2014/04/29

Post #1120

台北、永康街
世界に対峙して、無力感にまみれるのではなく、自分自身が無力であることを受け入れること。
この二つは似ているようで、まったく違う。ズバリと説明しにくいけれど。
徹底的に絶望すること。そうすれば、あとは希望しかない。アントニオ猪木の風車の理論だ。
読者諸君、失礼致す。よい連休を過ごしてくれたまえ。

2014/04/28

Post #1119

台北
本日、疲労困憊につき、写真のみ。だからといって、くそ仕事をすっぽかす訳にもいかない。俺には男の矜持があるのだ。
読者諸君、失礼する。とはいえ、頼むからゆっくり眠らせてくれ・・・。

2014/04/27

Post #1118

Essaouira,Morocco
本屋の写真コーナーに行くと、ネコの写真集ばかり売っている。
あれには、いつも苦々しく思っている。

どうして、作家性のある写真家の写真集がおいていないのか。
答、そんなもの世間一般ピープルは見たいなんて思わないから。

初めて行った本屋で、写真集のコーナーを探すと、アイドルの写真集ばかりだったりする。
おかげで、さほど親しくない人と話していて、自分が写真集をたくさん持っているというと、一瞬、変態キモオタを見るような目で見られる。
どうして写真集というと、誰もかれもそっちの方面のものばかり思いつくのか?
答、若くて魅力的な女のおっぱいのほうが、意味の分かりにくいスナップショットよりも魅力的だから。

ネコの写真集も、アイドルの写真集も、人間が、こういう写真が見たい、ネコはかく在れかし、小娘アイドルのセミヌードや水着写真はかく在れかし、と願うままのものが写っている。
そういう意味では、俺には退屈きわまりない、いかにも絵葉書になりそうな風景写真だの、美しい花の写真集だのと同じ文脈のものであるといえようか。

それらの写真集からは、何の発見もない。あるのは、人々の欲望に形を与えた姿だけだ。

はぁ、癒しだと?
勝手に癒されてろ。そんなの精神のマスターベーションだわ!

世間一般では、写真なんてそんな程度のものにしか思われていない。要は精神のマスターベーションのための、ずりネタだってことだ。

それはつまり、少なくとも、この日本の国では、さんざん偉そうなこと言っても、写真そのものを文化として扱うという文化的な態度が、まったく無いということだ。
読者諸君、失礼する。要は土人ってことだ。