2014/03/27

Post #1087

Praha.Czech
こいつは、なんとなくウィリアム・クラインのパリとか撮った写真とか、或いはどこか寓意に満ちたボブ・ディランの歌のような雰囲気が感じられるんで、俺としては結構気に入っている写真だ。

肌を覆ったイスラム教徒の女性たちは、折からの暑さに水を求めている。旅先くらいはもっと涼しげな服装でもよさそうなものなのに、彼女たちはアッラーより与えられた戒律を律儀に守り通している。
その背後でグリーンベレーを思わせるベレー帽をかぶったマッチョな男性と、その妻と思しき年配のご婦人は観光客だろうか。どこか保守的な香りがする。
対して、フランス人ぽい右手のご婦人には、その表情や雰囲気になんとなくリベラルな軽やかさが感じられる。
人間の文化はさまざまだ。異なる文化の人間が集まるところ、それを国際都市というのだと思い至る。

中世以来の重厚な建物の前に、そっけないほど現代的なミニバス。
MĒSTSKĀ(都市)と記されたミニバスのボンネットに上半身をゆだねる青年は、人々の流れを目で追っている。彼は世界中から集まった観光客の織り成す流れの中で、浮かれることなく、新たな客を物色しているのだろうか。今日の糧を得るために。

それらのイメージは、中央の天使に扮した大道芸人を軸にして収斂しているんだ。
この道化師は宗教的なイメージをまといながら、それを茶化しているかのようだ。
この道化の存在で、歴史ある国際都市が祝祭空間に変容しているかのようだ。

なによりも、どいつもこいつもてんでバラバラな方向を向いているのがいい。
全員が一つの方向を向いている全体主義の社会なんて、俺は御免蒙る。

世界は多様性に満ちている方がいい。
少なくとも、俺はそう思う。
そして、違うものが違いを認めながらも、それ以上に相似たところを見出し、それぞれの存在を冒すことなく共存できたなら、それは最高だ。
ポメラニアンとドーベルマンが、その姿やサイズの違いにも関わらず、同じ『犬』という種に属し、同じ遺伝子を持っているかのようにね。

読者諸君、失礼する。自分の写真の絵解きをするのは、性に合わないけれど、今日はあえてチャレンジしてみたよ。この一枚の写真を、君たちにさらりと流されるのは嫌だったんでね。

2014/03/26

Post #1086

Dubrovnik,Croatia
ここんところ、また西井一夫の写真論集ばかり読んでいる。
写真について学ぶべきことは、すべて西井一夫が語り残しているようにも思える。
なかでも、すでに10年以上前に亡くなった西井一夫が、あたかも遺書のように遺してくれた『20世紀写真論・終章』は、写真にたずさわる者なら、一読に値する。
その序文から一節引用しよう。

『この本で私が希望しているのは、写真をはじめた人が知ってほしい写真の常識や教養をこれを素材に学んでほしい、ということだ。
写真は、押せば写る、という機械の結果なのではない。
カメラは、いや、フィルムは確かに物事の表面に反射した光を届いたかぎりですべて受容する。
しかし、レンズが取り込む光は、どこに向けるかで受容する範囲も違えば、絞りによって取り込む光量も違う。
さらにモノクロの場合とくに、暗室作業という手作業が介在することで、写真家が見せる領域を潰したり、あえて明るくしたりの、手心を加えることが可能だ。
そういう、写真の構造性をよく知ったうえでカメラを操作することが大切だ。
そのためには、写真という技術が生み出された時代の裏側、社会的・芸術的・歴史的・人類学的背景を常識として知っていただきたいと切望する。』
(西井一夫『20世紀写真論・終章』より)

携帯電話にカメラが付き、あまねくすべての人々が、瞬時に世界に対して自分の撮った写真を発信しうる現在において、このような『常識』というのは、すでに時代遅れのものなのかもしれない。
しかし、意識的に自ら写真にたずさわってゆくことを選択した以上は、それを不断に自身のなかに折りこんでゆき、意識してゆかねばならないと思う。

読者諸君、失礼する。

2014/03/25

Post #1085

Praha,Czech
今夜は久しぶりに仕事だ。
仕事前に、昼から3時間くらいかけてフィルムを一本やっつけてきた。
プリント17カット。クロアチアの首都ザグレブでのスナップだ。
う~ん、こんなもんかなぁって感じだ。時間を気にしながらだと、集中力がなくなっていけねぇ。
しかし、寸暇を惜しんでやっていかないと、俺の人生が終わってしまう。考えると憂鬱になるのさ。
今夜は去年の夏に、プラハで撮った黒人の青年の写真をお送りしよう。
こいつ、スゲー感覚の鋭い奴で、歩きながらシャッターを切ったんだけど、シャッター音を聞きつけたのか、HEY!HEY,YOU!とか言って俺の事追っかけてきて、スゲー形相で『お前、いま俺の写真撮っただろう!なに、撮ってないだと?そんなわけあるか!もし撮ってたら、お前のことを殺す!』って怒り狂ってたんだよな。
写真一枚撮るだけで、殺されちまったらたまらねぇよな、まったく。
しかし、黒人ってのはどうにも敏感だ。池袋の小娘と同じくらいシャッター音に敏感だ。
今までに、地元でも、パリでも黒人に、貴様いま俺の写真撮っただろうって凄まれたことがあるんだよな。
いつも黒人ばっかりだ。
人種差別する気はないけれど、やはり感覚が鋭敏なのか?
だいたいどうしてプラハに黒人がうじゃうじゃいるんだ?
それも水兵の格好してる奴ばかりだ。
どいつもこいつも黒人は、ヴルタヴァ河のボートクルーズで働いてるのか?
俺はいつしか黒人を見ると、身構えるようになっちまったんだよね。
また、写真撮っただろう!ってキレられたらたまらないからな。

読者諸君、失礼する。身体能力を向上させないと、世界とは渡り合えんということか。