2011/04/27

Post #166 たまには写真やカメラについて話そうかな#5

今日は、凄い雨だ。風も激しー。そんな中、俺は現場調査のために高速に乗って、片道100キロくらいの道のりを往復してきた。しかも、今夜は仕事が待っている。小忙しーぜ、まったく。
まぁ、明日は月末だから振込なんかして、あとはゆっくりじっくりとプリントでもさせてもらうか。
それを楽しみに、今日を乗りきらせて頂こう。とはいえ、こんな嵐の中、仕事の材料を積み込んだりするのは、すこぶる億劫なんだがな。何とかならないもんかね・・・。
というわけで、本日はブログに現実逃避だ。しかも、昨日の予告、勝手に金子光晴週間その2は、ちょいと気分じゃないので、今日はやめる。
久々に、カメラについて話してみましょうかね。なんだか、カメラの話しをするとジミに人気があるようなのでね。

コンタックス一族を愛する俺が、何時かは欲しいと思っていたカメラに、ホロゴンウルトラワイドがある。今は亡き、カール・ツァイスの天才設計者エアハルト・グラツェル博士とハンス・シュルッツ博士の設計したホロゴン15ミリf8(3群3枚、画角110度)が、名機コンタレックスのボディーにめり込むように搭載されていた広角専用機だ。1968年登場なのだが、当時としては焦点距離15ミリ、画角110度は驚異的な数字だったろう。それが例え、固定焦点、絞りf8固定でもね。
ホロゴン、つまりラテン語で、全ての角度を意味する、ほとんど球形に大きく湾曲したレンズが、一眼レフカメラ、コンタレックスの異様に質感のある重たいボディーに固定装着され、ペンタプリズムの代わりに軍艦部には、大きなモニターのような美しいビューファインダーが、これまた固定装着。そのまま普通に手持ちで撮影すると、画面に指が写り込んでしまうので、専用のピストルグリップが標準装備され、なおかつ周辺光量の低下を補うために、専用のグラデーションフィルターがついていた。このフィルターを使うと、F値は実際にはf16になってしまうので、暗い室内なんかでは、結構撮影が厳しいカメラだっただろう。
人間の欲望ちゅうもんは、限りがない。欲しかった。しかし、時は中古カメラバブル真っ盛り。時折見かけるホロゴンは、ヨユーで100万円オーバーだった。買える訳ないよな。今でも70万くらいはするんじゃないだろうか。

その当時、すでに京セラのコンタックスG2専用レンズで、ホロゴン16㎜ f8が出ているのは知っていた。これは元祖ホロゴンをG2のボディーに搭載するために、焦点距離を1ミリ長くし、その代り焦点距離を調整できるようにヘリコイドリングを設けた逸品だった。しかし、これも定価が30万くらいする超高級なレンズだった。

ある時のことだ。行きつけのカメラ屋に行くと、このホロゴン16㎜が16万円というお手頃価格で売っていたんだ。しかも、中古じゃない。新品だ。そのお値段で購入するためには、購入後に作例を撮影し、レポートを提出しなけりゃならないっていう、京セラのキャンペーンだったようなんだが、今思えば、その数年後にカメラ事業から撤退するための布石だったのかもしれない。

俺は買ったよ、ホロゴン16㎜。銀行で金を降ろして、いや連れ合いに借金したんだったっけか?しかも、ホロゴンを使うために絶対必要なカメラのボディー、つまりコンタックスG1もG2も持っていないのに買ったぜ。あほだ。俺はしばらくの間、ホロゴンを部屋の照明の灯りに透かして眺めたり、これまた傑作の水準器内臓の専用ビューファインダーで、部屋のベランダからの風景を眺めたりして過ごしたもんだ。これはこれで、なかなかに楽しい写真の楽しみ方ではあったな。

それからしばらくしてからだ、G2を買ったのは。45ミリの標準レンズ、プラナーが付いた中古だったかな。勢いというものは、恐ろしーもので、あれよあれよという間に、というか金が入るたびに、コンタックスGシリーズ用のレンズが増えていった。最終的には、ズームレンズのバリオゾナー以外はすぐにそろってしまった。
そのラインナップを紹介しておこう。

CONTAX Gシリーズレンズ、たまんねぇ
Hologon T*16mm F8
Biogon T*21mm F2.8
Biogon T*28mm F2.8
Planar T*35mm F2
Planar T*45mm F2
Sonnar T*90mm F2.8

ビオゴン21mmはかつてツァイスが開発した、Biogon 21mm F4.5の現代版リニューアルという位置づけだが、これが驚異の解像度。そして、歪曲収差の少なさ。フランジバックが長いので、一眼レフには使用できないので、レンジファインダーコンタックスが無くなってから、長らくハッセル・スーパーワイドくらいにしか使用されていなかった玉なんですが。たまらんですよ。専用のビューファインダーもなかなか見え具合よし。
俺はG2を使う時には、大抵この21㎜のビオゴンか16㎜のホロゴンを使ってます。
28㎜のビオゴンも実にシャープな広角レンズ。
35㎜のプラナー、実はあんまり使わないんですが、結構やわらかい描写、背刊ではぼやーと撮れるという評価らしいです。どうしても35㎜はメインで使ってるCONTAX T3のゾナーを使っちまうんだよな。
45㎜のプラナーは、はっきりくっきり、シャープでクリアな描写。
90㎜のゾナーも、あんまり使わないんですがね、世間的にはライカのエルマリートに比べても、断然シャープで、高い解像度を持ちつつコクがあるという評価がされとります。
まぁ、レンズの評価なんて、コクだのキレだのまるでビールの味みたいになっちまいます。一番いいのは、Gシリーズのボディーもレンズも、ホロゴンやビオゴン21㎜以外は、実にお手軽価格で入手可能ですので、興味のある方は、現金を持って近所の中古カメラ屋さんに走ってくれ。どうせ買うんなら、G1よりも、G2だ。その理由もこの後、説明しよう。現金がなければ、カードで買ってもいいじゃない。まるで、マリーアントワネットのような、口ぶりだが、結局、こんなもんは自分で使って納得したり、びっくりしたりするのが楽しーんであって、人がとやかく言ったことを鵜呑みにしているだけではいけない。
しかし、ほんの20年ほど前までは真剣にレンズのビミョーな味わいが追及されていたことが、デジカメ全盛の昨今からは懐かしいような悲しいような、複雑な気分になりますばい。はぁー、さみしかねぇ。

CONTAX G2  Biogon T* 21㎜F2.8
そして、これらの銘玉(しかも、とてもリーズナブル、これ大事なポイント)のプラットホームたるG2も、なかなか侮りがたいカメラなんだよね。1994年発売のG1、そして96年発売のG2。これは、世界で唯一の、AFレンジファインダーカメラなんだぜ。もちろん、巻き上げもオート。レンズを交換すれば、外付けファインダー使用の16㎜と21㎜以外は、ファインダー倍率が自動で切り替わるんだ。ブライトフレームのライカと異なって、コンタックスは昔からこう!ってカンジで、画角に応じた画面の外はすっぱりと黒く裁ち落されている。これがまぁ、コンタックスだな。
AFの精度は、後発改良機のG2のほうがはるかに優れている。だから、21㎜や16㎜をつけて、ビューファインダーを覗いたままシャッターをガンガン切っても、何の問題も無しだ。4個ものマイクロモーターを搭載したボディーが、自動でレンズを繰り出し、シャッターをきり、フィルムを巻き上げてくれる。
こんなレンジファインダーカメラは、他にないぜ。
しかもG2には、往年のコンタックスファンを狂喜させたサイコーのギミック付きだ。以前に紹介したツァイスイコンのContaxシリーズは、右手の人差し指がかかるボディーの隅に、ピント調整用のギアがついていて、これを指でコロコロ回せば、ギアの回転がレンズの繰り出し機構に連動し、ピントが調節がされるという優れものだったんだ。これの何がイイかって?そりゃ、シャッターボタンのすぐそばでピント調節が出来りゃ、スナップ時の速写性は向上するし、左手はカメラのホールドに専念できるという訳だ。
このG2にもマニュアルモードがついているんだけど、これが往年のContaxのようにボディーの正面の右手人差し指あたりに同様の機能のダイヤルがついているわけだ。そして、撮影時には、ファインダーを覗きながら、液晶表示された指標に合うまでダイヤルを回してピントを合わせるんだ。
まぁ、ホロゴンを使う際には、AF連動していないので、これはMFに切り替えたうえで、カメラのヘリコイドを回すことになるんだけどな。

そして、シャンパンゴールドに輝くチタンボディー。たまらん、物欲を刺激するとはこういうこった。
さらにサイコーに感覚に訴えてくるのは、シャッター音だ。シュピィーンッ!ってカンジノシャープな音だ。連写にするとこれが、シュピシュピシュピーンッ!だ。乾いた、メカニカルな軽快な音。これは病み付きになる。久しぶりに聴こうと思ったら、何ということだ、電池切れだ。ウンともスンとも言わないぜ。まいったなぁ…。まぁ、仕方ない。これが人生だ、ロックンロールだ。
ちなみにこのG2の電池だが一台当たり、CR2が2本必要だ。なかなか大飯くらいなカメラだ。シャープなボディーに、ずば抜けた能力、そして大飯食らい。ふふふ…、まるで俺のようなカメラだぜ。

出来ることなら、俺の人生、また物欲で腸がよじれちまうようなカメラに出会いたいもんだぜ。読者諸君、また会おうぜ。

さて、今夜も出撃タイムだ。明日こそはプリントするぜ。待ってろよ!

2011/04/26

Post #165 勝手に金子光晴週間 その1

Oh Yeah!今日の夜も仕事だからって、太陽が天中に差し掛かるまで、惰眠を貪って、挙句の果てには眠り過ぎて頭が痛いくらいだ。まったくのダメ人間じゃないか、これじゃ。仕方ない。国内時差ボケ商売だからな。仕事がなくても最近は明け方まで寝付けないんだ。困ったなぁ。

Osaka
今朝の明け方にさすらいびとさんからコメントをもらったぜ。さすらいびとさん、ハートウォーミングなコメントありがとう。さすらいびとさんのコメントを読んで、コメントを返していたら、無性にこの詩が紹介したくなったぜ。そう、他でもない親愛なる読者諸君にだ。
お届けしよう、ニッポンのユーメイな詩人にしてエロじじい金子光晴、1917年22歳の若き魂のシャウト、『反対』だ!

僕は少年の頃
学校に反対だつた。
僕は、いままた
働くことに反対だ。

僕は第一、健康とか
正義とかが大きらひなのだ。
健康で正しいほど
人間を無情にするものはない。

むろん、やまと魂は反対だ。
義理人情もへどが出る。
いつの政府にも反対であり、
文壇画壇にも尻をむけてゐる。

なにしに生まれてきたと問はるれば、
躊躇なく答へよう。反対しにと。
僕は、東にゐるときは、
西に行きたいと思ひ、

きものは左前、靴は右左、
袴はうしろ前、馬には尻をむいて乗る。
人のいやがるものこそ、僕の好物。
とりわけ嫌ひは、気の揃ふといふことだ。

僕は信じる。反対こそ、人生で
唯一つ立派なことだと。
反対こそ、生きてることだ。
反対こそ、じぶんをつかむことだ。

(金子光晴『反対』 岩波文庫 金子光晴詩集より)

う~む、まるでロックンロールだ。時代が時代なら、彼はロックンローラーだったろう。内田裕也なんか目じゃないぜ。すぐに、団結したがるこの日本では、黙っていてもお互いに通じ合っているような気になっているこの日本では、主張すればすぐにKYとか言われる日本では、今でもこの詩の力はいささかも衰えてないぜ。

さぁ、君も声に出して言ってみるがいい。すげーシャウトで、まわりの奴らを驚かせるくらい、デカい声で言ってみるとイイぜ。きっと、人生の見方が変わる。俺達はみんな、他人の人生を生きることに、うんざりしているんだ。さぁ、行くぜ!

『反対こそ、生きてることだ。反対こそ、じぶんをつかむことだ。』

いつだったか、この詩をたまたま目にして、金子光晴にノックアウトされたぜ。学級会じゃあるまいし、何でもかんでもみんなに賛成じゃ、いつの間にか、洗脳されて、去勢された馬のようになっちまうだろう。そんなんじゃ、自分の人生がもったいないぜ。モノ足りないッたらありゃしないぜ。
だいたい、よく言われる『みんな』って誰だよ?『みんな』はどこにいるんだい?『みんな』の意見なんかじゃなくて、ホントはお前の独断じゃないのかよ?やたらと『みんな、みんな』っていう奴を、俺はいつも疑ってかかる事にしてるのさ。
そうさ、自分の頭で考えて、おかしいと思う事には、即反旗を翻してきた。トイレットペーパーの芯じゃないんだから、何でもかんでも長いものに巻かれてたまるかって根性で今日まで何とかやってきた。ご苦労なこった。おかげで金回りはすこぶる悪いがな。
第一、そんなんじゃ人ごみに紛れて、埋没してしまうじゃないか。街を歩いている女の子を見てみなよ。人ごみで入れ替わっても、誰も気が付きゃしないんじゃないか?どいつもこいつも、おんなじようなメイクで、おんなじような格好でさ。サラリーマンのおじさんも、ある日違う会社に行って、知らない席に座っていても、何ら違和感ないような手合いばかりだ。
Osaka
それでいいのか?

人と同じことばかりしていたら、自分のやりたいことを見失ってしまうぜ。無駄に年だけくっちまうぜ。人生には終わりがあるんだぜ。俺は昔から、誰かと交換なんかできっこない、一点モノのゲージュツ品みたいな人間になりたいんだ。出来れば、このキャラクターを活かして飯が食えればサイコーだけどね。ふふふ…、しかし、そんなに人生甘くはないぜ。それこそが人生さ、ロックンロールさ。
つまらねぇことで落ち込んでる暇なんかないのさ。なんせ俺は俺だからな。俺の信じたことを、子供の頃の俺が見て、マンガの主人公みたいでカッコイイと思えるようなやり方でやるだけさ。

俺の敬愛するMOD FATHER Paul Wellerも言っている。
『僕は間違ってない。間違っているのは社会のほうだ。』
昔好きだったマンガで、主人公のハチャメチャな中年男が、『俺は未だこの世界に顕現していない何かからの使徒だ』って言うようなシーンがあったんだけれど、俺も、このニッポンの皆さんに、未だこのニッポンに顕現していないグルーヴからの使徒だと言えるような男になりたいもんだぜ。
ニッポンには、こんなバカな男がもっとたくさん必要だ。もっとも、みんな俺みたいな連中だったら、この国はデモとかストばっかりで、GNPはベスト100位圏外間違いなしだろうけどな、ダッハッハッ!
読者諸君、俺はもうすっかりおっさんだけど、年相応に老け込む気なんかさらさらないぜ。君たちも、いっちょどうだい?もっと好きにやってみないか?大丈夫、痛い目を見るのは自分なんだから。
明日は、勝手に金子光晴週間その2ってことで、『おっとせい』でもショーカイしてみようかな。

2011/04/25

Post #164 Dead Stock #1

昨日の夜は、夜中の3時まで、例の旅行のネガをチェックしていたんだ。
あんまり夜更かししていたんで、連れ合いに、こっぴどく叱られちまった。いつまでたっても子供扱いだ。もう42なんだがね…。
フィルムカメラで、ほぼノーファインダーで撮っているから、なにがどんな構図で写っているのか、ネガを見るまでまったく分からない。これは、なかなかにスリリングなことだな。驚くぜ。

実際に、見ていると、旅行のシーケンスが次々に脳裏に浮かんでくる。名所めぐりなどあまりせず、ひたすら路地を歩き回って写真を撮りまくっているから、ネガを順番に見ていると、自分の記憶が呼び起されてくる。異様に細部まではっきりと思い出し、地図があったら、毎日たどった道筋を正確にたどれそうなくらいだ。

頭の中に地図が出来ていくわけだ。

今日は午前中、仕事を一発かたずけてきた。何、たいしたこたぁ無いんだ。仕事自体は簡単なんだが、ほとんどがその、行き帰りの運転だ。これはなかなかに退屈なんだが、イカしたロックを聴きながら、ご機嫌な時間を過ごすって寸法さ。そして、夕方からもう一発現場を片付けてこないといけないんだ。そこで、今回はずいぶん前に撮影した写真を載せておこうかな。つまりはDeadStockって訳だ。今日はとりあえず、モノクロに関しては、昨日の夜見たネガの事で頭の中がいっぱいなのさ。そこで、ちょっと目先を変えてみた。もちろんプリントしてる暇はないしね。

HomeTown
これは、近所のうなぎ屋さんの水槽なんだが、なんだか最近、うなぎが無性に食いたくってね。スーパーで売ってる奴じゃだめだよ。ちゃんとお店でおっさんが炭火で焼いたような奴。あれがイイのさ。肝吸いなんかつけてもらってね。サイコーだよ。


Kumano
これもずいぶん前に、熊野の花の窟に行ったときに撮ったものだぜ。
素敵な草地に、素敵な黒猫が気持ちよさそうにしていたんだ。邪魔をしないように、そっと離れて撮ったのさ。
西日本に住んでいない人にはあまりなじみがないかもしれないが、この花の窟はイザナミノミコトを葬った神聖な場所なんだ。巨大な岩がご神体で、そのご神体には波や風の浸食で穴が開いている。それがまぁ、見様によっては女性器に見えなくもない。イザナミノミコトは、火の神カグツチを生んだ時に、やけどをして死んでしまったんだ。ちなみにここには、火の神であるカグツチも祀られている。太平洋の荒波が打ち寄せる浜辺にそびえたっているんだ。
ここはおそらく縄文時代から聖地とされてたんだろうな。日本書紀にもしっかりとこの場所のことは書かれているんだ。流行っぽく言えば、まぁ、パワースポットだね。なんかこの言い方は、畏敬の念が感じられなくて俺は嫌だがな。
ここは神社になっているが、拝殿はない。このむき出しの岩の前に直接対面して祈るのさ。白砂の敷かれた地面に跪いて祈るのさ。
俺も、この岩の前で、何度か跪き、何を願うでもなく、祈ったことがある。土人のように祈り続けるのさ。なんだか、かたじけない気持ちになってくる。自分が神様の子供になって生まれ変わったような気がしてくる。胸の奥が熱くなってくる、自分が母親を殺して生まれたカグツチそのものになったような気がしてくるんだ。
そろそろ、また行きたいもんだ。ソウルパワーをわけてもらいたいぜ。

おっと、そろそろ行かなくちゃ。現代社会はせせこましくてイケないぜ。かといって、失業は御免だけどね。暇はあっても、旅にも出れなきゃ、印画紙も買えやしないからね。
読者諸君、また会おう。君たちも、うなぎでも食べて精をつけたり、パワースポットに行ってソウルパワーをチャージして、この困難な時代を乗り切って行こうじゃないか!