2015/01/16

Post #1381

Fes,Morocco
イスラム教徒に対して、ほかの宗教の人々が偏見を持たないようにしてほしいと願っている。
どんな集団のなかにも、狂信的なグループは存在するし、大多数のイスラム教徒の人々は、自分たちが信じている崇高なものを茶化され、不快な思いをしていたとしても、耐え忍んでいるのだから。
日本人なら、この国では、ほんの70年前まで、天皇陛下を生き神様と信じ、その写真を真っ直ぐ見る事さえできないと考えていたのを知っているだろう?
その頃、同じように天皇陛下が風刺漫画にされたら、大多数の日本人は激高したことだろう。
きっと、日本刀を持って乱入し、その風刺漫画家を殺すとかいう鼻息の粗い奴も出て来ただろうし、実際にやるやらないは別として、人々はそんな過激な言動に喝采を送っていたことだろう。

また、世界を震撼させたオウムテロ事件の時、世界の人々は、日本人全体が地下鉄のなかでサリンを散布するようなイカれた民族だと考えただろうか?

自分の親戚にろくでなしのクズ野郎がいたって、君まで世間様から鼻つまみ者にされるのは、筋が通らないってもんだろう?

自分がされて嫌なことは、人にもしたくない。批判批評の矢を向ける相手は、もっと他にいるはずだし、狙いはしっかりと絞り込むべきだ。
それが俺の選択した自由だ。

読者諸君、失礼する。今日は朝帰ってきてから、47%のジンを飲んで眠ったんだけど、すぐに目が覚めてしまったんだ。睡眠1時間30分はキツイ。けどおかげさんで、書いてるうちに眠くなった来たんだ。自分で書いてても退屈だったってことかよ。道理でPVが伸び悩むはずだぜ。

2015/01/15

Post #1380

Paris
髪を切りに行って、まじまじ鏡を見ていると、ここんところずいぶん痩せてしまった。
体重計にのっているわけではないので、どれくらいってのは解からないけれど、首や顎がすっきり削ぎ落としたようになっている。頬にいたっては、光の当たり具合によってはげっそりしているようにすら見えることだろう。そういえばここんところ、腰回りもかなりすっきりしていたっけ。
今度の法事の時に、スーツを着るのが楽しみだ。

別にダイエットとかしてるわけじゃない。
悩みがあるわけでもない。

飯を食わないだけのことなんだ。
仕事の時間が不規則なんで、朝家に帰って、かみさんが作っておいてくれた夕食?をレンジで温め食べると、次の日の朝まで、ほんの少ししか食べない。時には何も食べないことすらあるほどだ。
もともと、食い物に執着するタイプではないので、何かを無性に食いたいってこともない。
何か口にしなけりゃと思い、コンビニに行ったりしても、何も食いたいものがなくて困惑するんだ。
仕方なく、カップヌードルとかを、ガソリンを給油するように食べていると、かみさんにもっとましなものを食べるようにと叱られる。

そのかみさんも、今日は出張でいない。
俺はヤルときはヤル男だし、食事も自分で作れるんだけど、誰かに食べてもらわないと作る気がしない。自分に関するその辺のことは、はっきり言ってどうでもイイといったルーズな男なんだ。そもそも、なにか食べたいって欲が希薄だから、スーパーに買い物に行っても、なにも思い浮かばない。
くわえて、外には冷たい冬の雨が降り続いている。体の芯まで冷え切ってしまいそうだ。そんな冷たい雨の降る暗がりの中を、俺は傘もささずに仕事に出かけるんだ。傘ぐらいさせばいいようなもんだけどな。

しかし、朝、家に帰っても誰もいないしんと冷えた部屋というのは、どうにも寂しいものだな。俺にはお世話にしてくれる人が必要なんだ。手のかかる老いぼれなのさ。
誰か、こんな俺を温めてくれないか?手も足も氷のように冷え切っているのさ。そして心の奥もね。

読者諸君、失礼する。今夜も漢の仕事が待っているのさ。

2015/01/14

Post #1379

Balcerona
ここ何日か、本棚の奥から『古今和歌集』を引っ張り出して読んでいる。
若いころにはよくわからなかったんだが、改めて読み返してみると千年も前の人々の、迸るようなホットな感情が、ビシビシびんびん伝って来る。
とりわけ、切ない思いを詠いあげた数多くの恋歌は、その大半が叶えられぬ恋と、伝えたくても伝えられない相手への思い、そして逢いたくても逢うことが出来ない切なさを詠っているのだが、21世紀を生きる自分と、何ら変わりのないことに、驚くとともに深く共感する。

まさに、『もののあはれ』だ。
なんたって、当時の人々にはラインもフェイスブックもないし、電話もなけりゃ携帯電話もない。道路もなけりゃ交通機関もない。だから当然、離れた人に気軽に会いに行くことが出来ないばかりか、久しく消息の途絶えた人の安否すら知ることも出来ない。ネット社会ってのはスゲー便利だが、そんな思いを募らせて、転げまわるように苦しみもだえることもない。恋すら軽いのだ。悩むより前に、ラインか何かで、新しい恋人をゲットすればイイのだから。
まったく、平安朝の人々の恋は、現代人のそれとは、比べ物にならないくらい不便だ。

けれど読めば読むほど俺には、人間の本質ってのは、千年経とうが、技術がどれだけ進もうが、ぜんぜん変わらないんだって思えるよ。
いや、ひょっとしたら俺の感覚が千年前の人間の感覚なのかもしれないけどな。
まぁいい。そんな気持ちの解からない奴には、どれだけ言っても仕方ない。
けれど、そんな気持ちがわからないようじゃ、人生の楽しみは半減だぜ。
嘘じゃないさ。実際に少し読んでみればいい。
君が日本人の端くれなら、声に出して読んでみるがいいさ。
きっと五臓六腑にしみるのさ。

俺は、巻十二 恋歌二のこのあたりに痺れるぜ。

605 『人知れぬ 思ひのみこそ わびしけれ 我が嘆きをば 我のみぞ知る』  つらゆき
(相手に知ってもらえない恋の思いこそ、辛いものはない。私の嘆きを知るのは、私だけなのだ)

611 『わが恋は ゆくへも知らず はてもなし あふを限りと 思うばかりぞ』   みつね
(私の恋の悩みは、どうなるかわからないし、果てしがない。せめてあの人と逢うことで、治まりはしないかと、思うばかりだ)

613 『今ははや 恋ひ死なましを あひ見んと 頼めしことぞ 命なりける』    ふかやぶ
(本当ならば、自分はとっくに恋こがれて死んでしまっていたはずだけれど、あなたがそのうち逢おうと約束してくれた言葉をだけを頼りに、生きているのです。)

615 『命やは 何ぞは露の あだものを あふにしかへば 惜しからなくに』    とものり
(命なんて、露のようにはかないものだ。あの人に逢うことと引き換えられるのなら、そんなもの惜しくもないさ。)

けど、このころの大人って、カッコいいなぁ。
いい年こいて、好きな女に会えるんなら、死んでもかまわない!なんて歌えるんだから。
けど、誰かを好きになるって、そんな気持ちがするもんじゃないかい?自分にもそんなときがあったなぁなんて思えるのは、果たして俺だけかい?

読者諸君、失礼する。