2012/05/05

Post #524 疲労のどん底からつまらない写真を送ろう

何やら悲壮感が漂ってくる。疲れているのは確かだが、死ぬようなことはない。死ぬにはまだ早い。どうせいつか死ぬんだ。しかし、それは今日じゃない。死にそうだぜ、とか言ってるたびに死んでいたら、それこそ命がいくつあっても足らないぜ。
しかし、その疲労で転がっている俺から、今日もつまらない写真を皆の衆にお見舞いするぜ。
Someday,Somewhere
久々に、森山大道の本を読むでもなく、つまむようにして眺めていたら、写真を撮る量と欲望の量は比例するというようなことが書いてあった。
まさしくその通りだと思う。とすると、写真をガンガン撮ってるような奴は、とんでもなく欲求不満なのか?うむ、あながち間違ってもいない気がするぞ。
俺がおねーさんをよく撮るのは、年頃のキレイなおねーさんにちやほやしてもらいたいっていう切実な欲望の表れなのか?しかし、そんなおねーさんたちにだけは、仲よくしてもらえないんだなぁ・・・。偏屈な年寄り、好奇心いっぱいの子供、とっくに盛りを過ぎたおばはん、金の無い若者。そんなのばかりが俺に声を掛けてくる。どうなってるんだ、いったい全体?
読者諸君、俺は寝る。夢で逢いましょう!

2012/05/04

Post #523 つまらない写真至上主義

などと、大きく振りカブってしまったが、今日は別段力みもしないさ。
なんて言ったって、仕事が長引いて、さっき帰ってきたばかりだ。お疲れなのさ。年齢を感じるぜ。マカか凄十でも飲んだ方がイイのか?冗談じゃないぜ、笑わせるぜ。
HomeTown/Gifu
俺はよく女性の写真を撮る。女好きだと思われている。結構なことだ。
ココ日本では、好色は人間臭さをUPさせる要素の一つと捉えられている。俺も死んだら道楽院好色居士とか気の利いた戒名を付けて欲しーくらいだ。とはいえ、写真はモノクロばかりで好色には程遠いか?
俺が女性を好んで撮るわけは、女性こそ、俺の想像力(妄想力ではないはずだ・・・)をかきたててくれる存在だからだ。ということにしておいてくれないか?それに比べて、男ってのは面白みのない奴らが多いもんだねぇ。
とはいえ、極上のモデルを雇って自分のイメージに合わせた写真を撮るのは、ゴメン蒙る。俺からすると、それはそんなに面白い事とは思えない。もちろん知り合いには、そういう道楽が高じて、自宅にスタジオまで作ってしまった重病人もいるし、それを非難も批判もするつもりはない。むしろ楽しそうでいいなぁとおもっているんだ。しかし、俺向きではないのさ。俺の街では、モデル撮影をすると称して、派遣された女の子をやっちまおうとした挙句、拒まれて本当にぶっ殺しちまった変態もいたっけな。
だから、そこいらで写真を撮っているわけだ。すると、誰でもどこかで見たこのあるような、つまらない写真が出来上がる。しかし、心配ご無用、構うもんか。俺はつまらない写真至上主義者なんだ。

読者諸君、失礼する。俺には休息が必要さ。ついでに言うと潤沢な資金もね。

2012/05/03

Post #522 ダメ押しのようにつまらない写真をお送りしよう

うぅ、疲れた。世間様は休日を愉しんでいるというのに、俺は男の仕事が山場だった。立ち続けて、足が重い。勢い眠りたくもなってくるというもんだ。読者諸君、分かってくれるかな?
にもかかわらず、つまらない写真を今日もお送りしよう。
HomeTown/Nagoya
仕事に倦み疲れた俺の手元に、アマゾンから一冊の写真集が届いた。
中平卓馬『Circuration Date,Place,Events』(OSIRIS刊)だ。
これは凄い。まさに写真の極北だ。
この写真集の概要は、既にこの写真集のカバーに日本語と英語で以下のように併記されている。
『1971年、パリ。世界各国から若い芸術家たちが参加したビエンナーレを舞台に、中平卓馬は『表現とは何か」を問う実験的なプロジェクトを敢行する。「日付」と「場所」に限定された現実を無差別に記録し、ただちに再び現実へと「循環」させるその試みは、自身の写真の方法論を初めて具現化するものだった。』(Circuration カバーより)
若き日の中平は、日本代表の一人として参加したこのビエンナーレの期間中、毎日パリの町中を歩き回り、無差別にシャッターをきり、毎日200枚もの写真を現像プリントし、展示し続けた。そして、その写真を見ている人々もまた、写真におさめられ、新たな展示物として、一連の写真の中に循環されていったのだ。そして、最終的には1500枚に及んだ写真は、さまざまな事情により、中平自身の手によって、会期の終了を待たずにすべて剥ぎ取られたという。その行為自体がいかなるいきさつによるものであれ、それは写真が双方向的なメディアであり、なおかつコンセプチュアルアートにすらなりうるものだと示しているように俺には思える。

写真とは、なにか。表現とは、何か。
その根源を突き詰めていくような写真の集積。

ここには無論のこと、キレイな女の裸も、可愛らしい猫も、絵葉書のように気の利いた風景も、決定的な瞬間も、何も写されてはいない。そんなもんが何も写っていない、ただ日常目にする風景のシーケンスの集積といっても過言ではない。世間一般の写真好きの中でも、この写真集に対する評価は、ある種の踏み絵のように別れることだろう。仕方ない、可愛らしい動物の写真集やアイドルの写真集ばかりが売れる日本だ。

疲れた体を引きずるようにして帰ってきた俺は、何をさておき、この写真集をまじまじしみじみと眺め、味わった。詳しいことは近いうちにまた話そう。いや、話さないかもしれないけれど、これは凄い写真集だ。君が写真に興味があるんなら、ぜひ一度見て見て欲しい。つまらない写真がたくさん並んでいる。写真に意味などないことを、そして、何かに意味があるのなら、あらゆるものに意味があるという逆説的な何かを訴えかけてくる。語れば語るほどに、迷宮に迷い込んでいくような感覚に陥る。確かに写真の極北だ。
まぁ、ムツカシーことを抜きにして、俺はここにある意味でパンクな写真の在り方を見てしまうんだけどね。そんなの俺だけだろうけども。
さぁ、俺は風呂にゆっくりつかって疲れた体を癒やすんだ。そして、深夜もう一度、この写真集を開いてみるんだ。写真の極北は遠い。しかし、それは確かに存在する。
読者諸君、失礼するぜ。しかし、一晩に200枚もの写真を現像・プリントするなんて驚異の体力だなぁ。疲れたなんて言ってられないぜ、きっと。