2015/07/02

Post #1548

歌舞伎町2丁目、新宿、東京
久々に東京で仕事だ。
行きの新幹線は、昨日の新幹線車内での焼身自殺の影響で、混んでるんじゃないかと心配していたが、むしろガラガラだった。
ラッシュ時間をさけたのも良かったかもしれないが、誰かがまた焼身自殺しちゃたまらないって、みんな新幹線に乗るのを敬遠したのかもしれないな。
まったく、そんなの見たら、しばらく飯が食えなくなりそうだぜ。すくなくとも焼き肉はしばらくご遠慮させていただくことになるだろうよ。
新幹線の電光掲示板のニュースでは、その焼身自殺した男は、涙を流しながら油をかぶり、自分自身に火をつけたとあった。そりゃ、そんな形でこの世界とおさらばするんだ。涙くらい流したくもなるわいな。
無惨で不可解な事件に、人間の生きる悲しみを垣間見たような気がしたよ。

東京で仕事をすると、どうにも食費がかさむ。
俺は食うことに金をかけるのは好きじゃないんで、なかなかに辛いものがある。
これから2か月も続くのかよ・・・。

たまらないな。

築地本願寺のすぐ東のマンスリーマンションを借りてこの夏を過ごすのさ。こぎれいだが、殺風景だ。現場は銀座で、宿から歩いても10分そこそこ。悪くない。時間を見つけて月島とかぶらぶらしてみるとするか。

しかし、そんな余裕が果たしてあるのかな?

読者諸君、失礼する。

2015/07/01

Post #1547

Bremen,Germany
まだまだ先だと思っていても、不思議と時間は進み、その時がやってきてしまう。
何時だってそうだ。
指折り数えるようにして待ちわびた逢瀬も、その時が来ると、あっという間に過ぎ去って、気が付けば過去の出来事になってしまっていたりする。あとはその記憶を味のしなくなったガムをかみ続けるように、愛おしんでゆくしかない。
まったく、時間ほど無情なものはないのさ。

もう、今年も折り返しを過ぎて、7月になってしまった。
窓の外では雨が降り続いている。朝になれば、この雨の中トランクを転がして出張しなければならないとは、なかなかに気が重い。

出張暮らしは、なにかとままならないもので、好きな本を手元に置いておくわけにもいかないし、食事だっていろいろと難しい。俺は生粋の尾張人なんで、味噌汁は赤だしじゃないと旨いとは思えないんだが、出張して関東なり関西にゆくと、まず赤だし味噌にありつくことはできないしな。
コーヒーだって、自分でドリップして淹れるわけにもいかないしな。間違いなくインスタントコーヒーばかりさ。

なにより、身の回りに女っ気がないのが、侘しくていけないぜ。

読者諸君、失礼する。俺は孤独ってのは好きじゃないんだ。ひとりでふざけてみても、寂しくなっちまうだろう?

2015/06/30

Post #1546

Copenhagen,Denmark
糞くだらない政治がらみの話が続いたんで、自分でもいささか食傷しているんだ。
俺のせいじゃないんだぜ。下らない政治が続いているからさ。俺はそんな政治の話なんかよりも、素敵な女性のことを思い出したり、夢見たりしているほうが、圧倒的に好きだ。そんな下らない政治の話を聞いてると、耳がけがれちまうぜ。
素敵な女性のことを夢見て愉しく暮らすには、少々のお金と不滅の体力と、世の中が明るくて平和なことが絶対に必要だと、俺は思うぜ。

さて、今日で6月も終わる。
俺にとって、女性のことを考えるとき、もうすべてなにもかもを、金子光晴がその詩のなかで言い尽くしている気がする。もしくは忌野清志郎?
久しぶりに、俺の座右の書『愛情69』から、お気に入りの詩をいくつか引用してみよう。

『愛情3

 むかし、炎帝の娘たちには
まだ、ながい尻尾があつた。

 好きになつたしるしには
しつぽとしつぽを巻きつけた。

 しつぽにしつぽを巻きつければ
ふたりはなにもかもわかりあへた。

 しつぽが、だんだん短くなり
男と女とはわかりあへなくなつた。

 千萬愛してゐるといつてみても
ことばは、風にふきとんでしまふ。

 千日、からだで契りあつても
肉体の記憶はその場ぎりだ。

               
 しつぽとしつぽを繩に綯つて
繩が朽ちるまではなれまい。

 しつぽのある女をおれがさがしてゐる
そのことわけはざつと、こんなところ。』
(金子光晴 講談社文芸文庫「女たちへのエレジー」P125より)

どんなに素敵な女性でも、俺のことをわかって受け入れてくれないんなら、俺はなんの興味もありゃしないさ。もちろん、俺は相手の女性のことを、できるだけ受け入れて、できる限り理解したい。いつも、そう思う。けれど、言葉も肉体の交わりも、すべてを受け入れ理解するには、ほど遠いって思うよ。この詩を初めて読んだ時には、すとんと腑に落ちるものを感じたね。

『愛情32

 いくたび首をひねつてみても、
男と、女がゐるだけだ。

 その女と、男の思案が
ながい歴史をつくつてきた。

 男の箸と
女の箸とで
世の仕合せを
はさむといふ。

 ふたりの愛が 
泥のだんごを
米のだんごに
かへるといふ。

 男と女の一対は、
まがりなりにもたのもしい。
女のゐないしあはせや
女ひとりのしあはせは、

 誠実と涙の露のふりかかる
胸いつぱいの花束が、折角の
おくるあひてがないのとおなじ。』
(金子光晴 前掲書P177)

単身世帯が増えている。
それはそれ、個々のお考えだから他人の俺がとやかく言う筋でもない。けれど、こんな素敵な女性がどうして?とか、こんな気立てのよい好男子がなぜ?と思うことはしばしばだ。
なんとなく、残念だ。
もちろん、単身で暮らしているのは構わないが、やっぱりどこかに心の通じ合う異性がいないのは、最後のセンテンスのように、ものさびしいものだと思う。独りで生きていけるなんて思えるのは、若いうちだけかもしれないぜ。ニンゲンは、そんなに強いものじゃないと思う。
歴史に残る名アルバムを、若いリスナーに紹介するDJのように、もう一発行ってみよう!

『愛情53

 女をひとりあつかふのは、
水のうへの丸太乗りよりむづかしく

 生涯かけても、足のさばきが
のみこめぬ不器用ものが多い。

        よう
 むかしは、媵といふ制度があつて
ひとりの娘御を嫁にむかへると、

 姉妹たちもそろつてついてきた。
さあ、それはよいやら、悪いやら。

 束にして女どもをかはいがるのはいいが、
食はせて、着せるだけでも大仕事だ。

 かと言つて、ひとりの女をまもる
しみつたれた習慣はいつ頃からか。

 どうやら今日の『文明の貧困』は、
女さばきのまづさに原因がありさうな。』
(金子光晴 前掲書 P219)

俺は、現代的な、父系の一夫一妻制ってのが、唯一の性の形とは思えないんだ。母系社会のように、女のもとに男が通ってくる形でも全然いいと思えるし、むしろ古事記のオオクニヌシの説話や、伊勢物語や古今和歌集に見える平安時代の男女関係からすると、そっちのほうが自然なんじゃないかって思えるよ。そもそも、子供ってのは、俺の感覚じゃ母親のものだしな。

読者諸君、失礼する。明日から東京銀座で大仕事だ。この機会に、首都圏の知人友人に会いたいもんだが、そんな余裕が果たしてあるかな?もちろん、逢ったことのない君にも、あう機会があれば、そりゃ嬉しいものさ。