2014/02/26

Post #1059

Paris
今日は休みだ。
何をして遊ぼうか?
電子レンジを買いに行かなけりゃな。昨日の夜壊れちまったらしいんだ。
仕方ない。形あるものはいつか壊れる。しかし、無いと仕事から帰って飯を食う時に、冷や飯を寂しく食う羽目になる。そいつは残念極まりないってものさ。
思えば、この電子レンジは17,8年使っていた。
当時、毎晩アルバイトに通っていた洋風居酒屋のマスターが、俺が仕事を辞めた時に呉れたんだったっけ。懐かしいな。
当時は昼間に土方仕事をし、仕事を終えるとドカジャンを着たままヴェスパに乗ってCD屋に行き、毎日のようにCDを買っていた。
そして、家に帰るとシャワーを浴びて、またまたヴェスパにのって夜のアルバイトに向かい、深夜まで厨房でピザを焼いたり、皿を洗ったりしていたっけ。

一年365日、まるっと休みの日なんてほとんどなかった。
朝の7時から夜の11時まで働いていた。働きすぎだ。
生きることに全力投球だったのだ。あんまり働き過ぎて、頭がおかしくなりそうになって、夜の仕事を辞めたんだ。
今でも、あの頃のことを思い出すと、ちょっとやそっとの苦労なんて屁でもないぜって思える。
残念なことに、若さはとっくに失われてしまったけれどな。
もっと残念なことは、懐具合も暮らしぶりも、さほど変わっていないってことさ。
さて、一眠りしよう。で、洗濯機を回してシャワーを浴び、あたらしい電子レンジを買いに行くのさ。
読者諸君、失礼する。俺はいつまでたっても、こんな素寒貧のままだ。うんざりしすぎて、笑えてくるぜ。

2014/02/25

Post #1058

Paris
我が国のお偉いさんたちは、道徳教育を国民に徹底したいらしい。
道徳ねぇ。あの節操のない利益第一主義、弱いものには強気に出て、金を持ってる大企業の皆さんには低姿勢なお偉いさんたちに、道徳を云々してほしくはないもんだぜ。しかも、それに点をつけて生徒を評価するって、本気かね?
今の政府のやり口を見てると、そのうち戦前の教科書みたいに、死んでも進軍ラッパを口から離さなかった木口小平の話が載ったりするんじゃないかと心配になるのを通り越して、滑稽な気持ちになる。
いや、新しい歴史教科書をつくる会の教科書には、木口小平はのっているらしい。冗談じゃないぜ。
俺の子供の頃にも、道徳の授業ってのはあったにはあったが、それに点をつけるなんて阿呆らしい。ますます、行いと心根の乖離した、偽善者が増えるだけさ。
形ばかり取り繕った、偽の厳粛さ。偽の正しさ。
あぁ、生理的には受け入れがたいぜ。まるで、昼間は謹厳実直な顔をして働き、仕事帰りに一杯ひっかければ、ところ構わずくだらないことを呂律の回らぬでかい声で喚き散らす、醜いおっさんのようだ。
正しいことを主張するときには、少し恥ずかしそうにした方がいいとは、俺の私淑する戦後思想の巨人・吉本隆明の言葉だ。まったくその通りだと思う。正しいことを大上段に振りかぶって主張する奴の嘘くささときたら、たまらないぜ。
健康で正しいということほど、人を非情にさせるものはないとは、俺の敬愛する金子光晴の詩の一節だ。
そもそも、頭のいい連中は、なんでも教科書に載せて教えれば、子供たちは学習してくれると思っているのだ。世間知らずも甚だしい。俺の中学高校の数学の先生は、教科書は丸めて生徒の頭を叩くものだと公言していたが、教科書なんてその程度のものさ。一流の教師は教科書なんか使って授業なんかしないものさ。この先生の生き方や、人との接し方に、俺は多くのことを学んだ。俺の先生は超一流だったってことだ。残念ながら、数学はモノにはならなかったがね。

俺は道徳の授業よりも、子供のころに見たアニメや特撮番組で、道徳というか倫理のようなものを身に着けたと思っている。

もっともシンプルに道徳について述べてみろと言われたら、即座にこう答えよう。
『自分がされて嫌なことは、人にしちゃいけないぜ。』
意外とこれは難しい。実はこの言葉は孔子の言葉の受け売りだ。『汝の欲せざるところ、人に施すなかれ』という奴だ。
これが出来たら、まぁ上出来だ。しかしまぁ、俺が嫌じゃないことも、他人には我慢できないってことも往々にあるんだけどな。難しいものさ。

読者諸君、失礼する。道徳とか倫理なんてものは、生きていく中で実地で身に着けるもので、学校で押し付けるようにして教えて、知識として得点化するなんてのは、愚の骨頂さ。まぁ、頭のいいだけの奴が思いつきそうなことだけどな。

2014/02/24

Post #1057

Dubrovnik,Croatia
ウクライナの情勢に注目しています。
ウクライナは、美人の産地として有名ですが、その秘密は長い歴史の間に、さまざまな民族が交錯混血してきたところにあるかもしれません。
紀元前にはスキタイ人が割拠し、古代にはバルト海沿岸からヴァリャークと呼ばれるバイキングが黒海へと抜ける交易路を開くために入植し、国を築きました。いわゆるルーシ国家です。その後にモンゴル人には蹂躙され、ポーランドの支配をうけたりもしました。
さまざまな民族がまじりあって、今日のウクライナ人を形作っていることでしょう。単に、親ロシアの東部と、親ヨーロッパの西部という図式だけでは割り切れないものがあると思います。
ウクライナの今後に興味津々です。
民主主義ってのは、フランス革命以来、騒乱暴動と表裏一体で勝ち取られてきたように思えます。共産圏の崩壊なんかは、中年の俺には生々しい記憶として残っています。もちろん、一面的な見方であるのは承知してますけどね。
俺がウクライナ人だったとしたら、きっとせっせと火炎瓶を投げたりしていたことでしょう。いや、ひょっとするとかなりの常識人のうちのカミさんにこっぴどく叱られて、しゅんとなっていたかもしれません。
権力を持った一握りの人たちが、その権力をそうやすやすと庶民大衆に投げ出すわけはありません。短絡的な見方であることは承知の上で言わせてもらえば、庶民大衆が、自ら立ち上がって、権力者を放逐するところに、民主主義のダイナミズムが発露するように、思います。民主主義の特異点であり、ビッグバンのようなものです。
さまざまな思惑を持った大衆の寄せ集めの民主主義ですから、そこから先はそう簡単には物事は進みませんが、それでも大衆は自らの手で選択することができるようになるわけです。もっとも、エジプトみたいになかなかうまく進まない例も多々あることでしょうが。
それでも、民主主義はろくでもない社会の仕組みの中では、最もマシなものだと思います。
だから、ウクライナの今後の情勢から、目が離せない俺なのさ。

国家のために国民が存在しているわけではありません。
国民のために、国家という契約が存在しているだけです。

読者諸君、失礼する。けれど、この日本では、決して革命は起きないだろうな。どんなに人々の間に社会に対する不満があっても。この日本じゃ、ピザに農薬を混ぜたり、繁華街に車を突っ込ませたりするだけで、何も変わらないのさ。