2011/06/24

Post #223 ジンジャーエールはウィルキンソンに限るぜ

まだ6月だというのに、暑い日が続いている。本来なら、昨日で仕事がひと段落して、4日ほどうっくりできるはずだったのに、甘かった。プリントでもしながら、優雅に暮らしたかったが、それは7月の上旬までお預けだ。しかし、もし、俺のもくろみ通り何日か仕事から開放されたとしても、この暑さだ。締め切った暗室でプリントなんかしていたら、熱中症で救急車を呼ぶ羽目になってしまううだろう。俺の家は、連れ合いがクーラー嫌いなこともあって、よほどの暑さでもない限り、クーラーをかけない。こうしていても、熱をはらんだねっとりとした空気が体にまとわりつく。冷えたビールでも九いっとやるのがイイんだろうが、生憎俺は痛風もちだ。調子に乗ってビールを飲むと、痛みに転げまわることになる。それはゴメンこうむる。
VietNam
だから俺は、ビールの代わりにジンジャーエールを飲むんだ。カナダドライの甘いジンジャーエールよりも、ウィルキンソンのあの辛い奴だ。独特のガラスのビンもイイ味を醸してやがる。なかなか売っていないのが、難点だが、この夏はコンビニでウィルキンソンのジンジャーエールが売られている。
いい時代になったもんだ。もっとも、あの印象的なガラス瓶ではなく、ごく一般的なペットボトルに入っているのが残念だが、ビンを飲むわけじゃないから良しとしておこうぜ。銀行と税務署に行った帰り道、行きつけのコンビニでこいつを見つけた俺は、思わず『おお!ウィルキンソン!』と叫んでしまった。行きつけだから、お店の人もさして驚きもしないぜ。俺は近所で評判の愉快な男なんだ。
俺の友人の伊佐地の話によれば、炭酸飲料は、炭酸の働きで体の中の熱をとってくれるらしい、本当かどうかは知らないが、ジンジャーエールやコカコーラは、やはり暑いときのほうが旨く感じるもんな、一理あるのかもしれないぜ。

VietNam
この暑さは俺に、以前訪れたベトナムを思い出させる。
暑さの厳しい日中、男たちは木陰で、よれたランニング一枚で椅子に座り、涼を求めている。
日が暮れてくると、心地よい風が街路を吹き渡る。たとえその風に原付の排気の匂いが混じっていたとしても、何とも言えない気持ちの良さだ。
人々は、決して清潔とは言い難いような屋台で、楽しげに食事をとりはじめる。
男も女も、バイクに乗って夜の繁華街をクルージングしている。狭い家の中でじっとしているよりも、バイクで走り回ったほうが涼しいのだろうか?そうかもしれないな、ベトナムの庶民の家にクーラーがついてるとも思えないしな。ベトナムの皆さんのご家庭にクーラーをつけるとしたら、ベトナムに原子力発電所をガンガンおっ建てないといけないんだろう。それは、いかがなモノかな。それくらいなら、原付ナイトクルージングも悪くないんじゃないかな。
日本じゃヤンキーしかやらないような、原付2人乗りは当たり前、なかには3人乗りなんて強者もいる。繁華街のメインストリートは、あまりにたくさんのバイクが走っているため、歩いたほうが早いくらいだ。それでも、老若男女問わず、誰もかれもが夜の道をバイクで走っているようだ。そして、ヤモリも街路樹の、なぜだか白く塗られた根元を駆け回るんだ。
VietNam
また、行きたいもんだぜ。あのユルさがたまらないのさ。日本人も少しはあんなユルサを持った方がいいかもしれないな。俺はいつもそう思ってるんだ。どうにも俺たち日本人は、生真面目すぎるんだ。どうしてこんなに生真面目な国民性になっちまったんだろう…。
まぁ、そんなことはどうでもイイ。熱くて頭がぼうっとして、そんなことは考えたくもないぜ。さっぱりと風呂にでも入って眠るとするかな。
読者諸君、ごきげんよう。失礼させてもらうぜ。

2011/06/23

Post #222 夢を見た

昨晩は、ブロガーの不具合で写真をUP出来なかったから、これは昨日の投稿なんだ、実は。

昨日の夜は、遅くまで仕事をしていた。しこたま写真をメールに添付して、お客さん送ったときには、もう真夜中どころか夜明けだった。つまり、夜明けまで仕事をしていたんだ。
床に就いた頃には、すっかり空は白み始めていた。まぁイイ、それでも2時間は眠れるぜ。充分だ。何なら、明日の仕事は、車で出撃で高速に乗って行けばいいだろう。飛ばして行くぜ。なんせ仕事はまさに今山場だ、胸突き八丁だ。ボケボケ眠っている場合じゃない。
Izmir,Turk

その短い眠りの中で、夢を見た。
夢の中では、もう二度と逢うこともないと思っていた君から、俺の携帯に電話がかかってくるんだ。
そして、俺はまた、君と逢えたんだ。君はまたあの頃のあの夜と同じように、どこか照れたような笑顔で屈託のない話をしていたんだ。
俺は、嬉しかったんだ。夢の中で、これが夢だなんて思ってもみなかったぜ。
そんな嬉しさは、目覚ましの音で幻のように消えちまった。
隣には、俺のつれあいが眠っている。それが現実だ。
そうさ、全て夢だったのさ。俺は、無性に悲しくてやりきれなかった。君たちには、そんな経験はないものかねぇ?

俺は思い出したぜ。RCサクセションの切ない曲、『夢を見た』を。こんな曲だ。

きみのことを 夢に見たのさ
目が覚めて ぼくは悲しい
夢の中には 涙はなかったさ
目が覚めて ぼくは悲しい

鏡の前できみを呼んでも
泣き出しそうな ぼくがいるだけ

今日一日は 朝から晩まで
なんとなくなんとなく 悲しい

決して目立つ曲じゃないんだぜ。ヒットしたわけでもない。むしろ、売れない部類だろう。けれど、こころに残るイイ歌だ。まぁ、つまらないと思う奴は思っていればいいさ。きっと、俺の感性とは志向性が違うだけの話だ。しかし、今日はそれを云々する気にもならない。そう、今日の俺ときたら、まるでこの歌のような一日を送っていたんだ。

なんとなくなんとなく、悲しかったのさ。
Izmir,Turk

いくら悲しんだところで、どうなるもんでもないんだけれどね。けど、なんとなく、そう、なんとなく、悲しい余韻が残る一日だったのさ。もっとも、仕事はそんな俺のなまっちょろな感傷なんかすっ飛ばしてしまう程、大回転の大忙し、八面六臂の大活躍だったんだがね。それがまた、やりきれない反面、有難かったんだけれどね。

そうだぜいつだって、心の中に、ブルースがあっても、それでへこたれへたれている訳にはいかないのさ。そんなブルースのない人生なんて、味気ないものさ。