2014/11/11

Post #1315

母と娘。Lagankhel,Patan,Kathmandu,Nepal
TVのニュースで、中国人の女性二人組が、酔っ払ってATMで金をおろしているおっさんに、いきなりキスして、そのどさくさに紛れて金を奪うという面白い事件が報じられていた。女性は30歳と27歳。充分に女盛りだが、45歳の中年真っ盛りの俺には、十分に若いと言えるだろう。被害者のおっさんは49歳だ。なおさらだな。
こんな珍妙な事件、やる方もやる方だが、やられる方もやられる方だな。

一言で切って捨てれば、不覚だ。

だいたい、女性が自分に近寄ってきたら、自分自身に男性的な魅力があって、それに惹かれて近寄ってきたんだと、心の片隅にでも思い、脇が甘くなるようでは、自分のことを買い被りすぎだというものだ。
俺なら、若い女性が意味もなく近寄ってきたら、俺を誑かそうとしてるとしか考えないだろう。
何故って、45歳の俺自身には、自分よりずいぶん若い女性にアピールするような魅力は、1ミクロンもないとわかっているんだ。
だいたい俺に声をかけてくる女性なんてのは、いつだって、行きつけのスーパーだのコンビニだのホームセンターなんかのレジを打ってるようなおばさんで、生理なんてとっくに卒業しちまったであろう熟女も熟女超熟女ばかりだからだ。
何故だか俺は、人生経験豊富なおばちゃんにはウケがイイようだ。彼女たちはそれぞれの人生経験を通じて、俺の得体のしれない良さが、それは俺自身にもよくわからないものではあるが、解かるんだろう。
いや、そういうことにしておこう。その方が、話としては面白い。

しかし、その一方で若い女性に対してアピールするようなものは、何一つ持ち合わせてはいない。
若い女性が、俺の防空識別圏に入ったら、速攻で撃墜か、もしくは回避行動をとるだろう。
何故って、若くて魅力的な女性が興味を示すようなもの、たとえば見栄えのいいルックスとか、気遣いだのやさしさだのや、彼女たちが興味を持っていそうな話題や、財布の中で唸りをあげてる札束とかを、見事なまでに持ち合わせていない俺に、そんなのが近づいてきたら、それは絶対に俺を陥れて、俺のなけなしの金を搾り取ろうとする奴等だって確信できるからだ。
なにしろ風俗の呼び込みだって、俺には声をかけないんだぜ。

だから、酔っ払って若い女に言い寄られてデレデレするような真似は、自殺行為だ。
俺はそこまで己惚れちゃいないぜ。

仕事でも、俺はやたら褒められると、こいつらは俺をおだてて上手いこと利用しようとしてるんじゃないのかって、まずは疑ってみることにしてるのさ。自分自身が、自分の仕事に対して、まだまだ不満があるからな。自分のレベルは自分が一番よく知っているのさ。

読者諸君、失礼させてもらうぜ。いい年こいて魅力のない男というのも、なかなかに寂しいものだなぁ。

2014/11/10

Post #1314

Lagankhel,Patan,Kathmandu,Nepal
そこは、はっきり言ってゴミの山だった。
パタンのバスターミナル、ラガンケルでは、悪臭立ち込めるゴミがうずたかく積まれている。
その山の向こうには、日本で言うところのぼろぼろのマイクロバスがひっきりなしにクラクションを鳴らしながら、押し合い圧し合いしている。
どのバスが、どの町に行くものなのか、さっぱりわからない。
行先ごとのバスのレーンもない。
適当なところで停まり、極限まで詰め込まれた乗客は吐き出される。
そして、そのバスの後ろに着いたバスは、進路を阻まれ、クラクションを鳴らし続ける。
砂埃が舞い、思わず目をつぶる。
風が吹けば、何とも形容しがたいゴミの臭いが鼻をつく。
道行く人々は、思わず鼻をつまむ。
しかし、この膨大なゴミを生み出したのは、他ならぬ当の本人たちなんだから困ったものだ。
そして、そのすぐ横で、人々は果物や野菜やナマズのような魚を、日用品を、声をからして売り、また、買い求める。
ひとことでこの場所を表現すれば、混沌そのものだ。

日本には、こんな場所は絶対にないだろう。

けれど、これほどまでに人間の生きる業がむき出しになっている場所も、単純な欲望のエネルギーが迸っている場所も、日本には無いように思える。
俺は世界中で、日本ほどきれいな場所を見たことがない。
町並みまで抗菌処理されているんじゃないかって思えてくるほどさ。
けれど、それが面白いと思えたことは、実は俺、いままで一度もないんだ。

人間の口臭や体臭が、ゴミと排ガスの臭いと交じり風に乗って漂うところ。
怒号や嬌声が、クラクションの騒音と響きあうところ。

今日も俺は、そんな場所を夢見るように、懐かしく思い返す。

読者諸君、失礼する。君にももっと見せてあげたいよ、俺の見てきた風景を。

2014/11/09

Post #1313

Patan,Kathmandu,Nepal
今から25年前、ベルリンの壁が崩壊した。
覚えているかい?知っているかい?
まさに歴史が動いた日だ。名もない多くの人々の力で歴史が大きく動いた瞬間だったんだ。
共産主義と資本主義というイデオロギーによって分断されていた世界が、一つになると思えた最初の瞬間だった。
以来、25年。共産主義国家と資本主義国家の間の冷戦構造と、俺たちが子供のころ世界をくまなく覆っていた核戦争の恐怖は、多くの社会主義国家の消滅によって、地球上から払しょくされた。
けれど、それはまるでパンドラの箱を開けたかのように、単に新たな分断と問題を世に解き放っただけだったのかもしれない。どうやら俺たちは楽天的過ぎたのさ。
イデオロギーという枷を失った俺たち人類は、民族や宗教によって、あるいはまたインターネットの普及と歩調を合わせて拡大し、世界中を席巻蹂躙するグローバル経済とやらによって、またそれによって生じた新たな貧富の差によって、細かく分断されている。
世界中で、右傾化が進んでいる。
原理主義的で排他的な宗教が人々を魅了している。
このお気楽な無責任主義国家日本でも、排外主義的な言説が人々の耳に心地よく響き始めている。
誰もが、他と違うことによってのみ、自己を確立しようとしている。

おい、どうなってるんだ?
21世紀にもなれば、平和な時代が来ると俺は思っていたんだけどな。俺はとんでも呑気な頓馬野郎だったってことさ。
どうにもこの4分の一世紀、俺たちは間違った道を歩んできてるんじゃないのか?

俺たちは、もっと自分と違う価値観を持った連中に対して、寛容になったほうがいいぜ。
どんな場合だって、喧嘩腰じゃ何もすすまないんだ。
話し合えばきっと分かり合えることも、罵り合ったとたんに、すぐに殴り合いに発展するだろうよ。
ましてや相手が自分と全く異なる存在だなんて思っているんなら、手っ取り早くぶっ殺すほうが、簡単に物事が解決できると思うことだろう。
けれど、それは何の解決にもなりはしないんだ。憎しみと殺し合いの連鎖が続いていくだけさ。
それは人類の歴史が証明していることだ。
いい加減、俺たちは長い歴史から学んで、もう少し賢くなるべきだ。

いいかい?例え言葉が通じなくても、民族や宗教や肌の色が違っても、お互いを理解しようと努めて、話し合い、互いを受け入れていかないと、人間に未来はないんだぜ。
もっと寛容になろうぜ。お互いに抱いてる先入観を捨てて、仲よくしていくことができるはずさ。25年前の東西ベルリン市民のようにね。

読者諸君、失礼する。25年前、未来に対して抱いた期待が、結局さらなる諍いの序章だったなんてことには、なってほしくはない俺なのさ。