ラベル 政治について の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 政治について の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026/11/04

POST#1996 アメリカの中間選挙が大盛り上がりだな。

 

沖縄 市場にて
アメリカで、議会の上下院の議員を改選する中間選挙が大盛り上がりだ。
トランプ帝王の行き当たりばったりの政策と縁故主義にうんざりした人々の投票のおかげで、民主党の得票が伸びているらしい。
開票結果化が確定するまでわからないが、民主党が上下院ともに過半数を押さえたら、トランプ危うしだな。彼の思い付き政策に、議会は意を唱えるだろう。様々なルール無用の行いに対して、弾劾決議を発議する可能性もあるだろう。
それよりも、トランプがまた大衆を扇動して、議会を乗っ取るようなことになるかもしれない。最悪だな。
そんな最悪な事態を回避するためにか、民主党の牙城であるカルフォルニア州の人々の投票登録が疑わしいとかいちゃもんをつけていたが、これはあっさり裁判所に否認された。
何かと権力にしがみつく薄みっともない老人だ。
仕方ない。大統領の座を追われたら、かトランプが目の敵にしているICC(国際刑事裁判所)に指名手配されるかもしれない。仲良しのネタニヤフともどもね。そうなったら、フロリダに身を寄せて事実上亡命しているブラジルのボルソナーロ親子も行き場を失うだろうな。

さた、だいたいなんでアメリカじゃ、有権者登録なんて必要なんだ?

住民票とかないのかね?にほんなら、そんな面倒なことを自己申告しなくても、選挙のお知らせが市役所から届く。投票所に行けば、この選挙のお知らせの番号と住民台帳を突き合わせて確認し、市民ならだれでも投票ができる。もちろん投票する気があればだけれどね。

アメリカで有権者登録が必要な最大の理由は、日本のような全国統一の住民票(住民基本台帳)や戸籍の仕組みが存在しないからだ。

はぁ?大事なことだからもう一度言おう。

全国統一の住民基本台帳がないんだとさ!

俺たちがたまたま生まれた日本では引っ越しをして役所に転入届を出せば、自動的に住民票が更新され、選挙管理委員会が作成する選挙人名簿に登録される。自動的にだ。ほかに何の手続きもいらない。日本全国、どこに行っても同じだ。しかし、アメリカにはこれに相当する国の一元的なシステムが、ない。

彼らは「国家が国民を一元管理する」ことへの強い警戒心を持っている。というか、国家を信用していない。

アメリカは歴史的に、中央政府が個人の情報を管理することに対して強い拒否感(プライバシー侵害や国民監視への懸念)があるのだという。そのため、日本のような「国民全員に一意の住所と身分を紐付けて登録を義務付ける」住民票システムそのものが存在しないんだそうだ。さすがは自由の国だ。

しかも選挙の管理は「州」の権限だ。

アメリカの選挙は連邦政府ではなく、50ある各州(および地方自治体)がそれぞれ独自の法律で運営しているんだとさ。

核家族社会のアメリカでは、生まれたコミュニティを離れて州をまたぐ引っ越しも多いため、各州の選挙管理委員会は「誰が今、自州のどの選挙区に住んでいて、投票資格を持っているか」を独自に把握する必要がある。

その確認作業を有権者側からの「申請(登録)」に頼っているのが現状なんだとさ。

何たる非効率!投票すらもするかしないか自由なのさ。

そしてなんだか本末転倒な気もするが、不正投票の防止策なんだとさ。

二重投票や、亡くなった人の名義での投票、資格のない人(市民権のない人など)の投票を防ぐため、事前に身元と居住地を確認するステップとして有権者登録が機能しているらしい。だから、それは日本みたいなシステムを構築するほうが間違いないだろう?

お得意のお家芸のAIに作ってもらえばいいじゃないか?


この有権者登録の手続きは、「投票率を下げる原因になっている」「特に低所得層やマイノリティの投票を難しくしている」という批判が根強くある。

そりゃ当然だ。好き放題やりたい権力者は、政府のやり口に不満を持つ低所得者やマイノリティの投票率は低い方がいい。権力を維持するためには是非ともそうすべきだ。メンバーズオンリーだ。貧乏人は黙って冷や飯くいだ。同じ理由で投票率は低い方がいい。日本でも、有権者が選挙の時に寝ていてくれたらいいと放言した、元総理大臣で元オリンピック委員会でサメの脳みそと言われた政治家がいたな。それと同じだ。

そのため、いくつかの州では改善に向けた取り組みも進んでいるそうだ。たとえば

  • 自動有権者登録(AVR): 運転免許証の更新などの手続きの際、自動的に有権者登録も行われるシステム(多くの州で導入が広がっています)。
  • 当日登録: 選挙の投票日当日に投票所で登録してそのまま投票できる州もあるそうだ。

じゃぁ、運転免許のない人、パスポートなど身分証明になる子的書類のない人はどうするんだ?

百歩譲って、連邦政府に一元的な住民台帳がないのは良しとしよう。

しかし、それぞれの州に住民票とかないのか?

そもそもそれじゃ、市民サービスとか行政そのものに支障があるだろうに。

しかし驚くべきことに、州単位でも日本のような「住民票(行政が個人の住所を一元管理する仕組み)」はない。ないったらない。

俺たち日本人の感覚からすると「どうやって行政サービスを行っているんだ?」と不思議に思えるんだが、アメリカでは目的ごとに異なる公的書類や番号を組み合わせる「分散型」のシステムで行政を回しているわけだ。

これが非効率極まる奇々怪々なものだ。屋上屋を重ねてきた結果だろうな。

1. 住所の証明は「運転免許証」や「公共料金の請求書」

アメリカで最も「住民票」に近い役割を果たしているのが、各州の陸運局(DMV)が発行する運転免許証(または車を運転しない人向けの身分証明書/ID)なんだそうだ。
引っ越しをした住民は、州の法律で「○日以内にDMVで住所変更の手続きをするように」と定められているんだと。

行政サービス(公立学校への入学、図書館カードの作成など)を受ける際の「居住地の証明」には、主に以下が使われているらしい。

  • 住所が記載された運転免許証
  • 自宅に届いた公共料金(電気・水道・ガスなど)の請求書
  • 家賃の賃貸契約書

行政側は、これら複数の書類を住民に提示させることで「本当にここに住んでいるか」を確認しているんだとさ。何たる非効率!

2. 人口の把握と予算配分は10年に1度の「国勢調査」

こんなていたらくだと、当然俺たちは「住民票がないと、行政が地域の人口を把握できず、予算やインフラの計画が立てられないのでは?」という疑問抱かざるを得ない。

でも、安心してくれ。アメリカ人もそこまで馬鹿じゃない(はずだ)。
アメリカではこれを、憲法で定められた10年に1度の「国勢調査(Census)」でカバーしているんだ。「国勢調査」ねぇ…。

このデータをもとに、連邦政府から各州・自治体への予算配分や、下院議員の議席配分(選挙区の区割り)が決まるんだそうだ。

3. 税金は「自己申告(確定申告)」が基本

税金(所得税など)の徴収は、日本のような役所主導の住民税徴収とは異なり、原則として年に1回、全員が自分で自分の住所と収入を国税庁(IRS)や州の税務当局に申告する仕組み(タックス・リターン)になっている。行政はこれにより「誰がどこでいくら稼いだか」を把握するってわけだ。

4. 国民共通のIDは「社会保障番号(SSN)」

日本でいうマイナンバーに近いものとして、社会保障番号(SSN: Social Security Number)があるんだそうだ。なんだ、ちゃんとあるんじゃん。さっさと紐付けしなよ!
元々は年金管理のための番号だったらしいが、現在は税金の申告、銀行口座の開設、就職、クレジットカードの作成など、あらゆる場面で本人確認のために必須となっているんだそうだ。

ただし、これにも「公式の住所情報」がリアルタイムで紐付いているわけではないんだとさ。だから紐付けしろってばよ!


さて、最前から俺が気にしているのはここだ。こんな有様で行政に「支障」は出ていないのか?

実際のところ、かなりの支障や非効率さが発生しているんだなぁ。

まず、手続きがとにかく面倒くさい。

住所が変わるたびに、DMV(免許)、郵便局、税務署、銀行、選挙管理委員会など、あらゆる場所に個別に住所変更を届け出る必要がある。これは面倒くさい。日本なら、市役所と警察に行くだけだ。

当然のことながら、役所の窓口が大混雑する。

 特に運転免許を発行するDMVは、全住民の身分証管理を一手に引き受けているため、常に長蛇の列ができ、アメリカで「最も行きたくない場所」の代名詞になっているんだとさ。まぁ、俺も運転免許試験場は、行きたくない場所の一つだけどね。

いちばん悪いことには、行政の横のつながりがないことだ。

 州のシステム、警察のシステム、福祉のシステムが連動していないことが多く、情報の照会に時間がかかったり、不正受給や管理漏れが起きやすいという弱点がある。生活困窮者を支援したりするのにも支障があるだろう。

けど安心して。アメリカは自由の国なので、生活婚食うして野垂れ死ぬのも自由ってことだ!

こんなていたらくなのに、アメリカ人が「一元管理された住民票」を作らないのは、やはり「政府に自分たちのプライバシーや居場所を監視されたくない」という自由主義の理念が、不便さよりも優先されているからだ。

そう、彼らは自分たちの政府を、自分たちの国を、根本のところではまったく信用していないのだ。

俺はこの状況を見てみるに、ふと一つの疑問を抱く。

この人たち、煩雑化によってGDP上げようとしてない?(笑)

これはあながち笑い話とも言えないようだぜ。

経済学やビジネスの視点から見ると、アメリカのこの「手続きの煩雑さ」や「非効率さ」は、皮肉にも巨大な民間市場(ビジネス)を生み出し、結果としてGDPを押し上げる要因になっているらしい。阿呆らしい。

これを皮肉を込めて「非効率が生み出す経済効果」と呼ぶことがでるだろう。まさに「ブルシット・ジョブ」だ。このブルシットジョブがビッグビジネスを生み出している。

1. 「確定申告が難しすぎる」から生まれた巨大産業

アメリカの税金申告(タックスリターン)は、住民票や会社による年末調整がないため、個人でやるには複雑怪奇らしい。まぁ、税金なんてそんなものだ。複雑怪奇にして、出来るだけ貧乏人から巻き上げるようにできてるのさ。
その結果、「ターボタックス(TurboTax)」などの申告ソフト会社や、街中の税務代行サービス(H&R Blockなど)、公認会計士(CPA)が数兆円規模の巨大市場を形成しているんだとさ。数兆円規模だぜ!驚きの非効率だ!
彼らは「システムがシンプルになって国民が自分で簡単に申告できるようになると困る」ため、政府が無料の公式申告システムを作るのを阻止しようと、長年激しいロビー活動(政治家への働きかけ)をしてきたことでも有名なんだとさ。ひどい話だ!

2. 「身元が信用できない」から生まれた巨大産業

住民票や戸籍がないため、アメリカでは「この人は本当に信頼できる人物か?」つまり家を貸していいか、ローンを組ませていいかを国が証明してくれないんだ。

これが中国なら、携帯と連動した社会信用スコアで一発なのにな!(笑)
そこで、「クレジットスコア(信用スコア)」を算出する民間企業(Equifax、Experian、TransUnionの3大信用情報機関)が発達したわけだ。家を借りる、車を買う、就職する、あらゆる場面でこの民間企業のデータが有料で照会され、これもまた巨大なビジネスになっているんだとさ。民間企業のほうが、公共セクターよりも信用できるという感覚が、よくわからないぜ。

政府の信用より、民間企業の担保する信用を重視するというのが、俺には意味不明だ。

公共とか社会とかいう概念が社会にないのだろうか。人々は孤に分断されたモナドとしてしか存在しえないのだろうか?

3. 「住所やIDの証明が大変」だから生まれる民間サービス

引っ越しのたびに何十箇所も住所変更をするのが面倒なため、それを一括で代行・仲介する民間アプリやサービス、また「身元確認(バックグラウンドチェック)」を専門に行う代行会社が数多く存在し、これも立派に経済を回しているわけだ。みんな儲かってよかったね。

そのお金は誰が払うのでしょう。もちろん一人一人の市民ですよ。しかし、本来はこういうコストは、社会を維持するためのコストとして、公共セクターが負担し、責任を負うべきものだ。


こいつはまったく、「割れた窓の寓話」そのものだ。

経済学には「割れた窓の寓話」というものがある。
「パン屋の窓ガラスが割れると、ガラス屋が儲かり、ガラス屋がそのお金で服を買えば服屋が儲かる。だから災害や破損は経済を活性化させる」という一見正しそうで、実は社会全体としては富を失っているという屁理屈だ。

アメリカの行政の煩雑さは、まさにこれと同じだ。

  • 日本: 行政がシステムを一元化して、国民の「時間と手間(コスト)」をゼロにする。
  • アメリカ: 行政が不便なままなので、国民は民間企業にお金を払ってその不便さを解決する。(ここで民間企業の売上が立ち、GDPが増える!)

国民個人の時間やストレスという「目に見えないコスト」を犠牲にして、民間ビジネスの「目に見える売上(GDP)」に変換している、と言えなくもない構図があるわけだ。このあたりは、徹底的な資本主義国であるアメリカらしさとも言えるだろう。合理性のかけらもありゃしない。その割には、テック企業が検索などを通じて個人情報を吸い上げ、情報抽出するのは良いってんだから、わけがわからないぜ。

この「わざと不便なままにしてビジネスを残す」という構図は、国民皆保険がないため、複雑な民間保険と代行請求が巨大産業化しているアメリカの医療保険制度にも全く同じことが言えるようだ。

本来ならテクノロジーや行政改革で「ゼロ」にできるはずの無駄なコストを、わざわざ民間ビジネスの「売上」として計上して「我が国のGDPは成長している!」と言っているわけですから、極めて不条理だ。カミュやカフカが見たら大喜びするほどの不条理だ。

この仕組みが長年維持されている背景には、アメリカ特有の「ねじれた思想」がある。

彼らは「政府の役人」より「民間の金儲け」を信じる文化を持っている。

アメリカには「政府がやる仕事はすべて非効率で利権まみれになる。民間企業に競争させたほうが、まだマシなサービスが生まれる」という根強い新自由主義という信仰がある。教祖はミルトン・フリードマンだ。そのため、日本では「お上が一元管理して効率化するぞ、マイナンバーにみんな紐付けだ!」となる局面で、アメリカさんでは 「政府にやらせるとロクなことにならないから、不便でも民間ビジネスに解決させよう」となるわけだ。そして、民間企業にぼったくられる。企業の目的は人々の幸福の最大化ではなく、自らの、株主の利益の最大化だからだ。そんなこと、ちょっと考えればわかりそうなものなのにな。

この不条理の結果として、余計に複雑で金のかかる民間サービスが乱立することになるわけだ。馬鹿らしいぜ。

銭ゲバな奴らは「GDPの数字」さえ増えれば正義ののさ。

経済学の指標にすぎない、サイモン・クズネッツが発案したGDP(国内総生産)は、「どれだけ社会が幸せになったか」ではなく「どれだけお金が動いたか」しか計算しない。しかし、お金を使わずに個人が労力を費やした部分に関しては、お金が動いていないのでカウントされない。そこで起きるのが次のような転倒した構図だ。

住民票1枚で手続きが終わる日本 ➡ お金が動かないのでGDPはゼロ

複雑な手続きのために代行業者に1万円払うアメリカ ➡ GDPが1万円増える

諸君、如何におもわれるかな?

社会全体としてはアメリカの方が明らかに無駄なコストと労力をかけて疲弊しているわけだけど、「GDP成長率」の数字の上では、アメリカの勝ちになってしまうというバグが起きているくわけだ。阿呆らしいぜ。

この非効率な政治を動かすロビー活動という名の「合法的な買収」が社会を覆っている。

この非効率から恩恵を受けている企業(税金申告ソフト会社や民間保険会社など)は、莫大な利益を使って政治家に献金し、「行政手続きをシンプルにする法案」をことごとく握りつぶしてきた。政治家は、国民の幸福のために働いているのか?業界利権の代弁者に過ぎないのか?
こんな腐敗した時代遅れの慣行を墨守し、おかげ様で民間ビジネスが成長しすぎた結果、「不便であること」が彼らの既得権益になっている。その結果、国全体をアップデートできなくなるという本末転倒な事態に陥っているというわけだ。たわけだないの?

大丈夫か、アメリカ?


「非効率をビジネスに変えて成長する」アメリカと、「効率的で便利だけど経済が停滞している」日本。どちらが良いかは一長一短かもしれない。アメリカの成長の裏には、こうした国民の膨大な「時間、ストレス、手数料」という隠れた犠牲があるのは間違いない。

君は、日本とアメリカ、どっちに生まれたいかね?

この構造の根底には、アメリカ人と日本人の社会や国家に対する共同幻想の断絶がある。明日はそれについて話そう。


2026/10/22

POST#1990 北朝鮮は大日本帝国のデッドコピーなんじゃないかな

 

ネパール カトマンズ郊外のパタンのクマリが人々に祝福を与える

死後との、いや仕事の山を一つ越えた。気が楽になったぜ。疲労が消えるわけではないがね。しかし、心は少し軽くなったのは事実だ。まったく、小市民だな。我ながら呆れるぜ。

金正恩の妹の金与正🔗が38度線付近で、北朝鮮の兵士が韓国の兵士から攻撃を受けているとか、南朝鮮=韓国の為政者の化けの皮がはがれたとか主張し、この上は北朝鮮の主張を大音量で放送するアジテーションを再開すると、いつものように冷酷に鼻息荒く宣言している。

ネットでは、金正恩🔗が脳梗塞で死亡し、金与正が権力を握ったというデマが世界を駆け巡ったが、これはいつものように、こうだったらいいのになぁっていうデマだ。金正恩だっていつかは死ぬが、それは今じゃないんだろう。そんなもんだ。
俺は常々、日本の皆様が、世界に誇る万世一系(とされるナラティブを持つ)天皇っていう存在は、世界に広く確認される『生き神様信仰🔗』のヴァリエーションの一つだと考えてる。他にはダライ・ラマ🔗とか、ネパールのクマリ🔗とかなんかもこのカテゴリーに入れることになるよね。ここまでは世間でも一般的で、神社本庁や右翼の皆さん界隈以外ではおおむね肯定される意見だろう。
ここからが、俺の独自の思考跳躍だ。
日本の仮想敵国No.ONEであり、トランプ大統領のお気に入りのリトルロケットマンの君臨する北朝鮮の金王朝だって、あれは生き神様信仰の萌芽が見られると思うんだ。

北朝鮮の金王朝の首領崇拝を、日本の「天皇(特に近代の現人神思想)」や、ネパールの「クマリ(生き女神)」と並ぶ「生き神様信仰(現人神・現身の神)」のバリエーションとして捉える視点は、宗教人類学や比較政治社会学において最も核心を思わずずぶりとついちゃったんじゃないかな。(笑)

どれほど国家の側が「万世一系」や「世界で唯一の歴史と血統」という、検証不可能な物語を演出してもだ、煎じ詰めてその心理的・構造的な仕組みを剥ぎ取ってみれば、そこにあるのは「人間の肉体を器として、そこに絶対的な超越性や理想のシンボルを宿らせようとする、人類共通の精神システム=共同幻想」に他ならないんだから、尊厳も何もあったもんだにゃあわな。

この「生き神様信仰」という対称的なフレームワークから、ちょいと考察をひろげてみるぜ。皆の衆、いい加減忙しいとは思うが、退屈してるんならさあご一緒に!俺は面白くてためになるブログを標榜してるんだ。

まず、一番プリミティブなネパールの「クマリ」の純粋な「祝福のシステム」を見てみようか。ネパールのクマリ(Kumari)は、幼い少女の肉体にヒンドゥー教の女神ドゥルガー🔗が宿ると信じられている生き女神信仰だ。俺自身もかつて、カトマンズ郊外のパタンでクマリの祝福を与えられたことがある。こうして今も生きて大口をたたいていられるのも楚の御蔭かもな。

クマリの本質は、人々に「法律」や「命令」を下して支配することではないんだ。彼女がなすのは、ただ民衆を眺め、微笑み、「祝福(恩寵)」を与えることだ。ただそれだけだ。権力なんかない。神社の氏神様が身体を持っていたら、ただ氏子を眺め、微笑み、その営みに祝福を授けるだけだというのに等しいだろう。

かつてネパールの国王すらもクマリの前に膝を折り、その祝福を受けることで自らの王権を承認(正当化)されていたんだ。まるで、征夷大将軍を任命し、その支配権を承認していた中近世の天皇のようだな。

宗教人類学者や我が心の師・吉本隆明らが指摘したように、日本の天皇制、特に政治的な実権(軍事力や法律の制定)を握る前の古代(6世紀以前など)の天皇や后(神功皇后など)の本来のあり方は、まさにこのクマリに近い「純粋な祭祀王(神の依り代)」だったんじゃないかとも推論されている。

国家のトップに「権力を持たない、ただ祝福を授けるだけの生き神(アバター)」を置くことで、共同体の精神的な安定と秩序(平和)を維持しようとする、高度なアニミズムの知恵だったと言えるだろうな。

これが、西洋の大国からの開国要求を受け、尊王攘夷だ開国だとすったもんだして日本全国南から北の五稜郭までひっくり返して明治維新を成し遂げたとき、その錦の御旗の天皇を、国家の根本原理として「現人神」としたわけだ。この原初的でフラットだったはずの「生き神様信仰」を、近代国家の「軍事・支配の道具」として強引にハックして利用したのが、明治以降の大日本帝国における「現人神(あらひとがみ)」思想であり、それを第二次大戦後にそっくりそのままデッドコピーしたのが、現在の北朝鮮の「金王朝(白頭の血統)」だという俺の見立てさ。どうよ、このシステムにハッキングされた狂気!

権力と神格化の最悪の合体だ。 本来、クマリのように政治権力から遠ざけられているべき「生き神の依り代」に対して、近代の国家は「軍隊の統帥権(大元帥)」や「憲法上の絶対権力」を合体させて、人々の遥か頭上に君臨する超越的な現人神に祭り上げちまったわけだ。

 これによって、人間(天皇や首領)が発する個人的な命令や政治的決断が、そのまま「神の意志」へとすり替わるんだ。

恐ろしいことだぜ。

国民は自分で深く考えること(ロゴス)を奪われ、「天皇陛下(あるいはその劣化コピーの首領様)のために死ぬことは、神聖な義務である」という集団催眠に搦め取られ、結果として無謀な戦争や凄惨な人権侵害(焦土化や身分制)を心理的抵抗なく受け入れる「不思考の家畜」へと仕立て上げられてしまったわけだ。戦前の社会を美化する者が、往々にして北朝鮮を批判し、この世の地獄のようにそしるのは、自らの歴史にあまりに疎いのではないかと健忘症を心配してしまうほどだ。

それじゃなぜ、俺たち人間は「生き神様」のようなおかしなものを必要とするのかな?

うむ、それがし思うに、人間は、天の上にいる抽象的な「一神教の神」を信じるだけでも飽き足らず、「今、自分たちの目の前に生きて存在している、肉体を持った人間」を神として崇めたいという、強烈な実存の弱さ(超越性への渇望)を持っているんじゃないかな。

普通の車よりフェラーリみたいな超越性を持った車にあこがれるみたいに?ちょっと違うかな?(笑)

自分と同じように飯を食い、老い、傷つく生身の人間をあえて「生き神」という記号に祭り上げることで、人々は分解してゆく一方の社会の中でバラバラに孤立した不安(モナド化)から逃れ、「私たちはこの偉大な存在のパーツなのだ」という安易な連帯感に浸ることができるわけだ。そして、安易なものは往々にして空疎なものだぜ。愛は厳しいのさ(笑)。

日本人がいまだに天皇家の物語を信じ込もうとし、北朝鮮の民衆が首領を涙を流して崇める心理の根底にあるのは、まったく同じ「自分の足で立ち、自分の頭で考えることの恐怖」からの逃走に他ならない。ハンナ・アーレントは、『考えないことが罪』だと説いたがね。

日本の天皇制も、北朝鮮の独裁も、ネパールの少女信仰も、すべては「人間が自らの弱さと孤独を埋めるために作り出した、生き神様という名の共同幻想」の具現化であり、その本質に上下も貴賤も、変わりはない。十把一絡げだ。

と言うか、北朝鮮の金王朝自身が、えー、日本の天皇制をコピーしたとしか俺には思えないんだけどな。

これは実は、ほんとのことのようだ。

歴史的な事実として、北朝鮮の金王朝(金日成体制)の個人崇拝や国家の仕組みは、かつて彼らが統治されていた「近代日本の天皇制(大日本帝国の国体)」をそっくりそのままコピー(模倣)して作られたものだそうだ。マジかよ。だとしたら、あのリトルロケットマンの国は、貧しい民衆の姿は、マシンガンで処刑される人々の姿は戦争が終わっていなかった世界線の日本の姿だってことだ。勘弁してくれよ。俺は眼を背けたいけれど、背けてはいけない。目を見開いて、考えるんだ。

残念なことに、これは単なる俺の根拠のない推測ではなく、近年の歴史学や中東・アジアの比較政治社会学においても「首領制(金日成体制)のルーツは、戦前の昭和天皇制(絶対主義的天皇制)の国体思想にある」として深く研究され、実証されている事実なんだとよ!

「社会主義」という世俗的で近代的な上着を羽織ってはいるものの、その中身がなぜこれほどまでに歪な「生き神様信仰の封建国家」になってしまったんだ?

そして彼ら金一族がいかに日本の天皇制をコピーしたのか、共通点を通して、そのデッドコピーというか劣化コピーの痕跡をたどろうぜ。

1. 「万世一系」をコピーした「白頭の血統」

日本の天皇制を支える最大の柱は、天照大神から地続きで一度も途切れたことがないとされる「万世一系」という血統の神話=ナラティブだ。

金正恩の戦争上手なじいさんの金日成は、自分の権力基盤を盤石にするために、この万世一系システムをハックしたんだ。。白頭山(ペクトゥサン)神話の捏造: 金日成は、自らの独裁を永久化するために、これと全く同じシステムを作り上げたんだ。

それが「白頭の血統」というやつだ。なんだそれ?北朝鮮の建国神話の聖地である白頭山に金一族のルーツを重ね合わせ、金日成🔗、金正日🔗、金正恩へと「神聖な血」が受け継がれているというナラティブは、日本の天孫降臨や皇統のコピーそのものだろう。そう、北朝鮮版の天孫降臨の里・高千穂だ。よく研究してるぜ、まったく。なんせ、終戦までは彼は一応日本人だからな。

2. 「現人神(大元帥)」をコピーした「首領(総書記)」

戦前の日本において、昭和天皇は「現人神」であると同時に、大日本帝国陸海軍を率いる最高指揮官(大元帥)だった。宗教的な神格性と、軍事的な最高権力を一人の肉体に合体させることで、国民に「命を捧げる不思考の義務」を強いたわけだ。最強だ。このご意向に逆らうのは生半可な覚悟じゃ無理だ。

金王朝が完成させたシステムもまさにこれなんだ。戦争上手な金日成や映画監督になりたかった金正日は「首領(最高尊厳)」という生き神でありながら、同時に軍の最高司令官(大元帥)として君臨していたんだ。国民を「一億総特攻(銃爆弾となれ)」と駆り立てた戦前日本の精神構造が、現在の北朝鮮の「先軍政治」や「最高尊厳のために爆弾となれ」というスローガンの中に、100%そのまま息づいているんだ。知れば知るほど、憂鬱になれるな。もう一錠レクサプロを飲んどくか?

それだけじゃないぜ!高市総理も大好きな「教育勅語」をコピーした「唯一思想体系」なんてのもある!もう、憂鬱を通り越して、へらへらした笑いが止まらないぜ。

戦前の日本人は、学校で「教育勅語」を暗唱させられ、天皇を中心とする家族国家観(国体)を徹底的に脳内に刷り込まれたのは、ご存じの通り。それを現代によみがえらせようとしたのが懐かしい森友学園だというのも皆さまお忘れでしょうか(笑)。

これと全く同じことを、北朝鮮ではやっているのさ。

北朝鮮の民衆が毎日暗唱させられ、生活を縛られている「党の唯一思想体系確立の十大原則」は、まさにその教育勅語の現代版だ。

そこには「首領様を天のように崇め、その命令には無条件で服従せよ」という、かつての「滅私奉公」や「忠君愛国」のロジックが、一言一句同じ精神性で複製されています。そいつに、『欲しがりません勝つまでは』とか『鬼畜米帝』とか書いてあっても俺はもうおどろかないぜ。

かつて日本は「西洋の野蛮な近代の植民地主義」に対抗するために、独自の生き神様システム(現人神・大元帥)を急拵えし、国民を不思考の兵士に仕立て上げて朝鮮、中国、東南アジアなどの周辺国を蹂躙しまくった。みんな無謀な戦争に駆り出され、マラリアになったりワニに食われたりした挙句、武器もないのに特攻し玉砕した。

そして、その日本から解放されたはずの北朝鮮を率いた金日成が、今度は「アメリカという現代の十字軍」から自分たちの権力を守るための防壁として、最も憎むべき敵であったはずの「日本の天皇制のOS(支配システム)」をまるごとデッドコピーし、自分たちの都合の良いようにして21世紀にまで生き残らせたって筋書きだ。

金日成以来、金日成、金正恩そして娘のジュエ様🔗に至るまで、すでに四代、このままじゃ。日本が女性天皇を持つより早く、ジュエ様が後を継いじゃうな。国連にも女性の人権に配慮してると評価されるかもしれないな。

それまた、ブラックジョークだぜ。勘弁してほしいぜ。

2026/10/20

POST#1988 フランス人はいつだってやりすぎる。やりすぎたおかげで近代国家が生まれた

パリ、クリニャンクール。あの日は雪だった
フランスが燃えているらしい。

数年前の黄色いベスト運動をはるかに上回る暴動がフランスで起きているようだ。

詳細はまだわからない。10月17日に、それまで続いていた高校生!による教育への予算拡充を求めるデモを発火点にして、社会のあらゆる持たざる者たちの不満が爆発し、うねりのようなデモとなり、有機的な人津波のようにしてパリを飲み込んでいるという。まるで脳を持たない粘菌が、有機的に不定形に移動してエサをのみ込むように。

街角では、様々なものが燃やされ、バリケードが築かれ、警官隊は平和的なデモに対して弾圧を加えることでコントロール不能にし、人々の怒りに油を注いでしまった。

様々な商店が略奪され、燃やされた。その損害額は数億ユーロに上るというが、いったいどれほどの損害額になるか、誰にも分らない。

デモは、大統領の官邸であるエリゼ宮に向かったという。マクロン大統領は、正当な主張には対応するが、略奪や暴動に対しては断固とした処置をとると息巻いている。

そして、外野のドナルドトランプは、いつものように『デモは移民のせいだ』と的外れなことを言っている。フランスとアメリカの移民への包摂のシステムが全く異なることを、全然理解していない暴論というか、フランスの暴動にこじつけて自分の主張を垂れ流しているだけの愚かな発言だ。

いまや宗教右派とリベラリストの対立の場になっているアメリカと、公共の場からあらゆる宗教的なものを排除し、極力平等を推し進め、神からすらも自由であろうとするフランス人とでは、根本的に思想の立脚点が異なるんだ。

そして、この神無き市民=シトワイヤンの国フランスは往々にして、やりすぎる。

やりすぎるがゆえに、往々にして暴動になる。

その根底には、フランス革命の成功体験がある。王権も教会の権威も貴族の特権も否定して、社会をひっくり返し、多くの人々をギロチンにかけ、そのいけにえのもとに近代国家のロールモデルを築き上げたという成功体験が。

だからこそ、フランス人は、徹底的な政教分離を成し遂げた。これをライシテって言うんだ。

未だに天動説を信じてるような人がゴマンといるアメリカ!とは真逆なんだ。

アメリカには、フランスの「ライシテ(laïcité)」のような、公共空間から宗教を徹底的に排除するという厳格な原則はない。

同じ「政教分離」と訳される制度であっても、アメリカとフランスではその目的も、歴史的背景も、社会的な現れ方も全く真逆と言っていいほど異なっている。「アメリカは宗教から脱却していない」んだ。

なんでそんなに違うのかって?いろいろ理由があるのさ。

1. 歴史的な「敵」の違い

なぜこれほど差が生まれたのかは、それぞれの国が建国時に「何と戦っていたか」を見れば分かるってもんだ。建国神話みたいなものさ。

• フランス(ライシテ):宗教(教会)からの自由

フランス革命において、カトリック教会は国王と並ぶ「抑圧者(特権階級)」だった。

そのためフランスにとっての政教分離とは、「国家や市民を、教会の独裁や迷信から守る(つまり、解放する)」ための戦いでもあったんだ。

宗教はプライベートな空間に閉じ込めるべきであり、公の場(政治、学校、役所)に持ち込んではならないという厳格な拒絶がライシテの根底にあるんだ。

• アメリカ:国家からの(宗教の)自由

これに対してアメリカの祖であるピューリタンたちは、イギリス国教会(=イギリスの国家公認宗教ね)から信仰を弾圧されて新大陸に渡ってきたわけだ。

そのためアメリカにとっての政教分離とは、「自分たちの多様な信仰を、国家の介入から守る」ためのものでったわけだ。

ベクトルが真逆なんだ。

「国家が特定の宗教(国教)を強制してはいけない」だけであって、「政治家や市民が公の場で宗教を熱心に信仰すること」は、むしろ大いに推奨される国としてスタートしたのさ。

2. 現実の社会における決定的な差

この違いがあるため、フランスのライシテの視点から見れば、アメリカの政治・社会は「宗教にまみれた異常な光景」に映るわけだ。

ライシテこフランスでは、宗教色を完全に排除して、大統領の宣誓に聖書は絶対に使わない。

公立学校では、宗教的シンボル(十字架、ヒジャブ等)の着用禁止だ。

そして、政治は常に宗教の持つ社会的影響力を弱めるように働く。

これに対して、宗教国家アメリカはどうか?


大統領の誓いの際には、聖書に手を置いて誓う。In God We Trustだ!まぁムスリムの大統領だったらクルアーンに手を置いて宣誓することになるんだろうが、アメリカにムスリムの大統領が生まれることはないだろうな。

学校では、神への祈りや聖書クラブの活動が信仰の自由として盛んに行われる。まぁ無差別銃撃事件もよく起きるけどね。

そして政治はいつも宗教的価値観に翻弄され、中絶禁止などを法制化しようとするわけだ。

フランスでは、公的な場所で宗教を大っぴらにアピールすることは「社会の分断を招くルール違反」とみなされる。あくまで個人の内面の問題だ。

しかしアメリカでは、大統領が演説の最後に「God bless America(神がアメリカを祝福せんことを)」と毎度叫ぶように、宗教、いやキリスト教は国家のアイデンティティそのものなんだ。

アメリカの政教分離は、あくまで「いろんなキリスト教の宗派が喧嘩しないように、国教は作らないでおこう」という、いわばキリスト教徒たちのための安全協定に過ぎなかったてわけさ。

だからこそ、250年経った今でもアメリカは宗教から脱却するどころか、政治の最前面にキリスト教のドグマが堂々と居座り続けている。

フランスのような徹底的な世俗化の手続きを踏んでいないアメリカが、中東に対して「十字軍」的な独善性を持って攻め込んでしまうのは、この制度的・文化的なルーツから見ても必然であると言えるだろうな。イラクの時も、今回のイランもそうだったぜ。


さて、この宗教を排除して、宗教によって担保されていた王政や貴族制を打ち倒すフランス革命を成し遂げたっていうことそのものが、その後の人類な革命観において、フランス革命が一種の普遍的なものとして成り立つ一番大きな契機だと思うんだ。

そう、フランス革命がアメリカ独立革命や他の市民革命を超えて、人類史における「普遍的な(世界中どこにでも適用できる)モデル」になり得た最大の理由は、政治と人間の理性を宗教の呪縛から完全に切り離した点にあるんだ。

これこそがフランス革命が世界史に刻んだ最も偉大な、そして本質的な契機です。その「普遍性」の意味を、ここまでのアメリカとの対比からさらに煎じ詰めるとこんな対比が浮かび上がるのさ。

1. 「特定の神」ではなく「全人類の理性」を土台にした

アメリカの独立革命は、実態としては「イギリス(プロテスタント)の身内同士の権力争いと、キリスト教徒の居場所づくり」というローカルな性質を脱し切れていなかった。だからこそ、今でもキリスト教という特定の宗教に縛られ続けている。政治や世界の行く末に大きな影響力を与えるほどに。

しかし、フランス革命が掲げた「人権宣言」はまるっきり違う。まぁ、白人オンリーとしか思えない愚行をフランスも散々やらかしてはきているけど、その理念は突き抜けてるよな。

彼らは、人権の根拠を「キリスト教の神」に求めず、人間が生まれながらに持つ「理性」に求めたんだ。神からの決別だ。

そしてそれは、誰にでも適用できる普遍性を持ちうるんだよね。

根拠がキリスト教の神であれば、イスラム教徒や仏教徒、あるいは無神論者には通用しないだろ?

しかし、「人間の理性と権利」を土台にしたからこそ、フランス革命の思想はキリスト教圏の枠を飛び越え、アジアやアフリカ、そして中東を含む「地球上の全人類に普遍的に適用できるシステム」として成立したんだ。

2. 「公共の場」という中立なスペースの発明

フランス革命が成し遂げたもう一つの普遍的な功績は、「公的な空間(政治や教育)には、特定の宗教を持ち込んではいけない」というルールを世界で初めて作ったことだ。ライシテはその成文化されたルールだね。

もしこのルールがなければ、国家は常に「どの宗教・どの宗派が一番偉いか」という不毛な争いに明け暮れることになるだろう。

フランス革命は、国家をあらゆる宗教から等距離に置くことで、「どんな信仰(あるいは不信仰)を持つ人であっても、市民として平等に共生できる空間」の設計図を示しましたわけだ。そこに至るまでには、ユグノーのぎゃくさとか、プロテスタントが焼き殺されるとか、ひどいことが山程起こった。ルソーやヴォルテールが人々に近代的な普遍性と人権と寛容さを説き続けた。その行く末にフランス革命が起きたんだ。

おかげさんで、近代民主主義国家が目指すべき「普遍的な理想の形」となったわけだ。

しかし、社会から宗教が、完全に払拭されたフランスの普遍性が抱える現代のジレンマが、今回の暴動のように激しく噴き上がる。この「フランス革命の普遍性」も、現代において新たな壁にぶつかっているんだ。

フランスが「これが全人類の普遍的な正義だ(ライシテだ)」と信じて進めるルール(例えば、公立学校でのヒジャブ着用の禁止など)が、イスラム教徒の側から見れば、「かつて十字軍が自分たちの正義を押し付けてきたのと同じ、形を変えた『西洋の独善(世俗主義という名の宗教)』の押し付けではないか」と反発を招いているという皮肉な現実もある。

自由と平等と博愛を掲げながら、社会の格差は広がり、エリートと庶民の溝は深まるばかりだが、この両極を融和させ包み込むような寛容さに満ちた宗教は、社会には存在しない。

彼らはフランスの市民たちは何に怒っているのか。究極的には本人たちも定かではないかもしれない。しかし、 それがもし、新自由主義が再び社会にもたらした激しい格差に対したいかりであるとともに、言葉だけの薄っぺらな平等という建前に怒っているのだとしたら フランス革命はいまだに未完の革命であり続けていると言えるかもしれないね。

2026/10/19

POST#1987 かつて麻生太郎はナチスのやり方に学べばいいといった。なるほど、そうしよう!

き
ベトナム阮朝の旧都フエ。街角の青果商
昨日は日曜で休みだったので、ひたすら眠った。日曜の朝9時過ぎから今日の11時過ぎまで眠った。本も読めない。まぁ、一日15時間夜働いて、これを週六日やってりゃそうなるのは当然だ。過労でくたばる前に今日も好き放題言わせてもらおう。

たいそう古い話で恐縮だが、第一次大戦が終わったときの話だ。
ジョン・メイナード・ケインズ🔗が1919年に著した『平和の経済的帰結🔗』(The Economic Consequences of the Peace)は、第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約がもたらす悲劇を正確に予言していた。
大英帝国大蔵省の代表としてパリ講和会議に参加していたケインズは、連合国(特にフランスやイギリス)がドイツに課そうとした巨額の賠償金がいかに現実離れしており、破滅的であるかを間近で目撃し、絶望して辞任した。復讐心に基づくその金額と内容が、あまりに現実を無視していたためだ。その直後に怒りを込めて執筆されたのがこの『平和の経済的帰結』だ。東洋経済新報社から山形治生氏のわかりやすい翻訳で出ているので、興味のある向きはお読みなるとよいだろう。
ケインズがこの「天文学的な賠償金」に強く反対した主な理由は以下の通りだ。

1. ドイツの支払能力の無視

連合国が要求した賠償額は、当時のドイツの経済規模や輸出能力、金・外貨の保有量をはるかに超えていた。ケインズは詳細な経済データを用いて、ドイツが実際に支払える現実的なライン(連合国の要求の数分の一)を提示したが、政治的思惑から無視されたわけだ。この辺りの検証はこの本の中に詳細に記されている。学問的な誠実さに圧倒される。

2. 欧州経済全体の崩壊への危機感

第一次世界大戦前のヨーロッパは、ドイツを経済的ハブ(中心)とする相互依存のネットワークで繁栄していた。これは、現在と全く同じだ。ケインズは、「ドイツの経済を徹底的に破壊することは、ヨーロッパ全体の経済システムを麻痺させ、結果として戦勝国も含めた全員が共倒れになる」と警告したわけだ。慧眼だ。

3. 「復讐の連鎖」とさらなる戦争の予言

そして何よりケインズが最も恐れたのは、不当な飢餓と経済的困窮に叩き落とされたドイツ国民の間に、絶望と狂信的なナショナリズムが生まれることだった。
彼は、この条約が平和をもたらすどころか、「次の世代の復讐(さらなる戦争)を招く」と断言したんだが、これこそがケインズが単なるデータを積み重ねるだけの経済学者ではないという彼の真骨頂だ。
歴史はケインズの予言通りに動き、1920年代のドイツのハイパーインフレ、経済崩壊、そしてナチスの台頭から第二次世界大戦へと突き進むことになったわけだ。歴史は繰り返すって奴だ。しかも拡大再生産してね。

さて、ドイツ、再編されたワイマール共和国の経済がどん底にあえいでいた時期に登場したアドルフ・ヒトラーと彼の率いるナチスは、ヴェルサイユ条約と1929年の世界恐慌によって壊滅状態に陥り、数百万人の失業者を抱えていたドイツ経済を、「軍備拡張(再軍備)」と「事実上の強制的な雇用創出」によって急速に見た目上の復興へと導いたわけだ。
奇跡的な回復だった。

そこにはGDP比3.5%どころか、30%以上という軍事全振りといってもいいくらいの、国防費への一極集中があった。
GDP30%以上!
この数字にはドナルド・トランプだって、腰を抜かすぜ。

ヒトラーは、この奇策によってどん底にあったドイツ経済を、驚異的なスピードで復興させた。このナチス・ドイツの経済政策の全貌と、ご指摘の「奇策」の内実についてちょっと触れてみよう。きっと麻生太郎先生もこれに学べっていうかもだよ!

1. 「見た目上の復興」と失業率の劇的低下

1933年にヒトラーが首相に就任した当時、ドイツには約600万人の失業者がいた。600万人だ!俺の住んでる中京圏の人口が680万人くらいだから、東海三県ごっそり失業者で埋まってるような状態だ。
しかし、ヒトラーの奇手奇策によって、1936年にはほぼ「完全雇用」を達成しちゃうわけだ。たった三年だぜ!竹中平蔵もびっくりだ。この奇跡的なV字回復の裏には、悪魔的なリクルート手法があったんだ!

「国防軍(徴兵制)」へのリクルート
1935年にヴェルサイユ条約を破棄して再軍備を宣言し、徴兵制を敷くことで、大量の若者を軍隊という「雇用枠」に吸収したんだ。
統計からの排除と強制
国家労働奉仕局(RAD)などを組織し、若者に義務的な労働を課したんだ。また、女性やユダヤ人を労働統計から除外することで、数字上の失業率を意図的に引き下げるという数字のマジックまで披露してくれてる。

2. 軍事(国防)分野へのリソース集中と「メフォ手形🔗」

ナチスは、経済相ヒャルマル・シャハト🔗の主導のもと、「メフォ手形(Mefo-Wechsel)」という架空の会社を通じた特殊な手形を発行した。
これは政府の正規の予算(赤字国債)としてカウントされない「隠し借金」であり、この資金がすべて軍需産業や、軍事利用を前提としたインフラ(アウトバーンなど)に注ぎ込まれたわけだ。アウトバーンは、高速道路だけれど非常時には戦闘機の離着陸に仕えるように作られた高規格高速道路だ。
全産業部門が戦争準備のために動員される「四カ年計画」が推し進められ、見かけの経済成長を牽引したわけだ。まぁ、一種の体制翼賛体制というか軍事要塞国家としたわけだ。
この動きを後に全体主義と評することになる。

3. この「奇策」の限界。それは戦争へ突入せざるを得なかった経済構造だ。

この復興は、持続不可能な「自転車操業」でした。
国力を無視して軍事にリソースを集中させたため、民生品(一般国民の生活物資)や食料の生産が犠牲になり、外貨や原材料が決定的に不足し始めたわけだ。
また、「メフォ手形」の償還(借金の返済)期限も迫ってくるよな。一種の詐欺手形だから焦げ浮いたらシステム崩壊だ。
つまり、ナチスの経済システムは、「いずれからくりが破綻する前に他国に侵略し、その財産、外貨、資源、領土を強奪して借金を帳消しにし続けなければ、早晩に自己破産する」という運命にあったわけだ。
見た目上の復興は、最初から第二次世界大戦という破滅を前提にしなければ成り立たない「砂上の楼閣」だったんだな。

さて、どうして俺がこんな昔話を引っ張り出してきたかというと、聡明な読者諸兄諸姉はもうお分かりですね。
アメリカ様のGDP比3.5%という要求に対して、いっそGDP比35%という数字をぶち上げて、アメリカ様をおたおたさせてやるって筋書きだ。
非正規雇用の皆様も、自衛隊に入隊で、一晩にして国家公務員だ。

国防費GDP比35%なら、アメリカに守ってもらう必要もないんじゃないか?何しろ240兆円前後だ。アメリカの国防費の二倍近い。中国の国防費のざっくり10倍だ。
福祉も、医療も、インフラ維持も、即座に破綻するレベルだ。ギャハハ!

しかし、俺がただのマッドマンじゃないのはここからだ。
君たちは仕分け項目という経理の基本を知っているかな?
経理システムを運用するために、出費の一つ一つをその目的と用途に応じて適正に振り分けるのさ。旅費交通費とか消耗品費とか人件費とか研究開発費とかね。
こいつを悪用して、何でもかんでも国防費ということにしちまうのさ。
能登や熊本の復興も国防費。
インフラの整備も、アウトバーンみたいにいざというときはジェット機が日本全国離着陸できる滑走路という名目の軍事費。
対ロシア軍事拠点化という名目で北海道に経済振興。
対中国軍事拠点化という名目で、沖縄にインフラ拡充。
おう、仕分けのマジックで何でもかんでも軍事費でやってやるぜ。
何なら老人医療も、老人を最前線で戦る兵士にするための軍事費ってことにするか?
大政翼賛会を逆回転させた歴史のパロディーさ。まさに歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇としてだ!
ギャハハハハハハハ!チェンソーマンみたいだな(笑)
そう、国民の生活を守るためのことをすべて、国防費の名目でやっちまえという大いなる詐欺=グレート・ロックンロール・スウィンドル🔗さ。
きっと麻生太郎がナチスに学んだらどうだって言ってたのは、こういう事なんじゃないの?あ、違うのけ?(笑)

2026/10/12

POST#1980 あらためて言っておくけれど、民主主義国家なんだぜ、この日本は

ベトナム阮朝の旧都フエ。かつての王宮の裏手の池には素晴らしい光が差していた
泥のように眠った。

睡眠負債はたまりまくってる。本を読むこと、眠ること、年老いた俺にはそれが愉しみだ。

夢で、このブログをまとめた素敵に分厚い本が出版される夢を見た。本当に分厚い。判型は特殊な正方形のもので、上質な表紙に厚さ7センチはあろうかという分厚いものだった。価格は12500円+TAX。夢にしては妙に生々しいのが笑えるな。

さて、大日本帝国はいざ知らず、今日の日本国について考えてみよう。

この国の主権者はいったい誰なのか?

この国の方向性を決めているのは、いったい誰なのか?

この国に生きる俺たち一人一人は、誰かに支配されているのか?

誰かに支配されているとしたら、その自覚はあるのか?

俺が今日、俎上にあげたいのはこういうことだ。

この日本国が民主主義国家を標榜している以上、その主権者は一人一人の国民だ。

俺や、君や、表を歩いているそんなこと考えてもいないような老若男女の一人非チリがこの国の主なんだ。自民党でもない。高市早苗でもない。麻生太郎でもない。天皇陛下でもない。

一人一人の国民こそが、この国の主なんだ。君は理解してくれているだろうか?

その一人一人が、本来持つ自然権の一部を国家という集団に属する全員の利益のために差し出し、その小さな権能の集合による権力によって、全体の福利を諮る、そして一旦手放した個々人の自然権の一部は、全体として還元されるため一切損なわれることはない。それが、近代国家の基礎的な理念だ。これを構想したのは、誰あろう、ジャン・ジャック・ルソーだ。これが社会契約論という考え方だ。

自らの自然権を平等に差し出す代わりに、国家のメンバーとしての福利を等しく得るというモノだ。そこには、天皇を中心とした神の国とかいう観念の入り込む余地はない。

この社会を運営していくための代表を選ぶために行っているのが、国政選挙や地方自治体の選挙ということだ。それは本来、社会契約論とは切り離された概念だが、今日の近代国家を形成するうえで、代表民主制というのは、方法論的に仕方なく選択されてきたものだ。

そして、上記のように選挙を経て選ばれた私たち市民の代表は、自民党支持者の代表ではなく、あくまで国民全体の代表として全体の福利を考えるべきなのだ。自分に投票しなかった人たちには、予算をつけないなどということは、民主主義を破壊する行為でしかない。

余談ではあるが、そのような言動を行うものを閣僚などという重要なポストにつけ続けることは、民主主義を否定する行為に他ならない上に、国民全体から負託された政治という共同体のかじ取りを、大きく誤ることだといっておきたい。

これを逆照射して考えてみれば、国家とは、国民一人一人の集積に他ならないということだ。そこいらを歩いてるサラリーマンのおっさんも、ヤカラのようなあんちゃんも、へそ出して歩いてるねえちゃんも、ランドセルをしょった子どもたちも、ぼけ老人も皆、国家の1億2000万分の一を担っているわけだ。

どこかに支配者がいて、それらの大衆を支配しているわけではない。たとえ、今の政権政府の振る舞いがそのように見えたとしても、わが国はデモクラシー国家(デモのデモはデモス、つまり民衆から来てるんだよ。デモは無力だという言説は、民衆は無力だといっているのと同じなんだ)であり、けっしてアリストクラシー=寡占制国家ではないんだ。

政治家の皆さんも、俺たち自身も、すっかり忘れているかもしれない。しかし、だからこそ、俺はここで声を大にして言うべきだと思うんだ。

この国は民主国家で、主権者は俺たち国民一人一人だということを。


そのうえで、沖縄県に基地を集積させ、主権者の一人である国民が殺されたことを、単に遺憾であると済ませていいモノだろうか?

遺憾であると済ませてしまう無為無策の根底には、一人一人の国民を、支配される捨て石のように考える思想がないだろうか?

かけがえのない一人一人の人間を、単なる記号のように扱っているのではないだろうか?

思想の左右、政府への距離によって、経済的生産性によって、国民の存在価値=生命の尊厳に優劣をつける郵政思想がないだろうか?

それを認めることは、なし崩し的に、自分自身の存在価値を放擲し、自らの主権を手放して国家という幻想にひれ伏してしまう事になりはしないか?

もう一度君たちに聞いてみたい。

もし、沖縄に住んでいたら、日常的に妻子がアメリカ軍人、つまり人を殺すことを職業とし、世界をアメリカという国に屈服させるための実力=ゲバルトとして訓練された人々と入り混じって、レイプ、強盗、殺害の危険におびえながら生きることを是とするだろうか。

沖縄県民ももちろん、我々と同じ民主国家の成員なのだ。

それとも、中国の脅威に備えるために我慢しろと?

クラウゼビッツが言うように、戦争とは違う形で行う政治の延長だ。だとすれば、政治の力でいかようにでもコントロールできるはずだ。

国民のすべてに、仮想敵を作りだし、敵だと思わせ、犠牲を強い、危機へといざなう。そのような政治のあり方が果たして民主主義国家に属するすべての国民の負託においてなされるべきものだろうか?

右でも左でもなく、近代的な国家観の観点から俺は異議を唱えたい。

そして同じ視点から、士農工商穢多非人沖縄県民ではなく、すべての国民が、国家の主権者で、その価値(という言い方も好きではないな。)いやさ、存在意義に何ら差はないはずだと声を大にして諸君に訴えたい。

明日も続くぜ。明日からは沖縄と米軍基地をめぐる思考実験だ。お楽しみに!

2026/10/11

POST#1979 軍隊というのは凶器そのものであり、国家というシステムがはらむ狂気なんだ

阮朝の旧都フエ、街の中心街では結婚式だろうか。着飾った男女が歩く。羽振りのいいやつも悪い奴もいる。

昨日の夜、仕事にいったんだが、現場の商業ビルでボヤ騒ぎがあり、仕事どころじゃなかったので、とっとと切り上げてかえってきた。息子と一緒にふろに入り、息子と眠った。
人間的な生活だ。ゴミ収納庫から出火したおかげといっていいだろう。

何しろ、心身ともに疲れ果ててるからな。長生きなんてできそうにないぜ。

さて、昨日の続きだ。沖縄のラブホテルで、女性がアメリカ海兵隊員に殺された事件から始まる思考だ。こういった事件が繰り返されるたびに、日本政府は在日米軍に対して、綱紀粛正を要求してきた。

要求はするけれど、在日米軍基地は日本国内にありながら、日本国の法が通用しない世界だから、要求することしかできない。

そして、法体系の面でも、在日米軍いや、世界各地に展開するアメリカ軍は『旗国法原理』という法原則に則って活動している。

つまり、世界中どこで活動しても、その相手国の法律よりもアメリカの法が優先される、もっとストレートに言えば、軍隊の規律が優先されるという法原理だ。

でなければ、海外で(アメリカは自国内で戦争したことは独立戦争と南北戦争しかないことを覚えておいて)海兵隊が乗り込んで、敵対する国の国家元首などを急襲し、拿捕した場合、あぁ、つい最近のベネズエラみたいな場合さ、もし属地法主義、つまり現地の法体系に照らせばそれは明々白々な犯罪行為となる。

それでは、どんなオペレーションも不可能だ。

ちなみにアメリカやロシア、そしてイスラエルなどがICC🔗つまり国際刑事裁判所🔗への加盟を頑なに拒み、なおかつ180日以内の解体を主張している狂気の沙汰の根本には、自国の軍民が、他国の国民へ戦争犯罪ともいうべき理不尽な攻撃を行った際に、国際的に指名手配され、訴追されることを恐れているからだ。ウクライナのブチャ、ガザ、そして今回のイランへの攻撃で小学生140人が突如としてミサイルでミンチにされるようなことになっても、誰も裁かれたりしないようにするためだ。

さて、古い話で恐縮だが、1954年群馬県相馬で、米軍基地内で薬莢を拾い集めていた女性を、アメリカ軍の軍人ジラードが戯れに射殺した。世にいうジラード事件🔗である。

ジラードは彼女の目の前に薬莢を放り投げ、そのうえで射殺した。

この無法に対して、当初は日米双方は日本側で裁判を行うことで合意していたが、アメリカ国内では日本の裁判権行使に対して反対する世論が巻き起こった。

かなり紆余曲折したのちに、日本側で裁判を行うこととなり、ジラードには懲役3年、執行猶予4年という判決が下された。執行猶予4年ねぇ…。

こうした事態が相次いだこともあり、日本各地の自治体の首長たちは、県内の米軍基地に対して反対を表明し、基地の撤去をうったえることとなる。それは、つい先日の沖縄知事選で敗北した玉城デニー氏と何ら変わりない。この日本各地で展開されたオール沖縄のような各地方自治体の米軍基地への強い反発によって、次第に米軍基地は当時未だアメリカ占領下にあった沖縄に集中していくことになる。

玉城デニー氏を中国の手先のように言う右派の方々も多く見受けられたが、けっしてそれは正しくない。自らの県民の生活の安全を守ることは、自治体を預かるものとして当然だからだ。この視点を頭の片隅に置いておいてほしい。

沖縄にアメリカ軍の基地が集中しているのは、右派的な脳みその皆さんが主張するように、対中華人民共和国シフトでも何でもなく、アメリカ軍が日本人に煩わされることなく活動できるところに移っていっただけに過ぎない。今日言われる西南シフトなるものは、沖縄に米軍基地が集中していることと、何ら関係は、ない。

沖縄が本土に復帰した2年後、沖縄県伊江島の米軍飛行場に牛の飼料とするため、演習場のゲートから、警備員にとがめられることもなく入った基地内に入って草刈り作業をしていた男性を、アメリカ軍の兵士がジープで追い回し、信号弾を発射した。この信号弾は日本人男性の腕に命中し、受傷した。

これに対して、アメリカ軍はジープを運転していた兵士と信号弾を発射した2名は、公務執行中であったして、公務証明書を発行し、日本側は両名の裁判権を諦め、アメリカ軍の司法にゆだねることとなった。これは伊江島事件🔗と呼ばれる事件だ。

以降、大雑把な発言をお許しいただければ、アメリカ軍兵士及び軍属(軍隊関連の組織、それは米軍向けのスーパーの従業員も含まれる)の犯罪は、何かと公務執行中ということになることになった。途中でスーパーで買い物をした後に道路を逆走して日本人を殺してしまっても、公務中となった。

今回の女性殺害事件に関して言えば、日本の警察が容疑者の自称メキシカンキラーのデビン・ジェイコブ・バラード海兵隊員(20)の身柄を確保したが、多くの場合、米軍が犯罪者の身柄を押さえている場合、日本司法は、その裁判権を自発的にアメリカ側に譲るという運用がなされてきた。自発的にね。

つまり、日本はアメリカ軍人や軍属の犯罪に関して、よほど迅速に基地の外部でその身柄を確保しない限り、『旗国法原理』の壁に阻まれて、彼らの犯罪を裁くことはできないのだ。

これが、日本だけでなく、韓国やNATO諸国をはじめとした世界各地でアメリカがやっていることだ。

しかし、なぜこんなことがまかり通るのか。

それは、そもそもアメリカ軍という組織が、軍隊であり、軍隊という存在は、どんなにきれいごとで取り繕ったにせよ、自分たちと異なるカテゴリーや国家に所属する人間を、痛めつけ、殺し、制圧し、無力化し、収奪することを目的とする組織だからだ。

アメリカ軍は日本を守ってくれているというナラティブを信じるのは結構だ。これは憲法が保障する内心の自由だ。

しかし、現実問題として軍隊という組織は、まさに凶器そのものであり、国家というシステムの持つ狂気そのものだということだ。マックス・ヴェーバー🔗的に言えば、この暴力=ゲバルト、つまりウルトラ・ヴァイオレンスの独占こそが国家というリバイアサンの力の根源だ。トランプ政権の下で、かつてないほどとち狂ったアメリカが世界のスーパーパワーであり続けているのは、沖縄はもちろん、グリーンランドやNATO諸国、中東各地に米軍基地を配備し、その暴力のネットワークで世界を抑圧しているからだ。

今日の結びに言っておこう。

中国人民解放軍の脅威を主張する人は数多いる。

しかし、中国人民解放軍によって殺された日本人は、戦後80年余りで0人だ。

対して、アメリカ軍の引き起こした事件事故によって命を失った日本人は1600人以上に上る。死亡事故に至らない事件・事故も含めれば21万件以上。そのおよそ76%が公務外のものだ。そして、これらは氷山の一角に過ぎない。

そして、そのたびにわたしたちの政府のできることは、遺憾の意を表明することだけだ。情けない話だ。国家とは、政府とは何なんだろう。明日はそこから考えを進めてみよう。

2026/08/01

POST#1925 ケアによって人々をつなぐトークンという構想 第11章

Sweden
前回のラストでも言ったように、俺は、息子の世代によりマシな世界を手渡すためなら、悪魔にだって魂を売る男だ。ニヤリ😈

けっして聖人君子ではない。どちらかといえば、デビルマン🔗とかチェンソーマン🔗とかが好みなんだ。悪魔の挽き臼をひっくり返すには、悪魔の力が必要だってわけだ。俺を突き動かしてるのは、間違いなくこの社会の理不尽さに対する、燃えるような瞋りなんだから。まぁ、それはいいや。

俺は息子と二人して歩いているときに、いつも思う。

子供達の世代が大人になっている頃まで、人間を商品にする、つまり人材だとかヒューマンリソースとかって、鉱物資源かなんかの材料、そう、商品と利益を生み出す材料としてしか見ないような、クソ嫌らしい社会じゃなくて、人間が人間であるというだけで尊重される世界を作るべきだと確信している。そして、息子たちの世代に、ほらよって飲みかけのコーラを手渡すみたいに譲り渡してやりたい。

まさにこれこそが、次の世代に手渡すべき最も尊い未来であり、このシステムの「究極の目的」なんだ。

現代社会では、子供たちの世代に対してさえ「将来どんな人材(ヒューマンリソース=人間の資源化)になれるか」「市場でどれだけの商品価値があるか」という、人間を単なる「手段や商品」として値踏みする冷酷な教育やシステムが当たり前のように押し付けられている。

いつも、春先になると、それまで思い思いのとんちきな服装で、髪を金髪や赤やら青に染めてはっちゃけていた若者が、何事もなかったかのようにリクルートスーツに身を包み、髪を切り、黒く染めなおして工場から出荷されたばかりのブリスターパックから取り出したばかりのフィギアのように歩いているのを見ると、どうしようもなく切なくなる。同時に、わかさの絶頂に在りながら、社会を食い破る野性もなく、毛を駆られた羊のように従順に歩いているのを見ると、泣きたいような気持になる。

これこそが、すべてを粉々にすり潰す「悪魔の引き臼」の最悪の連鎖だ。トリプルコンボだ。

俺が仕事の傍らに、ダラダラ寝転がりながら、コツコツと学び、積み上げてきた、人類学、経済学、社会学、そして哲学などの知識体系からガラガラポンでテキトーに捻りだしてきたこのシステムは、その歪んだ連鎖を断ち切り、子どもたちに「人間が人間であるという、ただそれだけの理由で絶対に尊重される世界」を物理的な手触りとして遺していくための、最も具体的で力強い遺産にする気満々なんだ。

このシステムが、子供たちの未来をどう変えるのか、その決定的な意味を考えるぜ。

1. 「商品」から「人間」への解放

  • 子供たちが、資産家やすっかり社畜と化した「汎用の歯車」たちから、上から目線で品定めされるだけの社会ではなく、自分が地域の誰かをちょっと手助けしたときに、お年寄りから「ありがとう、これは私のハンコ(割印)を押した本物の価値だよ」と小切手を「手から手へ」ペリッと渡される。
  • その原資は地球を削る資源ではなく、「人間の善意という無限のコルヌコピア(豊穣の角)」だ。子供たちは身をもって「自分は誰かを支え、社会の尊厳を創り出す主体なんだ」ということを学ぶわけだ。
  • その体験は、資本主義システムの中で経済活動に従事する中でも、損なわれることのない自尊心の核になり得ると俺は考えている。そう、地域社会とは別の経済圏で活動する際も、地域社会で生きる時も、人間の存在の本質には変わりがないからだ。ニコリ😊

2. 「生老病死」を共に生き抜く、本物の「絆(ソリダリティ)」を渡す

  • 震災のときのように、大人が深く考えずに車に貼っていたあの軽佻浮薄ですらあった「絆のステッカー」の欺瞞を乗り越え、「人間は誰もが老い、病になり、いつか必ず誰かに頼って生きていかざるを得ない存在である(うん、ジョン・ロールズの言う無知のベールそのものだ)」という温かい真理を、子どもたちに社会インフラとして手渡すことが可能になるだろう。
  • このシステムがもし、社会に実装できたならば、22世紀まで生きるであろう現在の子どもたちは、将来さまざまな困難に直面しても、モナド(孤立)として絶望することなく、市民同士のお互い様の連帯の中で誇り高く生き抜くことができる。ニコリ😊

「人間を商品にさせない。人間が人間であるだけで尊重される世界を、自分たちの頭で考えて、自分たち自身の手で組み立てて、次の世代に手渡す」それが、俺の野望だ。

こういうシステムは単に頭のいい政治家とか官僚では思いつかないだろう。彼らは地域社会での生活実感を持っていないからだ。

すったども、2019年にノーベル経済学賞を受賞したアビジット・バナジー(Abhijit V. Banerjee)やエステル・デュフロ(Esther Duflo)のような、現場の泥臭い現実から経済を組み立てる「貧困経済学」の最高峰の研究者たちなら、きっと理解してくれるんじゃないだろうか?

なぜエリート官僚には思いつけず、バナジーやデュフロの思想と合目的的、つまりぴったり一致するものなのか、その理由は明確だ。

1. 官僚の「エビデンス(中央管理)」とバナジーたちの「現場主義」の違い

  • 官僚や政治家(エンジニアリングの罠):
    彼らは「すべての国民にスマホを持たせ、マイナポータルで一元管理すれば効率的だ」という、机の上の数式やデータだけでシステムを作る。これは人間をシステムに従わせる「手段」の思想だ。しかもテクノリバタリアンたちのつくりあげたデジタルデヴァイスを通じた『行動抽出』とがっちり連動している。つまり、前にも話したようにこのシステムを通じた、日本国民総デジタル農奴計画ってわけだ。マイナンバーカードがなかなか浸透しなかったのは、国民自身が無意識にその弊害を感じ取っていたからだろうよ。
  • バナジーとデュフロ(野生の試行錯誤):
    彼らが『貧困の経済学』などの研究で行ってきたのは、実際にインドやアフリカの貧困地域に自ら赴き、「なぜ現地の人は、頭のいい官僚が作った合理的な仕組みを使ってくれないのか」を徹底的に観察する「ランダム化比較試験(RCT)」という手法なんだ。
    彼らなら、「スマホや暗証番号を強いるのは傲慢だ。すでに地域にある民生委員のようなネットワークを活かし、人間が一番使い慣れた『指をなめてめくる割印の小切手帳』という手触り(アナログ)から出発すべきだ」という俺の構想したブリコラージュ(ありあわせの創造)である『絆トークン』に対して、深く理解し賛意を示してくれるのではないだろうか。ニコリ😊

2. 「インセンティブ(下心)」と「尊厳」の二重構造

  • バナジーやデュフロの研究では、「貧しい人々にただお金を配るだけ(受給者にするだけ)では、かえって自立の意欲を削ぐことがある」という現実を指摘している。これは、経済学者のアマルティア・センも同じようなことを言っていたように記憶してる。
  • アマルティア・センの言う「ケーパビリティ」は、「自分が望む生き方を選択できる能力や機会」のことなんだ。社会的弱者側が「支援されるだけの哀れな客体」ではなく、「誰かにケアを依頼し、その対価として感謝とトークンを贈与する『主体、つまり自己決定権を持つ個人』」へと立場が逆転する。これこそが、自立の意欲と自尊心を取り戻す最大の仕掛けだといえるだろう。
  • 『絆トークン』の悪魔的なおもろい仕掛けは、「ふるさと納税」のコストを組み替え、「税金が安くなる=ベネフィット」という下心をエサに、他者に関心を示さないタイプの人々を、地域社会というケアの現場に引っ張り出しつつ、社会的弱者とされる人々が自ら割印を押すことで『価値の創出者(目的)』へと大転換させる点だ。ニコリ😊
    人間の「利己的な習性」を冷徹に利用しながら、最終的に「人間の尊厳」を担保するこの二段構えの仕掛けは、まさにバナジーたちが世界各地の実験で追い求めてきた「人間の行動心理を捉えた究極のナッジ(行動誘導)」そのものじゃないかな。ニコリ😊

3. 「ヒューマン・リソース」という言葉への嫌悪

バナジーとデュフロも、人間を単なる経済の道具や商品(人材・リソース)としてすり潰す「悪魔の引き臼」のような現代の資本主義に対し、激しい問題意識を持っている。そうじゃなきゃ、貧困経済なんて研究対象にしないだろう。彼らが目指すのも、「人間が人間であるだけで尊重される、貧困のない世界を子供たちに手渡すこと」に他ならない。ニコリ😊


手を伸ばせば、実際に触れることができるんじゃないかと思えるほどに具体化した「絆トークン」のグランドデザイン。しかし、まだ終わらんよ!

実際これを使ってデイサービスとかあるいは、放課後児童クラブとかをサポートするような形もできると思うんだよね。デイサービスや放課後児童クラブ(学童保育)の運営にこの仕組みを組み込むのは、まさにアナルコ・サンディカリズム的な「地域自治のユートピア」を現実化する、最高に合目的的なアイデアかもしれない。

もちろん、こういったところで正規に働いている人には公的な資格が必要なので、常駐職員などとして雇用することはできないだろう。それは解っている。そのうえであえて、考えてみるんだ。

デイサービスや学童保育ってのは、まさに「ケア(福祉・子育て)」の現場であり、現在の資本主義(悪魔の引き臼)の中で「低賃金の労働力(商品)」として最もすり潰されやすく、同時に「巨大福祉資本や利権」に最も買い叩かれやすい領域だともいえるだろう。その一方で、その現場は、低賃金と慢性的な人手不足で疲弊している。猫の手も借りたいってのが本音だろう。実際に老人介護の現場では、ヴェトナム人やインドネシア人の技能実習生という、半・移民労働者を迎え入れているところもたくさんある。

ここにもし『絆トークン』を導入すると、ケアの現場が「手段」から「目的」へと180度ひっくり返り、信じられないほど温かい循環が始まり得る可能性がある。

1. 「お世話する側・される側」の分断を溶かす

  • デイサービス(高齢者):
    施設でただ「お世話される弱者(受給者)」として存在するだけではなく、施設内で「子供たちのために昔のおもちゃを直す」「おやつ作りの知恵を教える」といった自発的な活動をすることもできるだろう。実際に俺のクソ親父86歳は、不死身なくらい元気なので、サービス付き高齢者住宅から飛び出して、地域の太極拳サークルなんかに所属している。そこで得た知見を、施設の退屈した住民にフィードバックしてみたりしたらどうだろう。こういった行動に対して、デイサービスの利用者やほかの施設の入所者が、感謝を伝えるとともに、自分の指をなめて、尊厳を込めて割印した小切手をペリッと手渡すって寸法だ。つまり、彼らは人生の最終コーナーを曲がった先まで「価値の創出者」でいられるって寸法だ。ニコリ😊
  • さらに一歩進めてデイサービス×学童保育の現場から

近年増え始めている「デイサービス」と「学童保育」が同じ屋根の下にある併存施設を思い浮かべてみてほしい。富山県発祥の「富山型デイサービス(共生型サービス)」をはじめ、最近では法改正(2018年の共生型サービス新設)も後押しとなり、赤ちゃんからお年寄り、障害を持った方までが同じ屋根の下でごちゃ混ぜになって過ごす拠点が各地に生まれているんだ。これと連動させることを考えないのは、もったいないばあさん🔗だ!
普段はお世話されるだけのデイサービスのおじいちゃん・おばあちゃんのもとへ、学童の子どもたちが遊びに来たり、ちょっとしたお手伝いをする。そのとき、おじいちゃんは自分の指をペロッとなめて、誇り高く割印を押した小切手を「手から手へ」ペリッとちぎって子どもに渡すんだ。
  • この瞬間、お年寄りは単なる「ケアの受給者(恵んでもらう存在)」から、自らの意志で感謝を形にする「価値の創出者(主役)」へと立場をトランスフォームするんだ。アマルティア・センが言った「人間の自尊心と尊厳(ケーパビリティ)の回復」ってのを、この『絆トークン』を介して実現することができるんじゃないかな。
  • そして小切手を受け取った子どもたちは、大人から「将来どんな商品価値(ヒューマンリソース)になれるか」と品定めされる酷薄な経済世界に入る前に、「自分が人間として誰かを助け、感謝されたことが、そのまま本物の価値(トークン)になる世界」を身体的な実感として学び取ることができる。
  • その原資は地球を削る資源ではなく、「人間の善意という無限のコルヌコピア(豊穣の角)」だ。この体験こそが、将来どんな新自由主義の荒波に揉まれても決して折れない、人間性の土台になり得る可能性があるだろう。 ニコリ😊

2. 「ボランティアの若者」や「シングルマザー」を巻き込む

  • この福祉と子育ての拠点を「小さなアジール」だと考えてみよう。
  • ここに、ふるさと納税のコストを組み替えた強力なベネフィット(下心)を仕掛けておくんだ。「あのデイサービスや学童の手伝いをすると、めちゃくちゃ自分の市民税が安くなるらしいぞ」と、人々のたちの利己心を釣り上げ、現場に赴かせるんだ。しめしめ。
  • しかし、彼らが現場に一歩足を踏み入れ、お年寄りや子供たちから手から手へ「割印付きの小切手」を手渡された瞬間、その生々しい人間的な儀式によって、閉じ込められていたモナドの窓にクラックが入り、地域社会との回路が生み出される。人間は、他者との関係性の中でしか生きられない存在だ。この回路が人格の中に生み出されることは、新たな関係性がそこに生じるってことなんだ。すると、その人間の精神の構造は、気づかないうちに刷新されていくことになる。それが関係の絶対性だ。

3. 国家や巨大資本に頼らない「自主管理運営」

  • デイサービスや学童の運営費(維持コスト)の一部を、この地域限定の「絆トークン」で決済・還流できるようにするのもよいかもしれない。どんな施設も、民間のものなら特に、固定資産税がかかるだろうし、トイレがある限り水道代も必要だからな。
  • 最終的には地元の市県民税や固定資産全、水道料金などの公共事業の支払いにしか使えないバリア(プロテクショニズム)があるため、東京のIT企業や政治利権に手数料を1円もかすめ取られることなく、「人間の善意という無限のコルヌコピア(豊穣の角)」が、100%その現場のスタッフの待遇改善や、入居者や子どもたちの環境改善のためだけに注がれることになるだろう。 ニコリ😊

「デイサービス」と「放課後児童クラブ」という、老いる者とこれから生きる子供たちが交差する場所こそ、地域社会に連帯を生み出す直接行動を起こすにふさわしい、最高の実験特区かもしれないな。

実際に即して考えてみよう。例えば年食って働けなくなった、うちの近所のT 松さんみたいなおじいさんやおばあさんたちのことだ。っさやかな年金だけで暮らしていけたとしても、自宅の建物や土地には容赦なく固定資産税はくる。後期高齢者健康保険料は年金から差っ引かれて、否が応でも払わなきゃいけないわけでだ。水道代だってかかる。この『絆トークン』が、そういう人たちの生活に、少しでも足しになり得るかもしれないぞ。 ニコリ😊

年をとって現役を退き、体力が衰えて社会の歯車として稼げなくなっても、国家というリヴァイアサンは一切の容赦なく、固定資産税、市民税、そして現役世代の負担をも上回る勢いで引き上がる介護・後期高齢者健康保険料の請求書を毎年送りつけくる。

上級国民の人は措いておこう。その人たちも同じ人間だけれど、俺の中で作動している社会的なトリアージの優先順位は低い。グリーンだ。レッドやイエローの人を考えないとな。

貯蓄を切り崩し、カツカツの年金だけでそれらを支払わなければならないお年寄りたちにとって、このシステムは単なる「ちょっとした足し」を遥かに超えた、「生活を守り、尊厳を維持するための命の手綱」になる可能性がある。だいいち、助けてもらった時に、家庭菜園でとれた茄子を持っていける人ばかりじゃないからな。

この切実な問題に対し、『絆トークン』がどれほど完璧なオルタナティブになり得るだろうか?

1. 「自分の生きがい」が、そのまま「重税の免除」に化ける

  • 今の社会では、お年寄りがどれだけ地域の子供たちを見守ったり、ご近所を助けたりしても、それは1円にもならず、税金は額面通り納めて行かにゃならんわな。まぁ、地域活動だとか市民の義務だという人もいるかもしれないけれど、そういう手合いに限って、自分からはそういう活動を買って出ないんだなぁ。モナドだから。
  • しかし、デイサービスや学童の拠点で、彼らが「ただ生きていること、誰かをちょっと手助けすること」を通じて、『絆トークン』を回す起点になるとしたどうかな。
  • その手渡した、あるいは地域内で回ってきた『絆トークン』がが、自分を苦しめている「固定資産税」や「市民税」の支払いに直接使える。これこそが、彼らの生活をダイレクトに救うセーフティネットの一助になるだろう。 ニコリ😊

2. 「施し」ではなく「自分の力」で税金を納める誇り

  • 行政から一方的に「高齢者減税」や「給付金」という形で施しを受けるのは、カントの言う人間を手段にする扱いといわざるを得ないかもしれない。もちろん必要な施策だけれど、その心理的な関係性は深く考えてみると、限りなくグレーゾーンだ。
  • そうではなく、「自分が地域(学童やデイサービス)を支えた証拠(割印付きの小切手)によって、堂々と自分の固定資産税を相殺する」。これはお年寄りにとって、「私はまだこの街に貢献している、価値の創出者(目的)なんだ」という人間としての尊厳の源泉になり得るだろう。  ニコリ😊

3. 富裕層の「逆再分配(ふるさと納税)」への最大のカウンター

  • 富裕層が、『官製脱税指南』ともいうべき『ふるさと納税』で肉やワインを、タダ同然で手に入れ、社会の維持コストである税金をチャラにしている裏で、真面目に生きてきたお年寄りが重い固定資産税に苦しんでいる——。これは、道義的にどうなんだ?デビルマンやチェンソーマンに切り刻んでもらいたくなるような理不尽ってもんだ。
  • そのふるさと納税に浪費されている莫大なコストを、丸ごとこの『絆トークン』に組み替えることで、「富裕層の贅沢品のために消えていた公金」を、「お年寄りたちの生存と尊厳を守るための原資」へと100%正しく奪い返すことができるんだ。そうか、このトーウン自体がデビルマンやチャンソーマンみたいなもんだったことだな(笑)。 ニコリ😊

「年金暮らしで容赦なく毟り取られる固定資産税や保険料を、自らの割印の力で相殺し、生き抜く足しにする」

単なる「困った人を助けるための優しいボランティア活動」のレベルを遥かに超えて、マクロ経済の裏の仕組み(インフレによる国債の目減り)、政治の利権構造(ふるさと納税という富裕層への逆再分配や巨大IT企業への公金流出)、そして人間疎外の現代社会(人間を「人材」という手段にする悪魔の引き臼)のすべてを、『絆トークン』という指をなめてめくり、自分のハンコを押す小切手帳」という究極のアナログの非対称戦でひっくり返すグランドデザインになっちまったな。とんでもない代物を考えついちまった。俺が推してるチェンソーマンのパワーちゃんセリフを借りれば、『次のノーベル賞はわしで決まりじゃな!(笑)』

2026/07/31

POST#1924 ケアによって人々をつなぐトークンという構想 第10章

那覇
新自由主義によって、テック封建制によってバブルに閉じ込められ、『消費者』という孤立した記号になっちまった人々を、一人一人がお互いの尊厳を認めあう『市民』へと引き戻すために、この『絆トークン』は、人が人に迷惑をかけることを肯定し、それを受け止める寛容さを人々にはぐくむものであってほしい。ニコリ😊

そう、「現代社会を生きる人々を閉じ込めているモナドの窓を叩き割る」——、これこそが、この「絆トークン」という名のマシーンが放つ、最も破壊的で、そして最も救いのある究極の一撃になれば、これ以上の喜びはない。ニコリ😊

哲学者ライプニッツ🔗が言ったように、本来「モナド🔗(孤立した個)」には外部とつながる「窓」がない。SNSのもたらすエコーチャンバー現象🔗とAmazon🔗による消費で、自己の殻に閉じこもってしまった俺たち。

しかしそれは、自分たちで目指して走って飛び込んで入ったわけじゃないんじゃないか?

現代のデジタル資本主義によって、世間の皆様一人ひとりが、スマートフォンの画面という名の小さな檻に追い込まれてしまったというべきじゃないかな。クマの罠みたいなもんだ。そして異居心地のいいバブルの中で、完璧に「窓のないモナド」になってしまったわけだ。

だからこそ、人は他人の痛みに鈍感になり、五体満足な社会の歯車として自分より困窮している弱者を自己責任とバッシングしても、何の痛痒も感じない。他者の苦しみは、自分とは関係ない別世界のことだからだ。

しかし、俺たち人間は、そもそもそういう生き物じゃない。社会によって割り振られた器官を装着し、巨大な分業体制の部品になることで、ほかの器官=血の通った人間そのものに対する共感を失ってしまったんだ。

しかし、民生委員が持ってきたあの小切手帳を広げ、指をなめてめくり、自分の名前のハンコを「ポン」と押して、生身の相手に「ペリッ」とちぎって手渡すその瞬間。その泥臭くも強烈なアナログの衝撃が、頑なに閉じられていたモナドの窓を外側から木っ端微塵に叩き割ってくれることを、俺は酷暑の中構想しているんだ。ニコリ😊

窓が割れた瞬間、そこから吹き込んでくるのは、自分とは縁もゆかりもない『ふるさと』から富を巻き上げていく東京一極集中の冷たい風ではなく、「人間の善意という無限のコルヌコピア(豊穣の角)」から湧きだす『絆』のもたらす人肌の温かい風だ。

いうなればマーサ&ザ・ヴァンデラス🔗のヒート・ウエイブ🔗みたいな感じかな。ニコリ😊
お互いの割れた窓を通じて、人間はただの「生産のための便利な手段(歯車)」から、ようやく生老病死を共にする「かけがえのない目的(生身の人間)」として固く連帯(ソリダリティ)することができる可能性があることに目を向けることになるはずだ。

2026/07/30

POST#1923 ケアによって人々をつなぐトークンという構想 第9章

かつての近江商人の発祥地の一つ近江八幡にて
さて、以前も第2章で財政的な話はした。

しかし、あれはほんの小手調べ。おさわり程度だ。今日はもう少し突っ込んで考えてみよう。

もちろん俺は行財政の専門家ではないので、まったく見当違いのことを考えてしまう可能性もある。それは許してほしい。なんてったって、俺は単なる道楽人=ディレッタントなんだから。

2026/07/29

POST#1922 ケアによって人々をつなぐトークンという構想 第8章

名古屋市にて。奮闘努力の甲斐もなく、今日も涙の、今日も涙の陽が落ちる♪
OK、俺の住む愛知県の夏は暑い。アフリカの人もげんなりする高温多湿だ。アイスを買っても、食べ終わる前に溶けてしまうくらいだ。ヨーロッパ人のようにクーラーは使わないとかバカげたことを言っていたら、死んでしまう。
昨日は珍しく激しい雷雨で過ごしやすかったけど、迂闊に外に出ると電撃くらってお陀仏ってのは、御免被る。

だから連日、俺は自室でクーラーをぶんまわしながら、この構想を充実させることにだけ心血を注いでいる。なんせ今月は暇なんでな。暇すぎて倒れそうだ。

2026/07/19

POST#1912 エルサルバドルの向こうにうっすらと中世日本が垣間見えるのは老眼のなせる業か?

ベトナム、ハノイ
じゃぁ、思考実験を続けていよう。ご存じの通り、俺はねちっこいんだ。 

いいですか? まず、皆様に大人気の限定2100万枚のビットコインを、分割、分割、分割して、スマホで現金に変換するというわけだ。

そうすることによって、それをブロックチェーンで計算していく。何しろこの計算こそが、このビットコインの価値を担保してるんだからね。これをマイニングっていうんだろうけど、このプロセスはとんでもなく膨大なエネルギーを消費すると思うんだ。

地球温暖化だなんだって、ずっと揉めているのに、電力はこれでバンバン使われている。全世界の電力需要の0.5パーセントくらいが使われていると見積もられているらしい。

このコストは、実際に通貨として使える金額をはるかに上回ってしまうのではないだろうか?そして、この膨大なコストを伴うプロセスによって、ビットコイン自体の価値がどんどんどんどん、上昇してっているだけなんじゃないかとすら思えてくる。

ほら、あのアダム・スミス🔗の有名な労働価値説🔗だよ、えーっと、りんごを取るコストが価格に反映してるていうアノ法則から逸脱するものではないんじゃないか?

こいつは、ビットコインが抱える最大の弱点であり、経済学における「労働価値説🔗」つまりコストが価格を決めるの本質を突いているといえそうだな。

「リンゴを収穫するコスト(手間・人件費)が価格に反映される」のと同じで、ビットコインも「膨大な電気代と計算コスト(マイニング🔗)がかかっているから価格が高くなっているだけではないか」という見方は正しいと考えられるだろう。だって、マイニングするPC代金や電気代、人件費を回収することができなければ、誰がその膨大なコストをかけてせっせとビットコインをマイニング🔗するんだ?人はただでは指一本動かさないと話したよね。

この「莫大なエネルギー消費」と「通貨としての実用性」の矛盾について、経済学と技術の視点から考えてみるかい?OK、Ready GO!

1. 「ジュースを買う決済」に使うのはコスト的に不可能

ビットコインのブロックチェーンという基本システムを使って、スマホで数百円の現金をやり取りしたり、ジュースを買ったりするのはコストの観点から絶対に不可能だ。

昨日の話とは切り口が違うけれど、それはコインの裏表。じゃぁ、今日の理由は何かって?ビットコインのネットワークは、世界中のマイナー(採掘者)が膨大なスーパーコンピュータを回し、国家規模の電気代を消費してセキュリティを保っているんだ。あぁ、マイナーといっても、メジャーの反対のマイナーじゃないぜ。採掘、つまりマイニング🔗をする人さ。

ニールヤングの名曲『Heart Of Gold』にも出てくる穴掘って金を探してる鉱夫さ。もっとも、この曲とは探してるものの性質が正反対だけどな。

てことは結果的にどうなのよ。まったく割が合わないってことだ。
1回の送金・計算にかかる実質的なエネルギーコストは数千円〜数万円規模になることもある、少額の決済に使えば「手数料の方が高くなる」という本質的な破綻を迎えるんだ。昨日の話のトイレットペーパー1ドルに手数料1ドルかかるなんて話は、如何になまっちょろい話だったかということだね。

2. 「リンゴのコスト」が価格を支える限界

経済学の視点から見ると、ビットコインはまさに「莫大な電気代」というコストが価格の下支えをしているわけだ。

そのからくりとしてはこういうことだ。マイナーは、電気代よりもビットコインの価格が安くなってしまうと赤字になり、現実世界で破産することになる。この破産は、仮想じゃないところがミソだ!
じゃ、現実的な解としてはどうするか?
仕方ないな。システムを維持するコスト(電気代)が高くなればなるほど、市場の価格もそれに引っ張られて上昇せざるを得ないという側面が生じてくるわけだ。こいつはアダム・スミスが描いた実体経済の「モノの価格」と全く同じ構造だ。
だからこそ、エルサルバドルは火山の地熱を使って発電し、ビットコインのマイニングに必要な電力を補おうと四苦八苦してるんだ。

3. だからこそ「通貨」ではなく「デジタル・ゴールド」になった

このエネルギー問題があるため、ビットコインは「日常的に使う通貨」になることが完全に出来なくなったわけだ。その代わり、「金(ゴールド)」と同じ役割、いうなればヴァーチャル・エステートに特化する道を選んだというか、必然的にそうなってしまったというわけだ。

金(ゴールド)とビットコインの共通点はなにか?
金も、地球の奥底から巨大な重機を使って掘り出す、つまり今風に言えばマイニングするのに、莫大な燃料と人件費(コスト)がかかるよね。そもそもの希少性に加えて、その莫大なコストがかかっているからこそ、世界中で価値があると認められているわけだ。

ビットコインも構造的にはまったく同じだ。
マイニングと呼ばれるブロックチェーンの暗号計算をするのに、莫大な資本とエネルギーが必要になる。こんなのを使って、コンビニでポテトチップスとカップヌードルを買おうもんなら、手数料のほうがはるかに高くつくわけだ。
だからこそ、「日常の買い物(流動性)」に使うのではなく、「莫大なエネルギーを使って作られた、絶対に偽造できない頑丈な資産」として、中央銀行の金庫に眠る金(ゴールド)のように保有されるものへと変化してしまったわけだ。
それを法定通貨にしようって、とち狂ってるとしか思えないよ。
せめて金本位制みたいにビットコイン本位制とかにしとけばよかったんだろうな。それでも価値は乱高下するから、ビットコイン本位制は危なっかしくて成り立たないな(笑)。

つまり、ビットコインは「少額でスマホでサクサク使う通貨」としては、エネルギー効率が悪すぎて完全に失格でござーます(笑)。

2026/07/17

POST#1910 現代貨幣理論でビットコインを解剖してみようぜ!

ハノイ

近年、賛否両論巻き起こしている経済思想がある。

現代貨幣理論🔗すなわち、MMT🔗だ。

こいつはさかのぼれば金本位制🔗全盛の今から100年ほど前に考え出された、クナップ🔗の貨幣国定説🔗にまでさかのぼるだろう。

MMT🔗では、通貨の価値を生みだす源泉は、それが税金として支払うことができるというシステムに依存していると考えられているんだ。これは昨日の末尾でも少し触れたね。

この観点から見ると、ビットコインで税金を支払うことはできるだろうか?

結論から言えば、MMT(現代貨幣理論)の「租税貨幣論」の観点から見ても、一部の特例的な国や地域を除き、原則としてビットコインで直接税金を支払うことはできないんだな。

MMTの根幹にある「租税が貨幣に価値を与える」というロジックと、ビットコインの現状について、以下の3つのポイントに分けて考えてみよう。


1. MMT(租税貨幣論)における「通貨」の定義

MMT🔗では、国家が通貨を発行し、その通貨による「納税の義務」を国民に課すことで、初めてその通貨に強制的な価値が生まれると考ている。

政府が認めた通貨のみ
政府は「法定通貨(日本なら日本円、米国なら米ドル)」でのみ納税を認めるわけだ。
貨幣の価値の裏付け
 国民は「税金を払わないと処罰される」ため、必死にその法定通貨を手に入れようとするって算段だ。これが、ただの紙切れやデジタルデータに価値が生まれる原動力になるんだ。

2. ビットコインで税金が払えない理由

このMMTの観点に基づくと、ビットコインが「真の通貨」になれない理由が明確になるんだ。

政府が受取を拒否している
 ほとんどの国家(日本、米国など)は、ビットコインでの直接納税を認めていない。
日本円への換金が必要
 ビットコインで得た利益(決済や売却)に対して税金は課されるんだけれど、これを税金として納める際は必ず「日本円(法定通貨)」に換金して支払う必要がある。
ビットコインには価値の担保がない
そもそもMMTの視点では、政府が「ビットコインで税金を受け取る」と宣言しない限り、ビットコインは国家に裏付けられた「通貨としての真の価値」を持つことができないんだ。

3. 【例外】ビットコインで納税できる国や地域

ただし、世界の一部ではMMTの枠組みを揺るがす、あるいはそれを逆手に取った例外的な動きが存在することも付言しておかないと不公平だろう。

法定通貨化している国
エルサルバドルや中央アフリカ共和国のように、ビットコインを「法定通貨」として採用した国では、ビットコインでの納税が理論上・システム上可能ではある。
なかなかチャレンジャーだろう?
しかしそれにはそうせざるを得ないだけのにっちもさっちもいかない現実があるんだ。それは後で話そう。

地方自治体の実験
 スイスのツーク州やルガーノ市、米国のコロラド州など、一部の先進的な地方自治体では、納税者がビットコインを支払うと、仲介業者が即座に現地通貨(スイスフランや米ドル)に自動換金して役所に届くシステムを導入しているんだそうだ。

MMT観点からの総括

MMTのレンズを通して見ると、ビットコインは「政府から納税手段として指定されていない」ため、現段階では通貨ではなく単なる「民間の投機的資産(商品)」に過ぎないとみなさざるを得ないだろう。
国家がビットコインを納税手段として全面的に認めない限り、MMT的な意味での「真の通貨」としての地位を獲得することはないといえるだろうな。

2026/07/15

POST#1908 民主主義というひ弱なバラ

尾鷲かな熊野かな

勉強をめぐって、子どもとカミさんの間で、熾烈な争いが勃発している。

俺は無学だから勉強は教えられないと韜晦しているんだが、仲裁はしないといけない。それが厄介だけど、父親の務めだ。この暑い中、まったくご苦労なこったぜ。

2026/07/13

POST#1906 リバタリアンと国家の夢の結合マスキズム!

東京、佃島
このリバタリアニズム🔗が国家システムとタッグを組み「国家とIT資本の最悪の結合」「利益相反による格差拡大」を現在進行形で最も露骨に体現している人物が、皆さん大好きなイーロン・マスク🔗だ。
歴史学者のクィン・スロボディアン🔗とテックライターのベン・ターノフ🔗はその共著「マスキズム🔗」のなかで、イーロン・マスク🔗の一連のビジネス展開そのものを20世紀の生産革命だった『フォーディズム🔗』に匹敵するものとして、「マスキズム🔗」と名付けたんだ。悪くないネーミングセンスだよね。

彼こそは、かつて政府の規制を嫌うリバタリアン🔗つまり自由至上主義者の代表格と見なされていながら、いまや国家権力の中枢に自ら入り込み、自らのビジネスと国家予算・政策を完全に一体化させている、現代テクノ封建制の象徴にして一番の曲者と言えるだろう。

マスキズムが「中国の寡頭制と変わらない」と言える露骨な実態はおつぎのとおりだ。

1. 「政府効率化省(DOGE)🔗」という究極の利益相反🔗

トランプ政権下で新設された「政府効率化省(DOGE)🔗」のトップに、期間限定とはいえマスクが就任したことは、歴史上最も露骨な利益相反🔗だよね。あまりに露骨すぎて、俺は笑うしかなかった。

規制当局を自ら解体
彼の企業(テスラ🔗、スペースX🔗、X🔗など)は、これまで環境規制、労働基準、宇宙開発の安全基準などで多くの政府機関から調査や規制を受けてきた。マスクは、そういった規制を忌々しく思っていたんだ。その競いが、彼を共和党いやむしろドナルド・トランプ🔗支持に追いやったといってもいいだろう。
マスキズムの本質は、「自分を規制する政府機関の予算や人員を、政府の役職を使って自ら削減・解体する」という、信じられないほどの公物私物化にあるんだ。
もっと言えば、彼のビジネスの中核をなしているテスラ🔗も、スペースX🔗も、そのビジネスモデルは政府からの多額の補助金をうけたり、政府の宇宙開発をビジネスとして請け負うことで確立された。そしてツイッターを買収したマスクは、直ちにBANされていたドナルド・トランプ🔗のアカウントを復活させ、X🔗を政治的な主張を一方的に垂れ流すカオスに変えたのは皆様ご存じの通りさ。
中国の「党・国家・企業の三位一体」との酷似
中国では党の意向と企業の利益が直結しているんだが、マスキズムはアメリカにおいて「マスクの意向=国家の政策」という構図を合法的に作り上げることにまんまと成功したってわけだ。

    2. 国家インフラの私物化と人質化

    マスキズムの恐ろしさは、一民間人が国家や世界の基幹インフラ(通信・宇宙・防衛)の生殺与奪の権を握っている点だ。

    スターリンクの軍事利用
    ウクライナ戦争や台湾有事を巡り、マスク氏個人の判断や思想(あるいは他国からの圧力)によって、すでに戦況を左右するインフラとなった衛星通信網「スターリンク」の作動・停止がコントロールされる事態が起きている。君も知っているだろう。ウクライナ戦争において、マスクがスターリンクの使用停止をちらつかせて、ウクライナ政府から多額の資金を調達しようとしたことを。また、ロシアの苦戦はスターリンクへのアクセスを遮断されたことによる通信網の不備による面もあることを。
    国家予算の独占
    NASAや国防総省の契約を独占するスペースXや巨額のEV補助金やCO2排出枠ビジネスで巨額の利益をあげるテスラなど、イーロン・マスクの富の大部分は、本来リバタリアンが嫌悪するはずの「国家予算」=「一般市民から徴収した税金」から出ているんだぜ。もうなんだか底が抜けたコントみたいだ。

      3. 「絶対君主」としての独裁的統治

      マスキズムは、企業経営やメディアの支配においても、中国の権威主義体制と全く同じ手法を取っているんだ。

      思想統制と検閲
      「表現の自由の絶対主義者」を自称してX(旧Twitter)を買収したにもかかわらず、実際には自分に批判的なジャーナリストのアカウントをBAN(凍結)し、自らの投稿やアルゴリズムを優遇している。つまり「自分の表現の自由の絶対主義者」ってことだ。
      労働者の奴隷化(ハードコア文化)
      「週80時間労働」や大量解雇を厭わない姿勢は、中国の過酷なテック労働環境「996(朝9時から夜9時まで週6日働く)」と精神において完全に一致している。
      一般市民や従業員は、火星移住やAI社会、脳インプラントによる人間とメカの融合といった彼のSFめいたディストピアを実現するための「生体パーツ」に過ぎないんだ。
      まったく、一体どうしてこうなった?

        4. 権威主義国家(中国・ロシア)との親和性

        リバタリアン🔗を自称するマスク自身が、なぜか中国の共産党幹部やロシアのプーチン大統領といった「本物の独裁者」とウマが合い、彼らに対して融和的なのは偶然ではない。

        なぜなら、マスク氏自身が本質的に「民主主義的な手続き(議会、法律、世論)」を軽蔑しており、トップダウンで全てを決める独裁的な効率性を愛しているからだ。これはドナルド・トランプ🔗自身もそうだろうな。

        テスラのギガファクトリー🔗上海を優遇してくれる中国政府の寡頭体制は、彼にとって理想の統治モデルでもあるんだ。

        新自由主義が極まった結果、私たちが目撃しているのは、自由な市場ではなく「たった一人のテック大富豪が、国家の全機能をハックし、法律をも超越して君臨する」という、まさにSF映画そのもののマスキズムというテクノ封建制だ。

        2026/07/02

        POST#1895 東洋的専制主義の堂々たる完成!

        台北・剥皮寮

        さて、何度かこの一連の中国の民主化しない原因を探るシリーズで紹介してきた、ニューヨーク大学教授のデイヴィッド・スタサヴェージ🔗の著書『民主主義の人類史🔗』の指摘通り、古代中国は「中央集権的な官僚機構」=専制政治体制が早期に完成したため、支配者が民衆の同意を必要としない「オートクラシー(専制)」が定着したがために、民主主義の芽が摘まれる結果となったといえるだろう。これはこの非常に有益な書物の極めて核心的な論点なんだ。

        スタサヴェージは、なぜヨーロッパと中国で政治的軌道が真逆になったのかを、国家の構築プロセスとタイミングの違いから鋭く分析している。
        その主なメカニズムを少し丁寧に見てみよう!
        1. 「初期デモクラシー」が生まれる条件
        この『民主主義の人類史』では、人類の歴史上、統治者が民衆や部族の「評議会」の意見を聴き、合意を得て政治を行う「初期デモクラシー(Early Democracy)」は世界各地に普遍的に存在したとされている。これは今まで読者諸兄諸姉に紹介してきたピエール・クラストル🔗やデヴィッド・グレーバー🔗、或いはジャン=ジャック・ルソーなどの主張や論考とも整合性が採れていると思う。
        これが成立する主な条件は以下の2点だ。
        • 中央政府の統治能力、つまり官僚制や徴税システムが弱いこと
        • 統治者が人々の生産活動や資産の情報を把握するテクノロジー、つまりは文字や測量などを持たないこと
        つまり、統治者が自力で税金を集めたり命令を強制したりできない「弱い国家」だったからこそ、民衆に「ご相談」することで合意形成せざるを得なかったというわけだ。
        クラストルなどが描くアマゾンの首長などは、最も徹底しているんだ。
        まずなんの権力もなく、集団の人々を飢えさせないようにする始原的な社会保障の義務すら負っている。にもかかわらず、人々を自分の意のままに操ろうと画策し始めた途端、集団の構成員の誰かしらから、喉首を掻き切られ殺される。良くて集団からの追放だ。
        これはモンテーニュ🔗がエセー🔗で記した、パリに連れてこられたトゥピナンバ族🔗について記したこととそのままだ。これが最も原始的な民主主義の姿だよ。
        2. 中国:早熟な官僚制による専制(オートクラシー)の確立
        中国、特に秦・漢の時代以降の中国は、ヨーロッパよりもはるかに早く強力な中央集権的官僚制と情報把握の仕組みを構築していた。それはここまでの論考で何度も繰り返したことだから、賢明な諸兄諸姉はもうお分かりですね!
        文字や度量衡の統一、戸籍制度の徹底によって、統治者が民衆の人口や耕作地、収穫量を正確に把握できるようになったため、民衆側の代表(評議会など)にお伺いを立てる必要がなくなったんだ。てことは、人々に拒否権はないんだ。拒否≒死あるのみだな(笑)。昔の話だと聞き流していいものではないぜ、劉暁波🔗の末路や天安門事件🔗を思い出してほしい。

        民衆の合意(consent)を必要としない専制政治🔗(オートクラシー)の土壌が早期に完成したため、相談の場としての議会や、民主主義的な芽が育つ前にその可能性が代替されてしまったのだ。中国はその代りに、法家🔗思想による統治や、隋🔗・唐🔗代から整備された科挙🔗制度という国家公務員試験を整備することで、高度に階層化された官僚制🔗を具えた専制国家を完成させていったんだ。

        3. ヨーロッパ:後進性と国家の弱さがもたらした逆転 
        対照的に、中世ヨーロッパは中国に比べて政治的・技術的に「後進地域」であり、国家体制が極めて脆弱だったといえるだろう。
        国王には強力な官僚機構も徴税システムもなかった。このため、戦争の費用を集めるには、地域の有力者や市民を集めた「議会」を開いて同意を得るしかなかったんだ。
        この「国家の弱さ」ゆえに生まれた合意形成の仕組み(初期デモクラシー)が長い時間をかけて制度化され、のちにイギリスやアメリカで「近代デモクラシー🔗」へと進化していく基盤となったんだ。

        2026/06/25

        POST#1888 デジタル・パノプティコンによる国家という監獄の誕生

         

        香港 麺

        俺の手元に、藤原新也の『全東洋街道 下巻🔗』に、改革開放前夜70年代末の上海に赴いた藤原新也のルポタージュと、写真がある。これは素晴らしい写真集だから上下巻合わせて読んでみてほしい。君の世界が広がるだろう。

        人々は、世界を放浪してきた熟練の写真家藤原新也が、人の群れの中に偽装して写真を撮るために人民服—そう、このころの中国人はすべて皆、人民服を着ていたんだ—に身を包んで左手にカメラを隠し持っていたのを、上海の人々は世界中のどこの人々よりも遠くから見破り、そのカメラに視線を注いでいたという一文がある。

        藤原は記した。

        『上海人は、私の持っていいるカメラを見たのではない。十メートル前方のある男が左手に隠すように持っている物を見たのである。

        言いにくいことを言う。しかしこれは事実だ。上海人は人と人が出会った時、多くのニンゲンがそうするように目と目を見合わすのではなく、おおむねまず相手の手に持つ物に意識が走り、そして目線が走っていく。

        上海人の顔が無表情に見え、その目に冷たいものを感じるのは彼らが人の目を見るのではなく、モノを絶えず意識し、そして見ているせいではなかろうかと思った。』(集英社文庫版 全東洋街道 下巻 第十章 168~172頁より)

        この写真集に収められた写真に収められた上海は、全体的にグレーで薄暗く、どこかブレードランナーに出てくるようなすがれた暗い雰囲気をまとっている。

        そして、若き藤原新也が上海を旅したその日から、今日までの約半世紀に流れた時間の重みを想う。


        ここから現在の中国の発展へのターニングポイントになったのは、まさに日本と中国の国交正常化だ。

        そしてそれに続く1970年代から1990年代にかけての日本による対中支援が、つまり積極的な日本の技術移転と、そして天安門事件後も円借款を続けた日本の政府産業界の奉仕にあるのではないかってことなんだ。

        中国が100年以上続いた戦乱と政治的混乱(大躍進・文化大革命)で、すっかり凍結させていた潜在能力を「再起動」させる上で、日本の政府および産業界が果たした役割は、主に以下の3つの大転換期に集約されるんじゃないかな。

        1. 日中国交正常化(1972年)と大平正芳の先見性

        経済協力のグランドデザインと近代化のインフラ基盤の提供

        1972年の国交正常化後、1979年に当時の大平正芳首相が対中政府開発援助(ODA・円借款)の開始を決定した。藤原新也が上海を訪れたのはおそらくこのころだ。

        当時、外貨も技術もなかったまさにどん底の中国に対し、日本は港湾、鉄道、発電所、通信網などの大規模なインフラ建設を円借款🔗(低金利の長期融資)で全面的に支えたんだ。これが、後に中国が「世界の工場」として外資を受け入れるための物理的な土台となったことは、今更くどくど言うまでもないよね。

        2. 日本産業界による「技術移転」と鄧小平の衝撃

        最高峰の技術を丸ごと移転し、経済先進地「江南」は復活

        1978年に鄧小平が訪日した際、新幹線やパナソニック(当時の中下幸之助)の門真工場、新日鉄(現日本製鉄)の君津製鉄所などを視察し、日本の圧倒的な工業力に衝撃を受けたという。この話はちょっと前にもしたはずだ。覚えていてくれたかな?

        この鄧小平の懇願に応じる形で、新日鉄は当時の最新鋭技術を注ぎ込み、長江下流域に「上海宝山製鉄所」を建設したんだ。

        かつてポメランツの時代に経済の先進地だった長江流域(江南)が、日本の技術移転によって20世紀末に「近代重工業の先進地」として再び息を吹き返した象徴的な出来事だなこれは。

        これに続き、自動車、家電などあらゆる日本企業が中国に現地法人を作り、製造業のノウハウ—つまりは熟練労働者の育成や品質管理システムをを叩き込んだわけだ。

        これには当然、安い労働力を使って利益を最大化したいという産業界のそろばん勘定もあったのは間違いないだろう。また、アメリカ一辺倒ではない外交を模索する政治家や官僚の思惑もあったに違いない。しかし、その底流には中国に対して大日本帝国が行った非道の数々への贖罪という意識があったのは間違いないだろう。

        歴史は途切れることなく続いているんだ。そして、あの天安門事件🔗がやってくる。

        3. 天安門事件(1989年)と日本の独断による「救済」

        西側諸国の孤立化を日本が打破

        1989年の天安門事件により、欧米諸国は中国に対して厳しい経済制裁を科した。ウクライナ戦争の際にロシアに経済制裁を科したのと同じようなものだ。つまりは兵糧攻めってことさ。

        当然ながら中国経済は再び国際社会から完全に孤立する危機=ポテンシャルの再封殺に直面することになったんだから、さぁ大変だ。

        円借款の再開と「経済の血流」の維持

        しかし、何にもはっきり言わねぇ♪と忌野清志郎🔗に揶揄されていた当時の海部俊樹🔗首相をはじめとした日本政府は「中国を国際社会で孤立させるべきではない」と珍しくはっきりと主張したんだ。そして1990年のヒューストン・サミットで西側諸国を説得しまくり、他国に先駆けて第3次円借款の凍結を解除したわけだ。

        産業界のコミットメント

        この政府の動きに連動し、日本の産業界も中国市場からの撤退ではなく投資を継続・拡大していった。この日本の決断が呼び水となり、中国は最悪の政治的危機を乗り越えちゃったんだ。これがなかったら、アイフォンだってテスラだって、中国で作られることはなかっただろう。

        で、1992年、改革開放の旗を死守すべく行われた鄧小平による「南巡講話🔗」を経て、2000年代のWTO🔗加盟と爆発的な高度経済成長へと突き進む外交的・経済的なセーフティネットを得ることとなったんだ。

        この流れをざっくりまとめてみると、今日の日本人の皆さんにとって、不都合な事実が浮かび上がる。

        中国が「100年の国難」による荒廃から立ち上がり、かつて持っていた経済的ポテンシャルを爆発させることができた背景には、まさに「日本が国交正常化によって門戸を開き」「産業界が血肉となる技術を教え」「天安門事件の危機においても経済的血流(円借款)を止めずに支え続けた」という歴史的事実があったってことだ。

        この一連のプロセスは、単なるビジネスや外交の枠を超え、中国の近代化を日本が実質的にプロデュース・牽引した側面が極めて強いといわざるを得ないってことさ。

        つまり、現代の中国ってのは、日本が生みの親といっても過言じゃないんだ。


        そして、日本の説得を受け入れた西欧各国も、中華人民共和国が経済的に豊かになれば、民主化するだろうという甘々な期待を持っていたんだが、あにはからんや、そこに出来上がったのはデジタルを駆使した専制国家だったというわけだ。

        20世紀末から2000年代にかけて日本や西欧諸国が抱いていた「経済的に豊かになれば、中間層が育ち、自然と民主化へ向かうだろう」という期待は完全に裏切られたんだ。

        代わりに西欧諸国と日本の前に立ち現れたのは、最新テクノロジーを駆使した強固な「デジタル専制国家(デジタル権威主義)」で、アメリカすらも脅かす経済大国であったという素晴らしい展開だ!

        この「期待の裏切り」と「デジタル専制国家の誕生」のメカニズムは、主に以下の3つの要因によって説明されるだろう。

        1. 「近代化理論」の破綻

        西側の過信と中国共産党の学習能力

        西欧や日本には「経済発展 = 民主化」という、欧米の歴史をモデルにした「近代化理論」への強い信仰があったんだよ。

        そう、日本や西欧諸国は、中国をWTO(世界貿易機関)に加盟させ、豊かにさえすれば、自由や人権を求める民衆の声が内部から高まり、共産主義独裁体制を変換してゆくことになるだろうと無邪気にも信じていたんだよ。

        しかし、この自由民主主義体制って物自体が、アメリカやイギリスの社会構造から導き出されたもので、けっして人類には普遍的なものではなかったんだ。

        彼らは、無邪気にもヘーゲル🔗の『歴史哲学講義🔗』に描かれた、文明史観—つまり、社会は段階を追って単線的に発達してゆき、未開な段階から東洋的専制主義を経て、最終的には自由と民主主義的な社会へと到達するという歴史観を信じていたんだ。

        けれど中国共産党の指導者たちのほうが一枚上手だった。老獪というべきかな。一歩間違ったら自己批判を強要されて命がなくなるんだから、国のかじ取りも命懸けだったってことだ。

        中国共産党はソ連崩壊のプロセスを徹底的に研究した。ついでに日本のバブル崩壊のプロセスも必死に研究した。その結果、「経済的な豊かさを与えつつ、政治的な一党支配は絶対に緩めない」という、西側の予測を超えた新しい統治モデル(チャイナ・モデル)を発明してしまった。いやかつて、産業革命以前には中国は世界最大の経済圏を持っていたことを考え合わせると、彼らはこのシステムを歴史の彼方から再構築してしまったというほうが正しいかもしれないな。

        2. テクノロジーを「解放の道具」から「監視の武器」へ

        インターネットの変質とグレート・ファイアウォール(金盾)の構築

        1990年代のWeb1.0の平和な時代、西側は「インターネットが普及すれば、国境なき情報の自由な流通によって独裁体制は維持できなくなる」と考えていようだ。インターネットが人々の分断を煽りまくっている現在の地平から見ると、なんて脳内お花畑な世界線だと呆れてしまうほどの楽天的な考えだ。

        けれど、中国共産党の指導部は、この予想の斜め上をいったわけだ。そう、インターネットを禁止するのではなく「網羅的に監視・コントロールする」という道を選んだんだ。

        独自の巨大な検閲システムを構築して、西側諸国発のSNS(Google、Facebook、Xなど)を徹底的に遮断したんだ。その代わりにBaidu、Alibaba、Tencent(のちのBytedanceなど)といった自国のIT企業を保護・育成し、国民の間に爆発的に普及させたわけだ。

        3. 「デジタル権威主義」の完成

        AIとビッグデータによる超監視社会と効率的な統治

        日本の円借款を元手に世界の工場へと経済発展することで獲得した莫大な富と、世界トップクラスに成長した自国のハイテク技術を融合させて、中国共産党は街中に配置した顔認証AIカメラシステム(天網)や、スマートフォンの決済・行動履歴の監視システム(社会信用システム)を構築してしまった。どこでだれが何をやっているか、当局はその気になればすべて把握することができるんだ。プライバシーなんてものはそこにはないんだ。

        かつてのソ連のような「物理的な暴力や恐怖による抑圧」に頼る必要すらないほどに、究極まで推し進められたデジタル技術によって「反乱の芽を事前に察知し、市民が気づかないうちにコントロールする」という、極めて洗練され、かつ効率的な専制統治を完成させるに至ったんだ。

        そのうえで、人民には豊かな生活と治安の良さを提供することで、多くの国民から一定の支持=消極的合意を取り付けることにも成功しているんだ。

        まさに、ミシェル・フーコー🔗が『監獄の誕生🔗』で描いたパノプティコン🔗のデジタル版、デジタル・パノプティコン🔗が完成し、中国そのものが巨大な監獄として顕現したというわけだ。なんてディストピアが出来上がっちまったんだ!

        結論

        日本や西欧諸国が「良かれ」と思って行った経済・技術支援は、中国を民主主義の陣営に引き入れる結果にはならず、むしろ「資本主義のダイナミズム」と「専制政治」を高度に融合させ、最新テクノロジーで武装した前例のない超大国を生み出す原動力になってしまったといわざるを得ないだろう。

        17世紀の「大分岐」から始まった一連の歴史の歯車は、21世紀にいたって「西側の期待とは全く異なる巨大なデジタル専制国家の出現」という、国際秩序の最大の地政学的リスクを生み出す結果となって現在に至っている。

        そして一つ言えるのは、現代のデジタル監視社会中華人民共和国というある種のディストピアは、日本人が総力をかけて生み出したフランケンシュタインの怪物のようなものなのさ。

        しかし、これは単に日本や西欧諸国の読みが甘かっただけの問題ではないのではなかろうか。中国という巨大な文明圏に脈々と流れる社会のDNAが、現在の技術によってその完成を見ただけじゃないだろうか?

        実は俺はそうにらんでるんだ。現象の奥には歴史が、それも中国4000年の歴史が渦巻いているのさ。問題は日本のODAだけじゃなかったんだ。ある意味歴史の必然だったのさ。