2015/03/02

Post #1426

Fes,Morocco
昨日は仕事が休みだったので、美容院に行って髪をきった以外は、ひたすら眠って暮らした。
こう見えても、俺は疲れ果ててるんだ。くたくたなのさ。
だから、何も言うべきことはありゃしない俺なのさ。

よって、今夜はこの写真だけ、そっと君に届けよう。

読者諸君、失礼する。顔パックしたいからとっとと止めてくれと言われてるんだ。

2015/03/01

Post #1425

Rabat,Morocco
イスラム国に捕らえられた人質を、ナイフで処刑し、世界中を震え上がらせたジハーディ・ジョンの身元が公表された。後藤健二さんや湯川遥菜さんを殺した黒づくめのアイツのことだ。まさか君、忘れちゃいないだろう?

新聞その他の報道によれば、クェート生まれ、ロンドン西部郊外で、裕福な家庭に育ったコンピューター・プログラマー、『ムハンマド・エムワジ』がその正体だという。イギリスの諜報機関MI5は以前から彼をマークしていたのだという。
毎度おなじみ朝日新聞で知ったのだが、関連ニュースをいろいろと見ていると、一番興味深かったのは、下にリンクを貼ったテレグラフ紙のものだ。
telegraph.co.uk/Jihadi John From ordinary schoolboy to worlds most wanted man.html
この記事の中で、エムワジの学生時代の友人が、彼のことを想い出して『彼は典型的な北西ロンドンの少年だった。彼は分別のある、謙虚な人柄だった。サッカーが好きで誰とでも友人だった。そう、インド人やパキスタン人など、宗教の違う人々とも仲が良かった・・。』と言う趣旨の発言していることが目を引いた。
それが今や、世界一のお尋ね者だ。解からないものだ。彼を非難するのは容易いが、俺はむしろ、その解からなさに目を向けてみたい。心の闇というのは簡単だが、それでは、自分には闇は微塵もないかのように、仮想の線を引いてしまうことになりかねない。

人間は、閉じた環境の中に飛び込んでしまうと、どんどん先鋭化してしまう。

若いころ、カルトな宗教に飛び込んで、行者として人にはあんまり言えないことを散々してきた俺が言うのだから、間違いない。
市民社会の常識も、法も倫理も、自分が属する閉じた社会特有の考え方が優先されるのだ。そして、そこから抜けるという選択肢がない(イスラム国は脱退は死刑だと聴いたことがある)のなら、より先鋭化した考えを持ち、より過激な行動に出たものが、称賛され、組織内での地位を確立してゆくというのは、十二分に理解できる気がする。
そして、そういう状況は、何もイスラム国のような狂信的な集団だけに見られるものではなく、往々にして熱狂的な興奮に包まれた国家から、そこいらの宗教団体、政治団体、果ては一般的な企業に到るまで、程度の違いはあれ、容易に起こりうる、いや、今もおこっている事柄なのだ。

俺が、組織というのもに馴染めず、どこかそれは俺自身を絡め取ろうとするものだと感じるのは、そこなんだ。
社会一般の常識よりも、組織内の常識の方が優先される不思議な状況が、いつだって生み出される。気が付くと、イイことをしてるつもりで、とんでもないことの片棒を担いでいたり、自分自身を抑圧圧殺する方向に、自分から自分を追いやったりすることになるものだ。

では、どうするか。

一つには、インディペンデントに生きるということが必要になってくる。あくまで、個として社会に対峙するという確固たる意思を持つべきなんだ。
もう一つには、閉じた社会の非常識を常識と思いこまされることのないような知性、教養、思想、信条を身に着ける必要があるということだ。
もちろん、この二つはコインの裏と表のようなもので、意思だけでは偏固になり、教養だけでは高慢に陥るというもんだ。

俺は、25歳で宗教団体から命からがら夜逃げして、いまの暮らしを始めたときから、もう二度と無知蒙昧に陥るまいとして、さまざまな本を読んできた。歴史、経済、民族学、宗教学、哲学、文学などなどだ。時にはこっそりエッチな本も読んできた。バランス感覚は必要だ。そして、自分なりに世界というものに対するイメージとスタンスを確立しようとして努めてきたつもりだ。
だからどうした、自慢かよ?って訊かれると、そうじゃないって言うしかないんだが。
つまり、自分なりの社会に対する確固たるスタンスを持たねば、容易にあやふやな自己など、大義名分に飲み込まれてしまうことになるっていうはなしだ。
だからと言って、社会と対峙するのに、より小さく過激な集団によって行うのは、ある意味で個としての弱さに他ならないようにも思える。

俺は思うのさ。
俺たちは誰だって、後藤健二さんになりかねなかったし、湯川遥菜さんにもなりかねなかった。
そしてまた、ジハーディ・ジョンにだって、なっていたかもしれなかったんだって。全ては機会と縁の問題で、たまたま俺にはその縁も機会もなかっただけのことに過ぎないって。

親鸞聖人は歎異抄のなかで『俺の心がよくって、人を殺さないって訳じゃないんだ。ただ、その縁がたまたま無いから殺さないだけなんだ』って言っているけれど、人間なんてのは、まったくその通りのもので、ジハーディ・ジョンを俺たちとは全く違った怪物か化け物のように思ってはいけない。
彼もまた、一人の人間に過ぎないってことが、俺にはよくわかった。
彼を冷酷で非情なモンスターだと認識することは、ある意味で思考停止だと俺には思えるのさ。もちろん、彼を擁護したり称賛したりする気はさらさらありゃしないんだがね。

読者諸君、失礼する。今夜ももちろん仕事をしてるのさ。

2015/02/28

Post #1424

Kathmandu,Nepal
毎度毎度のことながら、自民党の閣僚の金にまつわる不祥事が続いている。
むしろ、法の目をかいくぐって金を集めたりしていないようでは、自民党の政治家にはなれないんじゃなかろうかと思えるぜ。
政治には金がかかるということは、分からなくもないのだが、何のために国民から集めた税金のなかから、政党助成金なるものが、受け取りを固辞している共産党以外の各政党に与えられているというのか?

だいたい、この国の人々は政治家に甘すぎる。人のうわさも75日という国民性のなせる業かどうか知らないが、結局のところ言論人たちの追及が中途半端なんだろう。いつだって白黒つけるところまで行きつかない。いつだってグレーだ。

政治資金に関する報告書だって、領収書はおろか、適当な記帳記載でも許されてしまうんだ。
いうならば、白色申告だ。領収書も帳簿もいらない自己申告だ。

俺のような零細企業の経営者が、税務署に書類を出す際には、当然青色申告だ。
一円単位まで帳簿をしっかり作り、貸借対照表、損益計算書をつくって帳尻を合わせ、それに基づいて納税書類を作成しなきゃならないんだ。

どうして、政治家のセンセーがたには、そういう面倒な作業がないのか?
何故って、奴らはしょせんルールを作る側だからな。

この国では、政治家というのは世襲の貴族階級のことを指している。
世襲の貴族の子弟は、一万円の純利益を稼ぐ苦労を知らないだろう。
世襲の貴族の子弟は、自分たちは特別だと信じていることだろう。
世襲の貴族の子弟だからといって、国民の模範になる振る舞いを求められるわけではない。
世襲の貴族の子弟だからという理由だけで、選挙にでて、当選し、特権を享受することが出来るのさ。

今日の日本には、ノブレス・オブリュージュ、すなわち『高貴な者は義務を負う』という見識は存在しないんだ、残念ながら・・・。

毎度毎度、阿呆らしくていちいち突っ込む気にもならないが、これもうがった見方をすれば、いつもやっていれば、国民はだれも気にしなくなるので、ばれなきゃいくらやっても構わないし、よしんばばれたとしても、議員辞職に追い込まれて、おまんまの食い上げになるというものでもないので、どうってことない、という状況に持っていこうとしているのでは、なかろうか?

いや、待てよ・・・。それはもうその通りの状況になっているじゃないか?

小渕優子なんか、あれだけ世間に叩かれたのに、昨年末の選挙で堂々とトップ当選だ。HDにドリルで穴まであけて証拠隠滅を図っていたという悪質さだったが、国民は真相を究明することよりも、彼女を赦すことを選んだ。

阿呆じゃないか?

その後、真相は究明されたのかい?
寡聞にして俺は知らないんだがね。
金の不祥事がばれても、大臣を辞めれば、何の問題もないというのかい?
普通の会社員なら、懲戒解雇だろう?
普通そうなったら、何年間かはなかなかに苦労することになるんじゃないのか?

ニンゲン、缶コーヒー一本おごられたって、相手に対して感謝の念なり負い目なりを感じてしまうというのに、何百万ももらっておいて、何の負い目も感じないって本当かい?
それが本当なら、よほど相手のために骨を折ってやったってことじゃないのか?
それとも、よほど面の皮が分厚いのか?

いい加減、俺たちはもっと真っ当な感覚で政治家を選ぶようにしないといけないんじゃないか?
いまのままじゃ、江戸時代の農民以下だぜ。
なにしろ、奴らはいざとなれば一揆を起こして、命がけで異議申し立てをしていたんだからな。

このままじゃ、憲法だって大きな議論がなされることもなく、なんとなく変えられて、政治家の都合のいいようなものにされちまうぜ。

言っておくけれど憲法ってのは、他の法律とは全く性格が違う特殊な法なんだぜ。
国家の主権者たる国民の名のもとに、立法、行政、司法はどうあるべきかを定めたものだろう。
もっとひらたく言うならば、政府が暴走して、国民を不幸にしないようにするための安全装置なんだ。
それを、政治家の発案で変えることを目指しているというのは、俺に言わせればそれこそ横暴で僭越だ。

この国の主は、天皇陛下ではない。それは昭和20年8月15日までの話だ。
現在、この国の主権者は、われわれ国民一人一人のはずだ。
自民党の皆さんは、天皇陛下を我が国の象徴から、再び国家元首に祭り上げようとしているのだ。皇族方が折に触れて、現在の憲法を尊重すべきであると、おっしゃっておいでなのにもかかわらずな。

読者諸君、失礼する。書いているうちに、実は今の状況は、非常にマズイんじゃないかって、再認識してきたよ。目を覚ませ!