2011/04/16

Post #155 Provoke #2

パリのポンピドゥー・センターは、石造りの街並みの中に突如として出現する、巨大な化学プラントのような外観の巨大な現代美術の殿堂だ。剥き出しの配管とガラスで構成されたファサードは、計画段階から賛否両論で、パリの景観にはそぐわないと批判され1977年に完成したのちも、人々からは「この建物はいつ完成するのか?」と尋ねられることもしばしばだったらしい。日本で言ったら、京都駅みたいなカンジだろう。
Paris
しかし、近年では、『リサとガスパール』のリサがその外部に張り巡らされた配管の中に住んでいるという設定になっているし、何時いってもポンピドゥー・センターの前に広がる緩やかに傾斜した石畳の広場はパリ市民のみならず、世界中から集まった人々の憩いの場になっている。大道芸人がいたり、エレキギターを小さなVOXアンプに繋いで、路上セッションしている若者もいる。そのすぐ横で、子供がサッカーしていたりする。カップルがのんびり座ったりしている。賑やかなんだ。祝祭的な空間なんだよ。いいもんだぜ。
だから、俺はパリに行くと、必ず一度は足を運んでみる事にしている。

大抵いつも、バスティーユのあたりから、西へ向かい、路地を覗きながらたどり着く。今回、行ってみると、正面ファサードには、巨大なジョルジュ・ポンピドゥーのタペストリーがかかっていた。そこには彼の言葉として、次のように記されていた。


『芸術は議論されなくてはならない。
 挑戦しなければならない。
 抗議しなければならない。』

さすがは、フランス人だ。大統領にして、この発言だ。俺は芸術ちゅうもんの苛烈さを想い、本当に泣けてくる。

俺がこのポンピドゥー・センターに行くのは、ここにはとても充実したアート専門の書店が併設されているからだ。もちろん、日本で買えるものも多い。それどころか、近年ではアマゾンを使えば、大抵の洋書は手に入る。しかし、それだけじゃつまらないだろう。
残念ながら、今回はここでそんな凄い買い物をしたわけじゃない。しかし、俺の大好きなウィリアム・クラインのちいさな写真集を2冊買ったんだ。
そう、ウィリアム・クラインだ。
戦後の写真は、ロバート・フランクとウィリアム・クラインによって新たな時代を迎えたといっても過言ではないと思う。特に、俺にとっては、ウィリアム・クラインだ。彼が28歳の1956年に発表した『New York』は、それまで写真の常識の全てを覆した。
全編モノクロのその写真集は、1950年代のニューヨークの生々しさを今に伝える、素晴らしい写真集だ。現在では絶版で手に入りにくく、俺が持っているのは、その縮刷版的なerrata editions刊『Life is Good & Good for You in New York』だ。これは写真集自体をスキャンして作ったもので、見にくいとか、プリントの美しさとかを損なっているとか、批判も多い。しかし、構うもんか。手に入らないんだからな、これでも充分さ。グッとくる。
荒れた粒子、ハイコントラストの荒々しいプリント、 ピンボケした人物、暗がりの中でブレて流れる人影、ネオン輝く夜景、ノーファインダー、逆光の光の中で、光と影に熔解してゆく街路。
そして何よりも、そこに写されているのは、特別な人々ではなく、市井の人々のまったく任意な瞬間であり、これといって特別でも、決定的でもない、何らのニュース性もない、日常的なシーケンスというところが、最高だ。野球観戦に講じる人々、道行く老婦人、遊びまわる子供、地下鉄の車内、つるされたツナギの下着、ショーウィンドウ、壁の落書きetc...。
サイコーだ。自分が、あくまで私淑の域を出ないが、ウィリアム・クラインの系譜につながる者の一人だと確信する。
Centre Pompidu,Paris

俺は、カメラを手にして、気の向くままに写真を撮っていく中で、はじめは中判写真で、ジッツォの三脚を立てて、人がいなくなるまで待っていたんだ。自分のイメージに忠実に、その瞬間が来るまで、辛抱強くレリーズを握って、タイミングを待っていた。二度とは訪れることのないかもしれない風景の中に、その辺のおばはんとかが写り込んでいたら、嫌だったんだ。
しかし、だんだんと、それでは飽き足らなくなっていった。写真が嘘っぽいのだ。ライブ感がないのだ。ロックンロールなカンジがしないのだ。俺は三脚を使うのを止めた。中判から一眼へ、一眼からレンジファインダーへ、レンジファインダーから、コンパクトカメラへ。カメラはどんどん小さくなっていった。出来ることなら、肉眼レフがいいくらいだ。この目の中にカメラが入っていたなら。瞬くごとに写真が撮れていくのなら。そして、自分が生きて、歩き、目にする、どうでもいいようなシーケンスを、次々と写真に収めることができたなら…。俺はそんな写真を夢想する。俺の生の総体が、俺の見た経験した生々しい世界そのものが、記録されるような写真を夢想する。

世間の皆様の写真に対する考え方はどんなものか、実は俺にはよくわからない。
戦場や悲惨な災害の現場に果敢に乗り込み、報道したり、あるいは世の人々に悲惨な現実を告発したり、警鐘を鳴らしたりするものもある。それを決して否定しない。しかし、俺の道は違う。確かに、ロバート・キャパの『崩れ落ちる兵士』や『ノルマンディー上陸作戦』の写真は、身震いするほどの迫力をもつ写真だ。
或いは、美しいモデルに、優秀なスタイリスト、計算されたライティング、多大な経費を投じて用意されたセットで、撮影された美しい写真もある。
しかし、篠山紀信もかつて、アメリカの死の谷で衝撃的なヌードを撮った後、このままではいつかは月面に行ってヌードを撮る羽目になると思い、方向性を転換したの有名な話だ。人間の欲望にはきりがないからだ。より、多くの刺激を求める。戦場写真においても、報道写真においてもそれは同じことだろう。よりショッキングな写真を、より強烈な印象の写真を。

昨日も取り上げた消耗品軍団なる人物から寄せられたコメントに『福島原発に行ってモグリで写真撮ってくるくらいの気迫がほしーな』という一節があった。この時期に不謹慎だというのは一旦脇に置くとしても、この発言は、この辺のことに関わることと思う。
俺にはそんな必要はない。それは、サッカー選手に野球をしろというようなもんだ。それは、報道写真のかたにお任せしよう。どうしても、そんな絵が欲しければ、TVをつければいいのさ。TVに写った映像を、自分のフィルムに収めてしまえばいい。そんなことは大昔に、森山大道がすでにやっている。それもまた写真だ。それに、そんなものにしか、気迫を感じることができないのは、その消耗品軍団なる人物の感性は、過剰な情報にされられ、マヒしてしまっており、より刺激的なものにしか反応しなくなっているのではないのかね?おもえば、かわいそーなことだ。舌の荒れた人には、料理の微妙な味わいはわからない。セックス中毒の人間が、より過激で過剰なプレイへと突き進み、はたから見るとおぞましい変態行為にしか快楽を見いだせないのと同じようなものだ。
Centre Pompidu,Paris
写真の味わい方は人それぞれだと思うけれど、写真を消耗品のように味わっていては、写真のしみじみとしたよさなんてわからないと思うぜ。
しっかりと眺め、目に焼き付け、そして、目を閉じる。そして、あたかも、自分がその写真を撮った人物の位置に立っていることを想像する。写真なんて、所詮は、レンズの前に広がっている空間を円錐形に切り取り、さらにそれを四角くトリミングしただけのものにすぎないんだから。それを味わうのは、見る人間のイマジネーションが必要なんだ。そう、想像してみよう。君の前にある写真の中の、光を、風を、人間のぬくもりを、一枚の写真が、どれほど豊かな世界を秘めているのか、写真の中にダイブするようにして感じてみよう。
なんで無い風景が、リアリティーを持って、自分の内側に繰り込まれてくるだろう。

自分の身の回りにあるモノを、出来事を、接する人々を、その手触りを確かめるように写真に撮る。それによって、俺の中には、この世界が繰り込まれてくる。自分な中の世界が広がる。そして、その世界を、他人にも味わってほしいものだと、いつも思う。それは決して美しいばかりではないだろう。みだらなものもある、醜いものもある。面白いものもある、つまらないものもある。そして、美しいものもある。暴力的でノイジーであると同時に、美しく繊細な、まるで壮大なロックンロールのようなこの世界。

今日の締めの言葉として、戦前の日本で活躍した道楽写真家安井仲治の言葉を引用しておこう。

『(前略)卓上一個の果物を撮る人も、戦乱の野に報道写真を撮る人も「道」において変わりはないのであります。従って本当の「道」といものについて実践しようとすれば、果物を写すのも、戦場に出て写すのも同じ覚悟でなければならぬ。そういう写真家が天下に何名かは出なければならぬのであります。』
(一部、旧字体を改めた)

読者諸君、ここ何日か理屈っぽくなってスマン。もう少し付き合ってくれないか?これは大事なことなんだ。

2011/04/15

Post #154 Provoke #1

ふふふ、昨日に引き続き写真について語ってしまおう。旅行中、毎晩ベッドの中でいろいろと考えていたんだよ。とは言うものの、日頃の考え方を反芻していただけなんだがね。
ひとつには、3月27日Sexual Desire #4に対する、消耗品軍団を名乗る人物からのコメントに対する返答という側面がある。
俺にとっては、なかなかに態度も発言も、不快極まるコメントだったが、我慢してここに全文引用してみよう。
『福島原発行って、モグリで写真撮ってくるくらいの気迫がほしいな
五感に訴えるなにかがたんねーな
あと写真に色つけもほしいな〜全部同じもんに見えちまうよ
魂の乗ったエクスペンタブル・フォトグラファーになれるよう努力が必用(ママ)
一般的な人間には写真も文章も??ですよ』

本気かね?と私はまず問い返したい。
Efes,Turk
当初、ご自身のトラックバックなどもなく、言いっぱなしのコメントなど、黙殺して構わないと考えていた。それが大人の対応だと思う。
しかし、それは写真について語る契機となりうる要素を含んでいると思い、敢えて取り上げてみる気になった。
それに、何よりこの人物が、軍団と称して、衆を恃んだ趣きすら漂わせたうえで、自分自身は安全地帯から一方的に批判とういうか挑発するような態度は許し難い。
私の心中には吉本隆明の『知力、腕力、思想、識見、全てをかけて私と戦ってみろ』という言葉が駆け巡っている。かつて、私はこの言葉を吐いて、会社で労組、役員、上司の全てに対して、たった独りで多方面闘争を仕掛け、会社を辞めた事もある。
言いたい放題抜かしておきながら、挙げ句の果てには、エクスペンタブル・フォトグラファーになるには努力が必用だと?この頓馬はプロデューサーにでもなったつもりだろうか?しかも、一般的な人間には写真も文章も??ですよだとさ。
この人物は、いったい全体何様のおつもりか?編集者にでもなったつもりかね?
良いだろう、売られた喧嘩は、買わずにおけまい。自らが傷付く事すら、私はいとわない。もとより私は、このブログを道楽でやっているのだから。
こんなことをしても経済的に鐚一文儲かる訳でもない。むしろ、時間と労力、そして写真を撮影プリントするために、思わず笑えてくる程の経費を費やした。しかし、それでこそ『道楽』だ。未知なる道を楽しむ、という意味合いでの『道楽』だ。
故にこそ、一般的な人間の好みに会わせたりする必要性など微塵もないのだ。全てを自らの楽しみの為にやっている事だ。自分の好みで押し通して、誰に迷惑をかける物でもない。
毒にも薬にもならぬ、気の抜けたコーラのような文章など書く気はない。これはかつて私立クロマティ高校の演劇部に在籍していたときから、一ミリも揺らがない。おかげで、演劇部からは追放されたがな。あの時以来、自らは何もしないくせに、衆を恃んで、或いは他の権威を借りて、個人を追い詰めようとする者には、容赦せず交戦し、例え敗北しても悔い無しという無頼孤高の姿勢を貫いて来た。
その人生経験のを土台にして産み出した、自らの虚飾を一切放擲した文体だ。
当たらず障らずの文章しか読んだことも書いたこともない方には、当然の事ながら??だろう。承知の上だ。しかし、私がそんな一般的な文章を書いたとして、面白がる読者は果たしているだろうか?
先程も延べた如く、私自身はこの写真で一銭も稼いでいない純粋な『道楽者』だ。これが意味するところが解るだろうか?
市場調査やアンケートで、自分の方向を決めていくような、定見も信念もないような自他共に認める『アーティスト』とか『クリエーター』とかとは、根本的に違うのだ。
第一、私たちが一般的に目にする写真は、私には人々の持つ共同幻想的なイメージに予定調和した退屈なモノに感じられるのだ。
私は長年、そうした写真を『風呂屋のタイル絵』と称して、自らがそのような写真を撮る事を忌避してきた。ともすれば、水が低きに流れるように、そうした写真を撮ってしまいそうになる自分自身を、戒めて来たのだ。
そうした写真は、つまり可愛らしいネコとか、絵葉書のような美しい風景とか、セクシーなモデルさんを用いたヌードとか、或いはまた、事故や災害戦争などの報道・ドキュメントなど、世間一般でいわゆる写真と認知されている写真は、認知されているが故に、価値があると考えられ、価値に応じた対価が支払われ、消耗品として流通する事が可能になるのだ。それこそが、この消耗品軍団なる人物が示唆するエクスペンタブル・フォト=消耗品写真であろう。そんなものは、他の方々におまかせしよう。私は自らが信じる写真の道を、堂々と歩んで行けばよいのだ。

芸術は、実利的な社会一般では、本来なんの価値もない。対価を得る事を究極の目標とする芸術は、煎じ詰めれば単なる賃労働でしかないのだ。一般的な人間には受け入れ難いというのは、それに胡座をかくような筋のモノではないが、芸術においては、当然の帰決であるとも思われる。何故なら、一般的な人間は実利のために生きて、働き、喰い、眠りしているのだから。芸術はそのプロセスに、何ら寄与しない。寄与しないがゆえに、芸術は意味があるという、ある種倒立した存在なのだ。
一般大衆の上に立ち、特権的なインテリの一種としての芸術家として、上から目線で大衆を啓蒙するのではなく、あくまで大衆のなかの無名に等しい独りの道楽者として、一般的な大衆よりも遠くを見て歩く事。それが道楽写真家たる私の立ち位置だ。いたずらに消耗されたり消耗したりしてたまるものか。
Izmir,Turk
消耗品としての写真に対して、私が否定的な見解を有している事は、昨日の投稿『Unexpendable Photography』にて触れているので、ここでは触れない。参照していただきたい。

写真を始めた頃から、何故写真を撮るのか?何故このスタイルを選択したのかを、不断に自らに問い続けて来た。阿弥陀如来の五劫思惟の願には程遠いが、この10年、考え続けて来た。
今日はこの辺りにしておこう。続きは明日だ。『福島原発に行ってモグリで写真とってくるくらいの気迫がほしいな』の辺りを粉砕しよう。徹底的に捩じ伏せる。ふふふ…、楽しみな事だ。

2011/04/14

Post #153 Unexpendable Photograph

パリのジェフロワ・パッサージュは、1847年に建設された、由緒あるパッサージュだ。パッサージュとは、ガラス屋根を備えた商店街、日本の感覚で言えば、アーケード街ってのに近いのだろうか。
ボンマルシェやプランタンなどの百貨店が出現する前は、パリの人気のショッピングスポットだったようだ。
今回、俺はこのジェフロワ・パッサージュで、素晴らしい写真のあり方についての見本のような写真を見つけた。
ジェフロワ・パッサージュの入り口にはグレヴァン蝋人形館がある。そこから入ってゆくと、お菓子屋さんや骨董店、ステッキ店などがある。このステッキ店を覗くのが、パリの楽しみの一つだ。これを行き過ぎると、突き当りにオテル・ショパンがある。オテルとはホテルの事。フランス語ではHは発音しないからね。このオテル・ショパンで、パッサージュは左に折れ曲がる。そして小さな階段を下りると、そこでまた右に曲がって、パッサージュは続いてゆく。その曲がり角には、古い写真などを扱う店があるんだが、俺がその写真を見つけたのはまさにその古写真屋だった。
それは、大きな額縁に入っていた。
1メートル四方は優にあるだろうという、実に大きな正方形の額だ。
額の中には10段10列で正方形の窓が100個開けられたマットがおさめられていた。
そして、その穴の中には、ローライだろうか、20世紀前半と思われるごく古い時代に撮影された、モノクロの写真が全部で100枚、おさめられていた。
一枚一枚は、なんといいうことのない風景であったり、人物であったりするわけだ。子供や、老人、海辺の漁船、その他諸々。一枚一枚をつぶさに見てゆくと、この撮影者の非凡ならざる力量と、被写体に対する優しい思いが伝わってくる。そして、それは100枚が一つに集積されることで、互いに共鳴し、イメージを増幅させ、いうなれば、一つの世界を生み出していた。

100枚の6×6判の写真たち。

俺はそのイメージの集合体ともいうべき100枚の写真を一つの額におさめた『作品』(作品というのは妥当ではないかもしれない。何故って、撮影者はそれを意図して撮影したわけではないだろうから)の前で、しばらく動けなかった。そして、それを写真に撮ることも躊躇われた。
神聖なものを損なってしまうような、その時を超えた写真たちが放つオーラを、捉えることなど出来っこないと思ったからだ。
幸せな写真たちだ。そして、なんて幸せな撮影者だろうか。
Paris
ヨーロッパに行くと、骨董品店などで、ずいぶん以前にどこの誰ともわからない写真家(それは単に写真を趣味としていたアマチュアの好事家かもしれないね、俺や君たちのようにね)によって撮影された、色あせた写真が結構なお値段で売られている。それらは柔らかなトーンでプリントされた肖像写真であったり、あるいはまた、なんでもないような風景写真であったりするわけだ。そのほとんどは、いささかセピア色に退色していたりするが、それが実にいい味を醸し出しているんだな。
どこの誰が、何時の撮ったかも定かでない、何処の風景ともわからない、誰の肖像ともわからない、セピア色の写真たち。
しかし、それは、かつてこの世界に、この人物が、この風景が、確かに存在したということを、寡黙に、しかし揺るぎなく記録している。
無限に流れていく時の中で、その景色が、後世の人間によって手を加えられ、すでに同じ場所など特定できないほどに変わっていたとしても、その写真に写っている人物を知る人すらも死に絶え、もしその写真に写っている人物の子孫にあたる人が、全くの偶然でその写真を見たとしても、自分の先祖であるなどとは夢にも思わないようになっていたとしても、いいかいみんな、ここからが重要だ、その写真は、かつてその世界にこの場所があったことを、そしてまた、この人物がこの世界で生きていたことを、声無くして語っているのだということだ。

そして、俺たちが目にするすべての風景も、俺たち自身を含めた全ての人間が、生き物が、この時の濁流の中にいずれは呑み込まれ、闇に消えていったしまった後も、写真は俺たちここにいたことを、後世の人間に声無くして語ってくれるのだ。

そう、写真は決して単なるイメージとして消費されていくようなモノではないんだ。消耗品ではないんだ。君が愛用のライカで撮った、君の妻や子供の写真は、あなたがケータイのカメラで撮った彼氏の写真は、それが残っている限り、君やあなたにとって、かけがえのない人々が、かつて確かにこの世界にいたことを、そして、幸せそうに微笑んでいたということを、時の暴力的なまでの破壊力に抗って、後世の人々に語りかけるものなのだ。

ただ一時の視覚的な刺激や欲望を満たすものが写真では、ない。

その意味で、写真はまだ本当にその真価を、重たさを理解されているメディアとは思えない。

写真は、ティッシュペーパーや手帳のリフィル、使い捨てライターや、シャーペンの芯、あるいはプリンターのインクのような、消耗品では決してないのだ。
俺は、いつも本能的に反射的に写真を撮影しながら、狭い暗室で寒暑に苦しみながらプリントしながらも、俺が消え去ったのちも、この世界に残る写真を想う。
そして、自分の撮った写真が、何時の日にか、『詠み人知らず』の写真となって、一枚でもいいから残ってほしいと切望している。出来ればパリのパッサージュで、売られていたなら、きっと幸せだ。
そこに俺が写っていなくても、その写真を撮影し、プリントした俺は、その写真の中に息づいている。その写真が残っている限り、俺はこの無情な時間の流れに、完全に敗北したわけではないと、信じている。

エクスペンタブル・フォトグラファーだと?
けっ!誰だか知らないが、笑わせんな。写真はそんなに軽いもんじゃないんだぜ。俺は、そんなくだらないものになりたくなんかねぇや。

読者諸君、また会おう。写真は素晴らしいものだと再認識できたとことが、今回の旅の最大の収穫だ。心して、覚悟して写真に取り組んでくれ給え。