の行進だ。学校の担任からは、いくらテストでいい点をとっても、授業にまともに取り組んでいないから通知表は1しか付きませんと宣告されている。思うにこの先生は、あまり俺の息子のことが気に入ってないんだろうな。
態度と口調でよくわかる。

そんなうち子供がなぜ私立に行こうという野望を抱きだしたか。
それは発達障害で受診している精神科の先生がうちの息子を評して、字も汚いし、これじゃ中学行っても内申が取れないから、私立を考えたほうがいいですねと言ったことに端を発する。
俺もカミさんも、中学からずっと私立なので、俺はともかく、カミさんには公立中学というものにどこか抵抗があるように感じる。
俺自身は、息子の人生、この先いろいろと厳しく堅苦しくなっていくだけなので、子供のおうちくらい好きに遊んで暮らせばいいのにという思いもある。子供のころに、好きに遊んで、友達とバカなことをやったりすることこそが、生きる力をはぐくむように思える。
だから、カミさんと息子が勉強だ、勉強だとのめりこんでいく姿には、どうにも腑に落ちないものを感じる。
そんな息子が進学塾に通っても、苦労が絶えないのはわかりきっている。何しろ、基礎がしっかりしていないところに無理やりビルを建てているようなものだからな。計算方法を巡って、カミさんが何度言ったらわかるの!と声を荒げるのを聞くのも憂鬱になるし、かんしゃくを起こした息子の声を聴くのもつらい。

先日も、塾から8時過ぎに帰ってきたら、食事の後による11時30分ごろまで親子二人で算数の計算をやっていた。いつも夜10時には寝ないといけないといっているカミさん本人が、その言葉とは裏腹に、息子が眠りそうになっているのを励ましながら計算をさせている。
俺はあきれた。さっさと風呂に入ってな群れるように風呂掃除もして風呂を沸かしておいたというのに、いつまでもやっている。
俺には不毛で、消耗するだけの営みに見える。
俺の息子の美質は、そんなところじゃないのにと俺は思っている。

しかし、そんな状態で勉強したって頭に入らないから、とっとと風呂に入って眠れと言っても、二人とも聞かない。
翌朝、カミさんも息子も七時半まで起きてこなかった。
息子の麒麟児に至っては、通学班の集合時間が7時50分なのに、のんびり起きてきて、TVの前で朝のバラエティ番組を見ながらのんびり朝食のパンを食べている。
「おい、麒麟児、もうみんな学校に行ってる時間だ。塾の勉強をいくらやっても、学校の勉強をちゃんとやれないんなら、本末転倒だぞ!」というも、むすこはTVを見ながら全然聞いていない。
その態度に、俺はイラっとした。
「いつも人と話をするときは、相手の目を見ろっていうだろう!」発達障害グレーゾーンの息子は、人と目を合わせることが難しい。写真を撮っても、たいてい目は明後日のほうを向いている。
反抗期に差し掛かりつつある息子は生返事をしながら、「うるさいなぁ・・」といった風情だ。そんな態度が俺の怒りに火種に油をを注ぐ。
「塾の勉強ばっかりして、学校にまともにいけないのなら、中学受験なんかやめちまえ!すぐ近くの市立中学に行って、そのすぐそばの商業学校に行け!お前が昨日なりたいって言ってたタクシーの運転手なら、商業高校出て、自動車学校行くのが最短ルートだ!それにテレビばっかり見てるんなら、もうテレビ禁止だ!」と言っちまった。
すると、麒麟児は半泣きで俺に向かってきたと思ったら2発俺の膝に逆関節で蹴りを食らわせて来やがった。
さすがだ。着実に急所を狙ってくる。
俺はいつもそこはヘタをすると膝関節が壊れる急所だから、絶対にやっちゃいかんと言ってたんだけど、やりやがった。しかも2発も。
俺は反射的にビンタをはった。息子のぷにぷにした頬には俺の指の痕が赤くくっきりついた。
息子は半泣きになって俺に中指を立てて「なにするんだ!中指立てるぞ!」と怒鳴っていた。
さすが、俺の息子だ。どこでそんなもん覚えてくるんだ。
その時は、カミさんが間に割って入って息子はトボトボ一人で学校に行った。
昨日は気の重くなる朝だった。
そして、気の重くなるのは朝だけじゃなかった。

2026/03/12

POST#1786 髪を切って気分を変えるか

成田
今日は髪を切りに行こう。
もう半年も切っていない。白髪も目立つ。それは今日まで半世紀以上を悪戦苦闘して生きてきた証だ。染めるつもりもない。第一、頭皮に悪そうだしな。
母親譲りのくせ毛で、スタンダードな日本人に見えず、ある意味で苦労した。
人は他人を見かけで判断する習性をもっているから。自分たちと見た目が違うものを、排除したがる。そういう反応へのリアクションが、無意識のうちに自分の性格を作り上げたのかもしれない。
母の父方の血統である杉浦一族は、白髪の家系だ。年々増えていく白髪を見るにつけて、杉浦の一族の、もうこの世から去っていった老人たちの白髪頭を思い出す。
くせ毛は、どうなのだろう。母の母親の血統が秋田の人だったという。その地の縄文から続く血統の中に眠っていたものが受け継がれたのかもしれない。
頭のてっぺんが禿げたなら、お茶の水博士のように頭の両側にもこもこした白髪の塊がくっついているというのも面白かったが、幸か不幸か禿げる気配もない。そもそも若者はお茶の水博士なんざ知りゃしないさ。
そういえば、先日3年ぶりにあった仕事仲間は、すっかり頭が薄くなっていたな。

昔から、この国では髪は神に通じるとして、神的存在とつながるアンテナのように考える文化があった。単なる語呂合わせじゃないかと言えば、それまでだが。大本教🔗出口王仁三郎🔗も、その髪を切らずに伸ばし続けて結っていたと聞いたことがある。
感情が高ぶると、髪が逆立つ。俺の場合は頭が一回り大きくなったように見えることだろう。
波うち、絡まり、渦を巻く俺の神は、まるで自分とはかかわりない生き物の様ですらある。
頭に蛇をまとっている縄文の土偶か、諸星大二郎の海神記🔗に出てくる海の神の使・安曇磯良🔗が海藻をかぶっているようにも見える。
図太く硬そうに見えて、触ってみると意外と柔らかく細いところは、自分自身に似ているようにも思える。

物事は何だってこじつけようと思えば、どうとでも取れるものさ。

そんな見立て、こじつけが、世界の象徴的な意味をつないでいく。
象徴的なつながりで、事物と事物がつながれていくことで、森羅万象はただそこにある物質的存在であることから、霊的な意味合いを持つ不滅の存在へと変わっていく。

現代を生きる我々は、目に見えるものだけしか、数字で測ることのできるものだけしか見ない。その世界ではどこまで行ってもA=Aであるだろう。
けれど象徴的なシンボルを手掛かりに世界を読み解く術を持てば、A=AでありつつA=Bであるという豊饒な世界が広がる。一回きりの生は、神話的なアーキタイプな構造へと還元され、何度も生まれ変わり死に代わることとなるだろう。
中二病?そうかもしれないな。まっとうな人間なら、株価や原油市場の動向に一喜一憂するだろうさ。
そうだとしても、中二病のままこの年まで来たんだ。いまさら変わるものでもないさ。
失礼する。