2015/06/23

Post #1539

Copenhagen,Denmark
先日、父の日だってんで俺はカミさんと自分の父親の三人で飯を食いに行ってきた。
親父のウォーキング仲間がやっているという古びた中華料理屋だ。
看板には昔懐かしい闘将ラーメンマンが描かれている。
若者にはラーメンマンなんて、なんだかさっぱりわからないだろう。

親父は寂しい独居老人なんで、俺に誘ってもらって大喜びでゴキゲンだった。ついでに言うと、俺の勘定で、自分の顔見知りにいい顔ができるってんだ、目じりも下がるってものさ。
餃子とチンジャオロース、酢豚にチャーハン、肉天に生中で〆て4900円だ。領収書を忘れるな!

ニンゲン、ゴキゲンになると、昔話に花が咲くもんだ。
そう、人間75歳にもなると、もう過去の追憶の中に生きるしかないのさ。そこでグダグダ文句をつけてはいけないよ。今更親父の人生を否定して、嫌な気分にすることもないだろう。あくまで今日は父の日なんだから。
確か、俺の親父と写真家の荒木経惟は同じ年に生まれていたはずだ。
ついでに言うと、ジョン・レノンも同じ1940年生まれだ!わお!
参考までに申し上げると、荒木経惟には、子供はいない。ジョン・レノンにはジュリアンとショーンがいる。俺の親父には俺を筆頭に四人の息子がいる。
さて、いつも同じ話で退屈極まりないが、辛抱して聞いてやるか。

そんな中で、戦争中、終戦後すぐの話が出てきた。
俺の親父は戦争中は爺さんと一緒に大陸にいたんじゃなかったかな。
引き揚げてきてからは、とにかく大変だったらしい。
ふと、親父は俺に『おまえ、戦争になったらどうするよ』と、ドロリとした酔眼で問いかけてきた。

酔っぱらいにしちゃ、鋭い質問だ。

『へん、俺は山にでも逃げるさ。兵隊になんかなるのは御免だしな』
俺は反射的にそう答えたけれど、果たしてそんなに簡単に逃げ切れるかな。
戦争になったら、いったいぜんたいどこに逃げるっていうんだ?
女や子供を連れて山のなかを彷徨うのか?勢いでそう答えたけど、そいつは無理だ。山の中にはコンビニもないしな。

海外に亡命するのか?しかし、この国はどこの国にわたるにも、海を越えてゆかねばならないんだぜ。しかも、日本の周りには仮想敵国の北朝鮮、アメリカの仮想敵国である中国、日本を仮想敵国だと想定し続けている韓国、おまけに領土的野心満々のロシアだの、なかなか錚々たるメンツがそろっている。
しかも、日本はなんだかんだ屁理屈をこねて、難民をまったく受け入れようとしない国なんだ。金だけ出してやるから、宗教や文化や人種の違う連中を、この島国に入れてくれるなってケツの穴の小さな国なのさ。そんな国のニンゲンが、いざ自分のところがヤバくなったからって、どこぞに受け入れてもらえるわけがないだろう?
そうさ、俺たちゃどこにも逃げられやしなのさ。

政府が、国が守ってくれるって?
先の戦争のとき、沖縄や満州で、一般市民がどんな酷い目にあったのか知らないのか?
いざという時にゃ、お上は国民を守ったりしちゃくれないんだぜ。現に今だって、福島の原発事故は収束していないのに、被災者への生活支援は打ち切られようとしている。そして、その人たちの暮らしていた町は、廃墟のように荒れ果てている。
歴史的な円安と張りぼての様な好景気?の裏では、女性や若者は派遣労働者という二級市民として、階級固定されようとしている。
生活保護は削られ、他人事のようにしか見ていない人々は、それを歓迎している。努力が足りないからだって。財務省が大喜びだ。
税金は引き上げられ、海外からの物資は円安のせいで値上がりを余儀なくされている。
人々は、なんだかカエルをゆでるみたいにして、気づかないうちに窮地に追い込まれていく。
そして今や、この国に生まれた子供たちは、その瞬間に一人あたり800万円もの借金を背負わされてる。この国の借金は、それほどに膨らんでいるのさ。

彼らが、君を助けてくれたことがあるのかい?

国家には、いや政治家や官僚には、一人一人のニンゲンの姿なんかまるで見えちゃいなんだ。
もちろん、未来のあるべき社会の姿なんか、これっぽっちも見えちゃいない。

だから、戦争が起こっても、けっして奴らは、助けてはくれない。

詩人の金子光晴は、戦争末期、自分の息子に召集令状、いわゆる赤紙が届いたとき、息子を裸同然の格好にして、何十キロもの荷物を背負わせ、雨のなかに放置したり、煙でいぶしたりして、無理やり病気にして、兵士にされないように徹底的に抵抗したんだ。
やるな、金子光晴。まったくアナーキーとはあんたのことさ。

俺は自分が殺されたり殺したりするのは、絶対に御免だが、自分の子供が兵隊にとられ、どこかで弾に当たって死んじまうってのも、絶対に納得いかねぇ。俺は断じて許せねぇ。

我らが安倍首相は『集団的自衛権の行使に際して、自衛隊にある程度のリスクがあるのはやむ得ない』といっているが、そのある程度のリスクとは、俺や君の大切な人かもしれない誰かが、弾に当たって、あるいは戦争中の日本軍みたいな自爆攻撃で、虫けらのようにぶち殺されるという危険があるということだ。

君は、死ぬのは自分じゃなけりゃ、お国のために自衛隊のニンゲンが死んでも構わないのかい?
君は、この日本がアメリカの戦争のお手伝いをすることで、国際的なテロ組織の標的にされ、自分たちの住む町で、報復テロが行われ、君の大切な人が巻き添えになって死んでも、かまわないのかい?勇ましいことを言うのは簡単だぜ。けど、失われた命は、もう二度とっもどってこないんだぜ。よく考えよう!

そして、それをあっさりと、リスクだなんて血の通っていない言葉で片付けてしまうのかい?

俺は絶対に納得いかねぇ。俺は下りるぜ。
亡命だ、とんずらだ。難民になるんだ。
頼んだぜUNHCR(国連高等難民弁務官事務所)
でも、どこへ?どうやって?

だから、俺は親父には、あっさりそう答えてお茶を濁しながら、心の中では、絶対にこの国を、戦争のできる国にしちゃいけないって思ったのさ。

いいかいみんな、何時だって、戦争したがる奴は、自分たちは平和を守ってるっていうんだ。
この国の皆の衆は、昔っから自分で考えるのが苦手だから、すぐにコロリと騙されちまうんだよ。
奴らが言う平和を守るってのは、自分たちのところにちょっかいをかけてくる奴らを、ゴキブリみたいに殺せってことだ。
しかし、ゴキブリは俺たちに対して、さほど脅威ではないけれど、戦争をやってる相手は、俺たちと同じニンゲンで、ろくでもない武器をしこたま持っていて、とびっきり残酷なことを考え出す優れた脳みそと、普通の市民をただの数字としか認識しない冷酷なハートを持っているんだ。
これが脅威でなくて何が脅威だ?

だから、戦争で物事にケリをつけるような国にしては、絶対にダメなんだ。

自民党や自称平和の党の公明党が進める、安全保障法制なんて、絶対に成立させちゃならない。あれはアリの一穴だ。せっかくの70年の平和が、そこから崩れて行ってしまうんだ。自分たちの好きなように憲法を捻じ曲げて、俺たちをたぶらかそうってしているのさ。
そして、いったん法律ができてしまったら、それに反対するものは、法律違反で豚箱行きだ!
そうなったら、この国のお偉いさんたちには、中国だとか、北朝鮮だとか、エジプトだとかのことを、とやかく言う資格はないぜ。

平和ボケ?何とでもいってくれよ。それともそういうことを言うあんたは、自分でアフガンだかシリアだかにいって、ランボーみたいに大暴れしてきた経験があるのかよ?
お国のためだとかいう大義名分を吹き込まれて、うっかり死んでる奴よりも、愉しく生きてて、あいつすっとぼけてるぜって、みんなから馬鹿にされるほうがよっぽどましだ。

それに、戦争や暴力で物事を解決しないってのは、すごく勇気のいることなんだぜ。
俺は大人だから、どっちが勇気が必要かって、分かっているんだ。

読者諸君、失礼する。君も自分で考えろよ。戦争がおこったら、君はどうするんだ?君の大切な人や、君の子供を、どうやって守るんだ。いいか、考えるんだ。自分自身の問題として。

2015/06/22

Post #1538

Bremen,Germany
俺はいつも、自分のことばかり話してるように見えるかもしれないけれど、自分ではそうは思ってないんだ。
この世界の事や社会のことを、自分の経験したことや学んだこと、そして何より自分が正しいと信じていることに照らし合わせて、自分の力で考えて、自分の言葉で語りたいと思っているんだ。

それが正しいかどうかは、俺には分からない。もちろん、俺は自分でできるかぎり研鑽して、借り物の知識じゃなくて、自分の実感として腑に落ちるところまで考えて、それが君にどう伝わるのかを考えて語っているつもりなんだけどね。

だから、漠然とした日常描写の中に、とっても大事な考えを、そっと忍び込ませてみたくなる。
ただ字面だけおっていたら、大人になりきらない中年男のぐでんぐでんな日常茶飯事に見えるかもしれないけれどね。
けれど、どっかの学者や批評家が書いた言葉を、そのまま俺が語っても、上滑りするだけで、君の心に何も残りはしないだろう?

たとえば、中年男のだらしのない欲望を語っているように見えて、家族制度や男女の性愛の形を規定する社会通念に、俺なりに疑問を呈したりしてるわけだ。
もし君に行間を読む力があるのなら、この男、なんだかおかしなことを真剣に考えているなとか思ってくれると、嬉しいものさ。
あるいはまた、自分が出会ったおかしな人のことを語るときに、その人をそのようにさせている社会そのものについても、ひっそりと語りたいと願っているんだ。
ときには、俺たちの暮らすこの日本とは、まるっきり違う国での体験を書くことを通じて、俺たちの社会の抱えている病理を影絵のように映し出したりしたいと思っているんだ。

自分の目で見たこと、聴いたこと、触れたことすべてが、世界の断片で、何かのメッセージを、俺に訴えかけてきているように思えるのさ。
残念ながら、そのすべての意味を汲み取ることなんかできやしないけれど。
俺はそれを理解するだけの感性と知性が欲しい。そして、自分がいまここにある意味を知りたい。
そう思っているのさ。


小説家、高橋源一郎が、2011年4月から毎月一度、反日新聞として保守の皆様に毛嫌いされている朝日新聞紙上で続けてきた論壇時評が、一冊の新書にまとめられた。

『ぼくらの民主主義なんだぜ』という、素敵なタイトルの本だ。

朝日新書から出ている。お値段780円+TAXだ。
俺は、少年の頃の自分に、『さようならギャングたち』や『ジョン・レノン対火星人』などで衝撃を与えてくれた(それは俺にとっては、村上春樹や村上龍以上の衝撃だったよ)高橋源一郎が、気さくで穏やかな自分の言葉で展開してくれるこの論壇時評を、毎回楽しみにしてきた。
そこでは、原発や、労働問題や、テロや憲法、俺や君が暮らすこの世界が抱える、様々な問題が取り上げられてきた。
源一郎さんは、俺たちと同じ素人として、つまり一人の市民として、その様々な問題に向き合い、俺たちにも、自分自身で考えるように促してきた。その姿勢は、俺にはとても誠実なものに見えたし、とても好感が持てるものだったのさ。

そして俺は、いつも考えさせられてきた。

出来ることなら、君にもこの本を読んでみてほしい。そこで取り上げられているどの問題も、未だに解決してはいないから。
君は世界や社会のことを考えたって、意味なんてないと思うかもしれない。自分の生活で精一杯だよっていうかもしれない。
けれど、それはけっして無意味なことだとは俺には思えない。
なぜって、俺たちはみんな、この世界に生きているんだし、この社会をかたちづくっているのも、他でもない俺たち自身なんだから。

読者諸君、失礼する。どんなことでも、自分の実感に引き寄せて、そこから考えるべきだと俺は思う。自分の言葉で。

2015/06/21

Post #1537

Katmandu,Nepal
子供には、いつもたいてい好かれる。
ちょっとからむと、写真のようにめちゃくちゃにはじけてくれたりするんだ。たまらないぜ。
昨日も近所のスーパーで、行きつけの美容院の美容師さんと彼女の1歳9か月の娘さんとあった。
この娘さんは、けっこう人見知りするようなんだけれど、俺にはのっけからとびっきりの笑顔を見せてくれた。さすがに抱っこまではさせてもらえなかったけどね。

子供には、どこに行ってもたいてい好かれる。若者にも、なんか慕われる。偏屈なおじさんどもには可愛がられ、生理の終わったようなおばさんたちには、なぜか大人気だ。ついでに言えば、犬には必ず吠えられる。

できることなら、妙齢の女性にもっと好かれたいものだな。

読者諸君、失礼する。