2014/06/02

Post #1154

根尾村水鳥
昨今の日本では、葬儀はなんとか会館とかいう葬儀屋の斎場で行われるのがフツーだが、そこは全然違っていた。
部落中が親戚同然のその一帯では、葬儀はそれぞれの家で行われる。
葬儀屋は、司会進行と棺桶と祭壇を用意するくらいだ。霊柩車すら使わない。
死者の家は、近隣の皆さんが夜通し作った切り紙で荘厳される。
どの家も皆、部落にある浄土真宗の檀家なのだ。きっと何百年もそういうしきたりが続いてきたのだろう。
かつて、日本には村八分という言葉があった。つまり火事と葬式だけは除いて、部落内の付き合いをしないという断絶状態だ。つまり、一種の差別だな。
ここにきて、火事はともかく、どうして葬式が除かれていたのかが、俺にはなんとなくわかった。
とんでもなく、手間がかかるのだ。
そして、死は、現代日本の大抵の暮らしのなかでは、極力目に触れないように慎重に扱われているが、そこでは、日常の延長にポンと置かれているように思える。
読者諸君、失礼する。俺も君も、いつかは死んでしまう。これだけは確かなことだぜ。

2014/06/01

Post #1153

根尾村水鳥地区
今回から、ある山村の葬儀をドキュメント風にお送りしよう。
うちのカミサンのおじさんが死んだという連絡が入り、俺たちはその山村に向かった。

読者諸君、失礼する。体調を崩しており、長々文章を書く気力がないのだ。

2014/05/31

Post #1152

Zagreb,Croatia
仕事と称して暇潰し。
仕事の合間に携帯からUPしようか。
ザグレブの街角で、弾き語るオジサン。しかし、弾き語るというよりは、シャウトしてるんだな、これが。
日本では、街角でギターを弾いてるのは、若者と相場がきまっている。こんなオジサンが路上でシャウトしてるのは、日本ではちょいとお目にかかれないぜ。わが国ではオジサンがそんなことしてたら、早速家族から『いい年して、恥ずかしい』と言われたり、周囲から胡散臭い人だと思われてしまう。まぁ、本人が本当にやりたいのなら、周囲の皆さんの健全かつ、つまらない意見など、まったくもって聞く必要なんかないのだが。
なにせ人生は一回こっきりだ。やりたいことをやりたいようにやるのが、イイんだ。世間とかいう得体のしれない空気のようなものに、微塵も遠慮することはないのさ。
だから、街角でギターを鳴らして、シャウトするおっちゃんの姿は、実にいいもんだ。
しかし、よく見るとおっちゃんの前にはギターケースが口を開けている。なかには小銭が光ってる。
そう、きっとこのオッチャンにとって、その営みは、生業なのだ。
やりたくない仕事にすらありつけず、致し方なく真っ昼間から、ギターを鳴らしてシャウトしているに違いない。
人生は甘くないってこった。
だからこそ、駅前でギターを弾き語ってる坊っちゃん嬢ちゃんと違って、その姿にグッと惹かれるわけなんだか。
何を歌っていたのか。さっぱり覚えちゃいないけど、その姿からはブルースが滲み出ているのさ。ブルースのない人生は、ヤニのないタバコのようなものさ。

読者諸君、失礼する。明日からはまたあたらしいシリーズをお送りしよう。刮目して待て!