2012/09/04

Post #617 自画自賛、そして俺の好きなトーン

Bruxelles
かつての森山大道や中藤毅彦のような、増感してざらりと荒れたような粒子感のある写真が好きだった。いや、今でも好きだ。どこか絵画のようですらあるそんな銀塩写真に憧れていた。
随分長いこと写真をやってきたが、結局そういう写真のトーンを自分のものにすることはできなかった。それは自分の技量の無さもあるし、自分の臆病さからきているのかもしれない。
その代りに、硬調でぬっぺりと黒がのっている写真が自分のスタイルになったんじゃないかなって思う。仕方ない。俺は森山大道の映画『≒森山大道』を見て、プリントのやり方を学んだというくらいテキトーな男なんだ。
それが結果的に、好むと好まざるとに関わらず、自分のスタイル、自分のトーンになってしまったという訳だ。
おかげさんで、最近のデジカメについている、アートモノクロモードみたいな、やたらとざらりとした写真とは、少し方向性が違うわけで、今思えばよかったんじゃないかなと思う。
俺の写真を特徴づけるものがあるとしたら、俺はこのシングルグレード印画紙4号を使い、黒っぽく焼きこんだトーンに最大の特徴があると思う。
たまに反動のように白っぽいハイキーなものも出現するが、先日も言ったようにそれはそれで好きだ。矛盾しているようだが、黒と白の両極端に振幅のデカいカンジこそが、如何にも自分らしくて好感が持てる。
両極端を抑えていれば、その中間のどこかにあるはずの中庸もしっかりそこに内包されているはずだからな。もし自分に偏ったところがあると思うなら、真逆のことをやってみればいい。周囲はあきれてあいつは両極端でよくわからないというかもしれないが、自分の中ではバランスを取ることができるだろう。
俺はそれをロックから、もっと端的に言うとThe Whoから教わった。繊細さと凶暴さ、知性と暴力性、そんな正反対のものが奏でるハーモニーちゅうやつを。余談ながらね。
俺の写真を特徴づけるモノの中には、もちろん、トーン以外にも被写体との距離感や適当なフレーミングちゅうのもあるだろう。けれど、やはり自分の写真の特徴は、このぬめっと黒っぽいトーンだと思う。
このブログを読んでくれている人の中には、俺の写真が好きだという人もいるかもしれない。(もちろん、いてくれると有難いが。)けど、一番俺の写真を好きだってのは、間違いなく俺だと思うよ。言うたらまぁ、自画自賛ってところだな。

読者諸君、失礼する。今日は仕事の最終決戦、いうたらハルマゲドンか関ヶ原みたいな日だからね。しっかり眠っておかないとね。夜中に後味の悪い夢を見て目を覚ましたからって、こんなことばかりやっていてはいけない。人間、深い休息が無ければ、フルで活動することなんてできはしないんだ。もう一度言おう、失礼する。

2012/09/03

Post #616 君子三日会わざれば刮目して見よ!

HomeTown
久々に、古い友人に会った。3年ぶりくらいか。
男子三日会わざれば刮目して見よというけれど、ここ3年で20キロも太っていやがった。一瞬どこのおっさんだよと思ったくらいだ。
余りに急激に太ったもんだから、脂肪によって横隔膜が押し上げられ、肺が圧迫されて縮んでしまったそうだ。そんな阿呆らしいことがあるものかどうか、俺は知らんが、実際にそんな話が納得できるほど太っていやがった。
俺がそんなに太ったら、誰か俺を屠殺場に連れて行ってくれ。俺の自意識はそんな醜態をさらすことに耐えられそうにないからな。
もっとも、旨い肉ってのは、脂肪だけじゃだめなんだけどね。脂肪と筋肉が適度に混じった肉がジューシーで旨い。松坂牛を見よ!人間で言えば、プロレスラーのような身体か。痛風患者の肉食男子たる俺が言うんだから間違いない。
ただのデブじゃ、脂肪から石鹸を作るくらいしか用途はなさそうだ。これは俺が適当に言ってることじゃなくて、20世紀の前半にドイツ人がユダヤ人やロマ人を相手に実験をした実例がある。奴等は髪の毛も潜水艦の断熱材に利用していた。まったく、合理的とは怖ろしいものだ。
なに、人を喰ったことがあるのかって?
大岡昇平か佐川君じゃあるまいし、あるわけないだろう?
もっとも、人を喰ったような発言なら、しばしばしてるけれどね。
読者諸君、失礼いたす。

2012/09/02

Post #615 かつて、ある日曜日に

かつて、香港に旅行した時のことだ。
ある日曜日、九龍半島の觀塘の碼頭からフェリーに乗って香港島にわたった。
そこはどこかうらぶれた港町だった。地下鉄を降りて、碼頭までの道すがら、人の姿を見ることも少なく、港湾エリアによく見られるような倉庫が立ち並ぶ、どこか殺風景な港町だった。
フェリーに乗り込むと、乗客もまばらだった。俺はいかにも遠くまで旅に来たという思いに満足していたんだ。
フェリーは觀塘と北角を結ぶ。この北角の碼頭を降りると、そこには海港道という庶民の市場があるはずだった。俺はそれを見にゆくつもりだったのだ。
しかし、田舎くさい港を降りるとそこには、多くの女性が集まっていた。
NorthPoint,HongKong
中華系の人々ではない。南方の人々だ。なかには頭にスカーフを巻いている人もいる。イスラム教徒だろう。すべて女性ばかり。聞きなれない言葉で世間話に興じているのだ。コンクリートの打ちっぱなしの床に敷物を広げ、弁当のようなものを囲んで、数人のグループに分かれてお喋りを繰り広げている。きっと、出身地が同じ者同士が寄り集まり、親類縁者の話題に花を咲かせているに違いない。その声は、まるで無数の鳥がさえずっているようだった。
遠景に強い日差しにさらされた香港島の中心街にそびえるビル街が見える。しかし、ココはまるで別世界だ。東南アジアそのものだ。
NorthPoint,HongKong
俺はこの風景を目にしたとき、いったい何が起こったのかよくわからなかったが、その日が日曜日だったことに気が付いて腑に落ちた。
出稼ぎメイドに来ているインドネシアの女性たちが、日曜日に休みをもらい、ココに集まってきて、同郷の仲間たちとひと時の歓談を楽しんでいるのだと。
それは、どこかさびしくもあり、それでいて心温まるような風景だった。今日も北角碼頭には、何百人ものインドネシア人の女性たちが集まり、にこやかな笑みを浮かべ、故郷の言葉でさえずるように話し合っていることだろう。
ふと、出張先の港町で、そんな過ぎたある日曜日の風景を思い出したんだ。それだけのことさ。