2011/10/27

Post #348 Naked Eye #19

今日は仕事の山場だった。
いつまでたっても進んでいる気はしないが、毎日じりじりと進んでいる。そういう時は、精神的にもかなり疲れるもんだろう?何、俺も君たちと同じ非力な人間だってことさ、所詮。
だから、眠っていた。眠ることで脳の中の情報をデフラグしないとやってられんぜ。
なに、諸君、心配は無用だ。大人だったら、誰だってそんなときもあるだろう。俺もこう見えて世間様並みってこった。収入も世間様並みだとうれしいんだがね。
Bruxelles
今日お届けする写真はブリュッセルのとある駅の構内だ。俺は初めて降り立ったブリュッセルの駅で、さまざまな民族人種の人々が行きかうのを見て、うきうきしたものだ。よく考えれば、ブリュッセルはEUの本部がある場所だ。分かるかい、言うなればヨーロッパの首都機能を持つ街なのさ。小便小僧だけじゃないのさ。君たちもTVのニュースくらいは見てるだろう。毎日ドイツのメルケルやフランスのサルコジをはじめとするEU各国の首脳が集まって、借金ダルマのギリシャをどうするか話し合ってるのが、そのブリュッセルさ。こじんまりとしたいい街なんだがね。
読者諸君、失礼する。シャワーを浴びてすっきりし、ぐっすり眠って、疲れをいやすのさ。そう、これが俺の人生だ。ロックンロールというより、地道なブルースだ。

2011/10/26

Post #347 自由と放埓

世の中には、ずいぶんたくさん勘違いした奴がいる。
これは自明のことだ。彼のフランク・ザッパは『宇宙には普遍的に二つのものが存在する。水素と愚かさだ。』という名言を遺したが、全く以てその通りだ。石を投げれば勘違い野郎にあたると言っても過言ではない。
なかでも、俺がイラつく勘違い野郎は、好き放題やることを自由だと思っている奴だ。
人には誰にも自由がある。それは人類がさまざまな問題を乗り越え、長い年月にわたって培ってきた、比較的新しいコモンセンスだ。うむ、自由とは現代の偶像無き宗教といってもいいんではなかろうか。
その意味では、俺も自由の信徒であり、自由の使徒でありたいと思う。
けれど、自由ということは何をやってもお構いなしというものでは、ない。
そんなものが自由なら、殺人も、強姦も、詐欺も、強奪も、そう、あらゆる悪徳が人間に許されてしまう。諸君、想像してみてくれ、そんな自由な社会はお断りだ。ゲヘナの火に生きながら焼かるべしだ。
自由とは、常に自分自身で周囲の状況を判断し、自らなすべきことを自発的に行い得るということではないだろうか。クラーク博士だったっけ?学長として赴任した学校の校則を如何にするかと問われて、『紳士たれ』の一言でかたずけてしまったのは。

『汝の欲するところを為すべし』という自由は、『思うところに従いて則を越えず』という自制心がなければ、唯のケダモノとかわりない。

そしてなにより、自由には絶対的に、責任が伴う。

どう振る舞おうが俺の自由だろう!と息巻く御仁をよく見かけるが、それによってぶん殴られたり、仕事を失ったり、相手とタイミングが悪ければぶっ殺されたりすることを受け入れる覚悟があるのかと訊きたいものだ。それがわかっちゃいない奴は、いくら年齢を重ねていても、単なるガキだ。そして、トーゼン、そんな連中に自由を云々する資格などなかろう。そんなのは単なる放埓であって、自由でも何でもない。
バカらしくって、そんな奴らとはお友達になりたくもないぜ。
Barcelona
かつて、宮沢賢治が詠ったような『億の巨匠が並んで生まれ、しかも互いに相おかさない そんな世界』がいつかこの地上に打ち立てられる日が来ることを俺は信じている。神様を信じるように信じている。悪いかい?3年後とか5年後とかの話しじゃないぜ、気が遠くなるような未来の話しさ。誰もが自由にふるまって、なおかつ互いに傷つけあったり、誰かの幸福を踏みにじったり、他人の自由や尊厳を損なったりすることのない、夢のような社会だ。そう簡単に実現するわけもない。何千年、いや何万年も先の話しだろう。ひょっとしたら、そんな社会が実現する前に、人類は滅んでしまうかもしれない。けれど、俺はそんな世界がいつか実現する事を、最後の審判がやってくることを確信しているエホバの証人の皆さんように、堅く、堅く信じている。そして、今日の一日が、その未来につながっている事を、俺は知ってるんだ。どれだけまわりに自由と放埓をはき違えたバカヤローが便座や薄汚れたまな板の上に繁殖しているバイキンのようにうようよしていようがね。

だからこそ、せめて俺は自制心と責任感を持った自由人でありたいと思っているんだ。
読者諸君、失礼する。渡る世間はアホばかりだ。

2011/10/25

Post #346 嗅覚

毎日、白金台5丁目のウィークリーマンションから1キロほど歩いて恵比寿駅に行く。
そこで山手線にのり、原宿まで向かう。男の現場は原宿だ。周囲には小娘と、誤飲なキャッチセールスを展開する黒人ばかりだが、そここそが俺の当面のステージだ。
こいつをクリアしなければ、次には進めない。面倒なことばかりの仕事だが、一筋縄ではいかない現場ほど、やりがいがあるというものだ。そう、達成感もあるだろう。だからといって報酬が高いわけでもないがね。
毎日毎朝、5分ほど電車に乗っていくんだ。恵比寿の次が渋谷、渋谷の次が原宿だからな。あっという間だ。居眠りするヒマもありゃしないんだ。もちろん読書なんて出来ないぜ。そうそう、痴漢に間違われないように気を付けないとな。とはいえ、ほんの5分ほどだ。本当は歩いたってたかが知れている。俺の友人には、紀伊半島を歩いて一周し、大阪まで言った奴がいる。驚くぜ。
で、毎日ぼんやり外を眺めていた。渋谷駅のあたりにビックカメラが見える。一度行かねばと俺の嗅覚が告げていた。そんな時には何かがあるのさ。俺の嗅覚は鋭いんだ。特に物欲が絡むとね。本当に欲しいモノ、俺に使って欲しがっているモノが俺を待っている店には、自然と引き寄せられ、もうこれは俺を待っていたんだという、珍獣を発見する。
そして、永年の修行の甲斐あって、欲しいものは即座にGETすること出来るようになった。お金の手持ちがなければ、即座にカードをきる、金額が高ければ、迷わずリボ払いだ。ふふふ、この境地に達するまでに、どれほどの逸品を逃したことか。しかし、迷って逃すようなものは、所詮は必要のないものだったということだ。本当に必要なものがわかっていれば、人生はシンプルだ。金の心配だけしてりゃいんだからな。
Amsterdam
てなわけで、俺は自分の嗅覚を信じて、つい先日仕事が比較的早く終わった時に、行ってみたんだ。そう、金力は絶対必要条件だが、あまりに疲労していると、気力体力が削がれるし、珍獣を発見したときの瞬発力が鈍るんだ。ちゃんとカードを持っていたかどうか、胸のポケットに手をやって確認するための瞬発力だ。
そう、そうして気力体力充分の俺が、ビックカメラ渋谷東口店で見出したもの。それは、発表しよう。既に生産中止になったFUJIの六切りモノクロ印画紙、100枚入りケース二箱だ。
しかも、商品入れ替えの為の見切り品ちゅうことでお安くなっている。
俺はこの二箱を鷲掴みにして、レジへ一直線だ。そうして、俺はカードを差し出していたのさ。そして元気よく『一括払いで!』
俺にとって印画紙は、次元大介のマグナム44、五右衛門の斬鉄剣、峰不二子のお色気のように欠かせないものだ。
毎朝感じていたあの、いかなければ、行けばわかるさという感覚は、この印画紙が俺に向かって訴えかけてきたものなんだろう。
よし、今度この仕事を片付けて家に帰ったら、ジャンジャンプリントさせてもらうぜ。楽しみだ。これでこそ、男の仕事にも張りと潤いが出てくるってもんだ。
それじゃ毎度まいどでなんだけれどいつもの奴を言ってみよう!親愛なる読者諸君、失礼するぜ。