2011/04/03

Post #140 Cherry Blossoms

今日は旧暦では3月1日、新月だ。
桜もちらほら咲き始めた。ふと、西行法師の
『願わくば 花の下にて 春死なん そのきさらぎの 望月のころ』
という歌を思い出したぜ。実際に西行は旧暦の2月16日に亡くなったと伝えられている。出来過ぎだ。しかし、この歌を思い出して、鎌倉時代には旧暦2月の満月の頃には、桜が咲いていたということに気が付いた。今とはおよそ2週間の違いがある。地球温暖化だったのか。実際、俺達の住むこの星は、絶えず揺れ動いている。寒くなったり熱くなったり、そんなのは人間の体温が微妙に変わるほどの事だろう。
桜が咲くといつも読みたくなる小説がある。坂口安吾の『桜の森の満開の下』だ。
ここは俺の故郷の川辺。しかしこの桜は今はない。俺の家が無いように。
坂口安吾を読み始めたのは、高校生の頃、俺の通っていた私立クロマティ高校の現代国語の鈴木先生が、君はこれを読みなさいと言って、坂口安吾の小説のコピーをくれたのがきっかけだ。
その小説は、『夜長姫と耳男』。
当時はもう絶版で手に入らかったのを、きっと先生が自らコピーしてホッチキスでとめてくれたのだろう。このほかにも、鈴木先生は俺に埴谷雄高の『死霊』を読むよう強く勧めてくれたりもした。俺は、モヒカン刈りの文学少年だったから、すっかり魅了されたぜ。
ありがとう、鈴木先生。おかげですっかり、まっとうなエスカレーター人生を踏み外したぜ。後に、鈴木先生に対して、『先生がそんな本を勧めるもんだから、俺はこんなおかしな大人になっちまったじゃないか』って抗議したら、先生破顔一笑、君は放っておいても、遅かれ早かれそこにたどり着く運命だったんだからいいじゃないかと言っていたぜ。よく御存じで。ふふふ‥・、これも人生だ、ロックンロールだ。

さて、坂口安吾の桜の森の満開の下だ。
これは日本文学史上に残る金字塔的な傑作なんだが、ご存じない方のためにざっくりと導入部だけ、話しておこう。

鈴鹿峠に一人の山賊が住み着いていた。峠を通る商人から金品を奪ったり、女をかどわかして、自分の妻にしたりしていたんだ。男は永年、峠道にある桜の森に、ただならぬものを感じていた。男は教養のない野人だから、それがどんな感覚なのか表現できない。そしてそれを確かめるために、桜の森の満開の下に行ってみるんだが、何故か毎年気が変になりそうで、桜の森から逃げかえってくる始末だった。
そんな山賊のもとに、ある商人の夫婦が通りかかった。山賊は女があまりに美しいので、商人を殺ろして女を奪い、自ら背負って、山奥の自分の家に連れ帰ったんだ。
山賊の家についた女は、山賊が今までに奪って、自分の妻にした、かつては美しかった、そして長年の山暮らしですっかりむさくるしくなった女たちを、山賊に皆殺しにするように命じるんだ。山賊は、躊躇しながらも、何かに憑かれたように、自分の妻たちを殺しまくる。一番醜いビッコの女だけを召使として残してね。そして、女は山暮らしにうんざりし、都に連れて行ってくれるように山賊にせがむんだ。
そっから先は、自分で読んでくれ。小説を読むのが苦手な方には、近藤ようこがマンガ化したものもある。このマンガは、その辺の小説の翻案と違って、とてもよく描けているからお勧めだ。

桜を見ると、いつもこの小説を思い出す。
美しくて、醜悪で、優しくて、残酷で、虚しくて、孤独で、儚い話なんだ。
桜の下には死体が埋まっている。墓場だもん当然さ。
決して長い作品ではないんだが、文学に求め得る要素のかなりの部分が凝縮しているといっても過言じゃない。
俺は、この小説の中で、山賊とビッコの女のこんなやり取りにぐっとくる。

「都ではお喋りができるから退屈しないよ。私は山は退屈で嫌いさ」
「お前はお喋りが退屈でないのか」
「あたりまえさ。誰だって喋っていれば退屈しないものだよ」
「俺は喋れば喋るほど退屈するのになあ」

くぅ~ッ!喋れば喋るほど、退屈するこの感覚。
毎日こんなにブログを書き散らかしていながら、時折、痛切に、こんな言葉が胸をよぎる。
ホントに伝えたい気持ちは、言葉でなんか伝わらないんでないかい?
俺は、このやり取りを思い出しては、時折立ちすくむ。言葉は舌の根元で、絡まって声にならない。
言葉を連ねて俺の気持ちは、君に伝わるのだろうか?
俺の言葉は空を切り、あの時、あの娘の胸には響かなかったんじゃないか?
仕方ない、カメラを構え、シャッターをきるか。

この小説と、夜長姫と耳男の二つだけでも安吾はスゲー作家だって文句なしに断言できる。

桜には、どこか人の心を騒がせるものがあるんだろうな。
心浮かれ、騒ぐのも悪くないかもしれない。
けれど、今年は年季の入った蕩児のように、過ぎ行く春を、帰らぬ日々を惜しむように、ゆっくり桜を眺めてみたいんだが…。なかなか忙しくて難しいだろうな。さびしーことだ。
諸君、また会おう。今夜も俺は男の仕事に出撃だ。

2011/04/02

Post #139 Magnolia

俺の町には、木蓮の街路樹が植えられている。この時期、白い大振りな花を咲かせるのさ。木蓮は俺の好きな花なんだ。白い木蓮のあのベルベットのような花弁の質感も、艶やかな紫木蓮の色合いも、とても好きなんだ。君のまわりでも咲いているだろうか?
木蓮てのは、しっとりしてて、年頃の、しかも品のいいお嬢さんみたいで、見ていると、こわばった心がほぐれてくるような気がするんだ。

Magnolia
気がつけば桜もチラホラ咲き始めたようだ。
毎日、慌ただしく忙しく生きているうちに、季節は巡ってしまうんだ。俺もずいぶんと年をとった。オイボレ一歩手前だ。だからあと人生で何度、こんな季節を楽しめるのか判らないけど、せめて今この春を、しみじみ味わっていたいのさ。そう、今日という日は二度とないんだからね。
そんな感じて連れ合いと歩いていたら、以前働いていた会社の後輩にたまたま行き逢った。今年も花見をやるから、来ませんかって誘われたけれど、丁重にお断りさせて頂いたぜ。俺はあのどんちゃん騒ぎが好きじゃないんだ。どいつもこいつも、酒呑んで浮かれて、花なんか見てもいない。焼肉のケムリで、花の薫りもあったもんじゃない。子供がいたら最悪だ。俺は子供が川に落ちたりしないように、酔っぱらった保護者に代わって、面倒をみる破目になるんだ、100%ね!それに子供は何だかんだ言って、おかしな大人が大好きだ。こんなマンガから出てきたようなファンキーな俺を、ガキ共が放っておくはずがないだろう。
止めてくれ、俺は静かに花を楽しみたいのさ。
そう俺は、花見と称した無礼講なんかじゃなく、暖かい日差しの中を、ゆったりゆっくり歩いて、花の薫りをかぎ、春の風に髪を靡かせて、散りゆく花の美しさを、しみじみ心に焼き付けたいのさ。
心のなかに、プリントするようにね。
その点、木蓮は素晴らしいぜ。木蓮で花見をするようなスカした奴はなかなかいないからな。
諸君、また会おう。
今年くらいは静かにしみじみと花を愛でてみるのも悪くはないとおもうぜ。

2011/04/01

Post #138 春眠不覚暁

忙しいいそがしーなどとほざいている間に、気が付けば4月になってしまった。早いもんだ。光の速さで時間が動いているようにも感じる。
今日は目が覚めたらもう昼前だ。俺の一日が半日になってしまったが、たまにはこんな日があっても悪くなかろう。うむ、弓だって、ギターの弦だって、あんまりにもテンションが高いとプツリといっちまうからな。
俺の知り合いでも、昼夜なくバリバリ働き続けた挙げ句、現場で脳卒中で倒れ、半身不随になってしまった人もいた。風俗街のど真ん中の病院にお見舞いに行ったら、涙ながらに、病院の隣のソープに連れていってくれと廻らぬ舌で哀願され、丁重にお断りしたもんだ。作ってる訳じゃないさ、ホントの話だ。
だから、だらだら出来る時は極力抜かないとな。なぁに、こちとらサラリーマンじゃないんだ。好きにやらせてもらうぜ。とは言うものの、ゆっくり出来るのは、実に3週間ぶりだ。走り続けて来たのさ。
そこで、今日は現場を見に行くついでに、トライXを30本買って来たぜ。俺の弾丸だ。
帰り道、桜の並ぶ堤防道路をゆったりと車で流して帰ってきた。夕日もいつのまにか春の色合いだ。こんな時でも、春はやってくるもんだ。

ふふふ…、たまには、こんなのもいいだろ?一般的でしかも和むぜ。

諸君、また会おう。今日は一日ボンヤリしてるのさ。特に言うべき事もないってカンジだ。すまないな。