2011/09/11

Post #302 あの日の出来事

その日、俺は鍵を探していた。
当時通信工事の会社で働いていた俺は、日中、四日市に行って駐車場の表示装置の点検の仕事をしていたんだ。そう、四日市コンビナートや四日市ぜんそくだので有名なあの四日市だ。で、家に帰って鍵を開けようとすると、家の鍵がない。当然、車の鍵や倉庫として借りているガレージの鍵もない。これじゃぁ家に入ることすらできないぜ。まいったなぁ。
俺は会社から家までもう一度歩いてみた。当時働いていた会社は、家から歩いて約2分だ。目を皿のようにして道路を探し回ったことだろう。
無い。
しばらくすればつれあいが帰ってくるだろう。そうすりゃ、とりあえず家には入ることができるが、問題は何も解決しない。アパートの鍵は管理会社に言って交換してもらわなけりゃならないだろう。車の鍵もだ。そのままじゃ、どこかの誰かに車を持って行かれかねんしな。何かと物入りだ。今も昔も金回りはすこぶる悪い。何とかせねばな。
俺は連れ合いが帰ってくると、そそくさと食事を済ませ、スペアキーを使って車のエンジンを回して、夜の四日市に向かって車をすっ飛ばした。
Yokkaichi
俺は四日市の中心部に転々と存在する駐車場の表示装置を次から次にまわって探し回った。
夜の繁華街を横切り、交番に行って鍵の落し物は無いかときいたりもしたぜ。さすがにこの時ばかりは、写真を撮るような余裕はなかったな。なんだか夜の繁華街は、暴力的なアトモスフィアが漂っていたように記憶している。今にして思えば、写真を撮っておけばよかっただろう。けど、まだこのころ俺はモノクロをやっちゃいなかったんだ。カラーのリバーサルだった。
昼間に結構しっかり点検して回っていたんで、10か所くらいを探し回っただろうか。鍵は見つからない。俺は諦めて、家に戻ることにしたのさ。
四日市のインターに向かう道の途中で、俺は信号待ちの間に、運転席を降りて、後続の後輩の車に、何か言いに行った事を思い出した。念のために、行ってみることにしよう。
すると、ラッキー‼、道の真ん中にポロリと鍵が落ちていた。間違いない、俺の鍵だ。インクレディブルだ。俺は自分の記憶力の勝利を確信したぜ。
俺は家に電話をした。鍵が見つかったから帰ると伝えるために。
電話の向こうでは、何だか知らんがつれあいが動転していた。『アメリカで飛行機がビルに突っ込んで、しばらくしたらもう一機そのビルに突っ込んで、その瞬間をTVでやってる・・・』
『落ち着け、何をそんなにテンパってるんだ。そんなことあるわけないだろう』
『でもニュースステーションで、もう何機かの飛行機が行方不明になっていて、ホワイトハウスが狙われてるらしいってやってるよ!』
『落ち着け、きっとなんかアクションものの映画でもやってるんだろう。そんなことはあるわけないから、今から俺、帰るからもう落ち着け、鍵は見つかったんだ。もう心配することは何もない。』
俺はそういって電話を切った。夜の道をロックをガンガンにかけながら家に向かって車をすっ飛ばしたぜ。なにしろ明日の朝も早いんでね。
家に帰ると、本当に大変なことになっていた。
NetherLand
NYのWTCはイスラム系テロ組織アル・カイーダによる、民間旅客機を使った攻撃で、粉々になってしまっていた。飛行機がビルに突っ込む瞬間の映像が、何度も何度もTVで流れていた。ホワイトハウスだかペンタゴンを狙った旅客機は、乗客の抵抗によって、目的を破壊することなく、墜落した。
俺は、真夜中にTVを見ながらぼんやりとこう思っていた。
世界が本当の貌を、凶暴で破壊的な素顔を見せたんだ、ただ、それだけだ・・・。
俺たちが平穏に暮らしているこの世界は、本来こういった剥きだしの暴力が満ち溢れる世界だったんだけれど、社会の規範によって、世界は平穏だと思いこされていたんだ。
この地面の下にどろどろに溶けたマグマが流れているように、そしてそれが時折大地を割って噴き出すように、人間の世界の本当の姿が、現れたんだ。
これからいったい世界はどうなるんだろう。

それから今日で10年。この10年のてんやわんやは、皆さんもよく知るとおりだ。
サダム・フセインのイラクは、アメリカの火事場泥棒的な言いがかりによって崩壊し、イスラム原理主義者タリバーンの支配していたアフガニスタンは、アメリカの攻撃によってこれまた政権崩壊。アメリカの傀儡政権がイラクにもアフガニスタンにも誕生しているが、自爆テロによるアメリカ的なモノへの攻撃はおさまらない。パキスタンはアメリカに協力しているのかと思っていたら、同時多発テロの首謀者のビンラディンは、今年の5月にパキスタンの軍関係の施設のすぐそばの豪邸で見つかり、殺されたばかりだ。この戦争はアメリカにとってもべらぼうに高くつき、アメリカの景気はガタガタ。リーマンショックだの、ユーロ危機だの何だかんだ、大騒ぎの10年だった。そして半年前の地震だ。俺は、俺たちは穏やかに暮らしていきたいんだがな。

世界は優しくなんかない。むしろ非情で、無情だ。俺たちが、今日ものほほんと暮らしているのは、ほんの偶然でしかないんだ。高速道路に座り込んだ猫が、たまたま轢き潰されずにいるのに、状況を理解できずにかわいらしいしぐさできょとんとしているようなものさ。危なっかしくテ見ちゃいられないぜ。
読者諸君、失礼する。俺はあの日、自分の鍵を探しまわって夜の街を彷徨っていた。それから、もう10年が過ぎたってことさ。いろいろあったような気もするが、俺は相変わらず金回りが悪い。気が付けば40をいくらか超えた。つまり、そう、人生を無駄にしているのさ。

2011/09/10

Post #301 海峡慕情ボスポラス #4

ボスポラス海峡を横断するフェリーは、シルケジのエミノニュ埠頭を出発し、アジア側のハイダルパシャを経由してカドキョイへと至る。港の建物を出ると、キオスク(これ、確かトルコ語だったはず)がそこここに建っている。そこでは、まぁファーストフードが売っていたりするわけだ。
目につくのは、ジプシーのおばちゃんたち。ヨーロッパ側に比べると、はるかに数が多い気がする。
ジプシーはフランスなんかでもスッカリお馴染みなんだけれど、トルコのジプシーの顔立ちは、フランスなんかで見かけるジプシーの顔立ちよりも、東方の色合いが濃い。ジプシーがインドからやってきたというのが、納得できるような顔立ちだ。
彼女たちは何をしているのか?そう、行き交う人々に花を売りつけているんだ。どこから仕入れてくるんだろうか?
Istanbul,Turk
ワンピースに素足も露わな現代的なトルコ人のおねーさんに比べると、ジプシーの皆さんが着ている服が、まるで中世からそのままのような、浦島太郎的なギャップを感じさせる。
ジプシーはご存じのとおり、放浪の民だ。アジアとヨーロッパの交わるこの街に、どこかからやってきて、どこかに去っていくのだろう。花を売り、歌舞音曲で人々から喜捨を受けて生活するようだ。
トルコはジプシーが多い。ヨーロッパのジプシーは、黒海をぐるりと回ったルーマニアあたりが本場らしいが、トルコのジプシーはどこからきているのだろうか。どことなく顔立ちも異なることを考えると、ルーマニア方面のグループとは、ずいぶん昔に別れ、アジアに残っているグループなんじゃないかとも思う。まぁ、単なる旅人の俺にはよくわからないさ。ひとつわかるのは、下手に買うと、きっとずいぶん吹っかけられるだろうってことぐらいだ。俺は大抵いつも、見て見ぬふりをしてやり過ごす。目をあくぁせては、必ず売りつけにやってくるからだ。第一こんな旅先で、花を買ってもねぇ・・・。
Istanbul,Turk
まぁ、さわらぬ神に祟りなしだ。俺は何だかんだといって、結構目立つんでターゲットにされやすいんだ。積極的にかかわりあわない方がイイだろう。
このアジアの涯の港町に、アジアのはるか彼方の島国から来た俺は、ふと、彼女たちの暮らしがどんなものだろうかと思う。高度に、必要以上に発展した国に住む俺には、皆が生きてゆくために、いらないものを頭をひねって考えだし、それが必要だと洗脳するために、TVやネットやさまざまな媒体でコマーシャルされる奇妙な世界から来た俺には、彼女たちの売る花の値打ちがよくわからない。
Istanbul,Turk
けれど、彼女たちの生活が俺達よりもシンプルで、ある意味明解なものであることだけは確かなような気がする。うむ、しかし彼女たちとはいえ、いまどき携帯電話くらい持っているかもしれないな。まぁ、住所不定じゃなかなか契約できないかもしれないが。
もしかしたら、俺たちの身の回りに溢れかえるある意味いらない商品の山よりも、彼女たちが路上で売る一房の花束のほうが、人間には必要なもんかもしれないけれどね。
けど、まぁぼられても仕方ないんで、見なかったことにしよう。信号待ちをする様な顔をして、俺はこっそりとシャッターをきったのさ。
そう、信号が変わるまで、俺は飽きもせずまたあの歌を口ずさむ。

♪ボスポラス海峡 男一匹ぃ~ 道行く人の 言葉は俺には わからない
明日の行方も 東も西も 今の俺には わからないィ~♪

読者諸君、また会おう。合言葉は海峡慕情ボスポラスだ。

2011/09/09

Post #300 海峡慕情ボスポラス #3

う~、体調は最悪を脱していないというのに、忙しい。独楽鼠のようにくるくると回っているだけで、貴重な人生を空費しているようなブルースで、俺の心はいっぱいだ。財布がいっぱいになれば、そのブルースも少しは癒されるだろうが、世の中そんなに甘くない。人生には影のようにブルースが付きまとうのさ。
俺は、遠い旅の空を想い出す。そう、あのボスポラス海峡を照らす夕陽を思い出すのさ。
Istanbul,Turk
沈みゆく夕陽は、乗り合わせた人々の顔を照らし出していただろう。
ヨーロッパ側からアジア側に、往く人帰る人、それぞれに喜怒哀楽を抱きながら、同じ船に乗るのさ。
Istanbul,Turk
なかには、肩が凝ってる人もいるようだ。
人生が交差し、また離れていくそれがこのボスポラス海峡。
俺はそこから、はるかかなた、アジアのはるか辺境の島国で、狂ったように働いている。どうなってんだまったく。
♪ボスポラス海峡 はるかに離れ 今じゃアジアの果ての涯
疲れた体に 鞭打って 働き想うは 旅の空
ボスポラス海峡 男一匹ぃ~ ♪

読者諸君、また会おう。