2015/03/11

Post #1435

Praha,Czech
全ての日付に、何らかの意味がある。

誰かの生まれた日であり、誰かの死んでいった日でもある。
そして、忘れてはいけないことが起こった日でもある。


昨日は東京大空襲から70年だった。
アメリカ軍の大空襲によって、東京では10万人ともいわれる犠牲者が出た。
文字通り、焦土と化し、数多の焼死体が打ち捨てられていたという。
その局面だけを見れば、日本は被害者のように見えるけれど、中国や東南アジアで日本人が行った蛮行も、負けず劣らずだ。
俺たちは誰しも、過去から目を背けることはできない。


今日はあの震災から4年だ。

ほんとうに多くの方が亡くなった。
津波に追われ飲み込まれる人々の映像を、俺は忘れることが出来ない。
大切な人を亡くし、人生の喜びを失った人がいる。
未だに行方のわからない方もいる。

原子力発電所が爆発した日を忘れることが出来ない。
日本は、ほんとうに終わったと思った。
そして、未だに自分の家に帰ることすらできない人がいる。

仕事を、家庭を、友人を、家族を、故郷を失ってしまった多くの人たちがいる。
寂しさの中で、独りひっそりと死んでゆく人たちは今も絶えない。

そして、それに対して何もなしえない無力な自分がいる。

自分の生活で精一杯の無力な俺なのだ。
赦してほしい。
恥ずかしいことだ。

そんな状況なのに、政府は原子力をガンガン推進している。
そんな状況なのに、オリンピックのお祭り騒ぎで景気浮揚を図ろうとしている。
そんな状況に便乗して、日本全国で、わけの判らないことに税金は使われ続けている。

福島の惨状を見て、原子力発電から撤退を決めたドイツから、メルケル首相がやってきている。
彼我の政治家の、見識、理念、行動力、そしてあらゆる素質のレベルの違いに、暗澹たる気持ちにならざるを得ない。
過去の過ちを直視し、進むべき未来を指し示し、人々の弱さや悲しみに寄り添ってくれるような政治家は、日本には現れないのだろうか。
全てを政治のせいにすることは、間違いなのはわかってるさ。
わかってはいるけれど・・・。

読者諸君、失礼する。今日は少し控え目にしておくことにするよ。
RIP

2015/03/10

Post #1434

Istanbul,Turk
俺は別に、善人だと思われたくって毎日こんなことやってるわけじゃないんだ。
俺は自分が善人にも悪人にもなりきれない、非善非悪の中途半端な男だってわかっている。
解かっているけれど、自分に対して、こうあるべきだと思うことは、やらずにはいられない。
でないと、俺は俺じゃなくなってしまうんだ。
いつだって、君たちに恥ずかしくないゴールデン・ハートの漢でいたいのさ。

さて、今日も昨日の続きだ。イスラームについてもう少し突っ込んでみよう。
今日はその成り立ちだ。

イスラームは一人の預言者によって打ち建てられた宗教だ。

その預言者の名はムハンマド。西暦567年から572年頃に、メッカで生まれた彼は、その地を治めていたクライシュ族の有力氏族の一員だった。6歳で両親を失うが、祖父や叔父の手で育てられ、25歳で裕福な寡婦ハディージャの使用人になり、数年後彼女と歳の差を押して結婚した。

当時のメッカは、昨日も少しふれたセム族的多神教世界にどっぷりで、アッラーは世界を創造した神とされてはいたが、人々からあまり祀られていない神だったようだ。
今日もイスラームの聖地とされるメッカには、カァバの聖所があり、その一角には天から降ってきたとされる黒い石がはめ込まれている。

西暦610年頃、ムハンマドに神からの最初の啓示が降る。
伝承によれば、啓示に先立つ長い間、彼は洞窟や人里離れた場所で、修行を行っていたという。
この行いは、アラビア土着の多神教世界では異質なものだったという。ムハンマドは、各地を旅した折に、キリスト教修道僧の評判を聞いたり、直接会ったりして、彼らが行っていた祈りや瞑想に強い印象を受けていたのだと推測されている。
また、メッカには当時、多くのユダヤ人も暮らしており、その習慣や儀式も広く知られていたという。

最初の啓示について、クルアーンは次のように伝えている。
『力を持てる者(天使ジブリール)が威厳に満ちて立った。その時彼(ジブリール)は地平の最も高い所におられた。それから近づいてきたが、空中に浮いたままであった。(中略)そして僕(しもべ=ムハンマド)に、その啓示を示された。』

天使ジブリールは、神とムハンマドの仲介者なのだが、このジブリールというのは、実はキリスト教やユダヤ教にも登場する。ジブリールとは大天使ガブリエルのアラビア語読みなのだ。
ここにも、イスラームとキリスト教、ユダヤ教の近しさを見ることが出来る。
実際に、イスラーム教では、モーゼはムーサー、イエスはイーサーとして語られ、ムハンマドへと続く預言者の系譜に連ねられている。
ムハンマドは、多神教世界からアッラーを切り離し、アブラハム以来の宗教的伝統の中にイスラームを統合しようとしたのだ。

伝承では、アラビア人ってのは、アブラハムの子孫だとされている。
アブラハムは80過ぎて子供がなく、当時75歳だった妻のサラは、若いエジプト人女奴隷のハガルをアブラハムにすすめた。
そうしてハガルから生まれたのがイシュマエル(アラビア語ではイスマーイール)だ。
後に正妻のサラに、彼女が90歳を超えていたにも関わらず、子供が出来る。アブラハム自身もそんなことあるわけないって笑ったのにもかかわらず、神は出来る!と断言したので、出来ちまったわけだ。それなら、俺もまだまだ子供を作ることが出来る気がするぜ。まぁ、こうしてできたのが有名なイサクだ。
このため、ハガルとイスマエルはアブラハムの元を追われ、新しい部族を打ち建て、その子孫がアラビア人になったと伝承されている。

ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラーム教は俺たち日本人には解かりにくいけれど、実はいとこ同士みたいな宗教なわけだ。現在もなお、この3つの宗教を指して、『アブラハムの宗教』と呼ぶ。

三年ほどの間、ムハンマドはその妻ハディージャとその他数人にしか神の啓示を伝えなかった。
612年、ムハンマドは啓示を公にするよう命をうける。
『神(=アッラー)よりほかに神はなし!』とムハンマドは宣言することとなった。とはいえ、この時点ではムハンマドは、新しい宗教を打ち建てるつもりはなかった。彼はただ、仲間の市民を『目覚め』させ、アッラーのみを崇拝するように説得したかったに過ぎないのだという。
というのも、人々は既にアッラーを天地の創造者にして豊穣をもたらすものとして認めており、祈りを捧げ、最も厳粛な誓いはアッラーにかけて宣誓していたのだから。

当時メッカを支配していたクライシュ族の有力者は、ムハンマドの言う異教、つまり伝統的な多神教を放棄することは、そのまま自分たちの特権を放棄することを意味していたし、ムハンマドを真の神の使徒と認めることは、そのままムハンマドを政治的な最高権威者として認めることになるので、大いに反発した。
ムハンマドのグループは迫害され、各々の部族から追放された。
結果、ムハンマドの一統は秘密裏にメディナへと遷り、ここを基盤にして、イスラームの教義は固められ、部族的な性格から、部族を越えた信徒共同体(ウンマ)へと昇華していくこととなったわけだ。
この時期、ムハンマドはメディナのユダヤ教徒もイスラームの教えに改宗させようと試みている。この時期、ムハンマドはムスリムが祈りを捧げる方向をエルサレムの方角に定めていた。
ここでも、ムハンマドは自らを旧約聖書の数々の預言者の系譜に連なるものとして語っているわけだ。
しかし、それは結局決裂した。ムハンマドのもとには、祈りを捧げるのはイスラエルではなく、カァバ神殿のあるメッカとすべきという啓示が下り、ムハンマドはメッカ回帰を決意して、数々の戦いを当時の主要部族と繰り広げることとなる。
西暦630年には、メッカはムハンマド率いる1万名の軍勢によって無血占領され、偶像はすべて破壊され、多神教徒が持っていたすべての特権は廃止された。
翌年、ムハンマドは新たに下った啓示を根拠に多神教徒に対する全面戦争を宣言した。これが、今日まで続くイスラム国などの問題の発端といってもいいだろう。
632年。ムハンマドはメッカへの最後の巡礼を終えたのち、愛妻アイーシャの腕の中で息を引き取った。

イスラーム教原理主義者は、ある意味で未だに、ムハンマドが生きていた部族社会のなかで、絶対の信仰を守り抜くべく闘っているのだろう。
しかし、彼らが生きているのは7世紀のアラビア半島ではなく、21世紀の世界そのものだというところに、解決しがたい問題の根があるように俺には思える。

読者諸君、失礼する。何かを知ることは、実りをもたらすばかりではない。知れば知るほど、解からなくなることだってあるんだ。しかし、知らないよりは知っていた方がイイ。これは絶対に間違いないって断言するよ。

2015/03/09

Post #1433

Istanbul,Turk
イスラム国の蛮行が続いている。
今度はシリアやイラクで、紀元前の世界遺産の遺跡を完膚なきまでに破壊しているのだそうだ。
イスラム教成立以前には、今日中近東と呼ばれる地域には、セム族系諸族(現在もあの辺に住んでいる中近東の諸民族の大きなグループだと解釈してね)の間にひろくみられた、多神教文化が根付いていた。
イスラム教が好戦的な性格を持っているのも、この多神教文化の地域に、多神教の伝統を否定する形で突如として出現し、短期間にそれぞれの神々を奉じる部族や民族、国家を戦闘によってのみ込む形で成立していったからだ。不信仰者たちの改宗を目的としたその戦いは『聖戦』つまり『ジハード』と呼ばれる。
それによって部族や民族を超えて形成されるイスラーム教を基盤とする共同体をウンマ(イスラーム共同体)と呼ぶわけです。

イスラーム教、そしてそれに先行するセム族の宗教、つまりユダヤ教、キリスト教は偶像崇拝を認めていない一神教だ。
インドから東に住む俺たちは、神の具体的な姿を形に表し、それを崇拝するということが大好きなんだが、彼等一神教の人々は、とりわけユダヤ教徒とムスリムには、神聖なものを人間が形に表すことは許されないと考えているんだ。

だから、フランスのシャルリー・エブド襲撃事件のような事態が起こる。

全能の神が遣わした最高の預言者、ムハンマドをいささか滑稽な容姿の人物として描くことは、ムスリムにとっては、その神聖さを否定する蛮行以外の何物でもないわけだ。
俺もかつて、翼の生えた牝馬に乗って天上に上ったムハンマドを描いた宗教画を見たことがあるけれど、ムハンマドの顔は何も描かれてはいなかった。
のっぺらぼうなのだ。
この宗教的な主題は、ムハンマドの宗教的正当性を示す非常に重要な場面なんだけれど、それでも決して顔は描かれていない。何しろ、ムハンマドは西暦567年から572年ごろにメッカで生まれた人物で、その経歴は他の世界宗教の開祖(キリストやモーゼやお釈迦様)と違って、はっきりわかっているにもかかわらず、その肖像画は一切伝えられていないのです。

今日まで続く一般的なイスラーム根本的なテーゼの第一には、タウヒード、つまり『神の一性』といことがあります。これを手元にあるミルチア・エリアーデの世界宗教史Ⅲ第35章『イスラームの神学と神秘主義』(P139)から引用してみますか。

『神は唯一であり、神に似るものは何もない。神は物体ではなく、実体ではなく、偶有でもない。神は時間を超越している。神は或る場所とか或る存在者のなかにすまわれることはありえない。神は被造物がもついかなる属性や性質の対象ともならない。神は条件づけられることも限定されることもない。産むことも産まれることもない。〔・・・・〕神は先在する原型も助力者もなしに世界を想像された」

うむ、これでは神の似姿など作りようもない。
イスラーム教においては、神の存在は極限まで抽象的なレベルに押し上げられている。
その代り、モスクの中に入るとタイルによって無限を感じさせるように複雑に構成されたアラベスクや、天蓋から差し込む美しい光によって、否が応でも神の聖性や無限性を感じることが出来る。
俺は、イスタンブールのブルーモスクなどに足を踏み入れ、何度かそれを感じたものだ。

このように、日本人の宗教観からはかなり隔たっているのでいろいろと分かりにくい。この違いはどこから生じたのか?

砂漠だからか。

イスラーム教が生まれたのが、見渡す限りの砂漠と空しかないような苛烈な土地であったからではないか。川が流れ、森が人々を抱くようにして存在するインド以東の土地では、宗教は自然の似姿で、川には川の、森には森の、山には山の神々が宿っていた。
すでに神は、具体的なモノとしてまず俺たち人間の前に存在する者だった。

しかし、苛烈な砂漠で生まれたイスラームの神は、あらゆる具体性を否定する。
そして、偶像は否定される。
それを原理主義的に解釈した結果、イスラム国は世界遺産の遺跡を偶像崇拝者の遺物として破壊する。タリバンの皆さんは、バーミヤンの石仏を爆破した。まさか君、忘れちゃいないだろう?
そのことの是非は、ここでは問わない。
しかし、一度失われたものは、二度とは戻らない。
もちろん、すべての善きムスリムが、彼らの原理主義的な蛮行を認めないのは俺にははっきりわかっている。
しかし、俺たちはもっとムスリムの人々がどのような宗教観を持っているのかくらいは知る必要があると思う。

読者諸君、失礼する。もう少し、俺と一緒に学んでみようぜ。