2011/09/17

Post #308 My Photo Is The Reflection Of Me Myself

ここんところ、俺を寝かせてくれなかった仕事が終わった。
しかし、みんな覚えておくがいい、終わりは新しい始まりの序章に過ぎないのさ。また、キビシー仕事の日々が巡ってくるに違いない。永劫回帰だ。
まぁ、そうでなきゃ俺もオマンマの食い上げだ。冗談じゃないぜ、いくら最近下っ腹が気になりはじめて、これじゃロックンロールらしくないな、いや、年食って腹が出てても気にせずロックし続けてるブライアン・セッツァーみたいな奴もいるからな、気にすることないかって、優柔不断に悩んでいる俺でも、オマンマの食い上げはゴメン蒙る。何十年も断食してぴんぴん生きてるインドの驚異のグルじゃないんだぜ。俺だってどうも日本社会では絶滅危惧種の珍獣扱いだが、インドの仙人みたいな奴とは一緒にしてもらっちゃ困る。俗臭ぷんぷんだ。トーゼンながら飯は食わなけりゃ生きていけないのさ。そう、何よりも肉を喰わなけりゃな。痛風もちの名が廃るってもんだ。せいぜい肉食って腹筋でもするか。
Paris/Parisienne Of Peep Show Club
俺は、いつも写真を撮るときには、野の獣が獲物を捕らえ、大空を舞うタカが獲物を鷲頭掴みにするよーに、本能的に写真を撮っているんだ。しかし、その本能的な動きの陰では、俺の脳みその中で三角帽子を被った小人どもが、ガンガン働いているのさ。つまり、俺の脳の中では自分のまわりの世界を、目にしている出来事物事が語りかけてくる言葉にならない意味を、光の速さで認識し、言葉なんてまどろっこしいもんに置き換えることなく、そのまんま、魚を網で一網打尽に漁るよーにして、状況を判断してシャッターをきるっちゅう、アクロバテイックな脳内活動を展開しているわけだ。もっとぶっちゃけて言えば、一を聴いて十を知りつつも、2から9は潔くすっ飛ばされているわけだ。思考のワープ航法だ。
きっと信じてもらえないだろうけど、どうだいスゲーだろう?
このケーカは残念ながらなかなか説明し辛い。ロジカルなんだけれど、言葉になってなかったりするからね。自分でも、反射的に撮って、すっかり忘れていたネガを見て、初めてその時の心の動きを思い出したり、この糞っ垂にしてすんばらしい社会に対する批評批判がぶっ込まれていることに気が付いて、俺天才、しかし、そんなの誰も気が付きゃしないだろうってニンマリしてる始末だ。おかげで、俺のブログは人気がない!ダッハッハ!
あ~、こういうことは、あまり言わない方がイイんだろうな。けど、構うもんか、今日は言ってしまえ。
なんだか実は写真が、社会に対する批評批判なんだなんて、夜のニュース番組の司会者みたいでケーハクでカッコ悪いんだ、俺的には。とんでもなカッコーをしたおねーちゃんの写真を、何だか風紀の乱れを摘発している写真として見てもらうのは本意じゃないしね。第一、写真は道徳の授業じゃないんだから、そんなのゴメン蒙る。単に、いい女だから、反射的に撮りました、ごめんなさい、っていう方がカッコEだろう!
本当はどの写真にも、俺の怒りが悲しみが、希望や絶望が、共感と反感が、諦めと憧れが、ドッカんブッ込まれているんだぜ。あー、そんな事を言うと、なんかカッコ悪りぃでかんわ。けど、俺の愛する読者の皆の衆は、ずっと俺の写真を見てくれている一部の読者の皆さんは、とっくに気が付いていてくれるだろう。
そう、いつも俺は思ってる。俺の糞ったれな写真を何百枚、何千枚と集めて体育館の床みたいなだだっ広いところに並べた時、そこに俺自身が一枚も写っていなくても、(そりゃ当然だろう、俺が撮ってるんだから、俺以外のものが写っているのさ)そのボーダイな映像的なクズ写真が、下手糞なモノクロの写真たちが、俺の輪郭を影絵のように描いてくれることを、俺の心の中を、まどろっこしい言葉なんて抜きでクロスワードパズルのように君に示してくれることを。
俺の写真は、一枚で完結しない。ゲージュツなんてクソ喰らえだ。毎日まいにちランダムに君たちにお届けしている一枚一枚の写真全てが一つながりのもので、俺のむっちりブリブリ詰まった中身が、この糞っ垂な世界と向き合った時に瞬間的にスパークした思考の軌跡を描くものであって欲しーなと思ってるんだ。
Paris
だからと言っちゃなんだけれど、スライドショーを暇な時には見てやってほしい。昨日までで575カットだ。こりゃちょっとした数だ。
自分で言うのもなんだけれど、これが結構おもしれーんだぜ。絶大な自信を持って君におすすめするぜ。木を見て森を見ずの反対、つまり一本一本の木を見ることで、森が見えてくるって奴だ。俺の写真が、俺の出会った世界の断片の寄せ集めだけれど、同時に俺そのものを表現してる事に関しては、自分で言うのもなんだが、自信満々だ。
あ~、なんか今日は調子にのってまた訳の分からんことをほざいていやがるぜ。こんなことダラダラ酔っぱらいみたいにほざいてないで、とっとと眠ればいいものを、やれやれ・・・。
読者諸君、また会おう。そろそろ暗室が俺を呼んでいる。仕事が空くのは、実に結構なこったぜ。

2011/09/16

Post #307 Parisienne

Paris
日本の女の子も素敵だけれど、パリの女の子も素敵なもんだぜ。べっちょりしたいやらしさがなくって、センスの良さを感じるんだ。
読者のみなさん、今日は臨界点を突破しそうな勢いだ。なのに今夜も仕事だ。今からひと眠りして充電させてもらうぜ。さらば。

2011/09/15

Post #306 猫のすむ町

猫は好きですね。
以前実家に住んでいた頃には、学生の時に学校に捨てられていた猫を拾ってきて飼っていました。
ずいぶん前、うちのつれあいの今は亡き父親がボケちまって、世話が出来なくなったトラ猫を、自分の家に連れてきた事があります。クルマの中ではずいぶんおびえていたんですが、家についた途端に逃げてしまい、見つからなかったことがあります。夜の闇にまぎれてどこかに行ってしまったのです。俺と連れ合いは次の日一日中探していました。
その父親が突然浴槽の中で死んでしまったのは、その次の日のことだったと記憶しています。そのトラ猫の失踪が、不吉な予兆のように感じたものでした。
猫にまつわる少し後味の悪い思い出です。
HomeTown
家の近所には、猫がやたらと集まっている道があって、俺とつれあいはそこを猫横丁と呼んでいました。そこいらを一日中探し回ったんですが、ダメでしたね。自分の経験では、トラ猫は特に臆病な気がします。もう10年くらい前の話しなんで、いい加減生きてはいないと思いますけど、今でもトラ猫を見ると、それもムチムチと太った骨太なトラ猫を見かけると、その猫を思い出して可愛がってやりたくなります。
猫のいる町は、路地が多くてでティールに富んでいる町だと思いますから、ぶらりと歩いて写真を撮るのにもってこいってカンジですね。海外に行った中では、イスタンブルは圧倒的に猫の多い町でした。だからって訳ではないんですが、また行きたい街の上位ランクインしてます。

HomeTown
 イスタンブルでは、どこに行っても猫がうろうろしていました。
日本では猫にチッチッと声を掛けますが、トルコではピシピシって声を掛けます。ホントかよと思ってやってみると、どの猫も、びくっとして振り向いてくれます。そういえば、泊っていたホテルの近所の悪ガキどもが、野良猫を捕まえて俺に5トルコリラで売りつけようとしてきたこともありました。両脇に手を突っ込んで、ぶらりとぶら下げて、俺の鼻先に突きつけては5リラ、5リラって大騒ぎなんだよ。日本円で300円くらいだったかな?思わず俺は笑い転げて、ガキどもとすっかり仲良くなったんだっけ。昼間っから猫がブラブラしてる街は、何だかほっとできるいい街だなって感じます。
反対に猫の姿を見かけない街は、人間もなんだかぎすぎすしているような気がして、どうにもいけません。どうにも猫には、スナフキンのような自由人っぽいイメージが重なるんで、そう感じるのかもしれないですね。ボヘミアンな動物。車にひかれる事さえなければ、猫ってのは自由気ままで、ちょっと羨ましい生き物です。ひょっとしたら、人間なんかよりもずっと生きることを楽しんでるのかもしれません。
読者諸君、失礼する。今から銀行に振込みに行って、更に仕事の材料を買いにいかなけりゃならないんだ。もちろん、今夜も仕事だ。キツイ毎日を送っているのさ。あぁ、猫はええなぁ。